011
目覚めたとき、楓には、眼に移る物全てが新しく見えた。
「ここは……?」と口にしようとして、喉の極度の乾燥により声が出ない事に驚き、次いで自分が、どこか民家に居る事に気がつき、二度驚いた。
とにかく現状を把握しようとあたりを見渡すが、部屋の構造物や置物一つとっても全く見覚えがな
い。もしかして敵に捕らえられたか、といったところまで思考が発展したとき、部屋の襖が開いた。
「あ、目が覚めましたか!」
整った顔立ちの、年は十五、六だろうか。少女が一人、桶を抱えて入ってきた。
「よかった、このまま起きないかと思いました」
言いながら桶を枕元に置く少女を見、「ここは…?」とかすれた声で聞いた楓は、喉の痛みに顔をしか
めた。
しかめっ面の理由に気付き、湯飲みへ桶から汲んだ水を渡してくれた少女に目線で礼を返し、楓は一気にその水を呷った。
敵意は無い、と判断したからゆえの行動だが、その思い切りの良いところはまだ若かった。
いくらかはましになった喉をさすりながら、楓は、正面に正座する少女に問いかけた。
「貴女は…?」
「あ、わたし、百合っていいます。道で倒れていた貴女を見つけて、ここまで運んで来たんです」
すると、この少女――百合が自分を介抱してくれたらしい。
「ありがとう、本当に」と頭を下げ、楓はふと自分の刀の事を思い出した。
「私の刀は、ありますか?」
訊ねると、百合は思い出したような顔をした後、立ち上がって言った。
「ええ、今お持ちしますね」
どうやら、刀も持ち去られてはいないらしい。何を考えているのかわからない水仙の行動に首を傾げた楓は、その後に胸の奥から沸々と沸き上がる怒りに気がついた。
女一人、武器を取り上げなくても驚異には成り得ないということなのか。
舐められた怒りと、たとえ一時でも主君である葵をみすみす連れ去られてしまった自分への怒り、そ
して連れ去った水仙への怒りが腹の奥、丹田のあたりで渦をまき、一つの大きな憤怒へと育ちつつある。
それを押し殺すのは、簡単では無さそうだった。
「ありました、これですよね?」
ぱたぱたと駆ける音が近づいて来、顔を襖からのぞかせた百合の手には、確かに楓の愛刀が握られていた。
頷き、百合の手から刀を受け取る。鞘を払い、根元に精巧な龍の彫り物がなされた刀身をじっくりと
眺め、異常が無い事を確認した楓は、それを鞘に戻し、百合に向き直った。
「確かに、ありがとうございました。本当なら、すぐにでもお礼をしたいのですが……」
生憎、先約が入っているので。その言葉は飲み込み、眼前の百合に頭を下げる。
「い、いえ、お礼なんてそんな……」と恐縮している百合を横目に、楓は立ち上がり、開け放たれた襖
へ歩き出す。
彼女は、自分とは住む世界が違う。
恐らく血も見た事が無いであろう無垢な彼女を、これ以上巻き込むわけにはいかない。
そんな決意を胸に抱き、腹の奥で煮えたぎる憤怒の炎に突き動かされるように、楓は刀を握る手に力を込めた。
「待ってください、まだ――」と静止を促す百合の声を肩で弾き、家の外へと出た楓は、もう一度少女に頭を下げ、橙の光に包まれた町を駆けだした。