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FLUID

作者: 御印朱
掲載日:2026/10/13

某漫画原作コンテスト用に書いて、結局没にしたものです。

本作は小説形式ではなく脚本形式となっています。


【表記】

◯見出し:場所と時間

地の文:状況説明

名前「」:セリフ

名前M「」:モノローグ

名前N「」:一人称ナレーション

N:三人称ナレーション


以下、本文

第1話

◯鳴戸荘(庭)・深夜


暁N「僕──古(ふる)井(い)暁(あきら)は、このアパート〈鳴(なる)戸(と)荘(そう)〉の、何の変哲もない大家である。」


門の前、「鳴戸荘」と焼印で書かれた木の表札は長年の風雨に晒されて、やや褪せている。

庭はしっかり手入れされて手前は刈り込まれた芝生、奥には広葉樹や常緑樹が三本程度植えられている。

その下の茂み、低木の山アジサイが花の季節を迎え、白い花がふんわりと満開(アップで映す)。

木にとまったセミがちょうど羽化している。

夏の深夜で虫の声が聞こえてくる(スズムシのリーン、リーンという声)。


暁N「ここ東京都世田谷区は江戸時代、江戸の街中心部から外れた農村部だったこともあり、今も敷地に古井戸が残っている民家が多くあった。」


深夜、新月だが庭の外に立っている街灯の明かりで庭の片隅の古井戸がぼんやり照らし出され、不気味な様相を呈している。


暁N「この〈鳴戸荘〉もその例に漏れず、やはりというか、庭の一角に古井戸があったのだ。今でこそコンクリートで蓋をしてあるが、その以前は石組みだったと聞く。ひとたび足を滑らせて落っこちてしまえば当然ながら危険であった。」


古井戸は苔むしている。

コンクリートで縁が補強され、同じくコンクリートの重そうな蓋がついている。

その蓋をひょいっと軽々動かして開ける平安装束姿(正装の束帯ではなく準正装の直衣をイメージ)のシルエット。


暁N「そんな我が家の古井戸に、人が飛び込んだところを僕は目の当たりにしてしまった──」


◯鳴戸荘(301号室自宅)・同時刻


暁「はあ~、蒸し暑っ。東京の夏はさながら灼熱地獄だな……っ」


寝室のすのこベッドから半身を起こし、一枚だけかけていた薄手のタオルケットを片手で跳ね除ける。

黒Tシャツの襟元を団扇のようにパタパタと扇ぎながら気だるげな長い溜め息をつく暁(黒地に金で稲穂の図案が描かれているイメージ)。

窓際、ボタニカル模様のカーテンレールに吊るしてある朝顔柄の風鈴がエアコン冷房の風を受けて控えめにチリンと鳴る。

枕元の飾り気のないデジタル時計は「0234」と表示されていて、深夜二時半過ぎである。


暁M「ヘヴン限定販売のメロンもなかアイスでも買いに行くか……」


半身を起こしたまま、うつむきがちにコンビニへアイスを買いに行くことを思い立った暁はベッドから下りる。

Tシャツとハーフパンツの上下。スマートフォンと鍵と革の小銭入れとマイバッグをテーブルの上から手に取り、スポーツサンダルをつっかけて玄関扉を開く。


暁「いくら三階でオートロックとはいえ、ちょっとの外出でも、今時は怖い世の中だからなあ……」


口角を下げ、ぼそりと呟いてしっかり施錠する暁(ガチャリという効果音)。


暁「指差し確認!」


鍵穴に向けて人差し指をさして、施錠したかどうかをもう一度念入りに確認する暁。

そうして301号室を出て建物外の階段を下りていく。


暁M「虫の声が……一瞬止んだ? ……何事?」


階段の踊り場で異変に気づきはっとして立ち止まり、手すりに手を置く暁だが、その手が細かく震える(手をアップ)。

怖々と階段を下りていくが、少しだけ駆け足になる。

呼吸がやや乱れ、ハァと息をつく。

コンクリートで舗装された庭の小径に下りたとき、ズズ……という何かが擦れたような小さな異音を耳にする。


暁M「きっと古井戸の方角からだ! もしかして、不審者!? いやでも……、ここはフェンスで囲まれてるし、やっぱりオートロックだし……、でも、通報しなきゃ、か?」


背筋に寒いものが走って、ぶるっと軽く身震いする暁(肩の輪郭がトゲトゲするイメージ)。

まだ音のした古井戸の方向は見ないでその場で立ちすくんでいる。


暁N「まさかまさか、フェンスを力技で乗り越えた──?

そう僕が疑問を抱いたときだった。」


ついに意を決して、勢いよく身体ごと庭の方向を振り向く暁。

次に握った拳のアップ。

そして目を見開く暁の顔のアップ。


暁M「あれは……、八十島さんっ!?」


重そうな古井戸の蓋が人ひとりが通れるくらいの隙間までずれている。

そして、古井戸の縁に足をかけた状態でいる、店子の八十島出の姿。

八十島は男子の平安装束のようなものを着ている。


暁M「あのコンクリの蓋をずらした……?」


暁の顔がやや恐怖に引きつる。


暁M「ふ、不審者……!? いや、違う。あれは間違いなく八十島さんだ。だってあの人影、僕よりずっとデカいってば!」


口に出して言葉は喋らず、その代わり口に掌を当ててその場で固まる暁。


◯暁・回想


かつて八十島の住んでいる303号室の前で彼とすれ違った記憶が思い出される。

季節は春で、梅の枝にとまったウグイスがホケキョ、と鳴いている。


暁「おはようございます」


礼儀正しくお辞儀して八十島に向けて朝の挨拶をする暁。

背中には大学用のシンプルなリュックサックを背負って、手にはトートバッグを持っている。


出「ああ、おはようございます……」


扉を施錠中の八十島は硬い声で挨拶を返す。

黒いキャップと薄い色のサングラスと黒いマスクを着けている。

目元しか分からないが、切れ長の涼しげな目で美貌をそこはかとなく感じさせる。

長袖Tシャツにカーディガンを羽織ったその体格は、細身だが筋肉質に見える。


暁M「結構シャイな人、なのかな……?」


訝しむ暁。

八十島の顔は身長175センチある暁がやや見上げるくらいの位置にあり、彼はなかなかの偉丈夫であると分かる(テロップで暁が175センチと分かるように表示)。

暁がぼうっと立っていると、八十島は正面を向いて去っていく。


暁M「180後半はありそうだなあ……。ちょっとおっかないかも」


唇を引き結ぶように苦笑してそんなことを思う暁。


暁M「ま、あんまり話さない人だし、別に気にしなくてもいっか──!」


楽観的に腕を頭の上で四角に組んでのんびりと歩き始める暁。


◯鳴戸荘(庭)・現在


暁M「やっぱり不審者なんかじゃない。だって住人にはきちんと鍵を持たせてある。っていうことは防犯カメラを承知でフェンスを飛び越えない限り、絶対に無理……!」


目を片腕で軽くこすってから目を細めて、薄闇の庭をまじまじと観察する暁。

顔は険しく、手にはスマートフォンを握り込んでいる。


暁N「まるで平安時代の貴族のような──

国語便覧で「直衣(のうし)」と呼んでいたような──

──そんな装束だった。

烏(え)帽(ぼ)子(し)を頭にかぶり、指(さし)貫(ぬき)の袴を履いている。」


凛々しい装束姿の八十島は立ち尽くす暁に気づいて、そちらを向いた瞬間、驚愕の表情になる。

キャップもサングラスもマスクもなく素顔がはっきりと見える。

目鼻立ちのすっきりした美丈夫だ。


暁N「──まるで今から蹴鞠でもするような格好だった。」


慌てたのか、ただちに、ためらいなく、古井戸の中へと飛び込んだ八十島。


暁N「彼は古井戸に飛び込んだ。さながら、千回、万回、と同じことを繰り返してきたように……」


暁「コスプレ? 酷暑にやられた? いや、やられたのは僕か……」


あまりの出来事に圧倒されて棒立ちしていた暁はぼそりと小声で呟く。

またスズムシが鳴き始める。


◯コンビニ〈ヘヴン〉・深夜


自動ドアが開いて、入店のメロディが流れる。


暁M「いったん見なかったことにしちゃったんだけど、大丈夫かな……? たぶん寝ぼけてたんだよね……? そうだそうだ」


一瞬だが、脳裏に先ほどの八十島が井戸に飛び込んだ瞬間が想起され、ぶんぶんと振り払うように首を横に振る暁。


店員「いらっしゃいませー」


中背の若い男性店員がレジから挨拶してくる。

暁はそれに会釈してから、アイスの冷凍庫前に近づいていく。

メロンもなかアイスを探す。

しかし、目的のメロンもなかアイスは売り切れで在庫がなかった。


暁M「……あ、ない。まあ人気だよね」


暁は代わりに「こだわり白桃アイスバー」を買おうと手に取る。

お会計に進み、レジの表示に250円と映し出される。


暁「交通系で」


スマートフォンを掲げる暁。


店員「レジ袋をお付けいたしますか?」


暁「マイバッグで」


畳んだマイバッグを掲げる暁。


店員「承知しました」


丁寧にマイバッグを広げて店員に渡す暁。

店員がほんのわずかだけ微笑んだ。


店員「ここにタップをお願いいたします」


暁がスマホを決済端末にタップする。

ピピッと音が鳴って支払いが終わる。

店員がアイスの包みを手早くマイバッグに収める。


店員「ありがとうございました」


店員が軽くお辞儀する。

暁も微笑んでからコンビニを後にする。


◯鳴戸荘(301号室自宅)・深夜


しゃくり、と齧る暁の口元と薄いマーブル模様の白桃アイスバーのアップ。


暁「通報もしないで無視しちゃったけど、ほんとによかった……?」


部屋は照明がついていて明るい。

木の椅子に座ってアイスバーを齧りながら呟く暁は脚をぶらぶらさせている。

風鈴がちりんと鳴った。


暁M「通報しなかったのは寝ぼけた幻覚だと思ったからだけど……」


アイスバーを片手に首ごと視線を上げて天井のランプシェードを眺める暁。


暁「やっぱ通報した方、よかったかな」


暁N「帰りにおそるおそる古井戸を確認したけれど、あの蓋はずれたままだった。あまりの恐怖体験すぎて、もういちいち確認する気にもなれない」


最後に見たときと同じ、古井戸の蓋がずれている。

庭に忽然と古井戸だけが存在しているように、黒い背景で芝生の上の古井戸にスポットライトが当たっているイメージ。


暁N「明日、八十島さんの303号室を訪ねてみよう……」


303号室の扉と「ヤソシマ」と黒の油性ペンで達筆に書かれた表札。


暁N「幸い、大学は夏休みだ。時間だけならたっぷりある……」


半分になったアイスバーを齧り続ける暁。


────────


第2話

◯暁の脳内・回想


暁M「両親は結婚記念日で五日間の北海道旅行中だし……」

飛んでいる飛行機と北海道とメロンとラベンダーと海鮮丼のイメージ。

暁父はメガネで中背痩躯の優しげな中年男性。

カメラを持っている。

腕がふにゃふにゃしている。

暁母はポニーテールの活発そうな中年女性。

麦わら帽子をかぶっている。

腕がふにゃふにゃしている。


暁M「まあ、まずは目の前のことに集中するか」


ややうつむきがちの暁の横顔。


◯鳴戸荘(303号室八十島宅)の扉前・朝


天気は雲一つない快晴。

青空に太陽が眩しく輝いている。

セミが庭木のイチョウにとまってうるさく鳴いている。


暁「今日もバカ暑いな……」


303号室の扉の前に立って、腕で額の汗をぬぐう仕草をしながら呟く暁。

表札には「ヤソシマ」と黒の油性ペンで達筆に書かれている。


暁M「字、うまっ……」


深呼吸をしてから口を開く。


暁「さて、このチャイムを押すか押さないか、それが問題なんだけど……」


♪マークが書かれたインターホンの丸いチャイムボタンを前にして、顎に手を当てて考え込む暁。


暁M「でもやっぱり怖え~」


大柄で顔をマスクで隠した八十島の威圧感あり冷ややかに睨む表情をひとりでに想像する。

両腕を片手ずつで押さえてぶるりと震え上がる。


暁M「それにもし見殺しにしていたら……」


未明、スマホをぎっちり握り込んでいた暁の手は震えている。


暁「夜のうちにきちんと通報しておけば……」


顔が影で隠れた警察官とパトランプを光らせたパトカー、そして獰猛そうな警察犬に吠えられながら彼らに引っ張られていく暁のイメージ。


暁「今度こそ返事がなかったら通報しよう」


胸の前で両手の拳を握り込む。

そして、震える人差し指でチャイムボタンを押す。

ピンポーンと音がいやに軽快に鳴って、ぎくりとする。


暁M「押しちゃった~」


レモンを味見したときのような口をすぼめたすっぱいギャグ顔になる暁。

手を引っ込めた暁は引っ込めた片手をもう片手で震えを止めるように押さえながら、相手の反応があるのを怯えた顔で待つ。


出(インターホン越し)「はい」


インターホンのスピーカー越しに八十島の声が聞こえてくる。


暁「あの、大家の古井です」


手をまだ押さえながらやや前傾姿勢になってインターホンのマイクに齧りつくように返事する暁。

額には大粒の汗の雫が浮かぶ。


出「あ、少々お待ちください」


またもやスピーカー越しの声。


暁M「声ひっっっく!!」


二頭身のSDキャラになった暁がムンクの叫びのような仕草と表情をしている。

もじもじとして待っていると、ギギ……と物々しい音がしてようやく扉が内側から開いた。

しかし、一回ドアチェーンでガチャリと止まる。


暁M「意外とドジっ子属性かな……? いや、井戸に落ちて生きてたことにまず驚くべきか」


ふっと声は出さずとも微笑みを浮かべてしまう暁。


出「…………。」


無言でドアを閉め直し、チェーンを内側で外してからついに扉を開ける八十島。

一つ咳払いをしてから、


出「お待たせいたしました」


と詫びる八十島。

片手でドアノブを押さえ、中から現れたのは、やはり未明見た美丈夫。

直衣に身を包み、驚いた表情をしていた未明の姿が暁の脳裏に想起される。

しかし、八十島は未明のことなどなかったかのように澄ました顔。

仏頂面でもあるが、キラキラと星のマークが顔の周囲にちらついている。

以前303号室の前ですれ違ったときのような顔を覆うものも今はない。

八十島の今の服装は白Tシャツ姿にインディゴのジーンズ。

細身ながら逞しい。


暁M「ついに素顔、御開帳……!」


首を斜め上に傾けて、上にある八十島の顔をじっと見つめている暁。


出「……何か?」


訝しげな表情になる八十島。

口角がさらに下がりへの字になる。


暁「いえ、何でもないですっ!」


すぐに顔を正面に戻して真顔に唇を引き結ぶ暁。


出「それで、ご用件はなんでしょうか」


口角を下げたまま問いかけてくる八十島。


暁「は、はいっ! あの──」


そこで言葉に詰まる暁。

次に言うべき言葉を必死に考える。


暁M「まずい。『今朝未明、古井戸に飛び込みましたよね?』じゃ、いかにもまずい……!」


SDキャラの暁が頭を抱えて転がっている。


暁M「でもっ。大家としての責任があるしっ。勝手に井戸に入らないでほしい、とか……?」


SDキャラの暁が腕を組んでうんうんと同意するようにうなずく。


暁「あの……、今朝未明、庭の井戸に入りませんでしたか? コスプレで」


不安げな顔で暁が尋ねる。


出「コスプレ?」


今度は眉をひそめる八十島。


暁「はいっ。平安装束みたいな感じの。雅(みやび)に蹴鞠やってそうな……」


出「ああ、あれですか」


言ったきり、眉間に皺を寄せ、そしてその皺を片手の親指で丹念にほぐし始めた八十島。


暁「どうか……なさいましたか」


小首を傾げる暁。


出「ここで立ち話をするのもなんです。いったんうちに入りませんか。あなたには、ゆっくり話したいことがありますので」


扉を大きく開けて扉を押さえるように立ち、中に案内するように掌で室内を指し示す八十島。


暁「は、はあ……お邪魔します」


ぺこりと小さくお辞儀して、室内に開いた扉をくぐる暁。


暁M「てっきりスピリチュアルなものに傾倒していると思ったけど、これは逆に殺風景だな……」


暁がそう思った通り、玄関や廊下には物という物がほぼ見当たらず、唯一、最新式のスタンド掃除機が置いてあるだけだった。


暁M「掃除が好きなのかな。というより、掃除が嫌いで物を置いてないのかもしれない。どちらなんだろう」


辺りを見回すことはせず、まっすぐ正面を向いて廊下を抜けた暁。


出「連日暑いですよね。アイスでも召し上がりますか?」


こちらを振り返らず背中越しに八十島が問いかけてくる。


暁「はい、お気遣いありがとうございます。それではお言葉に甘えて頂戴いたします」


出「ふむ」


聞こえるか聞こえないかくらいの声で小さく呟いた八十島に、暁は聞かなかったふりをして苦笑をやんわり唇に浮かべる。


暁M「礼儀正しくできてるよね、僕?」


片頬を歪めてぎこちない苦笑いを浮かべ続ける暁。


出「はい、どうぞ」


2Kの一部屋はリビングとダイニング用らしい。

やはり物は少なく、だがしかし本棚には本がぎっしり入っている。

文学から専門書まで色々とあるようだ。

ローテーブルに案内され、いぐさのクッションの上に座る暁。

アイスの包みを八十島から手渡される。

受け取る。

袋の表示にメロンの断面のイラスト。


暁「ありがとうございます。……あっ!」


礼を言ったあと、少し大きな声を出してから、


暁M「しまった!」


心の声で後悔する暁。

苦い表情を浮かべている。


出「どうかなさいましたか」


また訝しげな顔になる八十島。

はっとした表情になる暁。


暁「メロンもなかアイス、ついさっきは売り切れだったので……」


動揺を誤魔化すようにぎこちない笑みを浮かべて取り繕う暁。


出「ああ、もしかして私が三個買ったからですかね」


悪気が一切ないようにけろりとして言ってのける八十島。


暁M「買い占めてる──!!」


脳内でSDキャラの暁がずっこけた姿勢でツッコミを入れる。


出「アイス、溶けますよ?」


片眉を上げている八十島。


暁「あっ、いただきますっ」


慌てた表情になってアイスの包装を開ける。

食後、空になったアイスの包装にはもなかの粉が少しついている。


暁「美味しかったです。おかげで人心地つきました」


微笑む暁に八十島もなんと頬笑み返した。


出「それはよかったです」


暁M「笑った──!」


意外なことに、暁が目をやや見張る。


暁M「表情筋あるんだ、この人──」


氷の浮かべたグラスに麦茶が注がれている。

グラスは二人分。

素焼きのコースターの上に置かれている。

グラスを取って八十島が薄い唇をつけた。


出「……はあ。一息つきましたし、本題に入りましょうか」


グラスを一気に空にし、無造作に手の甲で口をぬぐう仕草もさまになっている八十島。

暁は何か居たたまれなくなって視線を逸らした。


暁「本題、ですか」


出「ええ、本題です」


八十島が真剣な顔でうなずいた。


出「私は冥界からやってきた冥(みょう)官(かん)です」


ふいに口を開いた八十島のうつむきがちの横顔。


暁「……え?」


「みょうかん?」と毛筆字の達筆が脳裏に浮かぶ。


暁M「冗談……ではないよね」


呆気に取られ困った顔の暁。


出「私は……、日ノ本の地獄は閻魔庁に出仕しているのです」


先ほどと同じ八十島の横顔だが、真剣さが増している。


出N「京都府にある六(ろく)道(どう)珍(ちん)皇(のう)寺(じ)。そこは私の入り口だ。この世とあの世──六道の境の辻。それがあの寺の境内にある。あれはかつて、現世と冥界とを繋ぐ不可思議な入り口だった──」


六道珍皇寺の、今は閉鎖された井戸のイメージ。

「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

人には告げよ 海人の釣り舟」

という百人一首・十一番のカルタのイメージ。


出N「今から千二百年以上もの昔、私はあの井戸にうっかり落ちてしまった。目覚めると景色が一変していた──」


黒い背景にナレーションのテロップだけ。


暁「すみません。みょうかん、ってなんですか」


暁に尋ねられて、はっとした表情で正気に戻る八十島。

そして八十島は意味深げに微笑んだ。


出「まあ言わば……国家公務員……ですよ」


◯鳴戸荘(303号室八十島宅)・続き


出「そういえば、お腹空きませんか」


ふいに訊いてくる八十島。


暁「えっ。まあ確かに、僕は朝食を抜いたので朝昼が一緒ですが……」


出「もしよければ食べていきます?」


暁「いやでも、アイスいただきましたし……」


そこで、正直に返事をするようにぐうとお腹が鳴り赤面する暁。


出「遠慮なさらず」


暁M「圧が……強い!」


眩しいものを見たように目をつぶって掌を閉じた目の前にかざす暁。


暁「……はい。よろしければご馳走になります」


出「よろしい」


今度はにこやかに笑う八十島。


暁M「この人、表情筋がないというより、あるのに使ってない感じだ」


なんとも言えない固まった表情の暁。


出「そういえば、暁さんはニンニクは平気でしたっけ」


なぜかベランダの掃き出し窓の施錠部分に手をかけて半身だけで振り返り尋ねてくる八十島。


暁M「下の名前覚えられてる!?」


暁「はい、平気です」


戸惑いながらそう答える暁。


出「よろしい」


──────────


第3話

◯鳴戸荘(303号室八十島宅)・昼


ベランダに出ていく八十島。

暁があとを追いかけると、八十島がプランターで青々と育っていたバジルをハサミで収穫しているところだった。


暁「あの……何を……?」


出「何って、昼食に使うバジルを」


きょとんとして答える八十島。


暁M「最近、ベランダに出ると妙に風に乗ってバジルの香りが漂っていたのはこの人のせいか──!」


同じくベランダの日陰に吊るしてあったニンニクを一個外す八十島。

それを見てぎょっとする暁。


暁M「まさか、ニンニクもベランダで育ててたのか……?」


暁「そのニンニクは」


出「ですから、昼食に」


ベランダからキッチンに戻り、帆布製のクリーム色のエプロンを身に着ける八十島。

そして、すり鉢とすりこ木を戸棚から取り出す。

汗マークを顔に浮かべてまた戸惑う暁。


暁「それで何を?」


出「もちろん、すり潰します」


松の実、ニンニク、オリーブオイル、粉チーズをすり鉢に入れて、すりこ木ですり潰し始めた八十島。


暁M「無言で怖い──」


目を閉じ固まった表情の暁。

両拳を腰の高さで握り込んでいる。

そうこうしているうちに、ペースト状になった混合物。

次に、鍋に水を入れて沸騰させ、さっとバジルをゆがく八十島。

ゆがいたバジルを細かく刻み、すり鉢に投入。

再びすり潰し始める。

ゴリゴリゴリゴリ……という音だけがキッチンに響いている。

近くの木の丸椅子に座り込んだ暁。


暁M「気まず……」


顔だけで振り向いた八十島が問いかけてくる。


出「流石にパスタはレンチンで茹でるやつでいいですよね? 今時は勝手にアルデンテになって出てくる。便利な世の中です」


暁「は、はあ……、もちろん構いませんが……」


困惑しつつ答える暁。


暁M「バジルのむっとするくらいのいい匂いだ」


パスタも茹であがった頃、塩で味を調えてバジルソースもできあがった。

トングで捻るようにして麺を盛りつける八十島。


出「ジェノベーゼパスタ完成です」


暁M「本当に蹴鞠平安コスプレ貴族?」


出「蹴鞠でもしてそうなのに、という顔をしていらっしゃいますね? これでも弓馬の士ですよ?」


暁の図星のことを言って、やや不服そうな顔をしている八十島。

陶器のパスタ皿に盛りつけられたジェノベーゼ。

生のバジルの葉も載っている。

次に、完食した皿を映す。


暁「──ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」


きちんと手を合わせる暁。


出「お口に合ったようでよろしゅうございました」


微笑んで食べ終えた二人分の皿を重ねる八十島。


暁「あ、皿洗います」


出「よろしい!」


◯鳴戸荘(301号室自宅)・昼


暁M「うちに戻ってきたけれど……」


リビングにしている一室でクッションソファに座ってぼんやり考え込む。

テーブル上にはグラスに入った氷水。

結露して水滴がついている。


暁M「なんだったんだ、あの人は……」


厳しいほどの真剣な顔でひたすらバジルをすり潰している八十島のイメージが脳裏に浮かぶ。

八十島の細身ながらごつい腕には血管が浮かんでいる。


暁「コスプレイヤーさん、なのかな」


そこはかとなく東京ビッグサイトや同人誌のイメージが浮かぶ。


暁「今時、企業の広告塔になってお金を稼ぐ人もいるし」


アニメやゲームのキャラクターのコスプレをしている人々のイメージ。


暁M「それにしても、設定こだわってたな」


出(暁の回想の中で)「私は冥界からやってきた冥官です」


八十島の影が差した真面目そうな横顔。


暁「…………」


目を開けたまま思いを巡らしている暁の顔のアップ。

グラスの氷がからんと鳴る。


暁「なんかこだわる人っぽいもんな」


暁M「夜な夜な撮影してたんだろうな。まったく気づいてなかった……。もう、近づくまい」


暁「でもやっぱりクローゼット覗いてみたい!」


目をキラキラさせてうずうずしたように拳を胸の前で掲げる。


暁M「そう、料理も美味しかったし」


「手作りジェノベーゼなんて初めて」と吹き出し外の可愛い手書き文字でセリフ。


猫「みー」


灰色の塗りつぶし背景に吹き出しだけ。

声は弱々しい。

弱々しい印象を与える吹き出しで。


暁「猫の声?」


換気のために網戸にして開けていた部屋の掃き出し窓を開けて、ベランダに出る。

庭の方を見ると、樹齢百年を過ぎた梅の古木の下に黒い毛並みの子猫がうずくまっている。

日陰になっていても暑そうにして小さな舌を出している。


暁「あー、敷地にふんをされたら困るからなあ……」


暁M「親猫とはぐれたのか、人に捨てられたのか」


ちょっと顔が曇る。


暁M「保護した方がいいのかな。でも親猫が近くにいる可能性があるし。水だけ置いて様子を見ようか」


驚かせないよう足跡を立てずそろそろと慎重に庭へ出て、水の入った皿を庭の芝生の手前側に置いておく。

また部屋に戻ってベランダから観察する。

暁の気配がなくなると、皿の水をてちてちと舐め始めた子猫。


暁M「よしよし、目論見通り飲んでくれてるね」


微笑む暁。

一時間後。

壁掛けのアナログ時計が一時間針が進んで午後二時になったことを表示。


暁「一時間待っても親猫は来ないか……」


椅子に座りテーブルに頬杖をついている暁。

水を取り換えに行くため水皿を持って外に出る。

しかし、踊り場で八十島とばったり遭遇する。

驚きに飛び跳ねかける暁。

皿の水が少し跳ねる。


出「やはり暁さんもあの子猫ちゃんが気になりますか」


口を開く八十島。

表情はやわらかい。


暁M「子猫ちゃん、って今言った? なんかホストみたい」


暁はそんなことを思いつつ、ぎこちない表情で、


暁「ああ、いえ、敷地を汚されると大家的に困るので。まあもちろん心配ではありますが」


視線を落とし、照れ隠しのように頬を人差し指でぽりぽりと軽く掻く暁。


出「あの子猫ちゃん、残念ながらすでに死んでいます」


八十島の真剣そうな暗い表情。


暁「え?」


固まる暁の表情と手がぴたりと止まるアップ。


暁M「じゃあ、あの子猫は何だっていうんだ?」


眉をひそめる暁の顔のアップ。


出「あの子猫ちゃんは霊なのです。まあ、亡くなってから四十九日までは現世を漂っているのですがね」


暁「な、なにを……」


戸惑う表情の暁。


出「それにしても……〝見える〟のですね、暁さんは」


暁の顔へと前屈みになり、顎にするりと長い指を当てて感心した表情の八十島。


暁「あれが子猫の霊だって言うんですか!? しっかり水だって飲んでるじゃないですか」


顔を険しくして八十島に尋ねる暁の手は握りしめられている。


出「ですがやはり……」


うつむく八十島。


暁M「本当に、死んでいるのか……」


暁の表情も納得しきれないまま落ち込んでうつむく。

だがすぐ決意したように勢いよく顔を上げる暁。


暁「八十島さんのおっしゃる通りなら、あの子をああして放っておくわけにはいかないですね。……せめて、成仏させてあげたい」


驚いたようにまばたきする八十島。


出「では、子猫ちゃんの霊を保護しましょうか。……我々で」


暁「……我々?」


きょとんとする暁。


出「はい。あなたと、私で」


当たり前の表情で掌で暁を自分を指し示す八十島。


◯鳴戸荘(庭)・昼


二人が庭に出て梅の木の方へ近づくと、怯えたように子猫が梅の木の上まで登ってしまった。


猫「みー! みぁー!」


必死に鳴いている子猫。


暁「あー、下りられなくなっちゃったかあ」


上を見上げて後ろ髪をかき、軽く溜め息をつく暁。

暁は八十島の方を振り向いて言う。


「物置から脚立を取ってくるので、八十島さんは脚立を押さえていてくださいませんか」


出「承知しました」


うなずく八十島。

二人で協力して、子猫を捕まえることに成功する(暁が両手で子猫を掴んだアップ)。

子猫を抱っこしている暁。


暁M「うお、ふわふわだあ……」


顔が綻ぶ暁。

すると、八十島がどこからか御(ご)幣(へい)を取り出して祓(はらえ)詞(ことば)を唱える。


出「高(たか)天(まの)原(はら)に神(かむ)留(づまり)坐(ま)す大(おお)神(かみ)等(たち)に、諸(もろもろ)の禍(まが)事(ごと)罪(つみ)穢(けがれ)、祓い給い清め給うこと聞こし食(め)せと白(まお)す……」


ふう、と息をつく八十島。


出「これは念のため。晴(はる)明(あきら)殿のような陰陽師(ほんしょく)ではないですが、軽くお祓いしておきました。地獄は仏教のものですが、これは神道ですね。そもそも私、祀られている立派な神ですし」


暁「…………。」


暁M「そ(・)う(・)い(・)う(・)設(・)定(・)なんだな」


呆気に取られている暁。

御幣を手にしたまま、ぱんと一つ掌を打った八十島は暁の方を向いた。


出「さ、子猫ちゃんのごはんを買いに行きましょう。きっとお腹を空かせているはず」


キリッとした表情の八十島。

そこでようやく正気に戻った暁は呆れた顔になる。


暁「あなたが主導なんですね」


いったん301号室に戻る。

エアコンをつけると、ちりんと朝顔の風鈴が鳴る。


暁M「今日何も予定がなくて助かった」


額の汗を手の甲でぬぐう暁。


暁「ごはんを買ってくるから、いい子にしててね」


水皿を床に置き、しゃがむようにして子猫と目線を合わせる暁。


猫「んなー」


ちょっと不安そうな顔で返事するように子猫は一鳴き。

暁は玄関の外で待っていた八十島と合流し、二人揃って歩き出す。


◯スーパー〈ライヴズ〉・午後


ずらりと棚に並んだペット用品コーナーの前で、顎に手を当てて考え込んでいる暁。


暁「うーん、猫用ミルクと猫缶があればいいかな? どっちを受けつけるか分からないし……」


暁は猫と魚のイラストが描かれた猫缶を手に取る。


出「シャンプーとペットシーツも必要ですね」


横からずいっと顔を出してくる八十島。


暁「今日必要なものはいったん集まったかな」


暁は呟いてから、


暁M「そういえば……」


暁「どうして、ついてきてくださったんですか」


八十島に尋ねる。


出「買い出しついでです。ワインとおつまみの生ハムでも買おうと思って」


暁M「やっぱりお貴族様みたいだ」


真顔で唇を引き結んだ暁。

その後、マイバッグに荷物を入れて〈ライヴズ〉の出口の自動ドアを出る暁と、白ワインボトルと生ハムを買ってマイバッグに持ち、ほくほく顔の八十島。


◯鳴戸荘(3階)・午後


荷物を手に持った暁は階段を上り、階段のすぐ左にある303号室の前で八十島にお辞儀をして別れる。


暁「色々とありがとうございました」


出「いえいえ」


「では」(八十島のセリフ)「はい」(暁のセリフ)と手書き文字。


最初の怖い印象と打って変わってにこやかな八十島。


暁M「思ってたより怖い人じゃないのかもしれない」


鍵を開けて301号室に入る暁。


暁「ただいまー。いい子にしてた?」


玄関でスポーツサンダルを脱ぎながら廊下の方向に向かって尋ねる暁。


猫「妾(わらわ)には容易いことよ」


廊下の背景にセリフ四角吹き出しだけ。


暁M「ん? 幻聴かな?」


ギャグ顔で口角を上げたまま眉をひそめ怪訝な顔になる暁。

とてとてと廊下に歩いてくる子猫。


猫「妾は決めたぞ。おぬしの式(しき)神(がみ)になってやるとな」


ドヤ顔で嬉しそうな子猫。


暁M「猫が喋ったとかは置いといて、何も頼んでないが──!」


目を閉じて、ギャグ顔のまま脳内でツッコむ暁。


──────────


第4話

◯鳴戸荘(301号室自宅風呂場)・午後


暁「どう、気持ちいい?」


洗面器に浅くぬるま湯を張って手で子猫に優しくシャンプーしてあげる暁。


猫「うむ、よい気分じゃ。くるしゅうないぞ」


泡だらけの子猫。


暁M「なぜ上から目線──」


目を閉じて微笑む暁のギャグ顔アップ。

ぷるぷるっと身震いして水滴を飛ばす子猫。

ふかふかのタオルで身体を拭いてやる暁。


猫「妾の魂はな、もう元の子猫のものだけではない──」


タオルで拭かれながら、真剣そうな顔で語り出す子猫。


暁「と、いうと?」


猫「妾は庭木の梅の精。まあ〝梅(うめ)〟とでも呼ぶがいい」


子猫の髭に小さな水滴が浮かんでいる。


暁「えっ」


猫(以下、梅)「察しが悪いのう。この子猫の霊が現世を彷徨っていたゆえ、憐れんだ妾が助けてやったのじゃ」


そこで目を見開く暁。


暁「融合したってこと?」


こくりとうなずく梅。


梅「そう。この子は生まれたばかりで霊体すら弱い。弔ってやる者もなければ……そうさな、魂を〝悪しきモノ〟に喰われて利用されるのがオチじゃな。だから、そうなる前に妾が取り憑き、保護してやった」


暁「なるほど……」


目を閉じ腕を組んでうなずく暁。


梅「すなわち、妾は梅の精であり猫である。……分かったな、暁よ?」


確認するように暁を見上げる梅。


暁「なぜ僕の名前を?」


梅「齢(よわい)百を超した庭の梅だと言っておろう。おぬしなぞ嬰(みどり)児(ご)の頃から知っておるわい!」


暁「なるほど〜」


また目を閉じてギャグ顔になる暁。

口が▽の形。


梅「元より妾はこの地に根ざす木(こ)霊(だま)であれば、おぬしを外護するのもまた必然の道理」


暁「ふ、ふーん……」


分かったか分かっていないか曖昧な表情をしてから尋ねる暁。


暁「で、式神って何するの?」


梅「ペットじゃ。あの魚の身をほぐしたのが食べたいぞ」


暁「そこは普通なんだねえ」


猫缶を小皿に出して置いてやると喜んで食べる梅。


梅「うまい! うまい! 木以外の肉体を得たのは初めてである! 口から〝気〟を取り入れるとはこういうことか!」


梅はむしゃむしゃと勢いよく食べている。


暁「ふふ、よかったね」


床の上に頬杖をついて寝転がり、微笑んでいる暁。


◯暁回想・鳴戸荘同敷地内の両親宅・旅行直前の両親について回想


玄関前で旅姿の両親を見送る暁。


母「五日間いないけど、お留守番できる?」


心配そうな母の顔。

麦わら帽子をかぶっている。


暁「赤ちゃん扱いしないでよ、母さん。僕もう二(は)十(た)歳(ち)だよ?」


むっとする暁だが、心配されることを本当に嫌がってはいない顔。

過保護な両親に若干呆れ気味。


父「いやあ、一人でお酒を飲みすぎるなよ。父さん心配だよ」


真剣そうな表情で腕を組む父。

首からカメラを下げている。


暁「父さんは僕を何だと思ってるの?」


怪訝な顔で、「ウワバミ?」と手書き文字でセリフ。


母「住人の方たちをくれぐれもよろしくね、大家業代理さん?」


暁「はいはい」


苦笑する暁。

ふいに、302号室の扉を思い出す。

302号室の扉の隙間から物々しい黒いオーラの出ている雰囲気のイメージ。


暁「302号室は? 数年前から人が住んでるみたいだけど」


両親の方を向いて尋ねる暁。


父「ああ、303号室の八十島さんにもう一室貸してるんだよ」


答える父。


暁「へえー、二部屋貸してるのか」


唇を軽く尖らせて意外に思う暁。


◯鳴戸荘(301号室自宅)・朝


暁N「という八十島さんの秘密を、僕は思い出したのである。」


翌日。

回想から現在に戻り、キリッと真面目くさった暁の表情。


暁N「開かずの部屋302号室の謎を調査するため、僕は八十島さんに直接会って尋ねてみることにした。」


ジャングルの背景。

探検隊のドキュメンタリーみたいな毛筆字で「開かずの部屋、302号室!!」と書かれているイメージ。


暁N「さて、昨日保護した子猫の梅(うめ)さんは元気そうにしている。」


黒い子猫の梅を優しく抱きかかえて微笑んでいる暁のイメージ。


梅「んなっ! にゃっ! このティッシュペーパーとかいう紙、妾(わらわ)をひらひらと誘惑してきよるっ。なんとかならんのかっ」


扇風機の風にひらひら揺れるティッシュを肉球のある小さな手で悪戯している梅。


暁「楽しそうだね、梅さん」


クッションソファに寝転がり頬杖をついて微笑ましく見守る暁。


梅「た、楽しくなんかっ。ちり紙程度に弄ばれる妾ではないぞ……っ」


屈辱そうに言いながら、手を止めない梅。


暁M「楽しそう」


にこにこする暁。


暁N「生まれ育った我が家から隣の〈鳴戸荘〉に引っ越したのは、何かと過保護の両親と距離をとりたかったからだが──」


コロコロと床に転がる梅を見つめながら、しかし、うつむきがちになる暁の横顔。


暁N「──両親は僕に何か隠していることがあるのではないかと常々感じていた。」


「暇さえあれば旅行してるしね」と手書き文字でセリフ。


暁「梅さん」


暁が呼びかけると、はしゃぐ身体をぴたりと止めて梅が暁をつぶらな瞳で見る。


梅「なんぞ?」


少し申し訳なさそうに頭部あたりから汗マークを出す暁。


暁「またお留守番できる? ちょっと八十島さんに会いに行きたくて!」


梅「ああ、八十島卿か。……妾は少し苦手じゃ、あの男」


ふいっと顔を背ける梅。


暁「ふうん、そうなんだ」


まばたきする暁。


梅「ふんっ、いたいけな妾を置き去りにして、どうぞ行ってくるがいい」


不服そうな言い方をする梅に、目を猫の瞳のようにしてニヤッとする暁。


暁「もしかして……、嫉妬してる?」


梅「うるさいっ。今日は『ちゅるる』を買ってこいっ。あれは旨いと聞くっ。いいなっ」


ちょっと苛立って背中の毛を精いっぱい逆立てる梅。

ちっぽけな姿が可愛い。


暁「はいはい」


苦笑する暁。


◯鳴戸荘(303号室八十島宅)


暁M「302号室、何があるんだろう?」


扉前に立ち、インターホンのチャイムボタンを恐る恐る押す暁。


出「……はい」


インターホンからの八十島の平淡な声。


暁M「今日も家にいた、八十島さん!」


暁「大家の古井です。少しお尋ねしたいことがあって参りました」


インターホンに向かって話す暁。


出「はあ、どうぞ」


ややあってから、八十島が扉から出てくる。

片手で後ろ髪をかいている。

眠そうに頭から「──◯」みたいなエフェクトが飛んでいる。

今日は上下ともに綿の部屋着調のラフな格好だ。

とてもよく似合っている。


暁M「こういう格好、するんだ……」


意外に思う暁。


出「それで、ご用件はなんでしょう」


やはり寝起きなのか、髪にやや寝癖がついている八十島。


暁「あのう、302号室についてなのですが。確か、八十島さんにもう一室お貸ししておりましたよね?」


怖々と尋ねる暁に、まばたきする八十島。


出「ええ……、確かにお借りしていますが」


そこで深呼吸する暁。

意を決して尋ねる。


暁「単刀直入にお伺いいたします。302号室は何の部屋なんですか? あまり、出入りがないように思えるのですが」


口をぽかんと開けて、「ああ……」と呟く八十島。


出「もしよろしければ……、実際にお見せいたしましょうか」


暁「えっ、いいんですか」


目を丸くする暁の顔のアップ。


出「ええ」


と、意味深げに微笑む八十島。


◯鳴戸荘(302号室八十島別室)・朝


隣の302号室は表札入れは白紙のままになっている。

が、八十島が持ってきた鍵を差し込んで扉を開ける。

ギィ、と音を立てて扉が開く。

やはり、おどろおどろしい雰囲気があるように暁には感じられる。

八十島が扉を開けて押さえ、中に入るよう掌で示す。


出「どうぞ、お入りください」


暁「あ、ありがとうございます……」


ぺこりと軽くお辞儀をしてから中に入ると、そこは衣裳部屋だった。

ずらりとハンガーに吊られたり整然と畳んだりされているコスチュームが並んでいる。

おそらくアニメキャラクターのもののような派手なものだ。

その中にはもちろん、平安正装の束帯や普段着の直衣や狩衣がある。


暁「これは……」


部屋の入り口で立ち止まり、その場で彫像のように口を開けたまま立ち尽くす暁。


暁M「……あ」


とある一つの衣裳に目が留まる。

社会人のようなスーツタイプで、派手な黒シャツと青のネクタイ、それに黒く丈の長いトレンチコート。


暁「このお衣裳はもしや……、『ヘルナンデス』の主人公、スティーヴン・ヘルナンデス様のものではっ!?」


目を見開いている暁。


出「ああ、ご存知でしたか」


意外だったように目を大きくする八十島。


暁「え、コスプレをされているんですか」


出「ええ、まあ」


うなずいた八十島は、「こんな感じで」と手書きセリフと共に自分のSNS「つぶやいたー」のアカウントを見せる。

「@Eleven_Yakyo」というアカウント。

「イレヴン」というユーザー名。

ヘルナンデスのコスチュームを着てポーズをとる八十島の写真。


暁「もしかしてレイヤーの『イレヴン』さんですかっ!?」


声の調子を勢いよく尋ねた暁に、驚いたように唇を引き結んで顎に手を当てる八十島。

 

出「はい。もしかして……ご存知で?」


暁「推しですっ! 三年前からフォローしてますっ!」


胸の前に拳を掲げてキラキラと目を輝かせる暁。


出「なんと、本当ですか。応援ありがとうございます」


テーブルの上には緑茶の湯呑みが二つと急須が一つ。

湯呑みは漆塗りの木のコースターの上で湯気を立てている。


出「きちんと名乗っていなかったですね。

改めまして──私、小(お)野(のの)篁(たかむら)と申します。参(さん)議(ぎ)篁とも」


湯呑みを手に一息つく八十島。

目を見張る暁。

思い浮かべるのは百人一首の十一番のカルタ。


暁「百人一首の?」


出「そう」


暁「いや、そう、じゃなくて──レイヤーさんだったんですね!?」


出「はい」


そっちかい、とでも言いたげに苦笑する八十島。


暁「ところで──僕の両親とは、一体どういう関係ですか?」


姿勢を正して尋ねる暁。


出「大家さんと店子、以外ですか?」


暁「ええ」


真剣にうなずく暁。


出「話すとそれなりに長くなるのですが──」


上に視線を向けて思案顔の八十島。

暁の両親、古井夫婦のクレヨンで描いたようにデフォルメされた顔が八十島の脳裏にぼんやり閃く。

やがて視線を正面に戻す八十島。


出「──お聞きなさいます?」


暁「ぜひ!」


前のめりになる暁。


──────────


第5話

◯鳴戸荘(302号室八十島宅別室)・午前


出「ここはあくまで衣裳部屋なので、おもてなしもできないんです。ですから、いったん303号室に戻っても?」


暁「もちろんです」


うなずく暁。

303号室に入ると、どこからか荷物を取り出した八十島。


出「子猫ちゃんにプレゼントをしようと思って」


紙袋からは何か細い棒のようなものが覗いている。


暁「ありがとうございます!」


明るい顔でお礼を言う暁。


◯鳴戸荘(301号室自宅)・午後


301号室の扉の前。


暁「いやあまさか、お昼までご馳走になってしまうなんて……」


満足そうな顔で軽くお腹をさすっている暁。


出「まあ、たまたま冷凍のピザクラストが余っていましたので。自家製トマトソースも生バジルもありましたし」


冷凍のピザクラストと自家製のトマトソース瓶と生バジルのイメージ。


暁「またマルゲリータ食べたいです!」


モッツァレラチーズがとろりと伸びた熱々で美味しそうなマルゲリータピッツァのイメージ。


出「それはよかった」


嬉しそうに微笑む八十島。

その後、室内に入ると、子猫の梅が不満そうな顔で待っていた。


梅「ずいぶんとゆっくりしていたではないか、暁よ。このまま夕べまで帰ってこないかと心配したぞ。……主に私の夕餉をな?」


不満げに尻尾を揺らしている梅。


暁「ごめんごめん、遅くなったって」


手を合わせて謝り、後頭部から汗マークを飛ばす暁。


出「子猫ちゃん、喋るのですね」


興味深そうにしている八十島。


暁「ええ、なんだか古梅の精とフュージョンしたようで……」


梅「なんだ、文句あるのか」


暁「なんでそんな八十島さんに喧嘩腰なの?」


梅の八十島に対する硬い態度に戸惑う暁。

そんなことを気にもせず、


出「モフモフしていいですか」


と訊いた八十島。


梅「分かっておるだろうな? きちんと妾(わらわ)にそれ相応の対価を寄越せよ?」


出「…………。」


無言で竿がついたネズミのおもちゃと「ちゅるる」の三種類フレーバーを取り出す八十島。


梅「よかろう。褒めてつかわす」


喉の下を指でくすぐられてゴロゴロと喉を鳴らす梅。


梅「くるしゅうない。くるしゅうないぞ……っ」


出「可愛いですね」


暁M「一瞬で陥落してる……!」


ピンポーン、とチャイムが鳴る。


父「帰ってきたぞー!」


母「ただいまー!」


暁の両親が旅行から帰ってくる。


出「ちょうどいいですね。色々と昔話ができそうだ」


両親を前に呟く八十島。


暁「……昔話?」


◯およそ1200年前の過去。


N「この時代の世田谷区に関して、文献資料はほとんど残っていない。以下は小野篁と古井夫妻の間に起きた出来事の現代語訳である。」


篁「ああ、喉が渇いた」


狩衣に弓を持ち、狩りをしていた小野篁(八十島出)。

辺りは森と畑と小さな集落が。

そこに、牛飼いの夫婦がいた。

夫婦は近くの川で水を飲ませていた。

川の水を手で掬って飲む篁。


篁「この辺りで一晩の雨風を凌げる宿を貸し与えてくださるところを探しているのですが、心当たりはないでしょうか」


夫婦に近づいて宿を尋ねてみる篁。


夫(暁父)「それでしたらどうぞ我が家に。あまり綺麗ではありませんが……」


妻(暁母)「ええ、歓迎いたしますわ」


N「十四歳のとき、小野篁は陸(む)奥(つの)守(かみ)(国府は現在の多賀城)に赴任した父・岑(みね)守(もり)に付き従って陸奥国へと下向した。弓馬に没頭していた篁は、道中でもたびたび狩りに興じながら東国へ赴く。先行して一行の宿営地を探していた篁が立ち寄ったのが、この夫妻のいる集落だったのである。」


篁「失礼ながら、ここに井戸はありますか」


父「ええ、ありますが」


母「井戸がどうなさいました?」


篁「ちょっとばかり拝借したくて」


夜、篁が井戸に飛び込んでしまうところを見てしまった夫妻。


父「あれは一体なんだ……?」


母「噂によれば、京の都のとあるお寺の井戸は、地獄に通じているというけれど……」


朝、篁に恐る恐る夫妻が尋ねてみると、篁はこう言った。


篁「実は、閻魔大王から、どの井戸からでも地獄に通うことのできる権能を与えられまして……」


照れながら言う篁。


父「なんと!」


母「あらまあ! そんな偉い御方だったのね!」


篁「あなた方は人間ではないですよね?」


ぎくりとなる夫妻。


篁「私、実は、人間か物(もの)の怪(け)かどうかを見抜く目を持っているのです。あなた方は、どうやら鬼か何かに見える」


父「実は……我々、動物の血を吸う吸血鬼なのです。はるばる大陸を渡ってきまして。それで血液の代わりとなる牛乳を得るため牛を飼っているのです」


母「我々を通報しますか?」


不安がる夫妻。

しかし、篁は胸の前で手を振った。


篁「いえいえ、通報なんてしませんよ! どうやらあなた方は村の人に危害を加えているわけではなさそうですし……!」


父「それはよかった」


母「ああ……!」


ほっとする夫妻。


篁「その代わりと言ってはなんですが、ぜひともお二人にご協力をお頼みいたしたいのです」


父「協力?」


篁「ええ。もしよろしければ、井戸を時折貸していただきたいのです」


母「と、おっしゃいますと?」


篁「私が地獄へ通うための井戸として使わせていただきたいのです。……あなた方はおそらく長命でいらっしゃいますよね? 実は私、死後も閻魔庁に出仕が決まっておりまして……」


父「なるほど!」


母「喜んで!」


N「──明治時代、平民苗字必称義務令が布告された頃。」


父「我々は『古井』と名乗ろう!」


母「そうしましょ!」


N「こういう経緯であった──。」


◯鳴戸荘(301号室自宅)・現在


父「いやー、二十歳なんて吸血鬼にとっては赤ちゃんみたいなものだったから」


後ろ髪をかきながら言い訳する暁父。


暁「人間基準でもう成人ですっ!」


盛大にツッコむ暁。


母「ちょっと前までヨチヨチ歩きしてたのに……成長速度がとんでもないんだから」


暁「吸血鬼の時間感覚がおかしいんですっ!」


暁N「結論から言うと、僕は吸血鬼であった。」


父「いやあー、今時は牛乳と鉄剤があるから吸血鬼も暮らしやすいよ。昔はわざわざ敷地で牛を飼っていた」


感慨深そうに言う父。


母「十字架から逃れるために極東へやってきたけれど、ここは日照時間が長いから、いつの間にか私たちは日光耐性も獲得していたし」


同じく感慨深そうに言う母。


暁「水の上は渡れないんじゃないの? 鏡にも映らないんじゃないの?」


怪訝な顔で尋ねる暁。


母「後世の創作でしょ、そんなの。我々吸血鬼に弱点を作りたかった人間たちの……ね」


暁M「あのとき八十島さんがニンニクについて訊いていたのはそういうことだったのか……!」


暁「じゃあ、ニンニクは?」


父「おそらく、ニンニクを食べると吸血鬼は日光耐性がつく」


暁「そんな無茶苦茶な……!」


愕然とする暁。


出「実はここ、一般の方向けには『なるとそう』ですが、本当は『めいどそう』と読むのですよ」


暁「知らなかった……」


父「というわけで篁卿、この子をよろしくお願いいたします」


母「よろしくお願いします……!」


八十島に向けて深々と頭を下げる両親。


出「承知いたしました」


微笑む八十島。

あっ、と思い出したかのように付け加える。


出「仲良しの印に、メロンもなかアイス食べます?」


暁「メロンもなかアイス、また買い占められた──!」


──了──

※5話完結といたします。


【おことわり】

・本作において登場する祓詞は文献を参考にした創作です。実際に使われているものではございません。


【参考文献】

本作を執筆するにあたって参考にさせていただいた書籍を紹介させていただきます(著編者様の敬称略・順不同)。

また、この場をお借りして、製作にたずさわった方々に深く御礼申し上げます。


『あたらしい平安文化の教科書』

承香院

翔泳社


『小野篁 その生涯と伝説』

繁田信一

教育評論社


『地獄の解剖図鑑』

三輪浩之

エクスナレッジ


『呪術と科学の有職故実図鑑』

八條忠基

平凡社


『日本呪術全書』

豊嶋泰國

原書房


『平安貴族 嫉妬と寵愛の作法』

繁田信一

G.B.

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