枯れた花を咲かせられない魔法使い
「サクヤコノハナ!せいめいにいぶきをふたたびあたえたまえ!」
……。
「あれぇ、何にもおこらないやぁ。」
わたしが魔法幼稚園の先生になって、8年。
この子ほど魔法が下手な子には出会ったことがない。
枯れた花を元に戻す魔法など、入園して最初に覚える魔法だ。もう卒園間際だというのにまったくできる気配はない。それどころか、いまだにまともにできる魔法がひとつもない。
「ロイ君。ちゃんと頭の中でしっかりイメージした?」
「したよぉ〜。」
「上の句でしっかりやりたいことをイメージして、下の句で指先に思いを込めるの。」
「分かってるよぉ〜。それ毎日聞いてるもん。」
「先生がやるから、よーく見ててね。」
「サクヤコノハナ!生命に息吹を再び与えたまえ!」
指先を向けると、今にも崩れ落ちそうな焦茶色の花が、元の桜花色のチューリップへと姿を取り戻した。
「わーっ!先生すごーい!」
「わかったかな?じゃあ今日はこの辺にして、また明日一緒に頑張ろうっか。」
「え〜、先生もうちょっとだけやりたいよぉ〜。行かないでよぉ〜。」
「ダーメっ。魔法には心の休憩も必要よ。ほらっ、今日は休んでまた明日一緒に頑張ろうね。」
「はぁ〜い。ねぇ先生、先生は明日もロイだけの先生でいてくれる?」
「わかったわよ。明日も付きっきりで見てあげる。」
「わぁ〜い!楽しみだなぁ!
先生またあしたね!ばいばい!」
そう言うとロイ君はまるで野原を駆け回るウサギみたくぴょんぴょんとはねるように帰っていった。
ーー夕暮れの職員室には乾いた紙の匂いと時計の秒針の音だけが響いていた。
「はぁ。」
ロイ君の練習記録ノートを広げ、小さくため息をつく。
「ランプ点灯魔法 失敗」
「声質変化魔法 失敗」
「植物再生魔法 失敗」
見慣れた文字ばかりだった。
「まだあの子に付きっきりなの?」
後ろから声がして振り返る。
「園長先生。」
「卒園まであと少しよ。卒園式の準備で忙しいんじゃなくて?ロイ君に集中するのも分かるけど、あなた身体壊すわよ?」
「もちろん、卒園式の準備はちゃんとやります。大変なのも分かってます。それでも、どうしてもあの子にひとつでもいいから魔法を覚えて欲しくて…」
「優しいのねぇ。」
「そんなことないですよ。普通、できないことが続くと嫌になるじゃないですか?でも、あの子、どんなにできなくてもどんなに周りに笑われても、絶対に諦めないんです。」
教室の窓から、柔らかな風がそそぎ込む。
「できなかった日でも〃先生またあした〃って必ず言うんです。だから、わたしも諦めたくなくて。」
「変わった子ね」
園長先生は小さく微笑んだ。
「はい。変わった子です。」
「あなたも変わった先生よ。」
「そうかもしれません。」
「身体だけは気をつけるのよ。ほら、これ。」
園長先生はエプロンのポケットからキャンディをひとつ取り出し、わたしの机にそっと置いた。
「ありがとうございます。」
「ちゃんと休むのよ。」
オレンジ色の空は緩やかに影を落とし、やがて濃紺の海へと沈んでいった。
ーー次の日。
卒園式の準備で園内は慌ただしい。
普段、この時間は園長室で優雅にハーブティーを嗜んでいる園長でさえも、右へ左へと走り回っていた。
「あなた、顔色悪いわね!ちゃんと寝たの?」
「いえ、昨日はあまり寝れなくて…」
「そう…。でも、働いてもらうわよ!こっちはやっておくからあなたは教室で授業をはじめてらっしゃい!」
「わかりました。園長ありがとうございます。」
教室の扉を開けると、子どもたちの元気な声が一斉に飛び込んできた。
「せんせー!」
「見て見てー!」
「ぼくね、浮遊魔法できるようになった!」
いつもなら微笑ましく思える光景なのに、今日は頭の奥がじんじんと痛む。
「はいはい、順番ね。」
わたしは笑顔を作りながら教卓へ向かった。
すると、一番前の席からぱっと手が上がる。
「先生ぇ!!」
ロイ君だった。
「今日ね! 今日こそできる気がする!」
無邪気な笑顔。
その言葉に、胸が少しだけ苦しくなる。
ーー
授業が終わった後、いつもの個別練習へ。
ーー
「じゃあロイ君、もう一回やってみようか。」
「うん!」
ロイ君は枯れた花を両手で包み込む。
「サクヤコノハナ!せいめいにいぶきをふたたびあたえたまえ!」
……。
何も起こらない。
「あれれぇ〜?」
ロイ君が首をかしげてこちらを見る。
「ロイ君!もう一回!」
「サクヤコノハナ!」
失敗。
「サクヤコノハナ!」
失敗。
ロイ君の額に汗がにじむ。
それでも、その顔は楽しそうだった。
「ねぇ先生!今のちょっとできそうだったよね!?」
「……ええ。」
笑顔を作る。
けれど頭の奥では、別のことがぐるぐると回り始めていた。
卒園式の準備。
書類の取りまとめ。
保護者への連絡。
やらなければいけないことが次から次へと浮かんでくる。
「ねぇ〜、先生ロイのこと見てないでしょ?ちゃんと見ててよぉ〜。」
ロイ君のいつもの屈託のない純粋な笑顔。
その無邪気な声が、今日は頭の奥へずしりと刺さった。
「……見てるわよ。」
「え〜?ほんとぉ?」
「見てるって言ってるでしょう!」
はっとする。
しまった、と思った時にはもう遅かった。
「いつもいつもっ……!」
喉の奥に溜まっていたものが、一気に溢れ出す。
「どうして…どうしてできないの……こんなに毎日つきっきりで練習してるのに……」
「あっ…。」
気づいた時にはもう遅かった。
教室が静まり返る。
ロイ君の真っ直ぐな澄んだ瞳がぼやけて揺れた。
小さな肩が小刻みに震える。
違う。わたしはこんなことが言いたかったんじゃない。
「ろ、ロイ…」
「ごめんなさい先生。いつも、いつも、しっぱいばかりでごめんなさい。」
ロイ君は枯れたチューリップをそっと机に置いた。
「先生、今日はもう帰るね。ばいばい。」
そう言って教室の扉を飛びだした。
いつもなら「またあした!」って元気よく振り返るはずなのに、ロイ君が振り返ることはなかった。
教室には時計の音だけが響いていた。
「何やってるんだろわたし。」
震えた手でそっと枯れたチューリップに手をかざす。
「かさり。」と乾いた音がしたあと、花びらが地面へとこぼれ落ちた。
ふと、落ちた花びらに目を向けると花びらの横には一冊のノートが置かれていた。
「まほうれんしゅうのーと」
ロイ君の練習ノートだった。
「ロイ君も、練習ノートつけてたんだ…。」
震える手を必死に抑えながら、そっとノートを開く。
「まほうがんばる」
「せんせいがおうえんしてくれるからがんばる」
「そつえんまでにできるようになる」
「せんせいだいすき」
それ以上、ノートの先を見ることができなかった。
「ロイ君…。」
ーーその夜
少し落ち着きを取り戻したわたしは幼稚園で見ることができなかったロイ君の魔法練習ノートの続きを読んだ。
「せんせいにできたねってほめてもらう」
「かみのくでやりたいことをいめーじ!しものくでゆびさきにおもいをこめる!」
「せんせいだいだいすき」
だめだ。
ちゃんと読まなきゃいけないのに、文字がうまく見えない。
震える指で次のページをめくる。
そこには不恰好なクレヨンの絵が描かれていた。
一輪のキレイな桜花色のチューリップ。
「せんせいとぜったいおはなさんさかせる!」
胸の中がぎゅっと締めつけられる。
「絶対一緒に咲かせようね」
わたしはノートを抱きしめた。
ロイ君は、ずっと頑張ってた。
できなくても。
笑われても。
毎日失敗しても。
諦めなかった。
諦めていたのは。
余裕をなくして、あの子をちゃんと見られなくなっていたのは。
わたしの方だった。
時計を見る。
「もうこんな時間か。」
窓の外では、春の夜風が静かに木々を揺らしていた。
ーー卒園式当日。
空は雲ひとつない春晴れだった。
園庭に植えられた桜の木々は、まるで今日という日を祝うみたいに淡い花を揺らしている。
「せんせー!見てー!」
「ぼく、今日の帽子ちゃんとかぶれた!」
「お母さん来てるんだよ!」
教室は朝から子どもたちの声で溢れていた。
ガラガラガラっ
教室の扉が開く。
「…おはようございます」
小さな声が聞こえた。
目線を下げるとそこには、いつもの帽子をぎゅっと握りしめたロイ君が立っていた。
「ロイ君。昨日は……」
謝らなきゃ。
昨日のこと。ちゃんと。
「先生、ロイ君が頑張ってるのに怒って…」
「はい!みなさんそろそろ式が始まるので移動してくださーい!」
廊下から園長先生の声が響いた。
言葉はそのまま飲み込まれてしまった。
ーー
卒園式が始まった。
子どもたちは一人ずつ壇上へ上がり、小さな手で卒園証書を受け取っていく。
緊張して階段でつまずく子。
誇らしそうに胸を張る子。
涙ぐむ保護者たち。
温かな拍手。
けれど、わたしの心だけがずっと沈んでいた。
やがて。
「ロイ・フローレンスくん。」
名前が呼ばれる。
ロイ君は小さく「はい」と返事をして、壇上で卒園証書を受け取った。
「あぁ、今日でロイ君ともお別れか…。」
「魔法…最後までおぼえさせられなかったなぁ…。」
今日は卒園という晴れの日だというのに、わたしの心は曇ったままだった。
卒園式が終わり、保護者たちの姿も少しずつ園庭から消えていく。
桜の花びらだけが、静かに風に舞っていた。
教室の片づけをしていると、背後で遠慮がちな声がした。
「……先生。」
振り返る。
そこには、小さな帽子を胸に抱えたロイ君が立っていた。
「ロイ君。」
ロイ君はもじもじと指を絡めながら、小さく言った。
「ねぇ先生。」
「ん?」
「さいごに、もういっかいだけこべつれんしゅうしたい。」
胸がきゅっと締めつけられる。
卒園式のあと。
本当なら「さようなら」をする時間なのに。
この子は最後まで、“できるようになりたい”を諦めていなかった。
わたしはしゃがみ込み、ロイ君と目線を合わせる。
「一緒にがんばろ。」
ロイ君の顔がぱっと明るくなる。
「うんっ!!!」
ーー
夕暮れの教室。
オレンジ色の光が机を長く照らしていた。
ロイ君は、あの日と同じ枯れたチューリップを両手で包み込む。
「サクヤコノハナ!せいめいにいぶきをふたたびあたえたまえ!」
……何も起こらない。
ロイ君は「あれれぇ〜?」と首をかしげたあと、えへへと笑った。
「やっぱりだめだったぁ。」
その笑顔を見ているだけで、胸が苦しくなる。
けれどもう、以前みたいな焦りはなかった。
わたしはロイ君の隣へ座る。
「……ロイ君。」
「ん?」
「先生ね、勘違いしてた。」
ロイ君がきょとんとこちらを見る。
「魔法って、“できる”“できない”が大事なんだって思ってた。」
窓の外で、春風が木々を揺らす。
「でも違った。」
わたしは、そっとロイ君の頭を撫でた。
「できなくても、何回失敗しても、諦めないで頑張り続けること。」
「それって、とってもすごい魔法なんだよ。」
ロイ君は少し考え込んだあと、ぱっと顔を上げた。
「じゃあロイ、すごいまほうつかい!?」
思わず笑ってしまう。
「うん。先生よりずっとすごい。」
するとロイ君は、嬉しそうににぱっと笑った。
そして突然、小さな小指を差し出す。
「せんせい!また必ず、会おうね!」
その言葉に、一瞬息が止まる。
「やくそくっ!」
わたしも小指をそっと差し出す。
「……うん。約束。」
するとロイ君は満面の笑みで言った。
「ユビキリゲンマン!せんせいとまたあうおやくそく!」
絡めた小指が、ぎゅっと小さく揺れる。
その小さな温もりが、不思議なくらい胸の奥までまっすぐ届いた。
「ふふっ。ロイ君すごい拘束魔法だね。」
「これはまた会うしかないなぁ。」
「うんっ!せんせいぜったいまた会おうね!せんせいだいすき!」
「先生もロイ君のこと大好きだよ。絶対また会おうね。」
夕焼けが二つの影を包み込む。
その日、世界でいちばん優しい魔法使いは枯れた花を咲かせられないまま卒園した。
読んでくださってありがとうございました。少しでも心に残っていただけたら嬉しいです。




