第6章
街灯が並ぶ夜道。
昼とは違って、影が長く伸びる。
人の足音もまばらで、空気が少し冷たい。
凛は歩きながら、手に持ったスマホを握りしめた。
ただ、部屋に戻ればまた、自分は手の中にあるハルを思ってしまう。
――だから、ここにいる。
自然と足が向くのは、ハルの通学路。
いよいよ自分はストーカーだと認めざるをえない。
気持ち悪い自分に不快感を覚えながら、前に目をやる。
前方の人影に、自然と足が止まる。
ハル……かもしれない。
でも、昼に見るハルとは、どこか違った。
少し気だるげで猫背な背中。
歩くリズムも、少しだけ硬質に感じる。
フードを深く被っているため、顔はよく見えない。
別人だと思うのに、目の前の人物に、昼と同じ「ハルの匂い」を探してしまう。
凛は引き寄せられるように、スマホをそっとポケットから取り出す。
画面越しに見た背中は、昼よりも際立って澄んでいた。
光の輪がその周りだけ柔らかく、まるで昼の世界から切り取られた一点の静止画のようだった。
――こんな風に感じるのはハルしかいない。
ハルだと思う自分と、ハルとは何かが違うことを、身体で感じていた。
近づきたい気持ちと、恐怖が交錯する。
声をかけたいわけじゃない。
でも、ここに立っているだけで、胸の奥が締めつけられる。
ハルじゃなかったら、ハルが特別だったわけじゃないとわかる。
そうしたら、もしかしたらこの衝動も治るかもしれない――。
凛は、前方の人物の後を、距離を少しだけ置きながらつけていった。
街灯のオレンジ色に影が揺れる。
小さな路地を抜け、誰かと立ち話をしている声が聞こえた。
「雪……」
凛の胸が、軽く跳ねた。
――ハルじゃない。
ハルじゃないとわかっても、足は自然に前に出ていた。
知らず知らず、心が引き寄せられている。
やがて人影は、立ち話を終え、一人になった。
角を曲がり、空き地の前で立ち止まる。
雪と呼ばれた人物が、タバコの炎に照らされて煙を吐く。
――あの仕草、あの空気感。
凛は無意識にポケットからスマホを取り出し、そっとシャッターを切った。
タバコを持つ指、肩の力の抜けた線、微かに揺れる髪。
画面越しに見るその姿は、ハルと同じくらい、凛にとって特別だった。
――やはり、自分はこの人に惹かれてしまう。
その瞬間、雪の瞳が、凛の存在を捉えた。
視線の先に、自分が立っていることに気づく。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
雪はタバコを消すと、ゆっくりと凛の方に歩み寄ってきた。
距離を詰めてくる足音が、凛の鼓動と同期するかのようだった。
凛は、体が硬直するのを感じた。
声も出ない。
息も、少し浅くなる。
雪と呼ばれたその人物は、フードを深く被り、黒いマスクで口元を隠している。
ゆるくパーマのかかった前髪の隙間から、瞳だけが見える。
――どうしてこんなことになってしまったのか。
声をかけたい気持ちと、逃げたい気持ちが同時に押し寄せる。
雪の距離が、ほんの数歩詰まっただけで、凛の世界は一気に息苦しくなる。
「だれ?」
ハルより気だるげで低い声。
本当にハルじゃないんだと嬉しいような、落胆したような、不思議な感覚に陥る。
「あっ……」
誰か聞いたくせに、答えは聞かずにまたタバコに火をつけ、背を向けて一息吸う。
「お、美味しいの?タバコ」
うわずった自分の声が気持ち悪い。
「残念。まずいよ」
タバコを口元にやり、顔はよく見えないが、笑ったような気がした。
「じゃあ……なんで」
雪は肩をすくめる。
タバコを指で弾き、灰を落とす仕草が、凛の胸に刺さる。
「…世界にちょっとだけ毒を撒くため、かな」
低く、だるげな声。
凛はスマホを手に握りしめる。
シャッターを切りたい、でも怖い。
凛は一歩、また一歩と近づく。
街灯の下で、フードとマスクの影に隠れた顔が、凛の視界に迫る。
瞳の奥には、昼のハルにはなかった、疲れや少しの孤独が見える。
凛は息を詰めた。
この人は…昼のハルじゃない。
でも、惹かれるのは、やはり同じ――。
視界の端で、雪がタバコを口から離し、軽く灰を落とす仕草。
凛は思わずスマホで撮る。
――この感覚を、目の前の現実を、残したいと思った。
その瞬間、雪の瞳が、凛の手元にあるスマホを捕らえた。
凛はハッとして、身体が固まる。
「…君、写真、撮ったでしょ?」
雪はゆっくり近づきながら、声を少し強めた。
でも、攻撃的ではなく、観察するような視線。
凛の鼓動は跳ね上がる。
息が止まりそうになる。
「ごめ……綺麗で、その」
「みせて」
差し出された手に抗えない。
キモいと思われる……そう恐怖しながら、凛はスマホを渡す。
「へー、よく撮れてるね」
なんの含みもなく、ただ見たままを言ったような感じ。
言いようのない安堵感が押し寄せる。
許されたような気がした。
スマホはすぐに戻された。
ハルの写真を見られたりはせず、凛はさらに安堵する。
「そろそろ帰んな」
雪はそう言って立ち去る。
どこに行くのか、また会えるのか――。
そう聞きたい言葉は、出てこなかった。
凛は家に帰り、そっと部屋に忍びこむ。
思い出すのは、先ほどの雪との出来事。
久々に、ハルの写真を見ずに眠った。




