第3章
桜は、いつも明るくて可愛いと人気もある女子で
桜が俺の側にいるとニヤニヤとした眼差しと雰囲気が集まって少し苦手だった。
「凛、今日さ、帰り空いてる?」
何気ない調子で名前を呼ばれて、
凛は一瞬、言葉に詰まった。
「……ああ、うん」
曖昧な返事でも、
桜は気にした様子を見せない。
クラスの中心にいるタイプで、
友達も多くて、
笑い声が絶えない。
恋愛の話題も、
避けずに、隠さずに、
当たり前のように受け止めている。
凛とは、正反対だった。
昼休み。
桜は凛の隣に座り、
弁当を広げながら話し続ける。
「最近さ、ハル元気なくない?」
その名前が出た瞬間、
凛の胸が、わずかに跳ねた。
「……そう?」
「なんかさ、前より静かじゃない?」
桜は深い意味もなさそうに言った。
凛は、返事をしなかった。
否定も、肯定もできなかった。
桜の言葉で、
自分だけが気づいているわけじゃないと知って、
少し安心して、
同時に、理由の分からない焦りを覚えた。
放課後。
桜はまた声をかけてきた。
「一緒に帰ろ?」
「……今日は、ちょっと用事あって」
とっさに出た嘘だった。
「そっか。じゃあ、また明日ね」
桜は笑って、
すぐに別の友達のもとへ行った。
その背中を見送りながら、
凛は胸の奥に、
小さな罪悪感を感じていた。
――用事なんて、ない。
凛の視線は、
自然とハルを探していた。
教室の端。
カバンを持ち、
一人で立ち上がる姿。
誰かと帰る様子はない。
凛は、
自分が少し距離を置いて、
同じ方向へ歩き出していることに気づいた。
声をかけるつもりはない。
話したい言葉も、理由もない。
ただ――
近くにいたかった。
階段を下り、
昇降口へ向かう途中。
凛は、ポケットの中で、
スマホに触れた。
画面を開く。
カメラを起動する。
――何をしてるんだ。
そう思ったのに、
指は止まらなかった。
少し離れた位置から、
ハルの背中を画面に収める。
シャッター音は、
鳴らさなかった。
画面越しに見たハルは、
不思議なくらい、はっきりしていた。
夕方の校舎。
人の影が交錯する中で、
ハルの周りだけ、
空気が澄んでいるように見えた。
光が、
そこだけ少し柔らかい。
錯覚だと、分かっている。
スマホの性能の問題かもしれない。
それでも、
凛は画面から目を離せなかった。
――このまま、
消えてしまいそうだ。
そんな感覚が、
突然、胸を締めつけた。
凛は、慌ててスマホを下ろした。
心臓が、
やけにうるさい。
自分のしていることを、
ようやく意識した。
盗撮。
後をつける。
声もかけずに、距離を詰める。
――これ、普通じゃない。
頭の中で、
はっきりと言葉になった。
ストーカー。
その単語が浮かんで、
凛は立ち止まった。
何やってるんだ。
気持ち悪い。
そう思おうとした。
でも、
足は、引き返さなかった。
ハルは、
少し先で立ち止まり、
スマホを見ていた。
凛は、
一定の距離を保ったまま、
同じ場所で止まる。
話しかけたいわけじゃない。
名前を呼びたいわけでもない。
ただ、
同じ空気の中にいたかった。
それだけなのに、
それすら許されない気がして、
凛は息を詰めた。
やがて、
ハルは歩き出した。
凛は、
それ以上追わなかった。
校門の外へ出る背中を、
遠くから見送る。
夕暮れの中で、
ハルの姿は、
少しずつ街に溶けていった。
凛は、
ポケットの中のスマホを、
強く握りしめた。
そこに残った一枚の写真を、
見る勇気は、まだなかった。
自分が、
誰かの側に行きたいと思うことが、
こんなにも怖いなんて。
凛は知らなかった。
この「澄んだ場所」が、
昼と夜の境目にあることを。
そして、
自分がもう、
引き返せない位置まで、
歩いてきてしまったことを。




