表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
交差  作者: りな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/13

第13章

春の終わり。


凛は、駅前の通りを一人で歩いていた。

イヤホン越しに、杏樹の声が流れている。


『今日、少し遅くなるって言ってたよね』


「うん。でも、もうすぐ帰れると思う」


人混みのざわめきに、杏樹の声が少しだけ溶ける。

それでも、ちゃんと聞こえていた。


信号待ちで、足を止めたとき。


向かい側の歩道に、

不意に、視線が引っかかる。


フードは被っていない。

黒いマスクも、していない。


少しだけ猫背で、

肩の力が抜けた立ち方。


ゆるくパーマのかかった髪が、

風に揺れている。


胸の奥が、静かに沈んだ。


(……ハルだ)


疑う余地はなかった。


夜の匂いはない。

でも、昼の光の中にいても、

その人は“夜を知っている”ままだった。


『……凛?』


杏樹の声。


『どうしたの?』


凛は返事をしなかった。

スマホを握る指に、力が入る。


信号が変わる。


人の流れが、動き出す。


その瞬間、

ハルが近づいてくる


凛の呼吸が、止まる。


『凛? もしもし?』


その声を、

凛は、聞かなかった。


通話終了。


画面が暗くなる。


凛は、その場に立ち尽くしたまま、

歩き出すことも、声をかけることもできずにいた。


ハルは、何も言わない。

ただ、すれ違う。


ほんの一瞬、

視線が重なる。


そこには、

逃げ場も、責めもなかった。


ハルは、何も言わずに通り過ぎる。

昼の中に溶ける背中。


凛は、ようやく息を吐いた――

……はずだった。


次の瞬間、

凛の足は、勝手に前へ出ていた。


追いかけてしまう。


ハルを。

雪を。


理由なんてなかった。

止まる理由も、なかった。


声は、かけない。

名前も、呼ばない。


ただ、距離を保って、後ろを歩く。


ポケットの中で、

指が、自然にスマホを掴んでいた。


画面を起動する。


昔と同じ角度。

昔と同じ距離。


――シャッター。


今回は、音を消さなかった。


乾いた電子音が、

人混みのざわめきの中で、はっきりと鳴る。


その音に、

ハルの歩みが止まる。


ゆっくりと、振り返る。


目が、合う。


逃げ場のない距離。


ハルの表情は、驚きでも、怒りでもない。


「凛……」


低く、静かな声。


呼ばれた名前が、

胸の奥で、鈍く響く。


――確信。


みつけてしまった。


逃げようとする前に、

言い訳を考える前に、

その事実だけが、凛の中に落ちてきた。


凛の胸が、締めつけられる。


その瞬間。


スマホが、震えた。


画面に浮かぶ文字。


――杏樹。


着信音が、鳴り続ける。


凛は、スマホを見つめたまま、動けなかった。


着信音が、鳴り続ける。


ハルは、何も言わない。

ただ、凛を見ている。


待っているのか、

それとも、確かめているのか。


凛は、画面から目を離せなかった。


呼吸が、浅くなる。


そして――

凛は、通話を切った。


電子音が、短く鳴る。


ハルの視線が、わずかに揺れる。


人の流れが、再び動き出す。


ハルは、何も言わず、

その波の中へ、歩き出した。


凛は、その背中を追いたい衝動を、必死に抑える。


一歩でも踏み出したら、

もう戻れなくなる気がした。


ハルの背中は、

人の波に押されながら、

少しずつ、少しずつ、遠ざかっていく。


昼の光の中で、

もう振り返らないまま。


凛は、その場に立ち尽くした。


スマホを握る手が、

かすかに震えている。


画面は暗いまま。

杏樹の名前も、もう表示されていない。


代わりに、

さっき撮ったばかりの写真の感触だけが、

指先に残っている。


あの夜は、もう来ない。

あの空き地も、

あの路地も、

もうここにはない。


それなのに。


引き戻される。

縫い止められる。


見えない糸で、

胸の奥を。


凛は、ゆっくりと踵を返す。


今度は、

誰の背中も追わずに。


駅へ向かう足取りは、

少しだけ重くて、

それでも、止まらなかった。


ポケットの中で、

スマホが静かに温もりを残している。


まだ大丈夫。

まだ、離れられる。


――本当に?


問いは、

誰にも届かないまま、

胸の奥に沈んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ