マンホールの噂
僕は駅の改札を抜け、ある場所へ向かっていた。
―駅前のマンホールへ。
*
ある休日、友人とファストフード店で昼ご飯を食べていたときのことだ。友人はにやりと笑みを浮かべ、口を開いた。
「なぁ、お前知ってるか? この街の奇妙な噂」
「……奇妙な噂?」
「夜になるとマンホールの蓋の上に女性が現れるらしい」
「なにそれ。ホラー?」
僕はそう友人に聞いたが、ホラーではないらしい。
詳しく話を聞いてみると、女性はいつもスーツに裸足の格好で、退勤ラッシュの時間帯に本当に駅前のマンホールの蓋の上に立っているらしいのだ。
「すっげぇ仕事できそうな雰囲気でな、いつも真っ赤な口紅をつけてる。あとめちゃくちゃ美人」
「最後のいるかな」
「大切なことだろうよ。だが、噂になるには話題性がまだ足りない。あと奇妙さがな」
「……奇妙さ」
「その女性と目が合うと一瞬で恋に落ちてしまうんだ。けど、」
「けど?」
「女性と話せるのはその日の一回きりだ。次見かけた時は話しかけすらできない。話しかけようとしたら人混みにすっと消えていってしまうんだそうだ」
*
人混みの中に、見つけた。
裸足でマンホールの蓋の上に立っている女性を。
セミロングの黒髪で、前髪を真ん中で分けている。
友人の言った通り真っ赤なリップをつけていて、黒髪によく映えている。
見つけたら何事もなかったかのように通り過ぎて、すぐに帰るつもりだった。けれどなぜか足が動かない。
人が行き交う中、立ち止まっている僕が目に止まったのだろうか。それとも、僕の視線に気がついたのだろうか。女性はこちらを見た。
その瞬間、なぜだろう。今まで動かなかった足が動いた。家に帰る方向ではなく、女性の方へ。
気づいたら女性は目の前にいて、けれど、その目線は手元のスマホに向けられている。
その時僕ははっとした。
これじゃただの不審者じゃないか。
今度は意志を持って足を動かした。
しかし、その足はすぐに止められることとなった。
「あの、」
女性が話しかけてきたからだ。
「何か、私に用ですか」
見た目に合わない、可愛らしい声だった。
「えっと、」
僕が戸惑っているのに反して、女性は迷いなく口を開く。
「私には探している人がいるんです。でも、顔も何も覚えていなくて。手当たり次第、こんな風に話しかけてはみてるんですけど、まだ見つからないんです。逆ナンだと思われて大変なこともあるんですけど、でも、どうしても会いたくて」
「どんな人、なんですか」
「本当にわからないんです。中学生の時のひと夏の思い出、みたいなもので。学校も違いましたし、たまたま気が合って、それで口約束であっていただけなので、連絡先も知りません」
「……そうなんですね」
「ただ、その人が言っていたんです。もし、大人になってまた会えたら、その時はパンプスをプレゼントすると。だから私は靴を脱いで、ここに立っているんです」
私とその人はマンホールマニアでしたので、と女性は続けた。
友人の声が頭の中に蘇る。
「実際に女性に会った人の話を聞いたんだけどよ、女は人探しのために、そして、人探しを理由に―」
僕は真っ直ぐに彼女の目を見て言った。
「すみません、そのような方は存じ上げないです。失礼します」
きっと、彼女の物語は終わらない。
モチーフ楽曲
櫻坂46「マンホールの蓋の上」




