【短編小説】彼方からの手紙
お元気ですか?如何お過ごしでしょうか?
こっちはさして問題も無く、みんな元気にやっています。
相変わらずこちらは暑く、とてもやっていられる街ではありません。
しばらくはどこかに行こうと言う気にもならないでしょう。例のバイクで遠出するのも秋になるまで待とうと思います。
──ここまで書くと筆が止まってしまった。
話したい事がたくさんある。
だがいちいち書いていくと今度は全部忘れてしまいそうで、何かひとつ選ぼうとするとやはりそれは手元から離れていってしまう。
心を落ち着けよう、気分転換をしよう。
煙草を取り出して缶コーヒーをあける。
……短い、希望だったな。
歳を取ったと笑うかも知れませんが、最近は前より日常が面白くなってきました。
普段暮らしていると見逃しそうな事があって、ぼんやりと過ごす事は少なくなりました。
少し前に井の頭線の渋谷駅で見たのは、洗ってなさそうな黒い長髪をした男が首の折れた烏の死骸に群がる蟻をニヤニヤしながら見つめていたんです。
その時に思ったのは、あぁきっと彼はなにか創作をしている人間で、いまはボードレールか何かを脳内で誦じているのかも知れないなと言うこと。
それと、もしかしたら創作をしている人間の気持ち悪さと言うのは客観的に見るとこんな感じかのかなと言うことでした。
──言いたい事は他にもあったはずだけれど、右手とボールペンが選んだのはこの話だった。
薄い缶コーヒーを飲み干して、煙草の吸い殻を押し込むとジュッと言う音を立てて一筋の細い煙が立ちのぼって消えた。
本当はもっと他に話すべきこと、書きたいこと、伝えることがあると思う。
それは地平線とか水平線とか数列とか単位とか世界とか閉鎖とかについて話したりしたいと言う事だし、絵画や映画を観たり喫茶店で珈琲を飲んだりする事だ。
それでは、また。
気が向いたらお返事ください。
ボールペンを置く。
社会の密度が下がる。幸せの構造式が変化する。
記憶の彼方。
記憶の整理。
夢。
左様なら。
俺は軽いストレッチと屈伸をして走り出す。
午前四時、眠りと覚醒の狭間にある住宅街でも乗用車だとかトラックは走っている。
轢かれない様に気をつけて赤信号を無視しながら走る。
いつもより速く走る意識で足を前に運ぶ。
疲労がいつもより速く全身に回る。
でもなるべく足を止めない。
青黒い空に黄色い爪痕が浮かんでいるのが見える。
そこからも同じ月が見えるのだろうか。
お前の背中にある爪痕とか俺の背中にある爪痕とか。
俺とお前の日々は24小節に収められなかった。
写真も何も残っていない。
背中の傷も薄くなっていく。
旅は始まらない。
スニーカーで地面をどかんと蹴って死にてぇと叫んでスタスタ走る。
トラックがクラクションを鳴らして遠ざかる。
死はそこにあったんだろうか。
薄い胃液を吐き捨ててまた走り出す。
コーラを薄めたスポドリで割って飲んでたのは去年の今頃だったか?
肋骨を痛めたのもこれくらいだった気がする。
今だに痛い時がある。
レントゲンには何も映っていなかった。
ドブネズミより美しい写真にも写らない痛み。
苦痛。
我慢して戦ったと言えば聞こえはいいが、円谷じゃない、俺は負けた。
追伸
あなたがちゃんとしていればとぼくを叱ったところで、火の粉が開けた着物の穴は元に戻りません。
結局ぼくはぼくと言う監獄だが牢獄だかの深淵から出られずにいます。
自責、自責、それこそがそこから見える月なのだと言う、ほんたうのさいわひと言うものを探しています。
そちらにはありますか?
ペンを置く。
知らぬ存ぜぬ省みぬ。
これやこの行くも帰るも別れては識るも痴らぬも大阪の関。
咎められぬ、れぬ、れぬ。
ボールペンを投げ出して顔を上げる。
窓の向こう、公園に広がる暗い緑の真ん中に銀色の巨大な骨が建っている。
その骨はゆっくりと立ち上がり形を変えると怪獣になる。
怪獣は街を破壊して回る。
破壊された街を労働として片付ける人と労働として再建する人がいる。
あなたはそこにいるのでしょうか。
ビルド&スクラップ。
俺はBill de 安藤スクwrapと書いてスクール水着の落書きをした。
俺とお前も同じだったのかも知れない。
手紙はまだ机の上に置かれたままだ。




