十話 言葉
十話 言葉
砲撃の振動が街を少し震えさせるなか、ナナミは海の、海岸沿いで佇んでいた。港から離れた、人影のまったくない、しかし防壁の中であった。波が岩に当たり、ナナミはその長い刀に巻かれた白布をほどく。
耳飾りの鈴を鳴らし、波の打たれた岩に刃をそっと斜めに当てがい、何度かそれを繰り返し、振り上げ、斜めに振り、引き込むようにして岩を切断した。少し欠けながら、ズレ落ちる岩は、海へと落ちた。
「……うむ、少し力が入っておったか。これでは、おじじに叱られるのぉ」
ナナミは、足音に気付いて振り返る。しばらくして、厚手の服装で、お腹の膨れた女人が、男と、そしてフアンと歩いてきた。男が、ナナミを見た。
「あなたは、確か……」
「ナナミじゃ。お主はエングイじゃったか」
「イェングイです。日輪では珍しい発音ですから、ゆっくり覚えて下さい」
「ゆっくりか……それより、妊婦を連れて冬の海岸か。フアン、止めよそれくらい。体に堪えるぞ」
砲撃はなりやまない。フアンは、音の方角を見た。
「……あの音の方が、堪えるようです。僕も反対はしたんですが、ヴァルヴァラさんには許可を取ったので、まぁ一応」
「聞き耳を立てていている感じじゃと、あの獣人はかなり子沢山じゃ。まぁ、人生の先輩方としての、それを信じるしかないかの」
女人は海に近寄り、お腹を抱えながら、波を見ていた。
「我想听听海浪的声音、对不起」
イェングイが傍による。
「申し訳ありません、妻はアドリエンヌの言葉が喋れないのです」
「案ずるでない、妾もある程度は喋れるぞ」
ナナミは、シュエメイの謝罪を受け取りながら、球凰【キュウファン】の言葉を交わし始める。
「没关系、但不冷吗?」
「我的家乡是一个港口城市。海浪让我平静下」
フアンは、イェングイに寄った。
「この中で、球凰【キュウファン】の言葉が分からない人はいないようですね」
「母、あるいは話にあった祖母から教わったのですか?」
「母に教わりました……祖母とも、そういえば久しく会っていない、ですね」
「あなたを見ていると、大切に育てられたことが分かります」
「ありがとうございます」
ナナミとシュエメイは、思いのほか話が盛り上がっているようで、しかし急に雪梅シュエメイが炎輝イェングイと視線を合わせる。
「あぁ、そうですね……うん、そういうことですか」
「何か?」
「えっと、球凰の言葉は、どれくらい分かりますか?」
「あぁ、実はそこまでなんですよね。挨拶や謝罪の定型くらいなら……長い言葉などは、あまり……」
「我懂了、如果是很长的句子,我就无法理解单词的意思」
「我懂了から先は分かりませんね……たしか了解という意味でしたか?」
シュエメイは、ナナミと再び会話を始める。
「顺便问一下,你和那个人是什么关系?」
「んあぁ、そうじゃなぁ……」
ナナミは、少し腕を組んで考える。
「我还不确定。但我并不是一个我不喜欢的人。另外,我觉得他的声音很好听」
「……这就是全部吗」
「等一下……我不知道我的感受」
「啊,对不起」
砲撃の怒号はなりやみ、時間が過ぎていった。波からくる風が、少し収まる。潮の香りの奥には船が何隻か見える。ナナミは白布を長刀に巻き付けていく。日差しは傾いていくなか、4人は歩いて帰っていく。道中、ナナミはフアンに近寄る。
「で、どのくらい言葉は覚えとる」
「コンニチハ、オハヨウゴザイマス、サヨナラ、ゴメンナサイ」
「ははっ、ど下手じゃ。頑張るが良い……妾たちは、どうせまともに訓練などできん。お主も、本当は小銃なりの訓練をするべきじゃろうが、まぁ弾を当てることなんざ誰でもできるじゃろうしな。やれることがなくて不安だったりすりなら、妾が渡したのを読んでおけ」
「……」
「外れたか?」
「……いえ、その通りです。ヴァルトやノイとは違って僕は……剣術はどこまでいっても、大砲などに比べれば、怪物には効果は薄いですし」
「それじゃそれ……そういう気持ちがあると、刃も身体も応えてはくれぬ。棚にひょいと乗っけるよいに、気持ちをどこかに置いておけ。こう、文法なり単語なり暗記でもしておくがよい」
「えっと……アリガトウゴザイマス」
「音程、まったくじゃな……」
「あれぇ?」
全てが白と青の世界を薄く緋色で覆うそれは、西に沈んでいく。照らされ、怪物らの死骸は、風と雪に埋もれていく。
暗さに白が見える訳もなく、夜風はつんざき、焚き火は揺れる。溶け時を知らない雪が山々を覆っている。自室の黒い窓の傍で、ヴァルトは座り、たそがれるようにして、窓際に頬杖を付いていた。
【最初の理由は、あんたらは重たいかも、しれない】、【私は見たことはないがそれでも、英雄といわれヤツの動機は、意外と不純で良い……そう思ってる】
ヴァルトの頭に、ヴァルヴァラの言葉がよぎる。溜め息を強く吐き出す。
「最初の理由は重たい……か」
ヴァルトは、腕を真正面に向けると、頭の中で指示を出すようにして、力んだ。雷が身体を纏うことは、なかった。
(……時間経過じゃなおらない、か。さすがにそんな都合良い訳ねぇか。だが参ったな、何かあった場合の保険なし、まぁ弾丸は開発できたから、まぁどうにかできるか)
ヴァルトが考えるなか、オフェロスが語りかける。
(……現状は、どうなっている)
(シュエンウーは明日か明後日には来る)
(……君の力のことだ。あれから結局)
(なんもできやしねぇ)
(そうか……)
(まぁ使えたとしても、雷とか爆発だけじゃどうにもならなさそうだっていう感じだな)
(……すまない、結局私の中に、君のその力のことはない)
(ベストロだったり、ザションだったり、あとヒャッキヤコウだったか。それらが同じかなのか別なのか、そんなことよりも一番デカい謎が、俺なんだよな。分かんねぇ以上は考えるか放置だが……)
(……それもさすがにできないほどに、時間がかかっている)
(糸口の一個くらいは見つけたいもんだな)
(君ならできるだろう)
(言うじゃねぇか)
(勝手だが、なんだろうな、君を他人とは思えないんだ。すまない)
(まぁ身体を共有してるようなもんだからな)
(……)
(どうした)
(……いや、そうだな)




