五話 異邦人
五話 異邦人
ノイは、野菜の積まれた木箱を持って、寝室に帰った。上着を脱ぐと雪が床に散らばり、窓を見ると雪は止まっており、日差しは真上から降りていた。ノイは木箱を持ったまましばらく野菜を見ている。
(……買ってもらっちゃった。ヴァルト、お金持ってたんだ)
ノイは、木箱を机に置いた。凍った野菜は鮮度を保っており、日差しで少し光っている。虫に食べられた様子もない。
部屋の扉が叩かれ、開けられた。ノイは椅子に座りながら振り返る。
「お楽しみ、だったわね。ノイちゃん?」
ナタリアが扉に、胴体だけで覗くようのしてノイを見ていた。
「あっ、えっと……その……」
「見てたわよ。二人で街に歩いていったわね?」
「そ、そう。何か……悪い?」
ノイは柔く睨み付ける。ナタリアはにやけ、そして笑った。
「メスって、不器用よねぇ。自分には自信ないクセして、いざ他のメスが現れたら、豹変したようにオスにしがみつく……ほぉんとワケわかんない。でもそこが面白い」
「……えぇ?」
「分かりやすいわよねノイちゃん……ていうかそれ、何?」
「……んえぇ??あっ、これはえっと」
「ひょっとしてヴァルトくんからの贈り物?いいわねぇ」
ナタリアはノイの部屋に入ると、箱に向かい、根菜を1つ手に取る。
「……あぁ、ちょっと!た、たべないでよ!?」
「ほら、自信はないのに意外と独占欲はある。面白い」
「……!?」
「あなた、食事は作るの上手?」
「……」
「ふ~ん、できないんだ」
「で、できるし……!」
「いいわよ?私が作っても」
ノイはお腹の音を抑えようとするも、意味はなかった。同じ建物の、食事を作る場所に連れられていき、ノイは席に座る。ナタリアがノイを覗き込む。
「さっき、ヴァルトくんと話したんだけ」
「えぇ……!?」
「ん、何?私が味方だと思ったぁ?ざぁんねん、私はいつだって、誰だって狙ってるんだから。あなた、お肉があまり好きじゃないみたいね。でも食べなきゃダメよ?草食の亜人・獣人なら、草だけ食べても生きていけるけど。体の作りとかが違うのかしらね……人間は何でも食べないと」
ナタリアが話しながら、奥に木箱を運んでいった。青野菜の芯を取り、根菜は皮をむいて、魚や野菜を既に煮詰めたダシに浸して煮込み、灰汁をすくって捨てる。鉄の針で火の通りを確認し、ノイに鍋ごと配膳した。
「はい、どうぞ」
「あれ、お肉とか入ってない。でもお魚の……」
「その汁に溶けてると思いなさい。私、気が利くメスだから」
ノイは出された食べ物を、食器を使って食べていく。
「……美味しい」
「ふふっ、ありがと。まぁ当たり前よねぇこれくらいは」
「……ねぇ、あなたは、なんでヴァルトを」
「えぇ?」
「人は、嫌いじゃないの?この建物の中だと、なんか上着、被らなくて良い感じだし……」
「そうねぇ、少しこの国の情勢について話しておきましょうか。勿論、もうヴァルトくんには話してあるわよ?そういうところから、そうやって御近づきになるのも手だし……」
「……教えて」
「まずこの都市国家ギムレーは、現在二つの派閥に分かれている状況よ。多数派は、ヴァルヴァラ・ダンチェンコ率いる、中立派。極少数に、ゴルジェイ・イリダロヴィチ・ポルトラーニン率いる、亜獣第一派が存在するわ」
「ゴル……ポル、あぁあの猪の」
「そう、覚えていたのね。ヴァルヴァラの方針は中立よ。人類に対しての攻撃を、されない限り行わない方針。国内に注力し、防衛力を強化する派閥。ポルトラーニンは、軍拡など攻撃的な政策を推進していて、人類に対する攻撃を法律でみとめさせようとしている派閥よ。国の方針で、人権を剥奪しようとしているワケ」
「……でも、普通逆じゃない?」
「そう、普通は逆よ?私だって、親から色々聞かされたわ」
「なんで……」
「今の自分を幸せにすることが大事であるという認識が広まったのよ。結局のところ、食事をして、寝て、子供を産んで育てて、そうしなきゃ何も始まらないのを皆が理解している。差別され、虐げられてきた歴史を忘れたワケじゃないけど、後回しにしてでも、生き残る必要性があるのよ。これは、この極寒の環境下で、まともに食事が取れ初めてから、生まれた考え方よ。そうしたときに、ダンチェンコさんの家系が、それら思想の流布と政権としての台頭をしてここ数世代、幸せを現在に見出だすような教育が為されていき、今のギムレーがあるの。ギムレーという名前もそのときに生またらしくてね、なんだっけ……火の粉を払うとかそういう、守りを意味する言葉だったはずよ」
「でも、そのポルトラーニンさんは……」
「根深く残った、歴史の爪痕そのものよ。理由は……分からないわ。あのおじいさんだって、別に実際に差別された訳じゃないし……でも彼に付き従う亜人・獣人は少なくない。攻撃性というか、押し引き、戦闘における掛け合いの上手さから彼はいま、ギムレーの防衛軍中枢とまではいかずとも、兵站や兵器開発に大きく関わっているわ。臨時で防衛軍の指揮を取ることもある、機関車の線路の配備も彼が行ったの」
「……それ、なんか危なくない?」
「実力がある以上は登用するしかない。危険かもしれない、だけで人選を選り好みできるほど、ギムレーにも余裕はないからね」
「ナタリアさんは、何を?」
「糧食の研究だったり、あの怪物どもの調査だったりかしらね……あと士気の向上」
「……??」
「顔の良いメスが上官だったら、オスどもはやる気になるものよ」
「その、オスとかメスって……」
「私の生き様よ。さぁ、冷めちゃうから食べて」
ノイは、食器を取りかきこむ。喉元を、温かく煮えた芋や根菜などが通りすぎ、一息つく。白く息を吐くと、足音が大きく響いてきた。ノイが反射的に上着を被ると、1人の兵士が、銃を携えて走ってきた。
「ナタリア様、大変です!」
「どうしたの、こんな食事時に」
「球凰の方面から、その……に、人間が!」
「なんですって……?」
ナタリアは早足で、兵士と一緒に部屋を出ていった。ノイは追うように付いていく。
道中でヴァルトと合流すると、そびえ立つ防壁の上へつながる階段を上っていき、壁の向こう側が一望できる場所にたどり着く。
氷雪の床に赤い刺繍があるように、引き裂かれたり穴だらけだったりと怪物の死体が敷き詰められており、壁の中とは違う、硝煙と汚泥に血の臭いが混ざった、焦げ臭い戦場であった。
その死体のなか、一頭の馬に、お腹の膨れた女人を乗せて、
その手前で守るように手を広げてている男が1人いる。
髪飾りは錆びて、しかしきらびやかさは残っている。脂と汚泥に汚れた服装は、東陸の意匠を強く想起させ、自ずとその人物の位の高さが伺える。
男は、無数に向けられた銃口を凝視しながら、ひどく臭う大地で、息を大きく吸い込んだ。開口し、言葉を発する。
「私は、球凰【キュウファン】政治局外交部長、炎輝【イェン・グイ】である!!幾年の年月、異邦の地を歩き、山海の異形どもに囲まれながら、今日この地へ訪れられたことは、まさしく天からの恵である!!」
男の足元に弾丸が1つ着弾する。ヴァルヴァラが銃声を、煙の出る銃を持つ兵士を見る。溜め息を1つ吐き出しながら、息をすった。
「……続けよ!!」
男は、再び話し始める。
「……これら押し寄せる怪物、それを束ねるような、山のような怪物ににより、東方、球凰の大地は……滅ぼされた!!!!」
兵士たちに同様が走り、どよめきが聞こえる。
「球凰が滅ぼされたって……今そう言ったのか?」
「あそこはミルワードと対を為すほどの大国だったはずだぞ」
「山のような……怪物?」
男の額に、季節に似合わず汗が垂れる。
「私が逃げたとき、その巨大な怪物は南に向かっていた。しかしひたすら西側へと馬で移動する最中、私は確かに、ここにあの怪物が向かっているのを見た!!球凰私と、妻の雪梅【シュエ・メイ】は、この大地に残されたおそらく最後の球凰人である!!貴殿らは拝見するに、亜人・獣人であると見受ける!!球凰は過去、現在において聖典教の信仰に遺憾の意を唱えてきた!!加虐者たちの同類、同じ人類ではないかとはばかり、いまこの瞬間引き金を引こうというのであれば構わない!!だがもし、貴殿らに政治的・歴史的・精神的に余裕があるというのであれば、妻と子の命を、貴殿らに託したい!!」
ヴァルトは、既に場に終結したヴァルヴァラ、ナタリア、ポルトラーニンの話し合いに耳を立てた。
「ナタリア、君は変わらず?」
「……分かりません。そもそも、球凰が滅びたという情報が、あまりに突拍子なのですから。それに山のような怪物というのは……」
ポルトラーニンが口を開いた。
「この怪物どもの来る方角は丁度、球凰であろう。ここから球凰までに存在する諸外国も既に滅びているということにもなるが……そうなると、怪物どもの生息地、あるいは発生源はその中間にあるということになる。ヴァルヴァラのいう、ヴァルトとやらの人間の証言を全面的に肯定し、同類の現象として先日までの怪物どもの襲来を認識するならばじゃがな。何よりとして、今、嘘はいくらでも付ける。そしてじゃからこそ、嘘をつく必要性などない。大きな言葉であればあるほど、いまこの時に至っては意味をなさない、信用に足らんからじゃ。じゃからこそ、あの見幕から発せられる言葉には、度返しの信用があると、ワシは考える」
ヴァルヴァラは、手を上げる。壁から向こう側に向けられた銃や砲はゆっくりと下げられていく。
「ひとまず、抑留という形でいく。あの妊婦は丁重に扱うよう、兵士たちに伝えよ。ポルトラーニン」
「先ほどの発砲はどう処理するおつもりで?」
「お前に任せる」
「お咎めなし、ですな」
ポルトラーニンの指示で兵士たちは壁の向こうへ降り立ち、連行するようにして保護を開始した。一連の騒動はひとまず収縮し、ヴァルトとノイは会議に呼び出された。ヴァルトノイが会議室に入ると、フアンとナナミがいた。ヴァルトとノイは駆け寄る。
「お前ら、大丈夫か?」
「ヴァルトとノイこそです!」
ナナミは腹を押さえた。
「妾はどうにかといった具合じゃな……して、呼ばれはしたがこれはどういう了見じゃ?目覚めて眼光に一番が亜人・獣人なもので、驚いたんじゃが……どうやら聖典教の傘下ではない様子じゃな」
会議室にヴァルヴァラやポルトラーニン、ナタリアとノンナが入ってくる。そして、手錠で拘束された、炎輝【イェン・グイ】と名乗った男が入ってきた。
「……人、間?それに、日輪の忍者?」
「球凰の者か、しぶといの」
「……忍、恐るべしといったところですね」
会議は始まった。
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




