二十四話 フェルス川を登って
二十四話 フェルス川を登って
翌日、ヴァルト、ノイ、フアンは2頭の馬に、レルヒェンフェルトを北上していく。ノイはとフアンは同じ馬に、ヴァルトが地図を見る。北上する自分たちを地図上で指差す。枯れた川を沿うようにして、寒風に切られた。
「フアン、周囲にベストロは?」
「いません」
ノイは川の跡を見ていた。魚などの骨やがそこかしこにある。
「もう少しで森に入る。フアン、警戒を頼んだぞ」
街道はなく、畦道もない。全員が馬を降りる。歩かせながら、ヴァルトは刀剣を抜いて枝を切っていく。フアンは耳を澄ませ、ノイは荷物を持っていた。太陽は真上にあり、落ち葉の下にある小石と太い枝が邪魔をする。しばらく切って歩いてを繰り返すと、ヴァルトは立ち止まった。
「……」
フアンの後ろからは何も見えない。ノイは背負った鞄を振りながら、前に出る。
「……あれって」
ノイの眼前にあるのは、草木の生えた、丸太で構成された小さな家だった。薪を割るための切り株には斧の跡があり、近くの小屋には縄で繋がれた馬が、白骨化していた。縄と骨が合わさる部分は折れている。
「馬が……ねぇ二人とも、ここって……」
ノイに、ヴァルトは手紙を渡した。蝋の開けられたそれを、ノイは受けとる。
「これって……?」
「読んでろ。フアン、中には?」
「誰もいません」
「ノイを頼んだぞ。俺が調べる」
ヴァルトは、崩れた扉を踏み越えて家の中に入っていった。崩れた扉の破片の傍に、斧が落ちている。ノイはそれを見届け、フアンを見る。
「読んでいて下さい」
「フアンは中身、知ってるの?」
「……読んでみて、下さい」
ノイは、手紙を読んでいく。走るように書かれたそれはどこか怖く、しかし体裁は酷く優しかった。宛名はNeu・madentoorと書かれている。
「ねう・まで……ノイ・メイデントール?ノイって私だよね?メイデントールって……これ、私の苗字?誰、これ書いたの。確か手紙の最後って」
ノイは手紙の最後を読んだ。差出人らしき2つの名前がある。
「NeIy・madentoor……Ulrish・fon……Lerchenfeld……レルヒェンフェルト!?」
フアンは、ノイに近寄った。
「その手紙は、ユリウスさんのお父様が、ユリウスさんに託した手紙です。ノイは、ユリウスのお父様によって、ナーセナルに連れてこられましたよね?」
「うん……」
「それを思い出しながら、読んで下さい」
ノイは読み進めていった。
―可愛い私の娘、ノイへ。この手紙が読めているということは、私によくしてくれたバックハウス家の頭首に、あなたを、夫が届けることに成功したのでしょう。あなたのことと、私たちのことを、ここに書きます。
あなたの名前はノイ・メイデントール、手紙の書き手である母はネリー・メンデントール、父はウルリッシュ・フォン・レルヒェンフェルト。あなたは、レルヒェンフェルトの血を引いています。ウルリッシュはあまり話してはくれなかったけど、彼は帝国の地下の牢屋に囚われていたの。名前もない、でも苗字だけはそうだって。私も調べてみたけど、分からなかった……あなたも彼のように、私とは違って可憐に育ってくれることを祈るわ。女の子に、力なんて似合わないもの。でも、もしあなたが力強く育ったなら、あなたを大切にしてくれる人を、絶対に手放しちゃ駄目だからね。それから、思いに全力を尽くして、きっと私みたいに、最後の最後に全ての願いを叶えられる。私は不幸だらけの人生だったけれど、最後の最後に、お姫様みたいに、王様を手に入れたわ。ひょっとしたら私の血は、そういう血に産まれているのかもしれない。私の母も、強かったから。それと、私はよく分からなかったけど、ウルリッシュが、計画を後世に伝えたいっていうから、手紙とは違ってもう1つ、けいかくしょ?を入れておくわ。内容は分からないけど、ウルリッシュのことだから、きっと大切なものに違いないから。最後に、体を、心を、全部全部大切にして】
ノイは、二枚目の手紙を取る。少し手が震えていた。
「なんだろ、怖い、かな……」
「大丈夫ですか?」
「ワケわかんないかな。いきなり親だよって言われるのって、こんな気持ちなのかな。私、名前とか苗字とかって、凄く良い意味があると思ってたの。でも……憧れてただけなのかなって……」
「ノイの名前に込められた思いはきっと……」
「分かんないや」
ノイは二枚目を開いて、中身を読んでいく。城内の地図、警備の配置、様々な脱出用の隠し道が記されており、城から南下していく曲がり曲がった先に、バックハウスと書かれている。そして大人と、子供の顔が精巧に描かれており、また手紙が始まる。
―きっと妻は、君に全てを教えるつもりなど毛頭ない。良き妻として自分を思いたいが為にきっと手紙を書いている、無論私もそうしたい。だからこそ、私が責任者としての務めを果たすべきだと考えた。
ノイ、君がもし頭が良いなら、自分のことに嘘をついて周囲と接することがどれほどの罪なのか、知っているはずだ。意味が分からないのであれば君は、母親に似ていると思う。
それでも良い、無知を罪という輩も多いが、結局のところ幸せというのもは、知らないということから始まるのだから。しかし、モノを知ってから経験する事象は、全てが深い。父として残せる言葉はそれだけだ。ここからは、私と彼女の、君を生かすために犯した罪を、後世に残す。
私たちは、牢屋の中でに出産を果たし、幼い君を城内から脱出させるために、これから殺人事件を起こす。
上記地図は私が、下女を独断で、妻に黙ってだまくらかし、調査した結果の脱出経路。王族の血を求めた卑しい下賎な輩であったが、存外に優秀な人材たちであった。
私は、現皇帝の妃を寝取った父のように、浅ましい存在に成り果てた。妻は私の純潔を疑っていないことは、私の罪である。これから下女を使って、ベストリアン虐殺により荒廃したレルヒェンフェルトのどこかから男と、子供をさらった上で顔を潰し、それを君と私と偽り、妻が狂乱を偽って城内で暴れる。
君と私を死んだことにしながら、妻が親しくしていたバックハウス家に届け、そうして逃がす算段を立てた。妻の狂乱は、バックハウス家にいる医者から処方された、薬の過剰接種によるものとして偽るため、部屋に薬を大量に配置する。ただ疑問なのは、どうして妻が、私と同等の牢獄に入れられたか……こればかりは分からない。きっと彼女も、普通の人間ではないのだろう。妻の、ネリーの実家は、枯れたフェルス川を登った先にあるそうだ。小さな民家で、馬が一頭だと言っていた。君がもし両親というものに興味があるのなら、そう思ってくれるというなら、そこに行ってくれ。少なくとも、私たちのことは政により消されるだろう。浮気相手の子供が牢屋で勝手に血縁を作り脱走を企てるなど、帝族としての沽券にかかわるだろう。でも妻のほうはきっと消えないと信じる……彼女が過去を語ろうとするときは顔色が悪い、彼女を悲しませたくないという、だらしない男としての罪もここに書き記す。私たちへの裁きは、きっとあるべきだろう。これを伝えたうえで何をということになるが、ノイ、君が背負うことではない。罪は、犯した者にのみあるのではない。そうなった原因・環境にもまた、罪があるのだからー
ノイが手紙を読み終わると、民家からヴァルトの咳が聞こえ始めた。ノイは一歩動き出すも、止まった。ノイは脚を震えさせ、口を開けて、立ち尽くしていた。フアンはノイの肩を優しく叩く。
「確認してきます。警戒も僕に任せて、座っていて大丈夫です」
「……ありがと」
ノイは腰を下ろして、脚を降り立たんで腕を組み固定する。風が吹き、枯れた葉が頭に付いた。ノイはそれを取ると、葉の柄を指で挟んで回した。
「全部、終わったこと……」
ノイは座ったまま見上げる。曇り空には切れ目がなく、鳥が1羽飛んでいた。
「全部……終わった、こと……全部……なんだろ、この感じ。昔のことって、本当にどうしようもないんだな。人ってそんなに、綺麗じゃないんだな。私だって、綺麗じゃない……心にずーんってくること、本当に最近多いや」
空に、言葉は響かなかった。響かせるつもりなど毛頭ない毛色の声色と、忘れた呼吸。大きく、物が落ちる音が耳を刺し、ノイは立ち上がる。駆け出し、崩れた扉を踏み越える。ノイはすぐに口と鼻を袖で覆った。臓物がひっくり返るような腐臭が立ち込める。ヴァルトとフアンが、床材に埋め込まれた正方形の引き戸のそばにいて、部屋中にこびりついた、渇いて黒々とした血の後がそこに集積するように繋がっており、ヴァルトは袖で口と鼻を覆っていた。
「ヴァルト、ここは僕が」
布で籠った声でヴァルトが首を横に振り、返事をする。ノイはヴァルトが外に向かってくるのを見て、境から退いた。
「ノイ、ここはたぶんお前の実家だ」
「……うん、かもしれない」
「そうかどうかは関係なく、ここはとんでもない場所かもしれねぇ」
「えっ?」
ヴァルトはノイの持つ鞄から、布・木製の、水を飲むための食器・縄を取り出した。
「お前も来るか?」
「分かんない。でも、ここが私の……」
「扉の下はたぶん地下だ。だが……来なくても良い」
「行く」
「意味があるかも分からねぇ。この行動は、ここがお前の実家かもしれねぇっていう、ただの俺の直感だ。お前は、自分から巻き込まれに行く必要はねぇ」
「よく分かんないけど、私の家かもしれないなら、全部確かめる……」
「……分かった」
ヴァルトはもう1まとまり材料を取り出す。ヴァルトは自身の持つ鞄から、キリやヤスリに糸ノコギリを取り出し、底面に広く、側面上部に2つ穴を開け、底面には布を張り接着剤で固定、側面には縄を通す。ノイにそれを受けとる。ヴァルトは頭後ろで縄を縛る。ノイも見まねであろうとするが、落としてしまう。
「……大丈夫か」
「結び方が分かんない、だけ……」
「アホか、手震えてるじゃねぇか。お前」
「行く、から」
ヴァルトが縄で固定したそれは、口と鼻をちょうど押さえ、呼吸を可能にした。
「なんか、フアンみたい」
「実際フアンのもこんな感じの仮面だ。アイツの場合は目も覆ってるがな」
フアンが、扉前で待機している。ヴァルトとノイが来るのを見て、もたれ掛かるのをやめる。
「ヴァルト、それ……」
「アホほど簡素だが、直に空気吸い込まねけよかマシだろ。んじゃいくぞ」
「ノイは……来るんですね」
ノイが荷物から、吊り下げるような携帯式の照明を持ち、火をつけることになんとか成功し、持ってくる。
「これ、いるよね?」
「そうだな」
3人は下についた扉の先には階段が見えて、渇いた血を踏んでそこを降りていく。四隅に歯や爪、原型を留めているとは言い難い、指らしきものなどが、短剣や槍と共に散乱している。それらは大きく欠損しているものもあり、錆び付いていている。ヴァルトたちに柄が伸びている。一歩歩いた、光に照らされるその柄先にある槍先が、崩れかかった人間の頭部に刺さっている。爛れたようなそれの先から、胴体や腕や脚を彷彿とさせるものが散乱しており、全て然るべきものと繋がっていなかった。引き裂かれたように散らばったそれらは段々と増えていき、壁に光が当たる。
「ヴァルト、フアン。これ、全部……」
「全て人間です……それに」
フアンは、それらの腕や胴体が、鉄の鎧と共にある。割れるように、血をかけられたように破損し、爪痕のようなものが目立つ。そして傍には、似合わないほど大量に羽毛が、血をかぶって平らにこびりついている。
「ベストロでしょうか……鎧ごと、引き裂かれています。人為的なものではない、かと……ん?」
胴体の貫かれたものある。
「……どうした」
「いえ……ただ、胸元を貫くという点が……それに羽毛……あの天使を思い出してしまい」
「ピーターもそんな感じでやられ……ん?」
「……そんな訳、ないですよね」
「あったら、もっと意味わかんねぇよ」
「ねぇ、二人とも。これ……」
ノイは、死体の山が不自然に盛り上がっているのを確認する。
「俺がやる」
ヴァルトが不定形なそれらを退かす。
「コイツは……棺か?開けられてる、それに……」
中にも、外と同様に羽毛が落ちている。死体を退かしていくと、2つ、鎧を着ていない、形を五体保って腐敗している死体があった。それらは喉を掻き斬られたり、剣で突き刺されていた。
「……二人だけ、人間にやられてる。鎧の形は」
フアンが鎧を触る。
「イェレミアスの衛兵です……」
「はぁ?なんでここに……まさか」
「野党などではなく、イェレミアスの正規軍によってここが襲われた?」
「いや考えられねぇだろ、ここは民家だぞ……なんでだ?」
ヴァルトが、その五体ある死体に近寄る。本が下敷きになっているのが見えた。ヴァルトがそれを引っ張り、取り出す。血で埋まったそれは、開いてみると手記であることが分かった。こびりついている紙と紙の間が多い。
「ひとまず出よう。頭を働かそうにも、ここじゃ無理だ」
「帰りながらで考えましょう。それなら今日の夜には、イェレミアスへ帰れるかと」
馬で走り続け、夕方。ヴァルトたちは渇いた川を下っていく。
「……そういや、ここの水源ってどうなってんだ?」
「落石で塞がったんじゃないですかね?」
「ついでに確認しとけば良かったが……道具作るのに食器使っちまったしな。野宿はできねぇ」
「そうか……あるいはその川の調査で、イェレミアスの正規軍が来たんじゃないでしょうか?」
「来る理由があるとして、あの家に死体がある理由が分からない。水源付近で死んでるならいいが、もっと北上していかねぇと分かんねぇだろ」
「情報不足……ですね」
「置いとくしかねぇな」
ノイはフアンの後ろに乗って、橙色が曇り空を置くから透かせるのを眺める。
「……なんか、疲れたな」
「手記に関しては僕らで解析します。ノイは……またお湯に浸かりますか?」
「……うん、そうする」
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




