二十二話 傾国を逆手に
二十二話 傾国を逆手に
マルティナは、荘厳な飾りが無数に散りばめられた部屋、寝台の上で満月に覗かれていた。ゆっくりと目蓋をあげると、月光に照らされた金色の頭巾が椅子に座っている、揺られている。
「……ここは?」
「起きたか、少女よ」
「……貴方は」
「火災で気絶したという一報により、兵士全員を使って救助を開始したが、何に気を遣ったのか、君が私の部屋へ運ばれてきた。つまり君は……今年の神曲に選ばれているという認識で相違ないか?」
「まさか、貴方は……イェレミアス13世?」
マルティナは、袖に入れていた小さな剣があるか確認する。陰が落ちて、顔は見えない。
「そうか、目的は私の殺害か。構わない、だが、少し話をしないか?この世界の、未来についてだ」
イェレミアス13世は、左手に持った杖で地面を押し、椅子の揺れつのを止める。
「あなたは、何を思ってイェレミアス帝国の命運を握っていたのですか。貴族は腐り、日銭も持たない者ような弱者から搾り取り、還元はなく、貴族だけの、上辺だけの繁栄をさせてまで、あなたは何をしたかったのですか……!」
「……私は、私なりにこの国に、進化を促したかった。そうして計画を練り、そして君らが立ち上がった……ありがとう。私には、世界を変える算段を描いても、それを実行できる熱量と体力がないからね」
「……あなたは、いままで何をしていたのですか?貴方が戴冠してから、イェレミアス帝国の状況は、今までになく混乱しています」
「貴族の腐敗の原因は先代皇帝……つまりイェレミアス12世の計画なのだよ。貴族の大まかな教育方針に対して、国家による是正・訂正など、口出しをしないよう言いつけられてもいる」
「……教、育?」
「イェレミアス帝国の歴史は知っているかい?」
「戦争を仕掛け続け、そうして領土を拡大した国。しかし、時の皇帝による聖典教傘下への加入により、戦争を止めた。それが何か……?」
「そう、つまり我らの祖先は、そもそもが犯し・奪うことに長けた人間性を持つのだよ。そしてそれは、今の我らにも引き継がれている。元々は国家により様々な教育の指導が行われていた。子を育てるとは、愛を育むとは何であるか、なぜ止めたか?それは先代がその、敷かれた価値観を疑問に思ったのだ。養殖された人間性に、はたしてどれほどの価値があるのかと、もっと伸び伸びとしても良いのではないかと。そこで先代は、国家による教育に関して、一切の指導を停止した……すると、貴族にははすぐに瓦解した。教育により培われているはずの詩的な精神、正義・高潔・愛・純粋、人間に元来あると教育してきたもの、その全てが受け継がれることはなかった。
損得勘定・小賢しさ・ふしだらさ、独占欲、そうした協調などとは程遠い、実に醜いものだけが残ったのだ。それに、貴族ならまだしも、平民は自身の子の身体を売って生計を立てようと、子を厳選するように産んで捨ててを繰り返した」
「それは、この国がおかしいからであって」
「否、この過剰なまでの卑しさは、もはや政策の失敗や困窮を言い訳にできるものではない。人間性に正しさや慈しみよりも利益の追及・野心や煩悩が強くない限り、この選択はしなかったはずだ。子は大人の慰み物でも、餌でもない。一つの命であり、尊厳があり、愛するべきだったはずだろう……しかし、そうはしなかった。詩歌にあるような美しく、根を張り確かに生きる強かな生き様はどこにもなく、あるのは情動や渇望であった」
「では再び教育を施すべきだったのではありませんか!」
「それは遅いと、先代と私は考えた……」
「なぜですか!」
「先代に少し、不幸が一つあってね。それ以来、先代は人間のある部分に、酷い嫌悪感を示している」
「……?」
「そして何より、これはある種の天啓だと考えた。貴族はの行き着く先が今のように、価値の飽和による、美の追求になるのであればな」
「……何を言っているんですか?」
「疑問に思わなかったかい?君らが見ていた貴族のうち、どれほどの者が君のように淡白な体型をしていたか。否、すべての貴族の人間は他国と比べても異様に、美しさを持っていたはずだ。才能・力量による異性への求愛が当たり前になり、容姿による厳選が始まり、そうして淘汰が始まった……ここから先代と私は考えた。自由により激化する競争による価値の飽和、その先にある社会の価値の主軸は美しさであると。愛と詩的に歌うことすらままならない世界、人間の本能に従うことこそ至高となる世界を、先代は予見した……我らレルヒェンフェルト家はそれこそが人類の行き着く先である結論し、その世界における、絶対的な社会資本として、美しい貴族という生鮮品をいま養殖し、後に自然的に売りさばき、繁栄し、イェレミアスによる世界への社会的、そして人種的支配を目指すのだ」
イェレミアス13世は両手をゆっくりと上げ、広げる。天井を仰ぎ見て、恍惚としている。
「Imperium der verführerin【傾城帝政】、城を傾けるほどの美しさによる、人類社会の受動的実効支配。生産からの脱却、競争からの脱却。加速しうる競争のなかで、人の愚かは如実に露呈するだろう。そんな中、我らのみがその愚かを見せない、高等な存在として、世界の中心に、他に努力させその隣に悠々と鎮座するのである!」
「……貴方がたは、人が嫌いなのですか?」
「結論でいえばそうなる。だが、嫌いなのは何も私だけではない。そもそも人間の本質は少なくとも善ではないだろう……そうとは思わないか?マルティナ・フォン・バックハウス」
「……私を知っているのですね」
「この国を変える力を持つとすればバックハウス家だろうと、私が個人的に考えていたからね。無論、確率論であることに代わりはないが」
「……なぜ、ではなぜ止めなかったのです?なぜ衛兵は呼ばないのですか?」
「先ほども言ったが、私はこの国を変えたいのだ。だが、私ごと全ての大臣の首を跳ねたところで、それは首のすげ替えでしかない。抜本的な解決に対して、私の言葉は届かない」
「制御できていないということですか?」
「私の言葉より、娼婦の言葉の方がよほどこの国への影響は大きいのだよ」
「ですが、貴族たちは、貴方や国家への忠誠心として、私兵を城に入れることはないですよね?」
「あれは、自分たちには人間性がある、貴ばれるべき存在であると思い込みたいがための、集団的で無意識下の、暗黙の法律だよ。私は国に尽くしているという高揚感を得て、悦に浸るためでもあると思うし、無論それら忠誠を高らかに語ることで相手をなびかせるような意味合いもあるだろう」
「では貴方は……」
「お飾りさ。だからこそ私は個人的に計画を実行した。この国は貴族同士の痴情の縺れを作り、隠し合うために活動する。そして、酒池肉林の温床でしかない」
「……計画とは?」
「イェレミアス人の持つふしだらさと独占欲、それを利用した、強者への革命の催促。強者に対する恨みを持つ人間を作り出し、国家転覆の機会を与える。かなり計算は狂ったがそれでも、こうして強者の台頭を促すことができた。とりわけバックハウス家に的を絞ってからは、楽にここまで持ち込めたよ」
「えっ?」
「君らの計画に気付いた優秀な人間の排除、イグナーツ・メッサーシュミットによる諜報活動、その援護。下剤を盛る話が上がったときは、担当者に私自ら手紙を書いたのだ」
「では、筒抜けだったということでしょうか……」
イェレミアス13世はマルティナに振り向く。
「さて、死の間際を殿堂入りさせるとして、人間が最も活動力があるときは何だと思う?」
「それは……」
「さきほども言ったがね……復讐さ」
「!?」
「調べはついている。造花売りという名のついた商売を……貴族から平民から子供を誘拐し、監禁して性教育以外の教育を施す。世界を知らない純粋無垢なそれを金銭によって、汚す対象としての人間の生産……いや、養殖。君は、そうして育った子の一人だね?マルティナ・フォン・バックハウス」
マルティナは、拳を握りしめる。
「無知に官能を覚える紳士淑女も少なくはない。そういう需要を満たす、使用回数一度きりの慰み物……そのように教育的され」
「……そうして、私は何も知らない間に買われた」
「誰に買われましたか。貴女が本当に知りたい仇はそれでしょう?」
「教育者本人です」
「ゲルルフ・バッツドルフ……確かに、彼の趣味に君は合致しているだろうね。商品に自ら手を出すとは」
「彼は……まさか」
「私は、彼を放置していたよ。大臣の中にも利用している人物はいたから、苦言を呈したところで揉み消されただろうがね」
「そん、な……」
「君がユリウスと出会ったことは、まさに外れ値だろうね。彼は君のそれを知っているのかい?」
「私から、打ち明けました……私を気遣って、私からいかない限り、接触もなさりません」
「良い旦那さんを持てたようだ、良かったじゃないか」
「私は……この身体は、穢れている。そう思うだけで、私は明日を見たくない。彼との大切な時間の全てに、別の男の顔がよぎるんです……」
「国を巻き込むほどの復讐心、私は貴女に尊敬の念を抱くよ」
「ふざけないで!!!私は……私は!!」
「ユリウスという人間を、私はあまり追うことはできなかった。だがあそこまで自由な発想ができる人間は中々いない。彼はいったい?」
「……」
椅子から、イェレミアス13世は立ち上がる。杖をつき歩き、月を見上げるように窓を見た。
「彼は、この国の何を変える?」
「……自由経済の発展と、富の分散」
「分配ではないのだね、良い。配るに際して、予算を上乗せした上で、中抜きが頻発するだろうからね。きっと、金利を下げ、現在の銀行・財政関連の省庁を部分的に解体。君の主人はきっと、中間層を強くしたいんだろう」
「ご名答です」
「自由経済……ははっ、自由か」
「……?」
「人はいずれ、自由を求め始めるのだと、レルヒェンフェルト家は常々思ってきた。それは……はるか昔、聖典教が二つに分かれ、片割れが海を渡ったときから考えていることだ。大地という父、文化という母に産まれ、国境線という敷地内に立つ社会という家で育つのが我々であり、その家たる社会とは、睡眠・食事・繁殖を半分自動化するための装置でしかない。巣立ちは息する者の定めであろう。特権による支配も確かに恐ろしいものだが、自由を手にするというもの存外、恐ろしいものだと、私は考える」
「いいえ、自由は素晴らしいものです」
「そうだとも、自由とは甘美だ、まず輝いてみえる。悲しみも憎しみも、この言葉からは想像もつかないだろう。しかしそれは見えているだけであり、刷り込みや憧れによる色眼鏡の影響が大きい。自由により振りかかる苦難や代償、それらに焦点が当たらないようにしたい誰かが、いつの時代にか、そのきらびやかな印象を今の時代にまで植え付けたのは、残忍であることこの上ない」
「自由は、人類の敵であると?」
「自由は人類における薬である。過剰に取れば毒になり、しかし飲まなければ身体の調子は狂ったまま死に絶える。人は元から歪で、その価値が虚数まで振り切ったものを、自由という薬で水準まで戻すのだ。事実、教育指導を停止したのち、こうして国を変えようと動く者が現れたのだから」
「それは、結果論に過ぎません」
「法則とはつまり、結果論の束なのだよ……」
「自由はの代価とは、何ですか?」
「帝政、独裁政権、そうした何か象徴というものを持つ政権は、敵と味方が容易に判別つく。そこには既得権益の独占という、絶対的悪が可視化されて存在するからだ。だが民衆が自由を手に入れ、例えば市民権や政治的権力を持った場合どうする?誰が敵だ、だれを殺せば政権は良くなる?し難い団結の中、本当の悪は身を潜めることが可能になるだろう。弱者から搾取する方法は先鋭化し、正義も悪も相対化、差別化していき、思想は細分化され、そうした摩擦が戦いをいずれ起こす」
「……帝政を、それでも解体します」
「良かろう、では私を殺せ。そして天の至り・あるいは奈落の底から見せてもらう、君たちが世界をどう変えるかを……」
マルティナは窓の外を見た。青々と降り注ぐ光が、流れた血を、うなだれそして去った命の痕を、どこか紫色にして、その集まりのように窓の下方を埋め尽くしていた。食中毒により埋まった医務室の外は、内側よりも酷く臭っている。
「あの、我々のことを調べたとおっしゃいましたよね?」
「聞きたいことは分かる。ユリウスという存在が、結局何者なのかというところだろう?彼は……君とあまり境遇は変わらないよ。ユリウスは、貧民窟を出身の、娼館へ売られた男だ。需要は確かに存在した。だが売っていたのは身体だけではない、話を聞き、悩みを解決する。幼子とは思えないほど、あらゆる意味において実に優秀な‘舌‘を持っている存在だった。彼の先代は、どうやらかなりの女難な人生を送っていたそうで、そして娼館へ向かい、おそらく偶然で彼と出会い、自らの子供とした。ここまでは調べがついている。君を愛しても抱かない理由は、君が彼にいだくように、汚い自分で相手と身体を重ねたくない、ということなのだろう」
「……そう、だったのですね」
「それでも愛するか?」
「当たり前です」
「先代とは大違いだ」
「帝国の家系で、何かあったのですか?」
「なんのことはない、ただまったく名前の知らない顔だけの男と子を作り、それを皇帝との子供だとして産み、育てようとしたんだ。先代は怒り、妻を殺害し、子は牢屋に幽閉した。いつかその男の前で子を殺してやるとしてな」
「……それは、まさか呪いの」
「呪われた牢屋などと噂が立った時期もあったな。そして何を思ったか、もう一人、女を牢屋に入れた。どこの田舎から引っ張ってきたのかは知らないが、妙に力のある女だったと手記にはある。その女は完全に牢屋を破壊し衛兵を脅して牢屋から城内の寝室へ住処を移動。牢屋のなかで成人していた男と子を作り……子を城から出した」
「……!」
「知り合いに、その境遇がありえそうな者がいるであろう?」
(ノイちゃんって……)
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




