十八話 歓喜の歌
十八話 歓喜の歌
司会のような人間が舞台に上がり、紹介が始まった。
「皆様、お待たせ致しました。これより音楽祭の開催でございます。始めは、今年まで舞踏会にすら出席なさらなかった、バックハウス家の正妻、マルティナ・フォン・バックハウス様による楽曲でございます」
レノーは、息を詰まらせていた。ノイがレノーを見る。
「大丈夫?」
「あぁ……自分で演奏する訳ではないのがここまで恐ろしいものだとは。僕は、意外にも完璧主義なのかもしれません……」
ヴァルトはレノーの背中をさすった。
「題名は?」
「当初は愉悦の歌にしようと思ったんですが……まぁでも、名前くらい綺麗にいかなければと思いましたね」
司会の指示により、続々と楽器が導入されていく。しかし、楽器の全ての母数を合わせても、その後ろで構える総勢二百は下らない数の合唱団が異彩を放った。会場が、またもざわめく。
「こんな数……中々用意できないわ」
「これ全部バックハウス家が支援しているの?」
「いつ以来……いや、あるいは最も多い動員かもしれんな」
楽器と合唱団が揃うと、司会の手振りによって、マルティナが現れた。舞台に見えた瞬間、会場にざわつきが生まれる。
「さっき演奏していた女じゃないか……」
「えぇ、皇帝陛下の女性と……仲良くされておりましたわね」
ユリウスは、ニヤついた。
(こりゃいい宣伝効果だ、いいじゃないかマルティナ、何したか後で聞かないと)
司会から指揮棒を受け取り、マルティナは壇上へ上がった。壇上へ上がる一・二段程度の音が、会場に寒空を浮かび上がらせた。司会が口を開く。
「題名……歓喜の歌!!」
太鼓や吹奏楽によるり鳴り響く勇ましい不協和音が会場を震え上がらせる。
音の終わり、マルティナは指揮棒をたった一人の男性歌手に向けた。
合唱団の一人のみ大きく息を吸う。訴えるようにたった一人が、小さな演奏と共に歌うそれに全員が釘付けとなった。
「O Freunde, nicht diese Töne! Sondern laßt uns angenehmere Anstimmen und freudenvollere.」
波打つようにも歌われることで、歌手としての貫禄をも見せつける。
曲調は変わり、速度が上がった。独唱と合唱が交互に歌う。
「Freunde」
「「「Freunde!!」」」
再び男性一人だけが息を吸う。
「Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium Wir betreten feuertrunken.Himmlische, dein Heiligtum. Deine Zauber binden wieder,Was die Mode streng geteilt.Alle Menschen werden Brüder,Wo dein sanfter Flügel weilt.」
合唱はそれに続きそれらを復唱する形で優しく轟き、密閉された劇場を超えて城中・城下にも響いた。
イグナーツと背を向けた男は、互いにそれを知覚する。
イグナーツが、笑った。
「時流により、世の態より引き裂かれた者を、汝の魔力は結び合わせ、降り立つ翼のとどまる所、全ての人々は兄弟になる……だとさ」
「彼女と貴方は兄弟としても結ばれることはあり得ません。ベストリアンとは世の態の外側に元々位置する、十字光を浴びれぬ者らなのです。降り立つ翼のとどまる所、つまり我々聖典教内であるならなおのこと、叶わぬものです」
「無理を通すのが、成功の秘訣だろうに。不可能を可能にして、掲げた愛に恥じることなく堂々と生きる。背負いたい者ができた男の背中、今のお前には分からないだろうさ」
「大言壮語甚だしい、落ちぶれましたね元隊長……イグナーツ・メッサーシュミット」
「名を分けたクセして、お前はひねくれすぎだ。どっちが兄だっけな?」
「たかが一人の女性を追う貴方など、部隊にはいらない」
「俺らの目指す世界に、お前みたいな奴も必要だ。今お前は、俺が惚れた女がベストリアンであると知りながら、一人と数えた。お前は根は優しいんだ」
「優しさで、誰の腹が膨れましたか?誰も膨れないのが現実です」
合唱は、強く届く。
「「「Freude trinken alle Wesen An den Brüsten der Natur; Alle Guten, alle Bösen Folgen ihrer Rosenspur.」」」
イグナーツは、尚も弓剣を向けたまま、再び問いかけた。
「歓喜する全ての人々は、自然の乳房を飲み、全ての善き者、悪しき者も、薔薇の吹き抜ける道を行く……罪は、許されないのか?」
「許すという行為には生存する被害者が必要です」
「……じゃあ、俺の行いは?」
「ただの徒労、あるいは自己肯定の為の恣意的行動」
「言ってくれるじゃねぇか」
「許されたい思いを持った瞬間、加害者は更なる加害者となるのです。赦される為の行為全てに正義を感じるようになり、陶酔の果てに加虐すら厭わなくなる。我の罪をお忘れですか?」
「……知ってる。入ってすぐ知ったけどな」
幾人かの私兵が、イグナーツを見る。
「ナハトイェーガーは上層の指示に従い、裏で民を煽動し、ベストリアンの虐殺をここレルヒェンフェルティアでも行わせた……あぁ、知ってるさ……」
終盤の終盤、楽曲は終わりを迎える。
「「「und unser Glaube steht vor Gott.」」」
イグナーツは、手から力が少し抜ける。
「知ってるさ……知ってる……」
「「「vor Gott.」」」
「……それを、俺は」
「「「vor Gott.」」」
楽曲の鳴り止むと同時に、立て続けに二発の銃弾が発射される。イグナーツの後ろ、柱や家具の陰に隠れる2人の私兵の頭部が撃ち抜かれ、力が抜けるようにして倒れた。
「隊長!」
イグナーツと残された一人の私兵が伏せようとした瞬間、メッサーシュミットは手を上げるのをやめて、鞘ごと剣を抜くと、肩に担ぐようにする。
鞘の先端が空洞になっているそれは私兵の一人に向けられており、肩越しに発射された弾丸が私兵の腹部に命中。倒れ込んだ兵士はつがえた矢を落とす。
側転しながらそれを掴み取り、自身の物と合わせて2連で射撃する。メッサーシュミットは正面に向くと、手に装備した爪でそれを弾き、抜剣して構える。
「ウーフー!!」
どこからともなく弾丸が飛んできて、イグナーツの軽装の鎧を弾き体勢を崩される。崩れかかったところを逆袈裟に打ち上げるように斬ろうとするのを、手甲の鎧で打ち払う。次の銃声が鳴り響き、倒れた私兵の脳が吹き出た。
「お前、俺の動きを呼んでたのか?」
「口を割りやすいだろうドルニエを除けば、次に居場所が割れやすいのは私……そしてドルニエは塔の近く、接近しにくい。そしてこうして閉所に配属された私に……ウーフーさんの読みは当たりだったようです」
「あの跳弾野郎、連射しゃがったな?二連装の銃火器……くっそ、お前のそれも、調べ損なったか」
メッサーシュミットは鞘の銃を再装填しながら、刀剣をイグナーツに向ける。
「貴方のやろうとすることがなんであっても、魔天教と手を組んでまで行うことは一つもありませんよ!」
刀剣で打ち合うイグナーツとメッサーシュミットの側に、守衛が駆けつける。
「……皆さん!」
「上に報告しろ!魔天教の襲撃だ!」
「了解!」
銃火の響きは、フアンとナナミに届く。だが、音楽祭の劇場には届いていなかった。
「……銃声です」
「こりゃ、イグナーツとやらが見つかったやもしれん。銃か、あるいはウーフーとやらに見つかったかもしれん。だが銃声が……ちょっと近いか?」
「狙撃でしょうか?」
「妾たちでどうにかできるやもな」
「この建物の上?」
「敵から狙われないよう距離を取って、そのうえで室内を狙うとすれば、間違いなくそうじゃ」
銃声が再度二連で鳴り響く。外にで出ると、私兵の幾人かの死体が詰まれていた。
「そっちへ行ったぞ!」
「いったい何人いるんだ……くっそ、こんな時に兵士たちが食中毒なんてな、案外これも用意されたんじゃねぇのか……?」
「ウーフーさんが後ろにいるわ、主犯からしき人物はメッサーシュミットさんが止めてくれてる、ビビらずいくわよ!」
守衛たちは抜剣して出動していったが、数は少ない。ナナミとフアンはその会話から状況を判断した。ナナミはフアンをつついた。
「あの死体の血の流れ、どの建物から出ておる?」
「前方の建物です」
「建物を狙える高台……塔が制圧してあるし、やはりここの屋上じゃな。登るぞ」
銃声が二発。
「確実です。ですが、この中にも守衛はいますよ」
ナナミは静かに竹棒から抜剣し、その凛々しい銀の鋼を薄暗がりに隠した。
「お主は裏に回って、登るんじゃ。外壁をつたえ」
「えぇ?」
「中は妾で片付ける。あと鞘を頼む」
「……任せます。では後で」
フアンは足音を消して、姿勢を低く離れていった。息を強く吸い込み、吐き出して、剣をに吹き掛ける。刀剣に刻まれた迦具夜比売という文字をなぞる。
刀剣を抱き締めるようにして、呼吸を整えた。
刀剣を窓の間に差し込んで、引き抜いて錠を切り裂いて開閉。蜘蛛のようにしっとりと、這うように移動し、ほとんど無音で侵入していく。耳飾りの鈴を鳴らした。
(2……3……5……6人か、思ったより少ない)
音に気付いた兵士が2人近寄ってくるのを察知し物陰にいく。
「窓が開いてる……まさか、誰か入っ」
兵士の首がそのまま落下した。首を手掴みし死体をゆっくりと倒す。形を整えて床に起き、また鈴を鳴らした。兵士が二人異変に気付き、声をかけながら走ってきた。
(上まで階段が3つあるな。1階に4人も固まっておるのはまぁ分からんでもないな)3階上がって屋上か……)
銃声が二発、室外から。
(早くせねば、味方が全滅するな)
ほとんど無音で走り抜け、二名の兵士が現れる。
「……魔天教かっ」
足首を切断して片方を転倒させ、上段から振られるもう一方の剣を、下方に受け流し、内側に入り込んで腹部に突きを放ち、落としかけた相手の剣を取って投げるように、倒れている方の首を突き刺した。
蹴り飛ばすように長刀を引き抜いて絶命を確認すると、階段へ向かう。
(あと一人、階段を上がりよったな。異変に気付かれようが、妾の位置は分からんだろう)
鈴を鳴らすと、階段を登った先で二名が待機しているのが分かる。
(妾も外壁から登った方が良かったかもじゃが……ん?)
3階から剣と剣を打ち合う音が聞こえる。
(フアンや、屋上へ行っておらんのか?)
二発の銃声が鳴り響く。しかし明らかに、二発の弾丸が着地している音ではなかった。矢継ぎ早に弾かれる木々と鉄の音と共に、階段を転げ落ちる2つの音が大きく響く。
一瞬、2階の兵士が確認へ足を向けたその音を聞いて、ナナミが階段を駆け上がった。鎧の隙間を突き刺して脇をえぐり、押し倒して引き抜き、首を斬りつける。片方が驚いて大きく振りかぶったところを凪払い、腕を切り落とした。兵士は悶え、次第に静かになる。
三階への階段の中腹を確認しようとすると、血だらけの兵士を担いで中腰で階下にフアンが飛び込んできた。ナナミがふらっとかわすと、銃声が1発起こる。壁と壁の繋ぎ目にある、あるいは窓枠や置かれた家具の金具を跳び跳ねながら弾丸がフアンの元へ向かい、抱えた兵士に命中した。息切れたフアンが、ナナミと目を合わせる。
「気を付けて下さい、この弾丸は、向かってきます!」
足音が上階で2回鳴るのをナナミが聞き取る。
「兵士を盾にすれば近付けると思ったか?1人の為に大勢を犠牲にするくらいなら、仲間の1人や2人撃ってでも、貴様らを撃ち抜く。生憎と長期戦は嫌いなものでな」
弾丸と火薬が銃身に装填される。屋上から階下に繋がる階段の先、扉を開けて中腰で、長身の水平二連の銃を構えている。撃鉄が別々に存在するそれは、引き金も別々で、銃を連結しただけのものだった。
「それから、階下にもう一人いるな。反逆者よ、空間は私の味方だ。君が呼吸できる限り、私の弾丸は君らに届くぞ」
二発の銃声と共に、金属の火花が建物内に咲き乱れ、弾丸がフアンとナナミをかすめた。
「そやつを捨てよ、一度隠れるぞ!」
ウーフーの再装填の間に、建物の一室の入る。フアンが扉を閉める瞬間、手首に着弾した。鉄火が咲き、フアンは倒れ込む。
「……っぶな!!」
「大丈夫か」
「しまっておいた剣に命中しました。危なかった……」
「これは難敵じゃ、装填の間に近寄る必要がある」
「天井は石材ですが、発破で吹き飛ばすくらいはできます」
「工作しているのを気付かれたら、天井を吹き飛ばして外に出た瞬間に撃たれるぞ。それに、石材であれば、発破で視界が悪くなる可能性もある。発破の煙の中で、どうやってあやつを見つける?」
「……」
「屋上には上がったか?」
「跳弾に使えるものはなかったです」
「屋上に一瞬で出られれば勝ちじゃな……できるだけ周囲に物がないほど良いじゃろうが……」
「一瞬で……」
「どうした?」
「いけるかもしれません」
「……?」
「発破を仕掛けます」
「話を聞いておったか?天井に仕掛けたところで」
「僕の、背中にです」
「なに?」
フアンは片手に持っていた鞘を部屋に置くと、袖から発破用の爆弾を取り出す。
「どう使う?」
「過去、見たことがあるんです。これを使った移動方法を」
「なんと芸達者な……ん、まさか」
「僕に捕まって下さい!」
フアンは合わせるようにナナミを抱き上げ、部屋の窓から背を地面向け落下を開始。事前に導火線に火をつけていた爆弾を直後、背中で爆発させて大きく跳躍した。
「うぅあ!!!」
激痛で体勢が崩れ、ナナミが高く、宙に投げ出される。ナナミは舞うように上がり月を背にしたところ、剣を構える。
「んなぁ!?」
ウーフーは咄嗟に銃をナナミに向ける。引き金を引いて発射されまっすぐ飛ぶそれは、ナナミを捉えた。
ナナミは、飛びかかってくるその銃弾を、宙に浮きながら剣を振り下ろし真っ二つに切断。
次の弾丸を発射するために、水平に連結したもう片方に合わせて手を変えている間に、ナナミの剣はウーフーに届いた。落下の慣性を一部利用した、すり抜けるような斬撃はウーフーの腹部を、銃ごと横断し、胴から大量に出血した。
「……ははっ、してやられた。遮蔽のないことが逆に仇になるとはな」
力が抜け、銃は落ちた。斬られた銃身から発射残債の火薬がこぼれ落ち、血の色を少し黒く染めた。
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




