十七話 Ave AMADEA.
十七話 Ave AMADEA.
劇場では、ヴァルト、ノイと並んで座り、ヴァルトの隣は一目散にかけてきた女性陣により大混雑になっている。ノイが睨みを聞かせ牽制するそのなかを、仮面を着けた、1人の背の低い男が通り抜け、座った。ノイの隣から声をかけようとした男性を押し退け、ユリウスが座る。
「その子、アドリエンヌのお偉いさんの客だから。貴族の皆々様、どうか宜しく」
渋々と退散する貴族たちは、しかしヴァルトとノイを中心に徐々に席を埋めていった。
「……あぁ、お前か」
「まぁ、一般には死んでるので、僕は」
「で、どうなんだ。出来映えは」
「散々悩んで、まぁ何とか……もう、今回は作家としての感覚を切り替えて行いました」
「なんか、騒がしいのが今の流行りだって?」
「えぇ……非常に味の濃いものです」
「お前の味付けは?」
「唯一は絶対に目指さない、全ては最上級になることを意識しました」
「唯一を目指さないだ?それでどうやって作家として……」
「いいんです、今日の曲に、何か創作的であったり、奇抜さのようなものは必要ないです。歴史的意味も何もいらない、ただ純然とこの時代で最も評価されるであろうものをただ生産した。それだけです。そろそろ、皇帝代理の挨拶が始まります」
「代理?」
「大体は、皇帝直筆の手紙を大臣などが読み上げるんです。現イェレミアス皇帝は国政に専念するとして、音楽祭に実際の出席をなさりません」
「はぁ?神曲に選ばれたやつって、皇帝の……」
「審査に直接関わっていない、だというのに支援者との繋がりは求める。僕は何か、そこにこの国の問題が……」
壮大な、いかにも出来事の始まりを示す音楽が劇場を包み込んだ。閉じられた扉の重さが、劇場の密閉を物語る。
「始まりました」
「マルティナの出番は?」
「最初です。ユリウス様が買いました」
「高そうだな」
「もっとも脳裏に焼き付くのは、最後ではなく最初です。単純に人は、何時間も音楽を聞けるほど、集中力を持っていません」
なり響く音圧は空気を震えさせ、それこそが現在の流行りであることを実感しながら、そして静寂に包まれた。一人の男が壇上、おそらく指揮者が立つべき場所に上がる。
「これより誦するは、現イェレミアス皇帝、イェレミアス・フォン・レルヒェンフェルテト14世陛下による、本音楽祭に賜った、まさに宝文と称するべき、御霊である、書き記しである。皆々、心して聞くように」
少々、時間を置いた。
「……世界に選ばれ、御光に照らされる我がイェレミアスの帝国市民よ。今宵も大いに楽しみ、浸ろう。息する者の上に立つ我らは、我らの高潔さは音に乗り、御光に包まれ雲を越え、天の至りに届くだろう。我らは音を通じて天と楽しみを共に、そうするべく生まれてきた。我らは人の価値の代弁者として、天の至りへ喜悦を届ける義務がある。ゆえに我らは常人を写す鏡とならねばならん。皆、笑え。皆、悦べ。主の御元もまた輝いていると、我らの輝きを御座へと届けよ!」
何処からともなく、そして大きくなった拍手が劇場を包み込んだ。レノーは手を摩り、拍手のフリをする。ヴァルトは服に手を突っ込んでそのまま足を組んでいた。ノイは背筋を伸ばし、周囲を伺い、頭をふらふら動かす。ユリウスは拍手をしていた。その目はいつのもように閉じていた。ヴァルトはレノーを見る
「さぁ、最初はお前の……だったか」
壇上の男は、まだ降りていなかった。
「そして、陛下より……ある歌の紹介を賜ります」
ユリウスは、足を組んだ。ヴァルトからノイに伝え、状況を聞かれたユリウスは、ノイに伝え、ヴァルトに返ってきた。
「表も裏も、全部根回しして手に入れたんだって」
「じゃあ、直前に決まったってことか?できるとすれば確かに皇帝だが……意外と、音楽自体には興味あるのかもな」
男は話を続けていた。
「この歌は、神曲の判定を受けることはない。だが、皇帝自らの意思によるご紹介である。そのため、昨今の流行りとは違うものであることを承知していただきたい」
レノーは、明かりに染まった舞台に注目していた。
(皇帝の心を掴んだき曲……)
壇上の男が手を上げると、後方からたった一つ、三本の脚に乗せられ、蓋が開いたような鍵盤が出てきた。男は次に、右手で会場の視線を誘導すると、劇場の舞台側面から、女性が現れた。その女を見た瞬間、ノイが武器を持って立ち上がろうとした。ノイの血相を変えた視線は、ヴァルトの手での静止により収まり、呼吸を荒げながら、真っ直ぐと女を捉えていた。周囲の貴族らがノイを見る。
「どうか、なさいましたか?」
ヴァルトは貴族と視線を合わせる。
「急に戦場を思い出すんだ、よくあるから、気にしないでくれ」
「それは……」
「いいから前向けって」
ヴァルトはノイの目を見る。
「よく見ろ」
「……でも!」
ヴァルトはノイの肩骨を優しく叩く。
「あいつだ、だがなんでだ?」
「……??」
ノイは、女を見た。
女の服装や女性の曲線美を遺憾なく披露する、挙式に赴く様相をしている。肌は艶のあり、ほどよく肉の乗った太ももが透けた布地で覆われている。
長い髪は白く艷やかではある。だが、その様相に対してあるはずの翼がなかった。
(あれ、翼……そういうことよね?アマデア、じゃない……?)
ノイは呼吸を整え、座る。
その女は、踵部分が爪先よりかなり高い靴を履いて、壇上をこぎみよい音を鳴らしながら歩く。壇上に登り、呼吸を深くした。すると、鍵盤に向かって女性が歩いてくる。その女性に向かって白髪の女は、目をやった。
「……えっ?」
ユリウスが声を出す。視線の先にいたのは、マルティナだった。
髪色と同じ色の、光を反射的するような服装。腰から下の輪廓は出ており、細さが目立つ。ざっくりと開けられた胸元から見える少々小ぶりながら丸みを帯びたそれに、極少のほくろがある。
重たいものを決して持たないであろうその弱く儚い肩などを追おう白い肌は、星のように煌めく化粧が施され、橙の髪との対比により、白髪の女性に次いで視線を集めた。手には紙を持っている。
貴族がユリウスを見た。
「あのお方……もしや貴方の」
ユリウスは咳払いをして、何事もなかったかのように姿勢を正した。
(ひょっとして、貴族さん方が全員まともに演奏もできずマルティナに、みたいな感じかな?鍵盤が家にあってよかった……これはこれで好機じゃないか。しかし御披露目が皇帝お気に入りの女性の脇役とは……夫としては泣くべきか)
マルティナは鍵盤を演奏する席に座ると、手に持っていた紙を鍵盤に乗せ、重石で固定した。誰の咳払いも聞こえない中、マルティナはその紙を眺め、めくり、まためくっていく。ユリウスは、少し胃が痛くなった。
(……まさか、マルティナ。いま楽曲を覚えているとかないよなぁ!?頼むってこんな大事なときに……大きな賭けにも程がある!)
頬が少し引きずるが、レノーは酷く冷静だった。
(……彼女なら、できる)
マルティナは胸元に手を当て、深呼吸し、白髪の女性を見た。目が合い、微笑みを浮かべる白髪の女性に、マルティナは笑った。目を閉じ、息を吐いて、鍵盤に指を乗せ、足で細い踏板のようなものを踏んで演奏を始めた。
レノーは息を飲んだ。それは部屋に差し込むたった一筋の光がいま入ったような曲調であり、祈りを込めるような透き通った出だしであった。波か揺りかごのよいに流れる曲調の中、白髪の女性は歌い始めた。
「Ave AMADEA. Jungfrau herr, Erhore einer Jungfrau flehen,Aus diesem Felsen starr und wild,」
ユリウスは、考えた。
(アヴェ……マリア?マリアって女性の名前か?)
ヴァルトが、オフェロスに問う。
(……今、アマデアっつったか?)
(アヴェ・アマデア……アヴェは歓迎や挨拶を意味する、使われる対象を格式高く迎え入れるような言葉だ。こんにちはの最上格といえば良いだろうか?アマデアという人物を、高尚な存在のように扱っている、しかし一方ではherr……誰か男性に祈りを捧げてもいる)
歌は会話と共に、鍵盤に乗せられて続けられた。
「Soll mein Gebet zu dir hinwehen. Wir schlafen sicher bis zum Morgen,」
(……あの人物は私の知るアマデアから、翼を抜き取ったような容貌をしている……まさか本人?)
(天使には翼があるだろ、まさか切り落としたのか?)
(……いや、だが肩骨あたりにそのような痕跡もないし、あったとしてあのように見せつけるような服装はしないはずだ。だが、あの者は再生ができるのだろう?もしや、体を人に近づけることも可能なのかもしれん)
「Ob Menschen noch so grausam sind.O Jungfrau, sieh‘ der Jungfrau Sorgen,」
(あの者はいったい?そしてこの歌は何だ……何を歌っている?)
「O Vater, hor‘ ein bittend Kind.Ave Amadea.」
曲調を同じくして、二番も歌いきり、静かなお辞儀と共に壇上を降りる。拍手は、起きなかった。ノイは困惑した。
(あれ、誰も拍手……)
レノーをおもむろに見ると、口を開けていた。
「……ねぇ」
レノーはノイの声でハッと我に帰り拍手し、貴族らも続々と拍手した。
「????」
レノーは懐から紙と筆記用具を取り出して歌詞を、1番と2番を全て書き記した。
(翻訳、しなければ。この歌は、歴史に残るべきだ……僕が残す!)
息巻いたレノーを横目に、ヴァルトは顎に手を当てていた。
(……どうする?)
(どうにかして接近したいが……今その場を発つのは難しいだろう?)
(まぁな)
(……思案だけにしておこう)
(そうだな……一旦この国が変わらねぇと、俺たちは後手に回るしかなくなっちまう)
壇上の女性はそこを降りて、マルティナへ向かう。両手で彼女の両手を握る。
「よくここまで来ましたね、マルティナ……」
「どこへ行ってしまわれたかと……私は貴女に、貴女に……いえ、でも……悪い噂を聞きました、あなたはいったい……」
「最初は貴女ですよね?御光の加護を貴女に……では」
舞台から姿を消す白髪の女性。鍵盤と共にマルティナも退場し、音楽祭は本当の意味で始まった。




