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ブルートアウス ~意思と表象としての神話の世界~  作者: 雅号丸
第四章 傾城帝政 二幕

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六話 エーデルシュタイン

六話 エーデルシュタイン


月は満ちていた。光に照らされ、帳の降りたレルヒェンフェルト。ノイは寝床から起き上がると扉を開ける。振り返った所に普段はいるヴァルトとフアンはいなかった。


(……どこにいるんだろ?)


ノイは廊下を歩いていく。棚の上に置かれた壺の荘厳さにはいまだ慣れないが、目もくれていない。


(何か用事でもあるのかな、だったら、ユリウスさんとかなら……って、寝てるよねぇさすがに)


ノイは、ユリウスとマルティナの寝る部屋の前に来た。扉を開けようとすると、少し動きが止まった。隙間からロウソクの明かりが見える。


(……起きてる?)


そっと耳を扉に当てると、本をめくる音。体重を少しかけると、扉が開いてしまい、そこまま倒れ込み、入室した。


「ノイ様……!?」


マルティナは書棚に本を急いで入れる。


「えっと、どうかなさいましたか?」

「ご、ごめん……!」

「いえ、その……」

「何か、読んでた?」

「……あぁ、そうですね。家計簿を少々。このところ、少し出費が」

「お菓子?」

「あれは私とユリウスが個人的に出しているので、関係ありませんよ」

「ありがと……」

「それで、どうかなさいましたか?お顔、とても寂しそうな」

「……ヴァルトとフアン、どこにいるか分かる?」

「あぁ……」

「ユリウスさんは?」

「……」

「……そっか、ごめん。知らないならいい」

「……知っています」

「本当!?どこ!?」

「……屋敷の、下です」

「あぁ、食料庫とか?」

「えっと、その……」

「……?」


マルティナは寝台に向かい座ると、その隣にノイを手招きする。


「こちらへ」

「?」


ノイは寝台に座る。深く沈み、脚が包み込まれるようになる。


「……やっぱ、柔らかいよね、一段と」

「屋敷の寝台は全て同じものですが。ユリウス、ひょっとして……」

「嬉しそう」

「……いえ、疲れているのではと思いまして」

「ユリウスって、結局何してる人なの?」

「バックハウス家は、イェレミアスの流通を主に担う、ゲセルシャフトの頭領なんです。元々は、ここより東の川沿いを拠点とした船舶による運送を担う一介の運び屋だったそうですが、ベストロの出現直後、先代当主によって大胆にも陸上運輸に手を伸ばす。借金をしながら、都内で貴族による損切りにあった厳しい経営の会社を軒並み吸収合併し、果てに得意となった運送によって、物流を管理できるほどに成長したそうです。ユリウスは、合併したゲセルシャフトの元頭領や子の顔色を伺いながら、全体を指揮する、たった一人の管理職なのです。各々の食の好みなども把握して、問題が起きても穏便に対処しているんだとか?」

「……大変そう」

「でも、立ち上げの方が大変だったかもしれませんよね」

「川の船動かしてたんでしょ?なんでまたそんな……」

「はい、その川が……突如として蒸発したんです」

「……????」

「フェルス川……北部末端の村落から南方の海まで、西陸を縦断する、深くて細い河。ベストロ出現とほぼ同時期に上流からの流れが止まり、一気に川底まで見えるようになりました」

「えぇ、なんでまたそんな」

「なぜかは分かりません。一説では、村落跡で大規模な土砂崩れがあったかもしれないという情報もあります」

「なんで調べないの?オルテンシアと違って、レルヒェンフェルトとかイェレミアス全部、安全でしょ?」

「大半の物資をアドリエンヌ側へ供与しているからですね。量産できるものの大半を回し、残った贅沢な嗜好品が貴族に買い占められ、平民には何も残らない。そんな状況が続き、他国への連絡どころか、周辺地域への移住すらままなりません。フェルス川の損失により、土壌が悪化したこともあり……」


マルティナがノイを見ると、頭から蒸気を出すようにして、目をかっと開いて話を聞いていた。


「……大丈夫ですか?」

「ちょっ、と、話が、あ、え」

「すみません!かいつまんでいたのですがぁ……」


ノイは寝台に寝転ぶ。溜め息を1つ出すと、マルティナと目を合わせた。


「……ノイ様々は、ヴァルト様々のお役に立ちたいのですよね?」

「……うん」

「分かります、その気持ち」

「なんだっけ……貧民街の修道女」

「そうです。私は、そこで何も知らずに育ちました。彼と出会って、まず友情をおしえてもらって……私は、何に喜べばよかも、何に悲しめば良いかも、何を追い求めるべきかも、追い求め方も、何一つ、世界を、人間を、心を知りませんでした」

「へぇ……」

「……色が、見えませんでしたか?ヴァルトさんを好きになってから。何か、世界に一色、言葉では言い表せないような、鮮やかさが増えたような」

「あっ……分か、る」

「私もです。あの色を見た瞬間から……恋する者は、与えられた側なのです。与えられた者の定め、それはそれ以上に与え返すこと。私は、ユリウスをすきになった者として、何かをしてあげたい……」

「……キレイ、だね」

「いいえ、ノイ様には及びません」

「何で?」

「何故って、あなたは、常に彼の隣にいようとし、事実それができている。彼に守られる存在どころか、彼を守っているからです。女性だって……私だって、守れるならすきな方をお守りしたいですよ。でも女性というのは、どうしても身体が、平均して男性より弱い。こればかりは覆せません。それを、ノイ様々は覆している。その……羨ましさすら、ありますね」

「……励まして、くれてるの?」

「あの、ノイ様……」


マルティナは、ノイの肩を優しく掴むと少し力を入れ引きずり込むようにして膝を枕に寝かせた。ノイの頭を撫でる。


「……?」

「ノイ様、私は……思うのです。ノイ様は、別に、自分が女性であることを、ヴァルト様を好いていることを諦めることなんて、必要ない……と思います」


ノイは、目が広く開いた。ロウソクの火に照らされた瞳孔が、湿っている。


「……えっ、あれ?」


震えた声に思いは乗っていた。


「ノイ様、よく思い出してみて下さい。ノイ様がどのようにして、何を理由に、どうやって歩んできたか。ノイ様、優しさであったり従順さであったりは、ただの指標でしかありません。ノイ様は、ノイ様々らしく、ヴァルト様を愛せば良いと思います」

「でも、それじゃヴァルトが……」

「……お願いを」

「えぇ……?」

「お願いを、しにいきましょう」

「何言ってるの、ヴァルトは頑張ってるんだから……私がどうにかしなきゃ」

「……ノイ様もどうか、自分を犠牲にしないで下さい。ヴァルト様によって、自分を失ってはいけません。あなたが愛すのはヴァルト様です。でも私としては、あなたは自身のことも、同様に愛するべきなんです。フアン様は、ノイ様とほとんど同様の苦悩を持っていると思います。でも彼は、立って戦うことを選択し、ナナミ様に引き続きの鍛練を申し出ております。彼は、自分のあり方、生き方、生かし方すら理解している。きっと、あなたにも出来ます……ノイ様」

「自分を……?」

「……はい」

「でも、迷惑じゃ……倒れないでって言った所で、私の……か、勝手じゃない?」

「それは、言ってから分かることとしか……」

「……」

「ノイ様を嫌ってることはないと思います……少しくらい、甘えても良いのでは?だって、ノイ様は贈り物を受け取っていますよね?」

「そうだけど、別にそういうのじゃ……」

ノイは顔を赤くした。

「期待、してます?」

「えぇ!?!?べ、別に!?」

「心の踊るうちが、最も準備ができているのです。行きましょう!」

「ちょっと!?」


ノイはマルティナに手を握られた。連れ出され、引っ張るその手は柔らかく、容易に抗えるはずだった。ノイは気が付くと、甘い香りのただよう部屋の前にいた。


「……ここ?」

「ちょっと待ってて下さい」


ノイは部屋の外で待たされる。月がほんの少しだけ、朝に動いた。ガタガタとした音と共に足音があり、ノイは、鼓動を早めた。


「……おぉ、どした」

「えぇっと……」

「……???」

ノイは、下衣の前ももあたりの布地を強く握りしめる。

「もう、倒れないでほしい、かな……って、思、って……その……うん」

「……ノイ」

「ごめん、勝手だよね。ごめん、そうだよね。ヴァルト頑張ってるのに勝手で、私……」

「いや……まぁなんだ。お前、それ前も言ってたよな」

「……えぇ?」

「俺があの街に行こうって言い出したときだ、お前覚えてねぇのか」

「……ちゃんと、言いたくて」

「……善処するとしか言えない。俺もあの力が、結局なんなのか分かってねぇからな」

「……うん、だからごめん」

「いや、謝るのはその」

ヴァルトは頭をかいていた。

「……俺の、方だ。すまん」

「……!?」

「とりあえず、もう本気で使うのは一旦やめにする。だが、マジでヤバイとき、それこそシレーヌのときくらいになれば話は別だ。そういうときは、お前とかフアンに頼るしかねぇ。だから……謝るのは俺なんだ。すまん」


ノイは、ヴァルトを見て固まっていた。


「そういや、動きの補助のために渡したやつ。ほら、下から脚を引っ張りあげるアレ……あれ今着けてるか?大きさとかは大丈夫そうか?機能してるか?」


ノイは下をうつむいて、廊下を走っていった。速力が大きく、風を呼ぶほどのそれは、冬場のつむじ風にしては、やけに温かい。


ヴァルトの後ろから、マルティナが話す。


「……あのぉ、私後ろにずっといたんですけど」

「あっ、すまん。忘れてた」

「……ふふっ」

「あぁ?」

「いいえなんでも!ただ、お役に立ちたいと、彼女は常に願っております」

「……」

「……あの、彼女も計画に入れて良いのでは?」

「……いや、まぁ、ん~」

「……お優しいのですね、ヴァルト様は」

「あいつが計画を知ったら、誰に言うかも分かんねぇだけだ」

「力の件。落雷を呼んだという……いったいどのような現象なのでしょうか?」

「あの医者なら、知ってたりすんのかな」


部屋の隠れた階段から、アクセルが上がってきた。


「前例の1つもない、この世界でたった1人の魔法使い……という御触れなら、すでに聖典教の上層、枢軸議会から出ています。おまけに代価は自身の限界までの疲弊、使用用途、発破と雷撃……ユリウス様とハルトヴィン様からも今、お聞きしました。私も医者のはしくれで、医学界の話は入ってきますが、やはりあなたのような存在は史上初のようです。あなたの外れ値、魔法使いとしての能力のようなものが、最近書類として特例で通されました」

「んなことしてる暇あったら畑でも耕せってんだ……って、名前だ?」

「自決祈祷……そう呼称されることになりました」

「祈祷……確かに、そんな感じではあるな。それに、祈祷の言葉が持つのは……」

「そうですね。教皇の祈祷によるベストロの一時的一掃を思い出します」

「それにあやかるような感じだな。つか、祈祷で本当にベストロを?」

「ベストロが奈落から出てきた当初は、とにかくどこにでもベストロは向かって、捕食と増殖を繰り返しました。祈祷を行ったという御触れが発布されたと同時に、突如として、オルテンシア周囲、レルヒェンフェルトやあの街周囲での、ベストロ発見が消えたのです」

「……じゃあ、ひょっとしたら教皇は」

「教皇もまた、君と同じような、得意な力を持っている可能性もあります」

「だが、史上初だっていま」


マルティナは、廊下を歩いていく。


「隠している、ということも十分にあるかと……私は、ノイ様を探しますね」


マルティナが見えなくなった。


「……あとな、落雷と爆発。そのうんたら祈祷の用途はそれだけじゃねぇんだ」

「他にも?」

「……いや、厳密に言えば用途は無限だ。心の中で、起こしたい現象を想像する、そうしたらそれが起きる。前に、相手に刺さった剣に、抜けないでくれと願ったことがある。そしたらマジで、抜けなくなった。それだけじゃねぇ、物を作り出すことだってできる」

「物を……!?」

「これが一番代償が激しい」

「それ自体が持つ強力さなどは、代償の大きさには関係していないということですか?」

「何をするかによって、代償が異なる」

「私に詳しくは分かりませんが。それが論理的なものあるならば、ミルワードの知識が役立つかと」

「……?」

「ミルワードの根元は、原理解明による神との接触です。何事も細かく分析する性分が多い。まぁ、その結果科学が進歩してしまい、神への信仰が形骸化しましたが……そうして、一つの仮説が生まれたのです」

「仮説?」

「世界に存在する、あらゆる事物全てのは、一つの構造のみをもって存在するのではないか。その構造の現れ方のみで、物体は姿・形を構成しているのではないかいう。元々は空間それ自体をどうにか説明できないかという理論でしたが、いつか、〝物体の素材の素材〝に関する理論として認識されています」

「……アホに効く薬はなかったのか?」

「いいえ、しかし一概に否定できないとも思います。我々は食材を加工し料理へと昇華させ、食事をすると糞として排泄され、それを土に埋めればまた食材が育つ。最初にあった食材が、形を変えてまた食材へとなる世界なのですから。それに、鉄は加工のやり方で、建材・兵器・装飾品・家具になります」

「その理論に物それ自体を当てはめてみた理論……という認識になったってことか。その理論でいくと、まるで俺の血肉を、能力としてそのまま昇華させてるみてぇだな」

「ですが、物を作るという行為自体に強い負荷がある説明にはなるかと。これは形而上学説……通称、ノーマッド論と呼ばれています」

「まて、もう一回」

「形而上学説、ノーマッド論」

「……聞いたことあるぞ、その言葉。確か」

「アドリエンヌ、オルテンシアにて存在する、科学を肯定する派閥。革新派の理論、形而上学的理想論を想起させるかと」

「野郎、ミルワードの知識でごり押ししただけなのかよ」

「可能性は高いです。そして、提唱した人物は」

「エルヴェ・シラク……行動隊を設立した奴だ」

「ミルワードに関係性のある人物によって、オルテンシアは防衛準備を固めるに至った……皮肉なことです」

「いや、そうなってくるとおかしい。革新派の上層だって、聖典教の人間だ。ずっと敵対してきたって歴史があるはず。じゃなきゃジジイが……」

「……ジジイ?」

「あんたは知らねぇだろうが、ジジイ……ハルトヴィンはミルワードの人間だ」

「……訛りから、そうではないかと考えておりました」

「長年の敵対の結果として、ジジイの乗ってた船の乗組員は、酷い扱いを受けた過去がある。国民に反ミルワードの感情を作り出した側が、そうも簡単に異教の敵国の学説を鵜呑みにするものなのか?」

「……知らなかった可能性も」

「敵を知ろうとしないアホが国を動かせるとは思えない」

「……つまり?」

「聖典教の上層は、己の生存したい思いに負けて信仰を捨てた。聖典教をガチで信じているのって……内部には、もういねぇんじゃねぇか?」

「なるほど、形骸化はミルワードだけではないと」

「……」

「……夜も深くなってきましたね。今日のところは、もう寝ますか?」

「……そう、するか。あの街で夜更かししちまったせいか、ちょっと体がよ」

「睡眠は人生の質を上げます。では、お休みなさい」

2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。

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