五話 貧民窟
五話 貧民窟
「まった連れ出して、いったいどうしたってんだ……」
「あぁ、昼間に連れ出されたんでしたっけ?」
ヴァルトとフアンは、ユリウスの手配した馬車に揺られて、街中を走っていた。月はギリギリ丸い。家という家が明るく、街頭の明かりの強さは、オルテンシアとは比較にならなかった。広い街道に出る。街ゆく人々の表情は、小綺麗な容貌が故に明るいが、それは片方の路肩にのみ存在し、その反対側には荒廃した住居がたむろしていた。
「こりゃ……」
「……この国、けっこう酷い事件が昔あってね。ナハトイェーガーって知ってる?それか、カイゼリヒ・メッツガー・トルッペン」
「……あぁ知ってる、助けられた」
「えっ!?」
「……あぁ、なるほど。波に関しては完全に情報が統制されてるって感じか」
ヴァルトはハーデンベルギアで起こった出来事を、ユリウスに話した。
「……それ、えっ、じゃあもうあの街は」
「あぁ、波に呑まれた」
「空に届きそうな蛇……確か、ミルワードの聖書にそんな奴いたな」
「ミルワードの聖書だ?」
「ほら、西陸とミルワードじゃ宗派が違うだろ?そのせいで聖典の内容も違うんだよ」
「……あぁ、そういうことか」
フアンが外を眺めていた。
「……それで、そのベストロの名前は?」
「……リヴァイアサン。詳しいことは、また後で、僕の倉庫に、たぶんあると思うからさ、あとで探してみてよ。さて着いたよ、ここが目的地さ」
ヴァルトは窓の外を見る。
誰もいない、廃屋だけが写る馬車の窓。人よりも、ネズミの数が多い。ヴァルトは一瞬、腰に装備していた刀剣を構えたが、すぐに警戒をほどいた。
「……ビビった」
「さすが行動隊」
「てめぇ……」
「このあたりじゃよく見れるよ。それに、あれはちゃんとした栄養源さ」
ユリウスは馬車を降りる。大きな長方形の鞄を持っていた。操縦している業者の人は、銃火器を持って待機しており、そこから離れていった。全体を乾いたまま囲い混む廃墟の群は、佇んで軋み、時々崩れる音がこだまする。
「廃墟の乾いた木材、古い排水路からの水源確保。ヴァルトの浄水器、こういう環境があったのもあってさ。爆発的に普及したんだよね、こういう所に住んでる人にはさ」
フアンは廃墟の奥から、音が聞こえるのを確認した、視線も周囲から感じる。
「……まさか、平民っというのは」
「ほぼ、こういう所にいるね。レルヒェンフェルティアはね、南部と東部はともかく、西部と北部は酷く荒れてるんだ。南部と東部の少ない土地で食物を栽培してるんだけどさ、結局大部分が貴族の屋敷だったりに占領されてる。革命が必要な理由は、そこにもあるよ。貧民街で強引に育てた作物は、あきらかに品質も悪いし……」
「あの、この街を解体して、居住区を立ててみては?」
「おぉ、それ良いね。雇用促進にもなるし、国から直に渡せるから中抜きも無いしね!」
「……お、採用ですか?」
「勿論さ、そして本命はね」
奥の暗闇から、勢いよく刃物が投げられる。鋭く研がれた木材の剣だった。ユリウスは鞄に突き刺すようにして自身を守り、しかし笑顔だった。
「おっさん、俺だ!ユリウスだ!」
「す、すまねぇユリウスさん!」
奥から走ってくる男は、禿げていた。ヴァルトは夜間に目立つ頭部を見る。
「人間ってこれくらいでちょうど良いよなぁ」
「んだ小僧」
「あぁ?」
「いやぁ本当にすみません。ガキどもに会いに来たんですよね?ささ、どうぞ」
ユリウスは笑いながらおっさんの肩を叩いた。
「この小僧はね、ネズミの上手な捌き方を組み上げた人だよっ、小僧って、ははは」
「マジですかぁ!?」
おっさんの案内で、月明かりを歩いていく。一つ、教会が現れた。草のよく生えた、土臭い教会。掲げられた十字光の飾りはかけている、
「……ここは、なんですか?」
「この国の、暗部さ」
中から、子供が何人も出てきた。おそらくお世話をしているおばあさんと一緒に出てくる。
「ユリウス様だぁ!!」
「遅くにどうしたの!?」
ユリウスは、鞄から果物を出して子供らに預けた。
「マルティナからみんなへの、な」
子供らは大喜びで、意識的に分けて食べ始める。手は汚い。髪はボロく、見た目は決して良いわけではなかった。ヴァルトは、違和感を持った。
「ガキがなんで貧民街に。それに……ほとんど女じゃねぇか」
奥から、おばあさんが杖を突いて歩いてきた。震えた声を次第にハッキリさせながら、話し始める。
「……悲劇は、50年前から始まったのじゃ」
「ばばあ、喋って平気かよ」
「若いの、お主はエトワール城の悲劇を知っておるか?」
ユリウスとおっさんで子供らを教会へ入れる。ユリウスが帰ってきた。
「エトワール城における人類側への被害が、そのままイェレミアス帝国に入ってきたのじゃ。イェレミアス帝国はアドリエンヌよりもさすがに信仰心は高くなく、故に身近にベストリアンがいることに抵抗が無く、ベストリアンの奴隷が多く在籍しておった。
しかし50年前のベストロの登場や、エトワール城のことがイェレミアス帝国に、ベストリアンへの恐怖と共に伝播し、この街だけでなく、多くの都市でベストリアンの虐殺が引き起こったのじゃ。血が血を呼び込んだそれは、ある意味で奈落だったといえよう……大規模な虐殺と、伴った火事の連鎖。その果てに、この貧民街は出来上がったのじゃ。
奴隷という労働者が激減し急激に生産性が低下、帝国の貴族は損切りと言わんばかりに経済の縮小を行った。虐殺で生き残った数多くの加害者らは、後の少ない雇用の枠を巡って争い、そうしている間に貧富の差は拡大したんじゃ。雇用は完全に買い手の思うがままとなり、我々はただ宙に浮いた……」
おばあさんは咳をし始める。
「おばあさんありがとうございます。残りはユリウス様に聞きますから……」
「いいや、ここからが肝心なんじゃ。このばあばもやった罪なんじゃ。向き合わせてくれ」
「??」
「……我々の命の価値が完全に飽和した中で、いつか誰かが思い付いたんじゃ。子供をあえて作って、その子供の容姿が淡麗であったら貴族と結婚させられる。したらば、親としてその恩恵にあやかれる、と……そうして、遠かった一縷の望みの全てを、諦めるように赤子に期待だけをして作り続けたんじゃ。産んで、産んで、ただ産んで。そして顔がハッキリする2~3歳まで育て、顔が良ければ……ほれ、そこらの貴族御用達の娼館に売り込むんじゃよ。そして親は金を作り、また産んで……その繰り返しのみが、平民という名の浮浪者の、最後の希望じゃった」
「あの、それは……つまり少女を量産した……?」
「女っぽくても、女として男を売った。男として買われたものだっておった……全て、事実じゃ」
「……じゃあこの子らって」
「そうじゃ、親の名前も分からんうちに、売れないと判断されて棄てられていたのを、ユリウス様主導でかき集めておるのじゃ」
「……あの、じゃあ普通の男の子は?」
「商品価値無しとして、産んですぐにな」
「そんな、まだ何も……!」
「娼館に男児が入る枠などあまりない。つまりあまり売れない……余裕が、なかったんじゃ」
「……」
「じゃがな?それでも、誰かを愛するそれ自体への憧れ、それを忘れた訳ではない。ばあばも、こうして余裕さえあれば涙が出る。人には、夢を見る余裕が必要なんじゃ。それにはこのままではいかん……ユリウス様、どうにかならんか。夢だけでは、人は生きられぬのじゃ……」
ユリウスはおばあさんをなだめて、教会へ戻した。ユリウスが、廃墟から望める月を眺める。
「夢で人は生きられぬ、ねぇ……どうヴァルト、フアン。これが現実。どう?」
「どうってなんだよ」
「何か、思い浮かぶ?何かこう、うまくいく方法をさ。正直、革命っていっても、結局はさ、内乱な訳よ。この国を悪くした奴じゃないの同士で殺し合うっていう事件が、かならず発生するんだよね。できればそれも断りたいんだけどさ……僕には、思い付かなくて」
「俺に期待すんなよそんなデカイの。フアンはどうだ」
「……即効性も大切にしなければなりません。でもヴァルトの言う通り、じきがあるとすれば今だろう、というのは分かります。どうであれ、第三次デボンダーデまでが、今度から基本になる可能性もありますので」
ユリウスは、首を傾げながらフアンに指を差した。
「国としての体力が無くなってズルズルと荒廃していく」
「ユリウスさん、デボンダーデの特徴で、我々がわかるのはなんでしょう?」
「……危ないこと?」
「毎度、確実に、その物量が増えるということです」
「第三次デボンダーデもまた、その一環という訳かな」
「……」
「でも、ここに来てからヴァルトくんから聞いたんだけどさ……奈落、デボンダーデとは関係なかったでしょ?」
ヴァルトは頷いた。
「……僕らの敵、目的、すべて不明。だからこそ、備えが必要という訳か。うん、やっぱり決行しようか。革命」
「……では、もっと詰めていきますか」
「君らは、どのくらい参加するの?」
「僕は……そうですね、ナナミさんに話を持ちかけます。おそらく、そちらもその考えでは?」
「おぉ、じゃあ頼むよ。で、ヴァルトくんは?」
ヴァルトは指の骨を鳴らした。
「……とりあえず武器くらいは作ってやる。いま、俺は正直すぐにでも解決しなきゃならない問題があるんだ」
「何それ」
「ノイの服だ」
フアンは、ヴァルトの能力が発動しなかったことを思い出した。ユリウスは顎に手を当てる。
「武器か……いいね。じゃあ期限は」
「来週の今日、だっけか」
「草案の図面を渡すよ、あと諸々の要望もね。あとは……」
「いや、ノイは無理だろ」
「じゃあ、ハンナちゃん?」
「あんまこっちの連中巻き込むなって」
「……そっかぁ、まぁいいや」




