一話 蕩けに溺れて
一話 蕩けに溺れて
「……様、……様?大丈夫ですか、アンスガー様!」
男は、うつ向いて泣いていた。呼吸は整っており、肩のでばった公的な服装、金の装飾のある黒い服はいささか大きさが合っていない。筋骨の張りで、服の合わせ目の留め具が窮屈そうにしている。
「……私、は」
「アンスガー様、お疲れですか?泣いておられましたが……」
「……問題、ない。あくびを、しただけだ」
「……今日はもうお休みになられては?外務省の皆は、誰もが優秀。少しは部下を頼って下さい」
「で、何か報告が?」
「……はい。帰還兵制度利用者の確認が全て取れたと」
「そうか、いつもより早いな」
「今年は新人も多かったのですがね。学習能力などで優生なのを引いている方が多いという報告もあります」
「結構なことではないか。して……あの方々は?」
「それが、やはりといいますか。バックハウス家と元々繋がりのある子らだだったので、現在はその家に在籍しているとのことです。帰還兵制度利用に際して、バックハウス家の馬車で屋敷に直行だったとか。帰還兵制度利用者の一斉移動よりも前に、です」
「……賢い選択だ。行動速度、それ以上に対応の難しいものはない」
「まったくです。お陰で、イェレミアス側からの行動に制限がかかっていますからね」
「表立っては、な」
「……失敗、だとか」
「バックハウス……よほどの戦力を隠し持っているようだな。で、家々の聴取は?」
「報告書を作成中とのことです、口頭ですが、剣のような弓を持っていた、との情報が。それから馬車で帰宅している途中、何やら視線とも違う、何かを感じたと」
「武装はまるで特科礼装だな……それを鍛造する技術があるという訳か。それに、その感覚はきっと尾行があったということだろう。案外、家々の中で誰か既に懐柔されているやもしれん」
「しかしバックハウス家は一介の成金貴族でしかありません……それに行動隊といえど、標的も所詮は子供。大人の味と、技の前では敵わないでしょうっはは。強引にでもこちら側に引き込んでしまえば……薬品への抵抗なども難しいでしょうし、料理に酒、媚薬でも入れれば……」
「そうなると、おそらくあの少女がやっかいになるがな」
「ノイ・ライプニッツですか……砲弾を投げ、そうして砲身も無しに砲撃したとかいう。噂では、ベヒモス相手に一対一で力を比べもできるとか。まったく、私の趣味には合いませんね、女人はもっとか弱くなくては」
「女性の厄介さは、イェレミアスが最も知るところだろう。あれがもし、鎮静用の薬に抵抗でも持っていたらどうする?意見を通すために暴力などにでも出られたらたまったものではない」
「考えにくいですね、ベストリアンでもないでしょう?」
「何?」
「いえ、噂なんですがね。長年の我々による”統治”の影響で、ベストリアンは疫病や汚れなどに対する、免疫?があるとかないとか」
「……話を戻そう」
「ノイ・ライプニッツですが、私自らで口説き落としてしまっても良いでしょうか?」
「趣味に合わないと言っただろう、それに君には無理だろうな」
「……私が、ですか?外務省勤務で貴族で、この結構な面構えを持った私が?」
「あの少女の理想、私には検討が付く。そしてそれは、イェレミアスのどの男にも無理難題だろう」
「何を……我々イェレミアス貴族、その男。それは生きるのあたって全ての事物を、女人を幸せにするために存在している」
「君、いくつだ」
「38人」
「年齢の話だ、経験人数ではない」
「24です。当然、夕食の予約、話題の数々、寝台の上でも華麗に踊って、踊らせて魅せましょう。この前だって、娘たちを一晩に6人相手したのですから……外務省勤務なだけでここまで寄ってくるとは、思いませんでしたが。美しさとは、金を与えるに限りますしね?」
「あの子には全て、醜くみえるだろう。とくに、そうして数を誇る感覚が」
「……珍しい、この世界に、まさかまだそのような純粋な者がいるなど」
「あの娘の、心を破壊する。心とは、身体に直結したものだ。心が弱れば、身体は鈍重になる。弱ったところで、さらに弱らせる……あの紳士は、まだ生きているか?」
「私情による殺害行為はいけませんので、警察部隊などで厳重に警備しています」
「造花売り……今も記憶に新しいよ」
「夢を叶える強者の犠牲は、いつだって弱者ですから」
「……あれは、ただの餌だっただろう」
「いいじゃないですか、興奮します」
「君は、中々のイェレミアス人のようだ」
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




