十七話 先導者
十七話 先導者
ヴァルトは若干の光で照らされながら、フアンとナナミに入手した品を見せる。ヴァルトは首を横に振ると、ナナミを先頭に、閉めた扉へ向かう。ナナミの合図まではかなり時間が経過した。内側からは容易に開けられるためすぐに脱出する。辺りの様子は、確かに、少しだけ明るさを帯びていた。風は強く海に吹いている。
(……おい、朝っぱらまでいたのか俺らは)
(ナナミという人物は、おそらく交代での時間を狙ったのだ。早急に離脱するべきだろう)
竹棒で屋根に登り、来た道なども含めて、耳の良い二人で警戒する。足音が一点に向かって集まっていくのを察知する。
(……なんじゃ、警備ごといなくなったかと思えば)
(これは、ひょっとして集会でも行うのでしょうか?)
フアンとナナミは音の響く方へ向く。ヴァルトもそこを見る。
(……!!)
海岸に向かう焼け跡。住宅区があるとされている部分は、建物などいっさいが残っていなかった。10年以上前の恐らく人為的な火災の現場は、奥に見える水平線から運ばれる、波の出てきた寒海の潮を燻らせるほどに焦げていた。
フアンは耳を傾けると、声が聞こえ始める。
「……ヴァルト、危険ですが、言ってみるのはどうでしょうか?」
「おい、喋って良いのか?」
ナナミも耳を傾けた。
「この大声で、一斉に術を唱えるような感じ。間違いなく儀式の類いじゃ。こういうのには、信者は全員が参加する。信仰の強さは団結、弱さもまた団結。朝方に儀式をやる情報があれば、今からこの街に潜入したものじゃがな……しっかし、どんだけの声で唱えるんじゃ?」
「なんと言っていますか?」
「己を敬い、己を肯い、我ら挙りて魔天に帰す……ずっと連呼しとる。さっき、地下で聞き耳を立てておったら話が聞こえた。己らを蔑んだ歴史を持つ者を、なぜあの者らは長にすげるのか。話を聞いてもやはり疑問じゃな……ゼナイドは人なんじゃろう?」
「……ナーセナルにいたことの話ですが。亜人や獣人は、実際に西陸の人類と比べて、思考力に差があると感じているようでした。奴隷階級だった関係上、受け継がれた知識も少なく苦労したそうです」
「……聖典教の歴史の分、亜人・獣人は考えることを否定されてきた。だが、それで地頭が足りなくなるものなのか?」
「自分に対して、自身が持てないのでしょうか?」
「それなら合点がいくぞ。であればこの唱えておる、己をうんたらと何度も唱えるような儀式も、限界まで自分を受け入れるよう促すような、励ましの儀式というわけじゃな」
「……何か、魔天教は新しい神様を据えていると僕は思っていましたが、実際のところ彼らは、言ってしまえば……自分たちを神として信仰を?」
「自画自賛教というわけか……難儀なものじゃ」
「あの、今なら居住区にも侵入できるのでは?」
ヴァルトが本を取り出した。
「この本でも十分に情報は手に入ってる。だが……そうだな、もしあっちにゼナイドがいるなら、ちょっとは話聞いてても良さそうだかもな」
「聞こえます、ゼナイドの声と同じ声が」
「マジかよ……儀式が終わった瞬間、退却する。やれるだけ情報を集めろ」
「はい、ナナミさんは周囲を警戒して下さい」
フアンは朝方のさざ波に乗せられた呪いのような啓発の連呼をの中に聞き取った、微かな溜め息の主に集中した。
―ハーデンベルギア 海岸線沿いの船着き場前―
焼け爛れ、雨に打たれて腐った、漁村のような住宅区。何十という亜人・獣人が、ある人物を向いて、西から日の入るのを横に北海へ向けて、並び立って、海に向かって、その人物以外はひたすら連呼していた。
「「「己を敬い、己を肯い、我ら挙りて魔天に帰す。己を敬い、己を肯い、我ら挙りて魔天に帰す。己を敬い、己を肯い、我ら挙りて魔天に帰す」」」
人物が手を上げ、指揮者のようにしてそれを止めた。人物の外套はやはりボロく、そうして外套を外した。
「……皆さん、私を信じてくれて、本当に、本当にありがとうございます。いや、信じていない者がいるというのも重々承知しています。しかし、我々の先祖が犯した罪を……無数の涙を捨て置くわけにはいかなかった。私は聖会で、アドリエンヌが、オルテンシアが、聖典教がどれほどに狂気で充満されているかを思い知った。私はもう、あれを信じないと皆に誓います。すでにここからミルワードに向かった皆の同胞に、これより合流しに行きましょう。君たちの平和は、君たちの兄弟によって完遂する」
一つ、声が上がった。
「……俺は、やっぱり信じられない!」
「君は……そうか」
「俺たちは亜人だ、獣人だ。そりゃああんたがいなけりゃ、こんな計画なんて思い付かなかったし、ハーデンベルギアを奪う算段も思い付かなかった。だが、じゃあ最後は俺たちに任せてくれよ。あんたはもう、休んでて大丈夫だ」
「私たちという後釜に、せめて涙の数だけ血をもたらすべきであるし、それを担うのも人間で良い。私のような者が完遂してこそ、君たちに西陸を明け渡せる、そう判断したのは、あなたの祖父でもあります」
「俺のひいじいちゃんたちは、亜・獣解放戦線だった。何世代もやりくりした、資源の全てをあんたに割譲して、指揮権まで明け渡した理由……親父もお袋も、何も言ってくれなかった。」
「……」
「実績で、十分にあんたは価値を証明してる。でも、お前が俺たちのために戦う理由も、親父たちを説得できた理由も分からねぇ。親父は最後、お前は知らなくて良いって言われた。あんた、聖会で何を見た!?亜・獣解放戦線って、なんだったんだ!?」
「……」
「答えてくれ、そうしたら俺も船に乗る」
「……詳しくは、あまり答えたくないのもある。約束なのです、被害者たちへの弔いなのです」
「はぁ?」
「……当時、私たち聖会においての最重要人物がいた。50年前か西陸で、研究者としての外れ値に匹敵する才覚を持って、当時数少ないミルワードからの密輸品に頼らないで、黒色火薬の製造を筆頭に、数々の武装や兵器に設備や物品を開発しアドリエンヌに貢献した人物……ギ・ソヴァージュ」
「そいつは、旧聖会の崩壊で死んだって話だろ、それがどうした」
「聖会も、も、私がやった」
「……やったって、やったって何だよ?」
「……私は、あそこで史上最もおぞましい実験に加担した。あれは、例えいま君を殺してそこ肉を食らっても、無罪であると唱えられるほどに」
「……何を言ってる」
「歴史に涙は、必要です。西陸の人間は、君らの台頭、君らによる人間への差別、人間への搾取、様々な戦火によって埋葬されなければならない。あればかりは、誰にも口外してはいけない。私は……はっきり言う。私の原動力は罪悪感です」
「俺たちの同胞に、あんたは何かしたってことか……?」
「……すまない」
「罪悪感、今さらだな」
「……この国が、どうして他国から嫌われているかをハッキリと認識した。君らと私たちは、その身体の構造上の得手不得手を除いて、本質的には何も変わらないというのも、笑って、涙があって、人など食べないことも、私は知った。」
「……」
「だがソヴァージュは、そんなこと……そんなこと、とうの昔に知っていると、そう語ったんだ!!その上で、あんな実験を!!あいつこそ、あいつこそベストロだ、化け物だ、悪魔だ……私は勝手ながら、西陸の人間を、断罪するべきだと考えた。この計画の全てを君らに捧げる」
「ゼナイド……俺たちには、あんたのことは今になっても何も分からねぇ。だが……」
ゼナイド目に移るのは、亜人や獣人の顔だった。だが、その目は遠くを、どこかを常に見つめるような。
「船に乗るよ、あんたのその、見据えるような目を信じる」
「祖父もそういっていましたよ……ありがとうございます」
集団は、幾人かを残して、船着き場にある帆船へ向かった。粗雑ではあったが、それでもかなり大型のもので、儀式に集った全員が集まる。鳴き声をあげる子供を抱き抱えるを、寒さを他所にさすって励ます亜人。腰を悪くした者を担いで歩く獣人など。様々な生き方の者らが一斉に船に乗り込み始めた。指揮を取るのは、ゼナイドと話していた獣人。
「ゼナイドもいったように、既に第一段の帆船はミルワードにたどり着いているころだ、といっても数年前だがな。俺たちは同様に、ミルワードの港へ向かう。そして、みんなでここを壊すんだ。覚悟はいいな!?」
全員が声をあげる。錨は上げられていき、帆は下りて風の音を立たせる。風を受けて、波の強めな海に向かって船は進み始めた。
「こんな風がない日に、大丈夫なの……??」
「風を起こせるらしいぞ」
「……えぇ?」
誰かが、船着き場に残っていた。厚手にしてはやけに大きく歪に背中を膨らませている。船から声をかける者がいた。
「おい、乗り遅れがいるぞ!」
「どうした、残ったって、意味ないわよ!」
その外套はスルリと脱がれていき、一同は驚愕した。
「……あれって」
ゼナイドが言う。
「……私たちの、協力者だ」
純白の翼に身を包む、一人の少女がそこにいた。華奢な格好、可憐な様相は、幾人かに庇護の欲求を立たせるほど。白絹の服で包まれた朗らかで明るい様相は、ひまわりのように日差しを感じさせる。
「……あれって、天使か!?」
「天使!?なんで、っていうか、存在するの!?」
少女は、口を開ける。深く息を吸った。
「皆様に祝福を!!あちらで、頑張って下さい!!」
西からの朝日の照りのみで焼失しそうな娘は、爽やかに彼らの門出を祝った。その胸には、生き物を抱えている。ひどく可愛らしい丸く、黒々として毛に覆われた、2つの目をくりくりと輝かせたもの。
「……ふふっ、よしよし、大丈夫だよ」
ゼナイドはそれを見ていた。遠くに行くにつれて微かに見えなくなる。単眼鏡を取り出して、見続けた。獣人がそれを見る。
「……趣味が悪いぞ、ゼナイド」
「いや、あれは本当に協力者だ」
「……じゃあ、天使ってのは、実在するのか?」
「そうだ」
感心を他所に、会話は進んだ。
「あいつらの目的はなんだ?」
「神による亜人・獣人含めた、全人類……成長」
「……今、なんて?」
「などととぼけたことを言っていたが……実際、あれらのお陰で様々なやり取りも可能になった。密航に際し実際に便を届け、昨日あたりその一人を翼で運んできて、報告させた。その足……いや、翼で報告者をミルワードへ返して、いまここへ現れた」
「……それはつまり、海を飛んできた?」
「それだけじゃない……モルモーンに関することも、あれらから頂いた。ハーデンベルギアを陥落せしめる戦略にしても、彼女たちがイェレミアスへ圧をかけたからこそできたのだ」
「……!?」
「今の話で分かったと思うが、天使はモルモーン、つまりベストロと繋がっている。私があれの要求を呑んだのは、あれに近寄るためでもあった。私はハーデンベルギアに関するごたついた事情を元に作戦を立てたに過ぎない。あれらの目的は、我々よりもはるかに抽象的であり、しかし皆を救う導線を引きことができました」
「私たちは、やつらに踊らされている可能性も」
単眼鏡で捉えていた少女は、懐から短剣を取り出した。
「いい子いい子、いい子よ。お姉さま……私は……い い こ よ?」
短剣は、娘の抱えていた生き物を刺した。抉れた肉から血液が吹き出し、毛玉は震えて小さな、歯の生えてもいない口を広げて威嚇するように絶望する。
「……さようなら、ゼナイド・バルテレミー。信頼を勝ち取る以上にもっとも裏切りを成功させる手段はない。世界の真実は、誰にも語らせない!お姉さまの計画は、常に完璧なのだから!!!!」
―酒場の屋根上―
フアンは、耳をふさいで苦しんでいた。
「……うぅ、あぁ」
「どうした、フアン」
ナナミが耳を生みへ向かって傾け続けている。
「妾には、何も聞こえんぞ」
「……あっちで、誰かが」
風が海から吹いてきた。海で冷やさ届くのに、違和感を持つヴァルト。
「……海の流れ、変わったか?」
「なんじゃって?」
「風向きが急に逆になった。つまり、あっちから波かなんかが発生してるってことだ。地震とかが来た訳でもねぇ、ならなんでだ……?」
「……っ、見に行きますか?」
「撤退だろって、魔天教の連中が」
「彼らは船に乗って、ミルワードに向かいました。でも誰かが、まだいるんです。船に乗っていない誰か……あっ」
フアンは息切れをして、体を震えさせていた。海岸を向かう足を、止めているようだった。
「ヴァルト、お主はこやつを連れて走れ。妾が様子を見る」
「お前……」
「バレなきゃいいんじゃ、いいからいけ」
「……分かった」
ヴァルトはフアンに肩を貸して、丁寧に歩く。見送るようにしてその音に向かって手を振ると、一つ深く呼吸して、静かに低い姿勢で走る。
燃えて崩れた建物のそばには、欠けた人骨、黒い人皮、材木によって頭骨がひしゃげて歯が顎に食い込んでいた。
(……家々を破壊して回ったということか、亜人と獣人だけで自給自足しとったんじゃな。どこだってこうじゃな、燃やして、尊厳ごと命奪って……効率良いんじゃもんなぁこれ。寺なり城なり焼いて、日輪と変わらんのぉ)
港へ向かった先で、体を舞うように動かす少女の音を聞いた。絹は擦れ、西日で当てられる頬。花畑でしゃんと、そして元気に跳ねる、幼気な聖霊のようであった。
「ヴァーゴ・ピウス兄さま……兄さまの理論もきっと正しいでしょう。でもそれはお姉さまの意見とは違うの。適者生存……?一定数の強者を作為的に生き残らせる、人類の存続を庇護する、追加案??なぁにを言ってるの???お姉さまの考えは絶対なの……ふふふっはははっ!!」
足元にある、それは丸い肉塊に投げ捨てた肉塊を踏みしめて、内蔵を靴底で抉り出して、彼岸のような地面で踊る。胸元から服装は緋色にまばゆく、みずみずしく恐ろしいのを、ナナミは臭いで感じた。
(腹わらの臭いじゃ……こやつ、猫か犬でも殺めたんか?その上でいけしゃあしゃあと舞っておる。こやつ、鬼か何かか?)
「お姉様、お姉様、私、言い付けを守りましたわ。どうかご覧下さい、あの愚か者たちの最後を!どうか見届けて……そうしたらもう一度、昔みたいに、しっかり笑ってくれますか……?」
娘は、すでに涙を流していた。そうして天空を見つめて、手を伸ばす。
「ああぁ、ああっ、私もお姉さまと同じ、泣いてばかりいます……お姉さま、私にできること、もっとありませんか……?」
ナナミは極めて静かに竹棒から細い片刃を引き抜いて、焼けた建物の影から海岸に向かってそろりと歩き、締め上げ押し倒し剣を羽に突き立てた。互いが耳元で声を発する。
「……お主、何者じゃ?」
「誰?」
「命に切っ先が向けられておるのはそっちじゃ……」
「……人間、あなたには聞こえない?」
「聞こえておる、お主、すこぉし声が震えておるぞ」
「……そうなんだ、私、怖いんだ」
「……?」
「いいえ違うわ……私は喜んでいるの。私はお姉さまの言う通りに動けた。誉めて貰える、笑ってくれる!」
「なんのためらいもなく、生き物を殺せる……同類ということじゃ。お主はそのお姉さまというのの、どこを好いておる?」
「お姉さまは家族なの……これでいいかしら?分からない?あなたには家族はいないの?」
「血統を奉るのは結構じゃ、そして血のみで家族を語れるほど、人は単純ではない」
「私もあなたと同じかもね……私も、家族と血は繋がっていない」
「……」
「私、家族のことを話しただけよね?なんで血統の話にしたの?」
「何が言いたい」
「あなた、産まれが嫌いだったりしない?ヒトは常に、自分のなかにある言葉でしかモノを話せない、聞けない。心の深層に、きっとあなたは家族があるのでしょうね」
「……」
ナナミは、剣を握るのに力が入った。
(こやつ、虎の子ように淡々とこちらを視ておる。抜け出す機会をうかがっておるのじゃな?こやつはかなり重要そうじゃ。もう感で分かる、こやつは捉えるべきじゃ。じゃが……何か、音がおかしい。こやつではない、周りじゃ。海じゃ、海がおかしい。怒っておる?)
海の波が高くなり、少しだけ曇っていた空は、雲を増やして西日を隠す。
「お主、なんぞ奇術でも使こうたか?」
「ふふっ、あなた感が良いわね?」
「なんじゃ、お主はいったい。言わんでも殺すだけじゃ、ほれ言うてっ」
ナナミは、激しすぎる波風の音を察知する。娘を捉えながら聞き耳を立てる。海の淡い青いのに、静かに魚が泳ぐこともない。何もない海の底まで続く暗黒、不可視の奈落、あるいは深淵。聞こえるはほの暗く落ち着いていて。そして、岩を削るような響きが一つ。
(……なんじゃ、海。海になにかおる。大きいのがおる、山か、川か、そんくらいのが)
フアンはヴァルトと肩を組んでいた。落ち着いたようで、でヴァルトから離れる。
「ありがとう、ございます。足を引っ張らないと、心に誓ったのですが……」
「いい、つかお前本当に大丈夫か。ナナミには何も聞こえなかったらしいが……」
「夜通し気を張っていましたし、体調不良……かもしれません」
「……とにかくここを離」
ヴァルトとフアンは、空に届きそうなほどに巨大な蛇が、海からうねり、空を切り裂いて出るのを見る。
けたたましく荘厳なうなりが大地を震えさせた。
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




