十話 人を愛する才能
十話 人を愛する才能
ノイは目覚めると、すぐに辺りを見た。ヴァルトもフアンも、各々の寝台d3寝ている。ノイは涙を流してしまい、えずきでヴァルトとフアンが起きる。
「ノイ、お前っ」
「ごめん、わかんない……わかんない……」
「……すまん」
「ヴァルト、本当に、勝手に出てはダメですからね?」
「分かってる」
ノイは昨日いた部屋に、ハンナと一緒にいた。ずっとハンナは抱き締められており、ハンナは徐々に苦しくなる。
「姉さん……ちょっ」
「あっごめん……」
「姉さん、どうしたの?」
「……私何にも役に立ってない。昨日だって、私ヴァルトを止めちゃった」
「止めた?」
「………ねぇ、ヴァルトがどこかへ行くって言ったらどうする?」
ハンナは、静かになった。薪をくべるのも忘れて、崩れて少し灰が舞った。
「……えっ、今?」
「ひょっとしたら、天使のことが分かるかもって」
ハンナは、ナーセナルで殺された全員を思い出した。
「……そっか、姉さん」
「止めちゃった、ごめん……ごめん……」
「……いいって、いいよ、姉さん、お菓子食べよ?」
「……うん」
ハンナは、用意されていた台車を部屋に全て入れており、振り替えれば同じお菓子が山でしかなかった。
「……六台って、凄い量ね」
「なんだっけ、ばーぶー、く」
「バームクーヘン」
「……あぁ、そっか」
「なっ!、って言わないの?」
「……」
「少し味を変えて食べよ、はちみつとかさ」
「……うん」
ノイとハンナで座って、焼き菓子を食べていると、扉がまた優しく叩かれた。
「ノイ様、ハンナちゃん」
「はい」
ハンナは立ち上がって、入ってきたマルティナにお辞儀した。
「少し、ノイ様に着いてきて欲しいのですが……」
ノイは渋々と外に出て、廊下を歩く。2階構造の大きな館だが、装飾の量は多い。寝台にしたって、ノイがお菓子を食べていた部屋のは大層豪華で、透けて見える蚊帳の美しさは、中に入る者の魅力を際立たせていたほど。
ノイがマルティナに連れられて歩いていると、声が聞こえ始める。
「……あぁぁ、んあああ!!あと、何回だぁ!?」
「あと百回!!」
「無理だボケが!!あぁぁあ!!」
ヴァルトが冬場だと言うのに、敷地を使って運動をしていた。側にはユリウスがいる。
「ヴァルト、お前弱くなったなぁ。鍛冶だけじゃさすがに体力戻らない?」
「まず、1日で戻る訳ねぇだろ!!」
「ったく、ノイちゃんえらく泣かせたみたいだし、罰としてあと百追加」
「はぁ!?」
「ウソウソ、二百追加」
「ぶっ飛ばすぞおい!」
ユリウスが2階からマルティナやノイが見ているのを察知して、大きく、大袈裟に、両手で手を振る。
「お嬢~!!」
「お嬢はやめて下さいって!」
「いいじゃんいいじゃん。あっ、ノイちゃんも運動してく~?」
ノイは首を横に振った。
「はーい。マルティナ、俺マジで、昨日お昼一緒に食べれなかったの悲しいから、今日はお願~い」
「分かりました」
マルティナは笑いながら、ノイの手を引っ張っていった。
「ユリウスから聞きました。ヴァルト様は勝手に一人で動こうとしているとか」
「えっ?」
「数日でもその日付を伸ばそうと、あぁして体に負担をかけているんだそうです。ヴァルト様は行動力に富み、思考も持ち合わせているため、答えに対して最短距離で動こうとするかもしれないと、お医者様もいっていました」
「ありがとう」
「……」
「そういえば仲良し、だね。その、ユリウスさんと」
「仲良くしなければ、逆に彼とどう接すれば良いか分かりません」
「えっ?」
「そのままの意味ですよ」
「あぁごめん、貴族だからってあんまり勘ぐっちゃダメだよね」
「元貧民窟出身ですけどね」
「……言ってたね」
「ふふっ、ノイ様。だから私は少し、悪くなれるんです。さっきのヴァルト様がやっていた過度な運動も、フアン様から聞いたことで、少しお説教してやろうと思って」
「……おせっ、えっ?」
「あなたのその溢れる思い、私は分かります」
「……?」
「ヴァルト様のこと、お好きなのでしょう?」
ノイは裏返った声を、息を吸いながら発声した。
「ふふっ、可愛らしい反応ですね。でも分かります、その思い……」
マルティナはノイを、ユリウスとマルティナの寝室へ通した。大きな一つの寝台は蚊帳がすでにかけられており、側にある一つの長机や長椅子には、飲み物を入れる容器、奥に見える書棚には大量の書類があって、書きかけの書類や判子の押してあるのでいっぱいだった。
「ユリウスの執務室、兼私の寝室です」
「……ここで、なにかするの?」
「……このお部屋、少し音が漏れにくいんです」
「……?」
「ノイ様、さっきヴァルト様は叫んでおられましたが……どう、思いました?」
「それは、頑張ってるなぁって」
「……ちょっと、嬉しくはなかったですか?」
「……」
「……良いんですよ、ここなら、座りましょう?」
ノイは、ポンッと席に座った。隣で、少しだけ離れて座りノイに体を向けるマルティナは、太ももに手を置いていた。
「……ちょっと、思った」
「……そうですよね、やっぱりこう、ありますよね」
「……何が?」
「思いが積もれば積もるほど、その向きは歪になってしまいます。喜びは悲しみに、愛は憎悪に、情動に」
「……?」
「ノイ様が、自分が考えていることが分からないと言っていた。と聞きました」
「……それは」
「それなら、それなら私、分かるんです」
「……そうなの?」
「お医者様からの許可はいただいております」
「お医者さ……そうその人、その人じゃダメなの?」
「……えぇ、どうやら少し専門外だと。でも私で分からない部分があれば、一緒になって考えてくれるそうです」
「……」
「ノイ様?」
「……なんで、そんなにしてくれるの?」
「……」
マルティナは立ち上がって、書棚から資料を取ってきた。
「……これは?」
「この家の収支をまとめた、決算の会計書類です」
「……ん?ん?」
「……この数字を」
「……これって?」
「……この家がどれだけお金を持っているかです」
ノイが目をかっぴらいて立ち上がる。
「!?!?!?!?」
「……もっと素晴らしい妻がいるのではないかと。そう思うと、自分でもそれ以上言葉にするのが怖いのです。自分のことを考えるのがたまらなく怖いのです」
「……」
「そう考えているうちに、ノイ様を見て……その……勘違いだったら申し訳ないのですが……」
「……」
「ノイ様はその……何か、自分を追い込んでいいるのではと、思いまして……」
ノイは、長椅子の端に向かって、少しズレた。
「……ノイ、様」
「……分かんない、分かんない」
「も、申し訳ありません。でもなんだか。そう思えるのです、今は休むときなのはノイ様も分かっていると思うんです。でも、好きな人をどこまでも高く評価してしまうからこそ、自分も成長しなきゃと焦らせている。そんな感じがするんです」
「……ごめん」
「……ノイ様」
「なんで今、私離れたんだろ……分かんない」
「……」
ノイは、ナナミがいった言葉を思い出した。
―まぁ分からんでもない。妾もいつ友が死ぬか分からん中で生きていたからの。時々、人間関係での距離の詰め方が分からなくなる―
ノイは、しばらく長椅子の上で、脚を降り立たんで、自身を脚ごと抱き締めるようにして丸くなった。マルティナは慌て、しかし何もできなかった。
マルティナは、ただ呆然と後悔し、ただ何もできず、何かしたい思いを殺していた。しばらく時間が立つ。
「……私、役立たずだ」
「いいえ、そんなことは」
「何も変わってない、何も、何も……」
「……ノイ様」
マルティナは、ハンナと話すうちに頭に叩き込んだノイのことを全て思い出しながら、彼女という存在を、測った。
「ノイ様、あなたは素晴らしいお人です」
「……」
「そのまま聞いていて下さい。まずノイ様は、ベヒモスを打ち倒すさいその巨体を持ち、フアン様を生き残らせた。クロッカスではヴァルト様を下水道施設から救いだし、そのときネズミのベストロを単騎で討伐したと聞きます」
「……クロッカスのこと、知ってるんだ」
「クロッカス、ナーセナル、バックハウスは相互に繋がっております」
「私、そんなことも忘れてたんだ……」
「ノイ様、私は……」
「何も変わってない、何も守れてない……みんな疲れて、傷付いて。私、強いはずなのに。強い、だけなのに……」
マルティナは、言葉に違和感を持って、少しのためらいの後に問う。
「強い、だけ……?」
「そうじゃない、そうじゃない。私にあるのそれだけじゃない!」
ノイは、頭をかきむしるようにして、泣きじゃくり、呼吸を激しくしていく。
「頭悪いし、話に着いていけないし、機械のことも国のこともベストロのことも、怪我の治し方も全部、聞いたはずなのに、みんなで教えてもらったはずなのに私だ、私だけ忘れて、本当に本当に使えないのよ私あぁ!!!!」
マルティナは真剣に、一言も逃がさず聞いた。
(私が追い込んで、身勝手に吐き出させた彼女の本音。絶対に、聞きのがさない。思い上がらないでマルティナ)
「なんで皆ばっかり傷付いて、私ばっか弱って、私だけ出遅れて、私だけ知らなくて、私だけ置いてかれて……皆死んで、傷付いて、傷付いて傷付いて傷付いて。私だけでいいじゃん、よかったじゃん、私がもっと頑張って、傷付けば良かったじゃん、死ねば良かったじゃん!!!私にはそれしかできないじゃん!!!なんでいっつもみんなばかり、みんなばかり、みんなばかり………あぁ……」
段々と呼吸が静かになって、吐露する量が減っていく。
「……ヴァルト、フアン、ハンナ、おじいちゃん、メロディさん、パメラさん、フェリクスさん
肺の中の空気を振り絞る。
なんでみんな、立ち上がれるの?」
肺の中の空気は、無くなった。
「……ノイ、様」
「……」
ノイはずっと丸まって、太ももで鼻を口を塞ぐようになっていたのをやめ、溺れて死にかけた果てに岸辺に上がったように呼吸した。
「ノイ様!!」
マルティナは強く、ノイを抱き締めた。
マルティナは強く抱き締めるも、ノイから返答はなかった。荒い呼吸の静まったころ、マルティナは何かを書いて、ノイに見せた。
「ノイ様、これをご覧に……」
ノイの吐露した全ての文言が記されていた。
「ノイ様の思い。全てではありませんが……記させていただきました」
「……?」
ノイは酒で焼けたような、乾いた声で疑問符を発した。
「……私が、あなたを追い込んでしまった。私なら分かってたあげられると思い込んで、勝手に自分と重ねていた。私はこの生活の中で、どこか調子に乗っていた……私が思っている以上にあなたは……なので私から、先生に通します」
「……?」
ノイは床を見た。自分の髪の毛が散らばっており、手の指の間にもあった。口の中が切れて血の味がしている。ただただマルティナに連れられて部屋を出る。ひりついた頭皮の刺激が風を感じさせ、そうして少し経過すると、ノイは椅子に座っているのに気付く。
「……ここ、どこ?」
「アクセル・ヴァイツという方のお部屋です。ノイ様、私は……」
「……」
部屋の扉が優しく叩かれ、部屋に入る男が1人。
「ノイさん、はじめまして。おじさんはアクセル・ヴァイツ。おじさんって呼んでくれて構わないよ」
「……?」
「なんだか大変なことになったみたいだね」
ノイの鼻に、ハンナと同じ匂いが香る。
「……いい匂い」
かすれた声でそう言うと、アクセルはノイに香油入りの瓶を渡した。
「これはハンナ様と同じ物です。これを、首か手首に塗って下さい。からだの暖かさで香りが強くなりますよ」
「……」
ノイは長椅子に座っているのが分かった。その男は対面ではなく、ちょうど前の長机の端っこで、ノイから見て斜めになるように座る。マルティナから紙を受け取り、それを読み進める。
「……先生?」
「先生なんて、私はまだまだです。父親もそうでした。うん、これはこれは……」
「……私、病気なんでしょ?うんたらかんたらっていう」
「……あぁ、そういう感じで伝わっていたんですね」
「??」
「病かどうかは、あくまでそう仮定した場合だけですよ。実際により深く君や皆と関わると、以外とそうでない場合も多いですね」
「そんなわけない。私、頭むしっちゃった、し……」
「……へぇ、ふむふむ」
アクセルは終始、落ち着いていて、そして明るい声だった。
「ノイさん、ひょっとしてあなたは……」
「……なんの病気だったの?」
「……人を愛する才能を持ちではないでしょうか?」
ノイはさすがに呆気に取られてしまった。
「えっ……えっ……」
「さらに言えばノイさんは、非常に稀有な、自分とまっすぐ向き合える才能も持っておられる」
「えぇ?」
「これを読むとあなたが、どれだけ自分のことを理解しようと努めているかが伝わってきます。誰かを大切したい思い強く、自身が犠牲になってでも守りたいものを持っている……英雄の資質とも呼べるもの、それをも持ち合わせています。またノイさんは、自身が頭の悪いという問題を飛び越えて、大切な者を守るための盾であり矛であるという認識が存在している……というのを感じました」
「……えっ、何、えぇっ?病気は?」
「診察というのは、まず病気があるかどうかを見るものですよ」
「……??」
アクセルは立ち上がって、資料を書棚から出してくる。
「これは過去にミルワードで、こうして話した内容を記載してきた情報です。これらを統計すると、ノイさん。あなたは、自分にまっすぐ向き合える。それが何故稀有なのか、お教えしましょう」
「……?」
「聞き流してくれても、構いません……あくまで私たちの見解ですから。まず、人間というのは往々にして、自身を傷付けないがために、自分を見つめ直すこと、自分を変えていくことを酷く嫌う傾向があり、その結果自身の特徴や得手不得手に気付くことすら叶わず、そんな自分を肯定するためにまた自身を見つめ直さない……この悪循環に囚われていることが多いです。ノイさん、あなたは自身の頭の悪いのを自身で受け止め、自身の価値をより直接的な場所に見出だしています、それが戦いの場面、誰かが傷付く場所です。自身が大切にしたい人たちの負傷や疲弊、死去を一心に、私が頑張ればと思って、人並み以上に背負い込んでいた。ヴァルトくんが疲労で倒れたときのあなたの食べ過ぎなども考慮すれば、それはつまり……あなたの自分を見つめ直す力も、現状を打破しようとする思いも、誰かの苦しみを肩代わりしようとする思いもある。そうして往々の人間としての思考を凌駕するのも全ては、人並み以上にあなたが周囲を大切にしている証、つまり、誰かを愛する才能を持っているということに帰結します」
「分かんない。けどそんな凄いわけ、ない……私、マルティナが優しくしてくれたとき、避けちゃった……」
「……そのとき、マルティナ様とはどれほどの距離がありましたか?」
マルティナが思い出す。
「……椅子1つも、なかったかと」
「なら、当然の反応ではないでしょうか?今、そしてここへ来た当初のように極限に追い込まれているとき、普通の反応はできません。ですが少しでも心が平静になると、例えばいきなり自分の心をさらけ出す必要になった場合……それは、いきなり人前で服を脱げと言われるのと同様に拒絶したくなるものです」
「……???」
「……人というのは、誰でもこれ以上他人に入ってきてほしくないと感じる対人距離というものが存在します。ミルワードではパーソナルスペース、ATフィールドとも呼びます。マルティナ様に行ってしまった行動はそれかと思います」
「……普通の反応?」
「かと、思いますよ。マルティナ様はあなたのことを確かに心配していらっしゃる。思いが先行してしまったのでしょう。許可を出した私含め、許す必要はないです」
ノイは、マルティナの目を見た。
「……ねぇ、私が、その才能があるって話じゃん。じゃあヴァルトとかフアンって、何で……あんなに動けるの?そんな言い方になったら、まるでみんなが酷い人みたいになるじゃない」
マルティナは、目を落とした。
「……それは、彼らなりの才能があるのです」
「……じゃあ、私やっぱダメじゃない。みんなより前にいかなくちゃいけないのに、なのにこんな、私に何が足りないの?何が問題なの?教えて、どっちでも良いから!」
「今日君がここにいる理由は、出来事によって君の才能が過剰に発揮されてしまったことが原因です……私個人という医者の視点から見ると、症状が身体や行動に表れているということ……もう少し休んでいて下さい。急速に思いを吐き出して少し心が安定した途端に、あなた自身で今また追い込もうとしています。お気をつけ下さい」
「……でも、でも」
「……そこまであなたは誰かを大切にしている。そんな君を見放すほど、恨むほど、背負わせたいと思うほど、君の背負った方々の心が冷たいとは思えません。あなたが背負ってくれたことを、もしそれが私なら感謝し、また休んでほしいと、つい思ってしまうでしょう」
「……休んで、ほしい?」
「きっと、許してくれます。愛する才能を持つものが愛されない道理など、拝見したことは一度もありませんでした。愛する才能とは愛される才能、あなたが誰かを大切にした分、いいえそれ以上にきっと誰もが、あなたを許してくれます。自分を大切に
。さすがに初診でこれ以上はいけませんね、とにかくまずは休むこと……マルティナ様、ひとまず彼女を寝室へ」
「待ってよ、話終わってないっ……」
ノイは勢いよく立つと、倒れる体が支えられない。マルティナが支えた。
「ここ数日食事をあまり取れていません。お体にも気を付けて」
ノイはまた渋々とマルティナに連れられる。段々と、気力もなくしていき、倒れこむようにして、眠りについた。
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




