七話 夕焼けに見る
七話 夕焼けに見る
赤い明かりに照らされて、ノイは目を覚ます。
「……」
寝返るこちなく、横になったまま窓を眺め、曇りのない透き通った、手入れの行き届いた硝子の窓。
「……」
窓に雫が垂れる。
「……いやぁ!」
ノイは、飛び起きて雫をよく見る。夕日に照らされただけの雨粒だった。ノイはナーセナルで、血の雨が降ったことを思い出していた。
「どうか、なさいましたか!?」
「姉さん……!?」
ノイが振り向くと、ハンナとマルティナがノイを心配そうに見つめていた。
「何か、悪い夢でも……」
ハンナは窓に垂れた、雨粒を見る。
「……大丈夫だよ姉さん、夕立だよ」
「……うん、そうだね」
マルティナも水滴を見た。
「……ひょっとして、あの件ですか?」
「マルティナ様は御存じですか?」
「はい、ユリウスはハルトヴィン様の同意の元、数人にナーセナルのことをことを話してよいとしました。対象は、私マルティナ。レノー・バズレール。そして……」
扉が軽く叩かれる。
「何か?」
「マルティナ様、お戻りの時間です」
「……確かに、そうですね」
ノイが首を傾げる。
「……お戻りって?」
「ええ、私は夜間の間、ユリウスの部屋にいるようにしているんです」
「……?」
「私の出自の影響でユリウスに迷惑を掛けたくないんです。お客人が増える夜間は、できるだけ人目に着かない方が良いと思い、ユリウスに相談して」
「今まではどこにいたの?」
「貧民窟という場所です。ここレルヒェンフェルトに複数箇所存在する、平民以下の、奴隷とも言えず、果たして人権があるかどうかも分からない、主以外の誰もが人々を見放した場所。そんな中で1ヶ所だけあった、管理されていない教会で私は……」
「……?」
「……身勝手に、そう、修道女として生きていました。聖典が暖炉に投げられるあの合理の世界で、私だけが救いを、自分で考えていなかった……ユリウスが助け出してくれなければ、私はどこに向かっていたのかも分かりません。だから、私が顔を見せるのは朝と昼だけ。夜会にも行かないので……私の評判の最悪です」
「マルティナ様、それって逆効果では?妻の評判が下がれば、夫の評判だって……」
「いいえ、これもユリウスの作戦です」
「……?」
マルティナは、部屋を出ようとする。
「……ノイ様、もしどうしても眠れなければユリウスと私の部屋へ。お医者様と話をつけます。でも必ずお仲間様には一報を入れてからで、ではまた明日」
マルティナは振り向いた。
「……ええっと、その。お菓子は調理場にまだまだありますので、どうぞ遠慮なく。では」
部屋を出るマルティナ。
「……」
「姉さん?」
「仲良くしたい、でもなんだろ……」
「……?」
「……私、自分が何考えてるか分かんないな」
ハンナは、ノイに寄り添うようにして、肩を寄せた。
「……大丈夫だよ、姉さん」
―バックハウス家 裏庭 工房―
ヴァルトは細くなった腕で金槌を持って、鉄を焼いて叩き、延ばして固めて、平らにして、形を整えては一つに繋いでいく。
「あぁ、日が沈むまでに鎧2人分仕上げろってマジふざけんなぁ……!!」
一方で革をなめし、一方で炉の温度を確かめ、暖まった順にひたすら叩いて加工していく。
「なんで夕方になってから指示出すんだよマジで……アイツ絶対、作ったことないだろ……!」
革に張りを出したところで裁断し裁縫し、鎧の間を埋めていく。
「……ふい、まず一式」
同じ動作をより早め、炉に熱が入ったことで生産速度が上がり、二つ目もすぐ完成させた。
「……二丁、あがりぃ。だっる。」
ヴァルトは手を触る。
(弱くなったなぁ俺、こんなのいつもならすぐできたんだが……)
工房の扉が開く。ナナミがいた。「あぁ、そうだ……あぁ。んで?あぁ……」
工房の扉が開く。ナナミがいた。
「……おぉヴァルト、お主か」
「なんだニンジャ」
「いや独り言言っとると思って、気になってな。ん、鍛冶ができるんか?」
「そうだが」
鈴を鳴らすナナミ。
「ははっ、革細工もできるときたか。こりゃテンドウじゃの」
「……??」
「フアンから聞いたんじゃがお主ら、からくりの得物を一つ失ったようじゃな?」
「おぉ、そうだな」
「なぜからくりなんじゃろうと思うてな」
「お前、この国のことあんま知らねぇよな」
「まぁの」
「……科学が否定されていた時代、まぁ50年前くらいだ。ベストロが現れ窮地に立たされてから西陸は科学を研究し始めた。まぁでも、武器に関しちゃ規制が多くてな。だから最悪、なんかのひょうしに聖典教のやつらと関わっても、武器持ってるってバレても、こんな非効率なのが武器なわけないだろって言い訳できるようにしたのが俺らの武器だ……まぁ後々考えれば突拍子もねぇがな、ジジイの考えだ。まかさばるが以外と使えるぞ」
「例えば耐久性の低い部品はどうする?からくりは大概、部品が多いから耐久に優れんじゃろ」
「その部品を鍛造し続ける。優生を引くまでな」
「ほぉ。お主のは、火薬で刀剣を抜刀できるらしいな。さぞ時間がかかっただろう」
「まぁな」
「……いやすまぬ、感謝するよ」
「終わりか?じゃ、俺は……」
ナナミの後ろから、足音がした。
「ん、誰じゃ?」
ナナミが扉から離れると、男が入ってきた。
「おやおや、確かにニンジャだねぇ。工房にヴァルト君いますか?」
飄々としながらハッキリと話す、茶髪で、白く少し長い服装をしている男。
「私は、バックハウス家が運営する西陸初の心療内科の院長、アクセル・ヴァイツです。気軽に、おじさんとでも呼んでください」
「……ほぉん」
「本当はノイ様の治療に専念したいのですが……おそらく、君と会話をするのが一番と思い、ここへ来ました」
「おぉ……で、何すんだ」
「……あなたの、記憶に関してのお話です」
「……!」
「少し、着いてきてもらっても宜しいですかね?」
ヴァルトとアクセルは、部屋に入った。いたって普通で、長椅子がある。客間というにはあまりに人を癒すことに特化している。
「……まぁ、座って下さい」
長椅子の対面に座る。
「……んで、記憶だ。なんか分かるのか?」
「早急に知りたい様子ですね……ハーデンベルギアについて」
「……っ」
「結論からいえば、分かりません」
「なんだよ」
「……昔、ある症例がありました。これは私の祖父が発見した事例です。同じ夢を繰り返すことは?」
「……ガキのころ、よく」
「なるほど」
「まず俺はどこかに立ってる。道なのかなんなのか……だが、とりあえず立ってた。奥には逃げる大勢の人、火みたいなのも奥に見えた。んで、誰かが俺に言って……」
「いえ、ヴァルト君……思い出す必要は」
ヴァルトは、眉間にシワを寄せ始める。
「止めるのが遅れました……申し訳ない」
「……いくつか聞いていいか?」
「どうぞ」
「……特定の言葉がすげぇ嫌いって、どんな状態だ?」
「特定の、言葉……さきほど私が町の名前を口にしたとき君は……」
「……あぁ」
「いま私、あえてぼかすように発言しました。つまり言葉とはそれなのですね?」
「あぁ、聞かなきゃ大丈夫だ。まだマシってだけだが」
「……質問を、あなたは……問題を解決したいですか?」
「……おう」
「……分かりました」
アクセルは立ち上がり、書棚から資料を取り出す。
「……もの作りの才覚を持って、評判としては冷静沈着、やはり推測通り、答えを早急に求める。君にはできるだけ情報を与えていった方が良さそうだね」
「……これ、治療か?」
「他のお仲間さんには、別々で対象している。とりわけあの少女は繊細に扱わせてもらってるよ」
「……そうか」
ヴァルトの座る長椅子の前にある机に、いくつか資料が置かれた。ヴァルトがそれを読んでいく。
「Name:Post traumatic stress disorder……ミルワードの言葉か」
「我々ヴァイツ家は、元々はミルワード出身です。50年前……ベストロの発生前にミルワードからここに亡命し、独特な価値観を持った医者の一族としてバックハウス家に発掘され雇われ、ここで心療内科を運営させてもらっています」
「……亡命?」
「ミルワードで心というものは、生産性から離れた抽象的で不要なもの。故にあまり注視されていなかったそうです。ここ100年以上、ミルワードは絶えず植民地政策を行う中で発生する兵士たちの様々な病気に直面しました。対して政府は、症状の現れるものを軽く扱い、忍耐や愛国心の欠如として軽んじ続けた。結果……自殺者や逃亡兵の増加、果てにはBlocking units……督戦隊という、降伏する兵士や脱走兵を、後方から銃殺し全体を命令に従わせる暴挙に出る始末」
「……待て、西陸はベスリアン差別で周辺の国から変な目で見られてるって聞いたぞ?」
「そう、ミルワードもまた恐ろしい国。いえ、国とは恐ろしいのです。我々が髪の毛を切るように人命が消える」
「……」
「西陸は植民地がなかったので、ここなら監視の目もないだろうと思いここへ来たそうです。あちらで心を研究していては、不都合が多かったですから」
「そらまぁ……ったく、色々と俺の知らねぇところで問題起こってるなぁ」
「それが世界というものでしょう……そして本題です。ヴァルトくん、解決方法として、あの町に行くことを推奨します、しませんが……」
「どっちだ、詳しく」
「資料にあるのは、君の症状のうち……同じ夢を何度も見るという点で、嫌悪感など負のか感情を誘発しうるもとして上げました。長ったらしいので私はPTSDと呼んでいます。あなたが幼少の記憶がないのは、ここから症状から派生したものだと考えています」
ヴァルトが見るPTSDの資料の隣には別の資料が並ぶ。
「Generalized Amnesia……dissociative amnesia……すまん、訳してくれ」
「全生活史健忘、解離性健忘、PTSDとは別のものです」
「……これ、ひょっとして」
「あなたは、これら症状が全て併発している可能性があります。そしてここからは、私の知る限りの、あの町の出来事です」
「何かが起きて、俺はそれを……」
「忘れようとしている」
アクセルは資料の上に大きな紙を置いた。
「……こいつは?」
「イェレミアスで上位に位置する貴族などに配布された、事件の報告書です。これは極秘で入手したもので、現在でこそイェレミアスの平民やオルテンシアでも広まっておりますが……」
「ハーデンベルギアの惨劇、魔天教による農地帯・工業地帯破壊、住民の大虐殺……」
「君はおそらく、これに巻き込まれた。そして、君の祖父にその後、救助された」
「……じじいは俺には、言わなかった」
「健忘症は、例えば戦争孤児によくあった状態です。重なってしまったのでしょう」
「……じじい、確か海軍関係の出だって聞いた」
「より如実に、ミルワードの植民地政策の被害者などと、重なったのでしょう」
「じじいもほぼ亡命だったってことじゃねぇか……?」
「……おそらく、私の祖父がいた頃よりも数段、戦争は激化していたのではないでしょうか」
「……症例を見る感じ、夢に出るのは、何かがあったときの記憶の再生。夢の中、誰かが逃げてってずっと言ってんだ……」
「……」
「あれは俺の……知り合いか何かか?」
「……そればかりは、ですが再生という状態でいえば、そのお方は君と親しい間柄だったと、伺えます」
「……だった、か」
夕日に染まる部屋に、薄黄は溜め息を1つ。
「……最後にいいか」
「どうぞ……」
「頭の中にいる別の人格と、会話できる……なんてことは?」
「……幻聴などに反応して自分自身で会話を行う症例があります。会話性幻聴とうものですが、それは統合失調症というものに該当するもので、ノイさんが現在犯されている状態、でもあります。まさか、その兆候が?」
「……いや、そうじゃない」
「この病は、自分のこころや考え、行動などをうまくまとめることができなくなる病気とも言えます。君やフアンくんにはそれは見られません、今のところ両者まともに会話できていますからね」
「そうか」
ヴァルトは部屋を後にしようとする。
「待って下さい、君は……」
「もう俺の治療はもういらない、ノイとフアンを頼んだ」
「君、まだ話が!!」
強めに、扉は閉まった。
「……少しやりすぎてしまったようです」
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




