十五話 帰還兵制度
第十五話 帰還兵制度
フアンは北部のゴミ置き場に出ると、大聖堂南側の宮殿へ向かい、シラクのいた部屋の護衛に渡して外へ出る。南側の宮殿の外の惨状は、少し落ち着いていた。亜人や獣人の死体が、雑多に台車に乗せられて運ばれていく。愉快な様子で片付ける兵士たち、笑いながら片付ける民間人、フアンは血を踏んだ。
何も言葉が出ないなかで、意識があるようでないような感覚の中、バックハウス家の資材倉庫にたどり着く。
(……何を、伝えれば良いんだろう)
馬車のいくつかが常駐している敷地内に、中程度に大きな屋敷が1つ、外観の毛色がオルテンシアのものとは少し違い、黒が基調で、材木の色もそうであった。
(いや、伝えて良いのでしょうか。真実は持って帰った、持って帰るべきだ、でもこれはあまりにも……)
整えられた道を歩いて、建物の玄関に到着する。扉を叩くことなく開けると、給仕の女性が、空の食器を持って、水場へ向かおうとしていた。
「お帰りなさいませ、フアン様」
フアンは、食器を見る。
「あの……あの!」
「どうかされましたか?」
「……それは?」
「はい、時間的に……というより、ヴァルト様とノイ様は、体の状態がよくありません。オルテンシアの食材は質こそ悪いですが、量は確保できますので……」
質こそ、といった瞬間にはもうフアンは駆け出しており、ヴァルトの部屋へ向かった。扉を勢い良く開けると、ヴァルトが寝台で本を読んでいるのを見ながら、ノイが食事をしていた。ノイの食べているのはイェレミアスではかつてあった食事で、ここ50年で解禁された料理。
「ノイ……」
小麦を挽いて練って焼いた主食で、野菜や
「ん、ん~~。お帰り」
肉を挟んだもの。
ノイがそれを飲み込んで、もう一口と手を皿に伸ばした。フアンは距離を詰めて、その手を強く掴んだ。
「えっ、どうしたの?」
「……あっ、えっと」
「そんなに食べたいならあげるよ?」
「いや、その……あの……あの、あの、あの!あぁの!!あ」
段々と泣き崩れながら、声を強めていく。
「どうしたフアン」
「の……あの……あの…………あの……」
声が次第に弱くなっていき、ただ泣く。募らせら重さが、喉から出るのを止めさせた。
「……とりあえず、何か食べる?」
「違うんです……違うんです……」
「えぇ?」
「お前、レノーから手紙貰って動いてたんだろ?なんか分かったか?」
「……」
「どうした」
「フアン、大丈夫?」
真上に登った日差しは傾くようにして、段々と大地が影に落ちていくのくのを、フアンとは眺め、ヴァルトは仰向けで寝て、目は醒めていた。
「ノイ、戻りませんね……」
「あったり前だろ……あいつ、数日まともに寝れてなかったそうじゃねぇか。あとさっき知ったが、中々に食べ過ぎてたってマジか?」
「はい、眠れないならせめて食べなさいという、給仕の方からの言葉があって……でもそれ以上に、お腹が空いていないのに、勝手に倉庫に行って食べていたそうです」
「倉庫ってお前、あいつバックハウス家の売り物勝手に食ったのか……!?」
「イェレミアスの方曰く、シュラッフローゼシカイト、そしてエシュトロン……翻訳すると、不眠症、摂食障害というらしいです」
「それって……」
「フェリクスさんが言っていた、心療内科……というものの言葉でもあるそうです。病気だけじゃない、心から来る可能性のあるものだって」
「そっからこれか……キツイな」
「ヴァルトは、平気なんですか?」
「……」
「……いえ、すみません」
「つか、俺また力使ってから倒れたよな」
「はい」
「アイツは出てきたのか?なんだっけ……オフェロス」
「いいえ。ですが倒れている最中にヴァルトに雷が纏わり付いたんです。敷物でくるんで隠しましたが……」
「……じゃあ、別に会話があったとかじゃないんだな」
「はい…」
「……そういや、ノイに言いそびれちまったな」
「……?」
「お前から話を聞いたとき、証拠がねぇって感じたんだ。お前が入った穴の信憑性じゃねぇ、テオフィルの主張にだ」
「……」
「……アイツ、今どこにいる?」
「ノイは、しばらく厠から戻るとは思えません」
「……いや、にしたっておかしいだろ。もう夕方だぞ」
「……あるいは、どこかへ出掛けているか」
「フアン、ノイを探せ、いま外に出たらヤバい。亜人や獣人の死体が転がってるかもしれねぇ」
「……まずい!」
フアンは部屋を飛び出す。すると給仕の女性が駆けてきた。
「ノイ様が外へ向かわれました。止めたのですが……」
「どこへ!?」
「……謝らなくちゃいけない、と」
「……分かりました、検討は着いたので、ヴァルトをお願いします」
「かしこまりました」
フアンは走って、大広間近くの大鐘楼を横目にイノヴァドールの外壁へ向かった。ノイが干肉を落とした路地に行くと、ノイの姿が見えた。静かに、夕日の差さない、ノイが突っ込んでしまったゴミの山のところに立っていた。フアンは足音を少なく寄っていく。うつむいたままのノイは、拳に力が入っていなかった。
「ノイ……」
「……謝らなくちゃ」
「ノイ、今は外に出ない方が良いですよ」
「……亜人・獣人。みんな大広間で、殺されてるんでしょ?知ってるよ」
「我々はこの国では英雄的扱いを受けていますよね?ヴァルトが眠っている間に、我々にはオルテンシアでもかなり位の高い勲章が贈られました。顔は国民にもうしれ渡っているはずです。厄介なことになりかねません」
「……でも、謝らなくちゃ」
「ノイ……」
「あの子に、私アレあげちゃった……食べさせた。あの時あの子、震えてたの、私を怖がってるとき以上に、私がアレを出したときの方が怖がってた気がするの……」
「……!?」
「あの子、干肉の正体知ってたんだ、だから……でも、私は人間だった。私が怖かったから、怖がらせたから、あの子は何もできなくて、言うこと聞くしなくて……!!」
「……」
「私……私……だから、謝らないといけないの、ごめんなさいって言わないと私……私……!!」
「いまあの子が生きてる保証なんて、どこにもありませんよ……!!」
「……!?」
「言いたくなかったです、でもノイ……それがこの国です。オルテンシアです……西陸です」
少し、間が空いた。路地に入り込む寒い風がゴミの臭いを立たせる。
「……私たち、何やってるんだろ。私たち、なんでここにいるんだろ」
「……彼ら彼女らの、仇を討つためです」
「まだ帰れないんだよね……帰っても、意味ないよね……」
「……ノイ、少し休みましょう」
「……ヴァルト、どう?」
「堪えているみたいです、さしものヴァルトも」
「……誰か、私と、変わってくれないかな」
「何を……言ってるんです?」
フアンは、声を一段低くしていった。
「私、こんなだし……もっと他に、もっと凄い人いるでしょ……もっと強くて、賢くて、そんな人が傍にいればきっと、ヴァルトだってもっと活躍できるんじゃないかな?フアンだって」
フアンはノイに一歩近付いて、頬に平手打ちをした。
「……それだけはありえません」
「えっ、え?」
ノイは不意すぎてふらついてしまった。フアンはノイの両肩を掴む。
「……よし、帰還兵制度を、利用しましょう」
「きかん、へい?」
「はい。デボンダーデ終結後に毎度開始される、兵士の療養を支援するための計画です。後方陣地、イェレミアス帝国最後の都市にして首都、レルヒェンフェルト。そこに、公的な資金での療養を行うんです」
「……そんなの、意味ないって」
「あります、ノイ……あなた、いまのあなたが、なぜ理由が分かないのですか?」
「……?」
「ノイ、あなたはさっき、誰かいないのかななって言ったんですよ?」
「うん……」
「……誰かもっとヴァルトに相応しいがいないかって考えたんです!」
「……だって」
「だってではありません……ミアちゃんなら、きっといまのノイを張り倒すでしょう」
「休んだって……そんなのダメよ、もっと、もっと……」
「いいから、ノイはちゃんと休むんです。いまヴァルトもノイも、僕だってあまり気分は良くないんですから……」
「……ごめん」
「……いいえ、とりあえず僕で申請出しておきますから。あなたがヴァルトの隣にいなければ何も始まりません、いいですね?」
―オルテンシア資材倉庫、寝室―
扉が叩かれ、装いのやたらと地味な、落ち着いた紺色の長袖を着ているフェリクス。ヴァルトが寝台で起きていた。
「少し、聞きたいことがある」
「……なんだ、天使の話か?」
「それもそうだが……エトワール城でのことだ。君は、テランスに指示を出したはずだ。なんと指示を出した?」
「……爆破で気を引き、距離を取って退避」
「……なぜ、そう指示を出したのか、聞いてもだろうか?」
「……はぁ?」
「……いや、気のせいかもしれない。だからこそ、謝罪を込めて思いを語ろう。あのとき、テランスの証言が確かなら、音を出したことでシレーヌがそこへ攻撃を行いその結果、亜人・獣人らの住処が壊され、そして中にいた者らが、シレーヌの餌食となった」
「……そう、だな」
「……あの時、なぜかこう思った。君はここに亜人・獣人らがいることを前提に、それらを使って時間稼ぎをするために、テランスに建物を攻撃して音を出したのではないかと」
「……それは」
「あまりに、あたしは他者への配慮が足らないなか生きている。そのように残忍極まりないことを、君ができるとはとても思えない。申し訳ない」
「言わなきゃよかっただろうに」
「……そう、かもしれない。だが……」
「思ったこと全部言えばいいってもんじゃないだろ、まぁいい」
フェリクスは部屋を出て行った。
(……)
ノイとフアンは路地を立ち去った。ノイは、より暗くなる路地のゴミ山を見つめる。視線は落ちて、緋色は暗闇になる。フアンとノイが資材保管庫に帰る。男が1人、玄関から出てきた。
「……誰でしょう?」
「まさか、ヴァルトになにかしたんじゃ……!」
「ノイ、よく見て」
装いのやたらと地味な、落ち着いた紺色の長袖を着ているフェリクス。
「フェリクスさん……!?」
「えっ、なんでここに?」
フェリクスが寄ってくる。
「フアンくん、ノイくん」
「すごく地味ですね……」
「すまない、服装は……まともなのを持っていない」
「他の服くらいはあったかと……」
「同じ服がもう34着ある」
ノイとフアンは、言葉を失った。
「君ら、ヴァルトくんと話たまえ。彼はどうやら、何かとんでもないことに気が付いたやもしれん。部屋を出て給仕の者と会話していると、部屋から、およそ何らかの真相に近寄りでもない限りで出さない声を聞けた。珍しく動揺しているようだったぞ」
フアンとノイは早足で向かい、扉を開けるとヴァルトが寝台に座り込み、靴を履いて地面に脚を置き、ほおずえをついていると思いきや頭をかきはじめた。
「おぉ!?」
ヴァルトはフアンとノイに驚いた。
「……ノイ、見つかったか」
「ごめんヴァルト……」
「いや、まぁ無理もねぇだろ」
「……イェレミアスに行こうって話になってるんだけど、どう?」
「アリだな、普通にノイは顔色が悪い。フアン、お前ここに来てからだいぶ色々な目に遭ってるだろ」
「……」
「じゃあ、イェレミアスに行くには行くとして……ヴァルト、何かありましたか?珍しく頭をかいていたので……」
「あぁ~、そうだな……マジで、信じなくても良い」
「……??」
「俺、天使になったって話があったじゃねぇか」
「はい」
「……それ、おじさんって感じの声じゃなかったか?いや、ジェルマンみたいな感じじゃない、もっと良い感じの、なんつうか……」
「はい、言ってしまうのはなんですが、かなり容姿は良かった記憶があります。けっして若いわけではなかったです……人間でいえば、30歳後半くらいでしょうか」
「……じゃあ、言うだけ言うぞ」
「……」
「……あっ、頭の中で、ソイツを会話できる」
「……はい????」
「ん、なに言ってるの??」
「……マジだ」
「……マジ、なの?」
―夜間 執務室―
扉の開けられる音。足音は1つ
「……お待ちしておりました、ヴァーゴ・ピウス様」
「エルヴィス、ご苦労であった」
「今回の件について……お聞かせ願いますか?」
「その前に、シレーヌ討伐、オクルスの離反について聞きたい」
「今回の遠征で、ベストロ・アベラン……シレーヌが討伐されました。それ以上の情報は現在報告があがっておりません」
「離反した者とは?」
「……シルウィアという者です。おそらく、人と恋仲にでもなったのかと。あれは過度に干渉しておりましたので」
「それは君が言えることではないな」
「他にレドゥビウス様から、ご連絡が?」
「いきなり現れて適当にそう言ってすぐオルテンシアに戻っていった」
「そうですか……そして、今回の第三次デボンダーデについて、私どもは関与しておりません」
「……アマデア様と、ソルフィリアだ」
「やはりあのお二方は、勝手が過ぎるのでは」
「イェレミアス南端のあの街、あの時も酷かった」
「いくら死者数が少なすぎたとはいえ、これではオルテンシアがたちゆかなくなってしまいます。アマデア様の横暴ぶりは、聞き及んでおります。しかし、発見したときには泣いていたと」
「……直前、雷が落ちた」
「雷……」
「オルテンシアでも同様にそれが引き起こった」
「それについて。ヴァルト・ライプニッツという人物が、光をまとって、その直後に雷撃がシレーヌに放たれたという報告があります」
「……背格好は?」
「薄黄色の髪でやや子供らしい顔つき。工具を常備しており、小銃のような刀剣を携えております」
「……そうか」
「なにか?」
「アマデアを回収した地点で、それらしき人物がいた……レドゥビウスから、奈落に落としても生還した報告があがっている……」
「奈落にまで……?」
「長い黒髪の……かなり戦えそうな女人、目は紫色。いるか?」
「……おります。ノイ・ライプニッツ、ヴァルト・ライプニッツと、仲間であるフアン・ランボー共々ここ2週間の間に、イェレミアスからここオルテンシア……そして現在は行動隊に所属しております」
「……厳重に監視をできるか?」
「オルテンシア内でなら。ですがイェレミアスやバックハウス家には、目や耳などを放つことはできないでいます」
「なに?」
「バックハウス家はオルテンシアとイェレミアス間における外交を率先して担っている貴族です。あからさまにこちらから監視を送るというのは、国家間の亀裂に繋がります。お父上の祈願成就は、そこにはないかと」
「……そうか、すまない」
「アマデア様とソルフィリア様の行いについて、レガトゥスとしてはどうお考えですか?」
「情報共有は一切できていない。ソルフィリアは……」
「……私のようま末端の前です、遠慮なくソフィーでも構いませんよ?」
「……ダメだ」
「妹なのでは?」
「……」
「……失礼を、お許し下さい。どうも私は距離感が……」
「構わない」
「……レドゥビウス様と、それ以外の連絡は?」
「シルウィアと、それ意外にもう一名殺害したそうだ。」
「それは」
「マルセル・モニエ。君の言う恋仲とは、その者か?」
「……おそらく」
「すまない、これ以上は君に教えることはできない」
「……では、行かれるのですね?」
「私の方からその人物らを探ろう」
「ヴァーゴ・ピウス様は確か……」
「そうだ、イェレミアスにいる私からなら……監視を付けられる」
極寒は徐々に迫る。夜空の星は透き通った光を放つ。涙は血に溶け、血は水で洗われ、水は光に照らされ消えていく台車に乗せられた死骸たちは破砕機に食べられ、誰も分からなくなった悲しみが今日も増えた。
帰還兵制度
フアンは北部のゴミ置き場に出ると、大聖堂南側の宮殿へ向かい、シラクのいた部屋の護衛に渡して外へ出る。南側の宮殿の外の惨状は、少し落ち着いていた。亜人や獣人の死体が、雑多に台車に乗せられて運ばれていく。愉快な様子で片付ける兵士たち、笑いながら片付ける民間人、フアンは血を踏んだ。
何も言葉が出ないなかで、意識があるようでないような感覚の中、バックハウス家の資材倉庫にたどり着く。
(……何を、伝えれば良いんだろう)
馬車のいくつかが常駐している敷地内に、中程度に大きな屋敷が1つ、外観の毛色がオルテンシアのものとは少し違い、黒が基調で、材木の色もそうであった。
(いや、伝えて良いのでしょうか。真実は持って帰った、持って帰るべきだ、でもこれはあまりにも……)
整えられた道を歩いて、建物の玄関に到着する。扉を叩くことなく開けると、給仕の女性が、空の食器を持って、水場へ向かおうとしていた。
「お帰りなさいませ、フアン様」
フアンは、食器を見る。
「あの……あの!」
「どうかされましたか?」
「……それは?」
「はい、時間的に……というより、ヴァルト様とノイ様は、体の状態がよくありません。オルテンシアの食材は質こそ悪いですが、量は確保できますので……」
質こそ、といった瞬間にはもうフアンは駆け出しており、ヴァルトの部屋へ向かった。扉を勢い良く開けると、ヴァルトが寝台で本を読んでいるのを見ながら、ノイが食事をしていた。ノイの食べているのはイェレミアスではかつてあった食事で、ここ50年で解禁された料理。
「ノイ……」
小麦を挽いて練って焼いた主食で、野菜や
「ん、ん~~。お帰り」
肉を挟んだもの。
ノイがそれを飲み込んで、もう一口と手を皿に伸ばした。フアンは距離を詰めて、その手を強く掴んだ。
「えっ、どうしたの?」
「……あっ、えっと」
「そんなに食べたいならあげるよ?」
「いや、その……あの……あの、あの、あの!あぁの!!あ」
段々と泣き崩れながら、声を強めていく。
「どうしたフアン」
「の……あの……あの…………あの……」
声が次第に弱くなっていき、ただ泣く。募らせら重さが、喉から出るのを止めさせた。
「……とりあえず、何か食べる?」
「違うんです……違うんです……」
「えぇ?」
「お前、レノーから手紙貰って動いてたんだろ?なんか分かったか?」
「……」
「どうした」
「フアン、大丈夫?」
真上に登った日差しは傾くようにして、段々と大地が影に落ちていくのくのを、フアンとは眺め、ヴァルトは仰向けで寝て、目は醒めていた。
「ノイ、戻りませんね……」
「あったり前だろ……あいつ、数日まともに寝れてなかったそうじゃねぇか。あとさっき知ったが、中々に食べ過ぎてたってマジか?」
「はい、眠れないならせめて食べなさいという、給仕の方からの言葉があって……でもそれ以上に、お腹が空いていないのに、勝手に倉庫に行って食べていたそうです」
「倉庫ってお前、あいつバックハウス家の売り物勝手に食ったのか……!?」
「イェレミアスの方曰く、シュラッフローゼシカイト、そしてエシュトロン……翻訳すると、不眠症、摂食障害というらしいです」
「それって……」
「フェリクスさんが言っていた、心療内科……というものの言葉でもあるそうです。病気だけじゃない、心から来る可能性のあるものだって」
「そっからこれか……キツイな」
「ヴァルトは、平気なんですか?」
「……」
「……いえ、すみません」
「つか、俺また力使ってから倒れたよな」
「はい」
「アイツは出てきたのか?なんだっけ……オフェロス」
「いいえ。ですが倒れている最中にヴァルトに雷が纏わり付いたんです。敷物でくるんで隠しましたが……」
「……じゃあ、別に会話があったとかじゃないんだな」
「はい…」
「……そういや、ノイに言いそびれちまったな」
「……?」
「お前から話を聞いたとき、証拠がねぇって感じたんだ。お前が入った穴の信憑性じゃねぇ、テオフィルの主張にだ」
「……」
「……アイツ、今どこにいる?」
「ノイは、しばらく厠から戻るとは思えません」
「……いや、にしたっておかしいだろ。もう夕方だぞ」
「……あるいは、どこかへ出掛けているか」
「フアン、ノイを探せ、いま外に出たらヤバい。亜人や獣人の死体が転がってるかもしれねぇ」
「……まずい!」
フアンは部屋を飛び出す。すると給仕の女性が駆けてきた。
「ノイ様が外へ向かわれました。止めたのですが……」
「どこへ!?」
「……謝らなくちゃいけない、と」
「……分かりました、検討は着いたので、ヴァルトをお願いします」
「かしこまりました」
フアンは走って、大広間近くの大鐘楼を横目にイノヴァドールの外壁へ向かった。ノイが干肉を落とした路地に行くと、ノイの姿が見えた。静かに、夕日の差さない、ノイが突っ込んでしまったゴミの山のところに立っていた。フアンは足音を少なく寄っていく。うつむいたままのノイは、拳に力が入っていなかった。
「ノイ……」
「……謝らなくちゃ」
「ノイ、今は外に出ない方が良いですよ」
「……亜人・獣人。みんな大広間で、殺されてるんでしょ?知ってるよ」
「我々はこの国では英雄的扱いを受けていますよね?ヴァルトが眠っている間に、我々にはオルテンシアでもかなり位の高い勲章が贈られました。顔は国民にもうしれ渡っているはずです。厄介なことになりかねません」
「……でも、謝らなくちゃ」
「ノイ……」
「あの子に、私アレあげちゃった……食べさせた。あの時あの子、震えてたの、私を怖がってるとき以上に、私がアレを出したときの方が怖がってた気がするの……」
「……!?」
「あの子、干肉の正体知ってたんだ、だから……でも、私は人間だった。私が怖かったから、怖がらせたから、あの子は何もできなくて、言うこと聞くしなくて……!!」
「……」
「私……私……だから、謝らないといけないの、ごめんなさいって言わないと私……私……!!」
「いまあの子が生きてる保証なんて、どこにもありませんよ……!!」
「……!?」
「言いたくなかったです、でもノイ……それがこの国です。オルテンシアです……西陸です」
少し、間が空いた。路地に入り込む寒い風がゴミの臭いを立たせる。
「……私たち、何やってるんだろ。私たち、なんでここにいるんだろ」
「……彼ら彼女らの、仇を討つためです」
「まだ帰れないんだよね……帰っても、意味ないよね……」
「……ノイ、少し休みましょう」
「……ヴァルト、どう?」
「堪えているみたいです、さしものヴァルトも」
「……誰か、私と、変わってくれないかな」
「何を……言ってるんです?」
フアンは、声を一段低くしていった。
「私、こんなだし……もっと他に、もっと凄い人いるでしょ……もっと強くて、賢くて、そんな人が傍にいればきっと、ヴァルトだってもっと活躍できるんじゃないかな?フアンだって」
フアンはノイに一歩近付いて、頬に平手打ちをした。
「……それだけはありえません」
「えっ、え?」
ノイは不意すぎてふらついてしまった。フアンはノイの両肩を掴む。
「……よし、帰還兵制度を、利用しましょう」
「きかん、へい?」
「はい。デボンダーデ終結後に毎度開始される、兵士の療養を支援するための計画です。後方陣地、イェレミアス帝国最後の都市にして首都、レルヒェンフェルト。そこに、公的な資金での療養を行うんです」
「……そんなの、意味ないって」
「あります、ノイ……あなた、いまのあなたが、なぜ理由が分かないのですか?」
「……?」
「ノイ、あなたはさっき、誰かいないのかななって言ったんですよ?」
「うん……」
「……誰かもっとヴァルトに相応しいがいないかって考えたんです!」
「……だって」
「だってではありません……ミアちゃんなら、きっといまのノイを張り倒すでしょう」
「休んだって……そんなのダメよ、もっと、もっと……」
「いいから、ノイはちゃんと休むんです。いまヴァルトもノイも、僕だってあまり気分は良くないんですから……」
「……ごめん」
「……いいえ、とりあえず僕で申請出しておきますから。あなたがヴァルトの隣にいなければ何も始まりません、いいですね?」
―オルテンシア資材倉庫、寝室―
扉が叩かれ、装いのやたらと地味な、落ち着いた紺色の長袖を着ているフェリクス。ヴァルトが寝台で起きていた。
「少し、聞きたいことがある」
「……なんだ、天使の話か?」
「それもそうだが……エトワール城でのことだ。君は、テランスに指示を出したはずだ。なんと指示を出した?」
「……爆破で気を引き、距離を取って退避」
「……なぜ、そう指示を出したのか、聞いてもだろうか?」
「……はぁ?」
「……いや、気のせいかもしれない。だからこそ、謝罪を込めて思いを語ろう。あのとき、テランスの証言が確かなら、音を出したことでシレーヌがそこへ攻撃を行いその結果、亜人・獣人らの住処が壊され、そして中にいた者らが、シレーヌの餌食となった」
「……そう、だな」
「……あの時、なぜかこう思った。君はここに亜人・獣人らがいることを前提に、それらを使って時間稼ぎをするために、テランスに建物を攻撃して音を出したのではないかと」
「……それは」
「あまりに、あたしは他者への配慮が足らないなか生きている。そのように残忍極まりないことを、君ができるとはとても思えない。申し訳ない」
「言わなきゃよかっただろうに」
「……そう、かもしれない。だが……」
「思ったこと全部言えばいいってもんじゃないだろ、まぁいい」
フェリクスは部屋を出て行った。
(……)
ノイとフアンは路地を立ち去った。ノイは、より暗くなる路地のゴミ山を見つめる。視線は落ちて、緋色は暗闇になる。フアンとノイが資材保管庫に帰る。男が1人、玄関から出てきた。
「……誰でしょう?」
「まさか、ヴァルトになにかしたんじゃ……!」
「ノイ、よく見て」
装いのやたらと地味な、落ち着いた紺色の長袖を着ているフェリクス。
「フェリクスさん……!?」
「えっ、なんでここに?」
フェリクスが寄ってくる。
「フアンくん、ノイくん」
「すごく地味ですね……」
「すまない、服装は……まともなのを持っていない」
「他の服くらいはあったかと……」
「同じ服がもう34着ある」
ノイとフアンは、言葉を失った。
「君ら、ヴァルトくんと話たまえ。彼はどうやら、何かとんでもないことに気が付いたやもしれん。部屋を出て給仕の者と会話していると、部屋から、およそ何らかの真相に近寄りでもない限りで出さない声を聞けた。珍しく動揺しているようだったぞ」
フアンとノイは早足で向かい、扉を開けるとヴァルトが寝台に座り込み、靴を履いて地面に脚を置き、ほおずえをついていると思いきや頭をかきはじめた。
「おぉ!?」
ヴァルトはフアンとノイに驚いた。
「……ノイ、見つかったか」
「ごめんヴァルト……」
「いや、まぁ無理もねぇだろ」
「……イェレミアスに行こうって話になってるんだけど、どう?」
「アリだな、普通にノイは顔色が悪い。フアン、お前ここに来てからだいぶ色々な目に遭ってるだろ」
「……」
「じゃあ、イェレミアスに行くには行くとして……ヴァルト、何かありましたか?珍しく頭をかいていたので……」
「あぁ~、そうだな……マジで、信じなくても良い」
「……??」
「俺、天使になったって話があったじゃねぇか」
「はい」
「……それ、おじさんって感じの声じゃなかったか?いや、ジェルマンみたいな感じじゃない、もっと良い感じの、なんつうか……」
「はい、言ってしまうのはなんですが、かなり容姿は良かった記憶があります。けっして若いわけではなかったです……人間でいえば、30歳後半くらいでしょうか」
「……じゃあ、言うだけ言うぞ」
「……」
「……あっ、頭の中で、ソイツを会話できる」
「……はい????」
「ん、なに言ってるの??」
「……マジだ」
「……マジ、なの?」
―夜間 執務室―
扉の開けられる音。足音は1つ
「……お待ちしておりました、ヴァーゴ・ピウス様」
「エルヴィス、ご苦労であった」
「今回の件について……お聞かせ願いますか?」
「その前に、シレーヌ討伐、オクルスの離反について聞きたい」
「今回の遠征で、ベストロ・アベラン……シレーヌが討伐されました。それ以上の情報は現在報告があがっておりません」
「離反した者とは?」
「……シルウィアという者です。おそらく、人と恋仲にでもなったのかと。あれは過度に干渉しておりましたので」
「それは君が言えることではないな」
「他にレドゥビウス様から、ご連絡が?」
「いきなり現れて適当にそう言ってすぐオルテンシアに戻っていった」
「そうですか……そして、今回の第三次デボンダーデについて、私どもは関与しておりません」
「……アマデア様と、ソルフィリアだ」
「やはりあのお二方は、勝手が過ぎるのでは」
「イェレミアス南端のあの街、あの時も酷かった」
「いくら死者数が少なすぎたとはいえ、これではオルテンシアがたちゆかなくなってしまいます。アマデア様の横暴ぶりは、聞き及んでおります。しかし、発見したときには泣いていたと」
「……直前、雷が落ちた」
「雷……」
「オルテンシアでも同様にそれが引き起こった」
「それについて。ヴァルト・ライプニッツという人物が、光をまとって、その直後に雷撃がシレーヌに放たれたという報告があります」
「……背格好は?」
「薄黄色の髪でやや子供らしい顔つき。工具を常備しており、小銃のような刀剣を携えております」
「……そうか」
「なにか?」
「アマデアを回収した地点で、それらしき人物がいた……レドゥビウスから、奈落に落としても生還した報告があがっている……」
「奈落にまで……?」
「長い黒髪の……かなり戦えそうな女人、目は紫色。いるか?」
「……おります。ノイ・ライプニッツ、ヴァルト・ライプニッツと、仲間であるフアン・ランボー共々ここ2週間の間に、イェレミアスからここオルテンシア……そして現在は行動隊に所属しております」
「……厳重に監視をできるか?」
「オルテンシア内でなら。ですがイェレミアスやバックハウス家には、目や耳などを放つことはできないでいます」
「なに?」
「バックハウス家はオルテンシアとイェレミアス間における外交を率先して担っている貴族です。あからさまにこちらから監視を送るというのは、国家間の亀裂に繋がります。お父上の祈願成就は、そこにはないかと」
「……そうか、すまない」
「アマデア様とソルフィリア様の行いについて、レガトゥスとしてはどうお考えですか?」
「情報共有は一切できていない。ソルフィリアは……」
「……私のようま末端の前です、遠慮なくソフィーでも構いませんよ?」
「……ダメだ」
「妹なのでは?」
「……」
「……失礼を、お許し下さい。どうも私は距離感が……」
「構わない」
「……レドゥビウス様と、それ以外の連絡は?」
「シルウィアと、それ意外にもう一名殺害したそうだ。」
「それは」
「マルセル・モニエ。君の言う恋仲とは、その者か?」
「……おそらく」
「すまない、これ以上は君に教えることはできない」
「……では、行かれるのですね?」
「私の方からその人物らを探ろう」
「ヴァーゴ・ピウス様は確か……」
「そうだ、イェレミアスにいる私からなら……監視を付けられる」
極寒は徐々に迫る。夜空の星は透き通った光を放つ。涙は血に溶け、血は水で洗われ、水は光に照らされ消えていく台車に乗せられた死骸たちは破砕機に食べられ、誰も分からなくなった悲しみが今日も増えた。
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




