十四話 咀嚼音
第十四話
フアンはしばらく降りていった。腐臭などがより強くなっていくが、肥やしの臭いはない。上からの光は徐々に見えなくなっていく。ずっとまっすぐただ降りていく中で、フアンは咀嚼音の数が増え、次第にそれに、嘔吐するような嗚咽が混じっていく。
またしばらく降りて、腐臭の中に獣臭が混じり、湿って生暖かくなるので、フアンは警戒し始めた。
(獣臭……ベストロ!?)
フアンの下で穴は途切れた。袖から極めて短い松明を取り出すと点火、そのまま下に落とす。
(……!?)
下は、落とされた木箱の破片が混じった、乾いた肉と乾いていない肉の地面が見えた。骨はあばらの尖った骨や、犬歯。中には、人の頭骨などもあり、まだ肉や髪の毛が残って少しだけいて、死ぬ前の容姿が確認できそうなほどだった。千切れた腕の手足もあり、フアンは一言放ってしまう。
「奈落だ……こここそ、奈落だ……」
フアンの足元の光に、何かが這いよった。手足のある、血肉の付いた、顔色の悪い犬の、亜人だった。
「……きみは、誰だ?」
「いや……えっと……」
「誰でも良いか……」
お腹の鳴る音が、その亜人から聞こえた。おもむろに、木材の破片が混じった肉片を手で掴み、引きちぎるようにして口へ運び、入れた。湿って生暖かいのから、ウジが湧いており、またその親である虫も翔んでいる。それごと食して、嗚咽しながら飲み込み、涙ぐみながらまた食べる。
「……あの、えっと、あの」
「……」
フアンは、一応でもう何個か周囲に松明をばらいてから、穴の壁に杭を打ち、縄をかけて降下していく。落ちた松明の一つを持って亜人を見る。
「……」
もう食べることしか考えていないのが分かるので、フアンはさらに周りを照らしながら歩いた。
フアンは、泣きながら歩く。壁にもたれかかる、あるいは床に這いつくばる亜人・獣人の数々は最低限の服装すら持っていないでいて、なんら恥じることなどなく自身を晒している。歳を取った者は一人もおらず、腹を大きくした雌は比較的多かった。
「なんです、なんですかここは……誰か、誰か分かる人は……」
ふと目のあった、小さな獣人がいた。痩せており、目の輝きだけは一倍にない。
「君は……」
「あなたは、外から来ましたか?」
「言葉は、分かるんですね」
「あなたはここにいる人じゃない。あなたはきっと誰でもないけど、居場所はあるでしょう?」
フアンの足が止まった。少し遠くで、しゃがんで視線を合わせるようにする。照らしてきた道は、クロッカスであったような下水道施設を彷彿とさせるが、壁面は乾いた血で緋色に鈍っている。
「君は……」
「誰かである必要のない、それが僕ら、ベストリアン……」
奥で火が灯って、コンコンと足音が、だが弱く響いた。
奥から火を持ったのは、どこかで見た装いだった。
「君なら、きっとたどり着くと思っていたよ。白套の……いや、今は黒いようだね。私の知り合いを思い出すよ」
「テオフィル……さん!?」
「声は小さく。ここの者らは、みな疲れてるんだ」
「着いてきなさい、出入口に案内しながら、この国の、見ようともできない事実をいくつか話そう」
フアンとテオフィルは、いり組む地下道を歩く。ヨダレを垂らして倒れ続け、転ぶように歩く亜人や獣人は、やや恵まれた体格を有する者が多い。
「……」
「事実と推測混じりに話す。地下道の末端には白い装束の近衛兵もいるから、気を付けて進むぞ」
「白装束の近衛兵……」
「私も、ここ20年の調査でここを突き止めた。あまり知っている訳じゃない……だが調べていくうちに分かったことがある。オルテンシアにおける、2つの大きな、ベストリアンの需要をね」
「ベストリアンの、需要……?」
「……」
テオフィルの足が止まった。横で倒れている幼い亜人は、息をしていない。しばらく見ていると、過度なまでの呼吸が始まった。
「コラコラ……こうやって、自分で呼吸を止めて自死を謀るのも珍しくない。10割失敗するんだがな」
「テオフィルさん、教えて下さい。ここは何ですか」
「……ベストリアンの養殖場さ」
「……!?」
「私はそう呼んでいる。仕組みは簡単、デボンダーデや街中で発生したベストロや人間、ベストリアンの死体を細かく切って回収……木箱に詰めてここへ投下。ここのベストリアンの食事に充てている」
「そんな、そんなことって……養殖場ってなんですか、彼らを何にに!?なぜ、いつ、どこでそんな!!」
「イノヴァドールによって、オルテンシアの食糧事情は大きく改善された」
「……!?」
「オルテンシアに出回っている食肉は、彼らさ」
フアンは、体の震えが止まらなくなっていく。
「オルテンシア……聖典教は元々、宗教的に肉食文化が忌避されていた。そうして酪農の技術がない中で、ベストリアンと戦うための戦力増強が必須になり、どうしても国民の栄養状態を改善する必要があった。そこで、過去に奴隷制度として、支配するための、飼うための方法が確立されていたベストリアンを使って、オルテンシアなりに畜産業を始めた……と、私は推測している」
フアンは膝から崩れた。言葉は出ない。
「ベストリアンの需要、その一つは畜産としてのもの。もう1つは……いま大広間で行われていることだよ」
「大広間……?」
フアンは大聖堂へ向かうときにあった、亜人や獣人の殺され、民間人が談笑しているのを思い出した。
「そんな……そんな……いや、おかしいですって」
「ベストリアンは、この国では悪だ。そんな奴らを殺して死体を積み上げた場合、何を感じると思う?」
「おかしい、おかしいです……」
「……正義感、達成感さ」
「そんな訳ないでしょう!?」
「そうして笑い、楽しみ、自身の中に正しさが満ち溢れた国民は満足げに今日も生きるのさ。人の正義感を満たすため、そうして人生に満足させるため、オルテンシアはその果てに治安を維持するために、人々に断罪させるための悪として、不満をぶつけさせる慰み物として、亜人たちを、獣人たちを、オルテンシアに解き放っている」
「そんな訳、そんなわけ……」
「……」
「……」
どれほど時間が経ったのか。
「私の推測でしかないよ……だが、おかしいじゃないか。治安の悪化した地域にこそ、よくベストリアンが現れるなんてこと。第5倉庫を破壊したとき、都合よくベストリアンが大量に出てくるなんてこと……オルテンシアは、ベストリアンを使って上手く国民の怒りの矛先を、聖典教からベストリアンに変えたのさ……これが、私が古典派であり続ける理由だ。こんなものの上に成り立つ社会が、いわゆる神に、主に、祝福されているものか」
「……これが事実として、あなたは、まだ聖典教に謎があると?」
「……不可解だと、私の知り合いが言ったのさ」
「それは……」
「シレーヌの生態、ベストロの外見的特徴がだよ。シレーヌは、他の国ではよく伝承としてある竜に近い見た目じゃないか。」
「……たしかに、そうでした」
「それにそもそも、ベストロとベストリアンの見た目が、なぜここまで解離しているのかも謎だ。ベストロはおぞましい、亜人や獣人は本当にその者らと類するのか疑問になるほどに」
「……テオフィルさんは、ベストロとベストリアンが、まったく違う存在だと思っているのですか?」
「そのはずなんだきっと違う、そうに違いない」
二人は、見えない先へ向かっていく。テオフィルの持つのは、火を風などから守るための透明な幕の張られた照明器具であった。取っ手で、下げるように持たれており、部品の擦れる音をキシキシとたてる。テオフィルはその火を、保護を外して消すと止まった。フアンも火を消す、そのまえにそばにはには落下で壊れなかったであろう、四隅の崩れた木箱にがあったのを確認した。
「どかすよ」
「……はい」
木箱をどけて、元の位置に戻しながら裏手の穴に入る。穴は上に向かっている。
「ここから北部の、防壁周辺に出る。北部から宮殿はかなり近い。急ぎその許可証を返却するんだ。私はまだここにいる」
フアンは登っていくと、テオフィルが言葉を掛けた。
「君がどう歩むか、私は見ているよ」
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




