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ブルートアウス ~意思と表象としての神話の世界~  作者: 雅号丸
第三章 信人累々 二幕

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十四話 咀嚼音

第十四話 


フアンはしばらく降りていった。腐臭などがより強くなっていくが、肥やしの臭いはない。上からの光は徐々に見えなくなっていく。ずっとまっすぐただ降りていく中で、フアンは咀嚼音の数が増え、次第にそれに、嘔吐するような嗚咽が混じっていく。

またしばらく降りて、腐臭の中に獣臭が混じり、湿って生暖かくなるので、フアンは警戒し始めた。

(獣臭……ベストロ!?)

フアンの下で穴は途切れた。袖から極めて短い松明を取り出すと点火、そのまま下に落とす。

(……!?)

下は、落とされた木箱の破片が混じった、乾いた肉と乾いていない肉の地面が見えた。骨はあばらの尖った骨や、犬歯。中には、人の頭骨などもあり、まだ肉や髪の毛が残って少しだけいて、死ぬ前の容姿が確認できそうなほどだった。千切れた腕の手足もあり、フアンは一言放ってしまう。

「奈落だ……こここそ、奈落だ……」

フアンの足元の光に、何かが這いよった。手足のある、血肉の付いた、顔色の悪い犬の、亜人だった。

「……きみは、誰だ?」

「いや……えっと……」

「誰でも良いか……」

お腹の鳴る音が、その亜人から聞こえた。おもむろに、木材の破片が混じった肉片を手で掴み、引きちぎるようにして口へ運び、入れた。湿って生暖かいのから、ウジが湧いており、またその親である虫も翔んでいる。それごと食して、嗚咽しながら飲み込み、涙ぐみながらまた食べる。

「……あの、えっと、あの」

「……」

フアンは、一応でもう何個か周囲に松明をばらいてから、穴の壁に杭を打ち、縄をかけて降下していく。落ちた松明の一つを持って亜人を見る。

「……」

もう食べることしか考えていないのが分かるので、フアンはさらに周りを照らしながら歩いた。

フアンは、泣きながら歩く。壁にもたれかかる、あるいは床に這いつくばる亜人・獣人の数々は最低限の服装すら持っていないでいて、なんら恥じることなどなく自身を晒している。歳を取った者は一人もおらず、腹を大きくした雌は比較的多かった。

「なんです、なんですかここは……誰か、誰か分かる人は……」

ふと目のあった、小さな獣人がいた。痩せており、目の輝きだけは一倍にない。

「君は……」

「あなたは、外から来ましたか?」

「言葉は、分かるんですね」

「あなたはここにいる人じゃない。あなたはきっと誰でもないけど、居場所はあるでしょう?」

フアンの足が止まった。少し遠くで、しゃがんで視線を合わせるようにする。照らしてきた道は、クロッカスであったような下水道施設を彷彿とさせるが、壁面は乾いた血で緋色に鈍っている。

「君は……」

「誰かである必要のない、それが僕ら、ベストリアン……」

奥で火が灯って、コンコンと足音が、だが弱く響いた。

奥から火を持ったのは、どこかで見た装いだった。

「君なら、きっとたどり着くと思っていたよ。白套の……いや、今は黒いようだね。私の知り合いを思い出すよ」

「テオフィル……さん!?」

「声は小さく。ここの者らは、みな疲れてるんだ」

「着いてきなさい、出入口に案内しながら、この国の、見ようともできない事実をいくつか話そう」

フアンとテオフィルは、いり組む地下道を歩く。ヨダレを垂らして倒れ続け、転ぶように歩く亜人や獣人は、やや恵まれた体格を有する者が多い。

「……」

「事実と推測混じりに話す。地下道の末端には白い装束の近衛兵もいるから、気を付けて進むぞ」

「白装束の近衛兵……」

「私も、ここ20年の調査でここを突き止めた。あまり知っている訳じゃない……だが調べていくうちに分かったことがある。オルテンシアにおける、2つの大きな、ベストリアンの需要をね」

「ベストリアンの、需要……?」

「……」

テオフィルの足が止まった。横で倒れている幼い亜人は、息をしていない。しばらく見ていると、過度なまでの呼吸が始まった。

「コラコラ……こうやって、自分で呼吸を止めて自死を謀るのも珍しくない。10割失敗するんだがな」

「テオフィルさん、教えて下さい。ここは何ですか」

「……ベストリアンの養殖場さ」

「……!?」

「私はそう呼んでいる。仕組みは簡単、デボンダーデや街中で発生したベストロや人間、ベストリアンの死体を細かく切って回収……木箱に詰めてここへ投下。ここのベストリアンの食事に充てている」

「そんな、そんなことって……養殖場ってなんですか、彼らを何にに!?なぜ、いつ、どこでそんな!!」

「イノヴァドールによって、オルテンシアの食糧事情は大きく改善された」

「……!?」

「オルテンシアに出回っている食肉は、彼らさ」

フアンは、体の震えが止まらなくなっていく。

「オルテンシア……聖典教は元々、宗教的に肉食文化が忌避されていた。そうして酪農の技術がない中で、ベストリアンと戦うための戦力増強が必須になり、どうしても国民の栄養状態を改善する必要があった。そこで、過去に奴隷制度として、支配するための、飼うための方法が確立されていたベストリアンを使って、オルテンシアなりに畜産業を始めた……と、私は推測している」

フアンは膝から崩れた。言葉は出ない。

「ベストリアンの需要、その一つは畜産としてのもの。もう1つは……いま大広間で行われていることだよ」

「大広間……?」

フアンは大聖堂へ向かうときにあった、亜人や獣人の殺され、民間人が談笑しているのを思い出した。

「そんな……そんな……いや、おかしいですって」

「ベストリアンは、この国では悪だ。そんな奴らを殺して死体を積み上げた場合、何を感じると思う?」

「おかしい、おかしいです……」

「……正義感、達成感さ」

「そんな訳ないでしょう!?」

「そうして笑い、楽しみ、自身の中に正しさが満ち溢れた国民は満足げに今日も生きるのさ。人の正義感を満たすため、そうして人生に満足させるため、オルテンシアはその果てに治安を維持するために、人々に断罪させるための悪として、不満をぶつけさせる慰み物として、亜人たちを、獣人たちを、オルテンシアに解き放っている」

「そんな訳、そんなわけ……」

「……」

「……」

どれほど時間が経ったのか。

「私の推測でしかないよ……だが、おかしいじゃないか。治安の悪化した地域にこそ、よくベストリアンが現れるなんてこと。第5倉庫を破壊したとき、都合よくベストリアンが大量に出てくるなんてこと……オルテンシアは、ベストリアンを使って上手く国民の怒りの矛先を、聖典教からベストリアンに変えたのさ……これが、私が古典派であり続ける理由だ。こんなものの上に成り立つ社会が、いわゆる神に、主に、祝福されているものか」

「……これが事実として、あなたは、まだ聖典教に謎があると?」

「……不可解だと、私の知り合いが言ったのさ」

「それは……」

「シレーヌの生態、ベストロの外見的特徴がだよ。シレーヌは、他の国ではよく伝承としてある竜に近い見た目じゃないか。」

「……たしかに、そうでした」

「それにそもそも、ベストロとベストリアンの見た目が、なぜここまで解離しているのかも謎だ。ベストロはおぞましい、亜人や獣人は本当にその者らと類するのか疑問になるほどに」

「……テオフィルさんは、ベストロとベストリアンが、まったく違う存在だと思っているのですか?」

「そのはずなんだきっと違う、そうに違いない」

二人は、見えない先へ向かっていく。テオフィルの持つのは、火を風などから守るための透明な幕の張られた照明器具であった。取っ手で、下げるように持たれており、部品の擦れる音をキシキシとたてる。テオフィルはその火を、保護を外して消すと止まった。フアンも火を消す、そのまえにそばにはには落下で壊れなかったであろう、四隅の崩れた木箱にがあったのを確認した。

「どかすよ」

「……はい」

木箱をどけて、元の位置に戻しながら裏手の穴に入る。穴は上に向かっている。

「ここから北部の、防壁周辺に出る。北部から宮殿はかなり近い。急ぎその許可証を返却するんだ。私はまだここにいる」

フアンは登っていくと、テオフィルが言葉を掛けた。

「君がどう歩むか、私は見ているよ」

2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。

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