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ブルートアウス ~意思と表象としての神話の世界~  作者: 雅号丸
第三章 信人累々

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四話 Creuse la poupée

第4話 


ヴァルト達が食事を終えたあとに、部屋に人が来た。やけに爽やかで胡散臭く、でも見覚えがあった。

「あぁっ、シラクさんだっけか?」

「……ん?どこかでお会いしたことがあっただろうか?」

着崩れした正装が、やけに艶かしく、ノイは吐き気を帯びる。

「うわなに!?」

ノイの目の前には既にシラクがいた。

「……君、名前は?」

「ノイ。しょるい?で読んだんでしょ?ちょっと、離れてよ」

シラクは覗くように目を見る。そして離れて全体像を見た。

「……じゃあそこにいる彼はジ」

ノイはシラクの頭部を、半分に叩き割るようにしばいた。

「えぇえ!?なんで!?」

フェリクスが小さく、事情を離した。

「……ヴァルトくん、ノイくん、フアンくん。私はエルヴェ・シラク。この組織、保安課を立ち上げた。功労者だよ、頼むからちょっとだけ労ってくれるかい?連日徹夜で疲れが取れない、助けてくれるかい?」

シラクはノイと目を合わせる。

「助けてくれるかい?」

「目を見て言わないでよ、おじさん」

「おじさんじゃない!」

「あっ……!」

カルメがシラクに肩を組んだ。顔が赤く、片手には酒瓶を持っている。

「まぁまぁいいじゃないの、ご飯まだでしょシラクさん。食べよ食べよ」

「カルメくん……その酒は当然、実費だよね?」

マルセルはそれを見ていたが首を振り、ヴァルトの近寄る。

「あの、ヴァルトさん。良かったらですけどその……」

「俺の武器を、解体してみたいってか?」

「……はい!」

「お前のもだ、いいな?」

「」

ヴァルトは、少し声を高くして武器を渡し、マルセルは鍵を渡した。

「これは僕の工房、その合鍵です。試験のとき見たあの抜刀、あの武装……気になって、正直仕方がありませんでした。行動隊の武器はそこにあります」

「抜刀がか?」

「剣を巻き取って収納するあの構造もです。よほど精巧にしなければあれは実現しない。書類では、自作とありましたのでその……」

カルメがマルセルに抱きついた。

「この子は何したってこういうゴチャッとしたもん作りがちなんだよね。火薬で動く回転ノコギリとか……考えたこともないよ」

「俺が気になるのは、どっちかといえばテランスのだな」

「あれは簡単です。まず火薬からですが、優性以上の火薬を用意、油に砂糖で粘性を与え、大剣の中に仕込みます。柄を捻ると油が加圧され細かい管を通って火薬ごと、盾のように構えたときの外側に染み出るように、刀身に塗られます。刀身には均等に火打石を組み込んで、叩きつけ、あるいは攻撃の摩擦で発火し爆破です」

その場にいるヴァルトを覗いた全員が首をかしげるが、ヴァルトだけがそれを分かったようでいた。

「あのテランスの吹っ飛び具合は、いやなおのこと異常だろ」

「あれは単純に、叩き付けた瞬間に彼が脚力で飛んでいるからですね」

「……アイツひょっとして」

「はい、筋力における優性があると診断されています」

テランスは上腕二頭筋を大きくするように構える。服の上からもハッキリと分かった。

「お、僕の話だな!?今、いきなり話が分かるようになったぞ!」

マルセルが溜め息を出す、

「……頭はアレですが」

「心中察するよ」

ノイは聞くのを諦め、食事をひたむきに食べていた。そして、カルメを見ていた。


―訓練 1―

翌日、ノイとフアンは訓練所にいた。彼らの正面にはシラクとフェリクスとテランスがいる。

「ねぇ、ヴァルトいないんだけど?」

「ヴァルトくんは特別に、マルセルの工房での研究に参加することになったよ。ノイくんとフアンくんは、それぞれテランスくんとフェリクスくんから特訓を受けてもらう」

シラクは背を向けて歩いていった。

ノイとテランス、フアンとフェリクスは別れて、各々訓練に入る。

ノイとテランスは、まっさらな、動きやすい場所に来た。冬の心許ない光の照らすのに、しかし彼らは肌寒さは微塵んも感じていなかった。

「ここに来るってことは、覚えてるんだが……あっ」

テランスはおもむろに下衣のお尻の箇所に縫い付けた袋から、紙を取り出した。テランスはそれを読み上げていく。

「兄さんから貰った手紙、きっと指示が、何々……お前のような阿呆はどうせ忘れるだろう、ので急ごしらえで指示を作成する。いいか、ノイくんはお前と同様に筋力が優れている。だが同時にお前同様、不器用さが目立つ。お前がやることは2つ、現状の装備の感覚にノイくんをなれさせるために……とにかく動け、一緒に。模擬戦でも力比べでもなんでもいい。準備運動と水分補給は怠るな……だ、そうだ」

「うん、あなた兄に嫌われてない……!?」

「そんな訳ないだろう!?こうやって指示を出してくれているんだぞ!?それに、水分補給を忘れるなって、これを読んでも兄さんの優しさが分からないっていうのか!?心外だぞノイくん!よし分かった勝負だ」

「何もわかってないわよ」

「どちらがより重い物を持ち上げられるかで勝負だ!勿論装備は着けたままだ!」

「えぇ??」

「勝負だ!!!」

「これ、本当に特訓……??」


フアンとフェリクスは準備運動を無意識で行いながら、会話をする。

「柵や家々の登坂に跳躍、階段を手すりを使って加速するように降りる。移動に関して、君は芸術的なまでに長けているようだ」

「えっと……?」

「……分からなかったならそれで良い。特訓内容についてだが」

フェリクスは懐から短剣を取り出し、突き立てるように振るう。フアンは回避し刀剣を2本取り出す。何かを察したようにフアンはフェリクスを全体像で捉え、左足の動きでさも踏み込もうと動き牽制をしながら、構えを反転させ右足で踏ん張り突撃、剣を振るった。それは、両手に構えられた短剣で上方向に弾かれ、空いた脇腹に柄を当てられそうになるのを、もう一方に剣で防ぐ。競り合うようにして膠着した。

「そのままで」

「……」

「ここからが訓練だ、気を落ち着かせ聞いてくれ。戦うわけではない、剣はそのまま当てておくんだ」

「……はい」

「いまの剣はどのような状態だ?」

「競り合っている?」

「刃の向きは?」

「両刃ですので向きも何も……」

「柄を握る癖で少し取っ手が削れ、馴染んでいるはずだ」

「……それでいえば、正しく持てています」

「君の動きは西陸にはない動きだ、どちらかといえば東陸、球凰の動きだ。さきほど君は私という、人間を相手にする動きを自然と行った。自然体で構え目を欺く、東陸にある武術によく見られる技法。はっきり言おう、君の動きはベストロ相手には不利だ。あれらは際限なく突撃してくる。叩き伏せ続ける持久力が鍵となる。では剣を見るんだ」

「はい、見ています」

「君の剣は、片方の刃だけ消耗が激しい」

「……!」

「東陸の刀剣は片刃であることが多く、故に鋭さによって流れるように敵を屠ることができる。だが君の剣は両刃で直剣、完全に西陸の武器だ。西陸の武器は基本、叩き、そして振り下ろすこと。そして両方の刃を利用した素早く、そして手首を痛めない直接的な切り返しが強み。槍の状態であれば重みがあるのでベストロ相手に問題はないだろうが、剣での動きは見直すべきだろう。動きが武器と合っていないのを教えた。3人の誰よりも君は1人の兵士として完結している。ので少々期待を込めて、あえてこれ以上は言わない」

「……はい、尽力します」


ヴァルトとマルセルは、工房と呼ばれる場所にいた。鉄と火薬で臭く、暑い、熱い、そして危ない。周囲には作りかけの武装がいくつも雑多に置かれている。鉄を溶かす炉や、釜や金床など多岐に渡る。しかしヴァルトが注目していたのはそういった目立つ機材ではなく、しまわれていた各種素材や、金属類を溶かして成形するための型、型を作る砂の入った袋、そして薬剤と透明な容器に入った液体に向いていた。

「……型を作って、そこから武器をね。くっそ効率良さそうだが、炉の熱はどう確保してるんだ?」

「石炭を燃やすだけではなく、単純に火薬なども使用します。ですが何より密閉するための構造ですね。これは40年程前に設計図だけ存在した、聖典教が保有する技術で作られています」

「結構前にあるんだな」

「イェレミアスにも同等のものがあったはずです」

「あぁ、だがやっぱ……科学に対して否定的だったオルテンシアにあるっていうのはどうにも」

「……ギ・ソヴァージュという方が作り出した技術をもとに、今のアドリエンヌは成り立っています」

「誰だそいつ」

「これはあまり公表されていまい情報なので、当然ですね。何十年も前、ある事件によって死亡が確認された彼は、大量の研究成果を残しました。特科礼装の技術だって、そこから来ているんですよ」

「へぇ。だがなぁ、なんで東側は科学を嫌ってるんだろ?」

「特別に好んでいたそうです。しかし国民の大半にとって科学はいまだ、神の存在を冒涜する人の業であるんです。聖典教が、代々信じてきたものですので……簡単にはいきませんね」

「西側は、まぁ兵士の家族が中心だってなら納得はいくわな」

「テランスさんの人気と、シラク様が提唱した理論によって。神を信仰しながら、科学を受け入れることが可能になり、東側から西側へ移る人々も増えていきました。東西での人口比率は、現在6対4……かなり成功しているといっても、過言ではありません」

「50年で、だいぶ変わったんだな……信じられねぇ」

ヴァルトは顎に手を当てる。

(このまま色々と情報を引き出そうか……しかし困ったな、シラクが提唱ってなんだ?共通理解のある奴だって振る舞わねぇと、こう……怪しまれるよなぁ)

ヴァルトが口を開いた。

「シラクが提唱ってのは、あれのことか?」

「はい、あれです」

「……」

「……あぁ~、分かります。少し、無理がある理論ですよね。でも裏話があるんですよ。聖典を紐解けば、神は手ずから大地や空を作り(お、なんか都合良く進んだ)

自らの分身として人を作り出し、我々を見て、過ごされている。その大地を破壊し、空を黒い煙で汚すのは、糞を川に流すのと同様、自然をお作りになられた神に対する冒涜……この一般論に対してシラク様は、神の作り出したこれら一切を紐解き、そうして啓蒙を高めることで、神の存在そのものの価値を高める。我々を見ることのできる全てに、神の存在を、科学を持って発見し、権威を高めようといいました。これはヴァルトさんもご存知かと」

「……あ、あぁ。まぁそのなんだ……王様、の為に優秀になろうとする臣下、みてぇな感じだって、俺は理解してる。(どっちかっていうと、必要以上に作品を考察して作者を神聖視しようってことか?)で裏話ってのは?」

「ここからなんですが、我々保安課が保安課である所以にまでさかのぼります。元々教会内でも、科学を否定する者はいました。当然でした……でも彼らの理論は少し違いました。自然とを科学で証明できるようになってしまった場合、我々をお作りになられた神というのは、あるいはその程度の存在なのでは?という恐怖です」

「はぁ?全然神信じてねぇなその言い方だと」

「教会の上層は何故かこうなんです、科学を肯定し始めたのも上層からですし」

「終わってんだろ」

「……なんというか、なんでしょう……やるせない」

「んで?」

「その懸念点を、シラク様は解消されました。今では教会の上層は全員が科学を肯定……いわゆる革新派です」

(上がまともで下がダメってのは、中々ねぇな。危険が多いな……最後に解消方法だけ聞いて、今日はもうやめておこう)

「んで、どんな理論だよ」

「形而上学的認識論」

「……もっかい言ってくれ」

「けいじじょうがくてきにんしきろん」

「……おう、さっぱりだな」

「我々が認識するすべての物や現象全ては、我々の目や耳や鼻、さらには経験や感覚という色眼鏡を通して認識していますよね?」

「あぁ~……確かに、そうだな、そこまでは分かった」

「それらを通して得た知識というものは、我々が見聞きした事物や事象を、本当に見聞きできているのでしょうか?」

「……????」

「神がお作りになられた世界が、被造物である我々が知覚でき得るものを真理として機能しているのであれば、我々は大地も、人も、存在するもの全てを、究極的には創造できることになりませんか?ただの石から銀や金を作れるか、否。天候はどのように変わる?雷はなぜおちるのか?この世界はどう始まったか?無かった世界を有るに変えることは、我々には不可能でしょう。では神が世界をお作りになられたとき、何を元に世界を?木材?鉄材?その果てに、理論は一切なくなる。我々がどのように突き詰めようとも、無から有を生み出す、0から100を生み出す。世界の原初には行き着かない、ゆえに私たちは神を知る行為を行ったとて、それは大工を父に持つ赤子が木材の欠片で遊ぶに等しく、到底神の冒涜には届かないということです。これが信仰を保ちながら科学を信仰できる理論、形而上学的認識論です」

「……????????」

工房の扉が小刻みに叩かれる。

「あの~フアンです~」

フアンは入ってきた。周囲の機材を見渡しながら、足元に転がるものを避け、ヴァルト達に寄っていった。

「特訓はどうだよ」

「知識だけ教えてもらいましたね、あとは自分の都合良い時間を見つけて自主的にと」

マルセルが席へ座る。

「フェリクスさんは、本部の訓練所でもそんな感じですからね……放任とも、期待しているとも……」

「へえ、ところでさっき、面白い話が聞こえてきましたが……」

「えっと、それは……」

「形而上学的認識論ですか……面白いですね。それに、シラク様は上層と国民で説明の仕方を分けている。上層は国を管理する側ですから、論理的説明は当然好まれる。国民には、神の信仰に科学をそっと乗せるようにして、抵抗感を消していく。おそらくその理論の真の価値はそこ。信仰の上に科学を成立させる点、どこまでいっても神の存在を愚弄できない点にありますね?」

「……そ、そうなんです!いくら我々が科学で何を解明しようとも、神という存在には届かない。世界を作るという等式と不等式を結合させるようなことはできません。そんなことができれば我々は、眠ることなく、食事も必要なく、ツガイもいらないでしょう。我々は不完全なまま不完全を認識しています!それを言語化し説明できてしまっているんです!」

「……うん、ヴァルト。ちょっと良いですか?」

ヴァルトが小声でフアンに告げられる。

「えっと、要は……神様が科学で説明できるような単純な方法で世界を作るわけないだろ、だから科学は進めて大丈夫ってことです」

ヴァルトはマルセルを見る。

「でも自然を汚すのは駄目ってのどっかいってるぞ」

「そうなんです。この理論は、神の被造物であるのを我々だけであると限定するかのようなもの。僕は、それだけは嫌なんです。火薬とか、そうじゃないですか?あんな煙の出るもの、正直私は使いたくはありません。武装はほとんど上からの指示に沿って作っているだけで……」

「自然が可哀そうってか?そういうのはおいおいじゃねぇか?あるいは以外と神様も、柔なもん作ったりはしてねぇんじゃねぇか?」

「……やわ?」

「まぁ、なんつうか……お前ウンコを土に埋めたことは?」

「よく育つようになります」

「すごくないか?どうやったらウンコで育つんだよ。意味わかんねぇ」

「……食糧の部類に、草木は糞尿を選べるのでは?」

「好きこのんで食うもんじゃねぇだろ」

「それはそうですが……」

「しかも埋めた土の中に、ウンコは残らねねぇ。この世界にゃウンコにすら利用価値がある。あれ以上に用途不明なもんあるか?でもなんかに使われてる。どうやってかしんねぇけどな。だからあの煙とかだって、何かの役に立ってるんじゃないか?」

「全部あなたの推測じゃないですか」

「まぁ機械だとしたら、歯車とか必要だけどな。機械と例えるにゃ、ちょっと世界は回ってないように見える。ゴチャっとしてはいるがな、逆に回ってるって分かったら、その神業は見習うべきだな。ウンコと俺らはどっかで同じかもなってことよ」

「あなたという人は……」

マルセルは、ヴァルトが机にいま置いた刀剣を見る。彫られた名前は露知れず、触り、動かし、唐突に見定めた。

「……鞘はほぼ先込め式の歩兵銃。余計な機構1つ無い、だから軽い。しかし撃鉄の辺りから折れる、中に火薬を入れるのですね。引き金で火薬が炸裂しその運動が……鞘の中に槍!?」

「火薬でそいつをぶっとばしてんだよ。鍔に当てて、そうやって加速する。刀剣自体を火薬で加速なんてしようもんなら、一瞬でススだらけ、刃こぼれしてぶっ壊れるからな」

「柄は握りやすい、指の形にヤスリを?」

「おう」

「撃鉄と引き金の位置関係は危ないですね……」

「あぁ、火傷はもう堪えるしかねぇ」

「少し改良してみます?」

「それが俺の課題だろ?武具の強化」

「はい、それとほかにもあって……」

「武器の強化は後回しだ、どうせデカいの作るんだろ」

フアンはずっと、ヴァルト達を眺めている。

(話が途中から分からなくなりました……入れなかった。友達として悔しい!!けど……楽しそうですねヴァルト。ていうか一番悔しがるべき方がここにいません!ノイ!?どこなんですか!?あなたのこと、1回も話題に上がっていませんよ!?ちょっと!?)

突然扉が破壊されたたように音を立てる。舞い上がる砂埃でそこが見えない。吹き飛んでいるのをヴァルト達人は見る。

「なんだ、ベストロか!?」

「扉から離れましょう!」

フアンが耳を澄ませた。

「待ってください……鐘の音が聞こえません」

ヴァルトとフアンはマルセルのやけに落ち着いた様子に、違和感を持った。

「……あぁ、鐘。来るとき言ってたな。鳴るとベストロ襲来の合図だっけか」

「正確にいえばデボンダーデの合図です。小規模の郡は報告が上がらず、鐘は鳴らされません。そして小規模であれば壁外でカタが付きます。昨日のは少し激しかったですが、それでも壁内に侵入された情報なって」

「……んじゃこりゃ一体」

砂埃が消えていき、何かが起き上がった。

「いっ、ってぇ……!!!なんだあれ、本当に女の子かぁ!?」

テランスがいた。

「……おい、何やってんだお前」

「あぁヴァルトくん、フアンくん」

テランスが埃を払いながら寄ってくる。フアンがけがを確認している。

「これは……テランスさん。ノイさんと特訓中では?」

「ヴァルトくん、フアンくん、あの娘は化け物かもしれんぞ!?」

マルセルが机の上に資料を出した。

「僕が彼女の体力測定を監督しましたので……知ってます。付近で見ていた兵士なんか、顎外れてましたよ。鉄の球を投げるときなんか、ほぼ大砲でした」

「なぁんで教えてくれないんだ!?」

「書類であなたも確認したはずです」

「僕がそんなことする訳ないだろう!?」

「自分の無能を補填されるものだと思っているのですか。あなたは歴代でもっとも頭の悪いジョルジュでしょう!?先代を敬っ」

テランスの顔が、曇った。マルセルは何か、どうしようもなく焦っているように見える。

「いえ、あの……申し訳ありません」

「あぁ、すまない。落ち着きが足りなかったようだ。とにかくノイくんの特訓は順調だ。彼女はすごい、武器なんていらないんじゃないか?」

テランスは背中を大きく見せ、後ろをふっと横顔で見る。笑っていた。

「では、さらばだ!」

テランスは飛んでいくように外へ出ていった。

「ここ、訓練所の隣にありますよね?」

「距離でいえば歩兵銃の最大射程ほどはあります。銃火器の有効射程からは意図的に外して、訓練時の誤射を防いでいます」

「その距離を投げた……?」

「テランスさんは、あるいはノイさんを怒らせたのでは?」

少し間を開ける。


「……マルセルさん。話にあったその先代の話、明日にでも聞かせて下さい」

「えぇ?あぁ……それは、テランスさんに直接お願いします」


―訓練 2―

ノイがテランスと特訓していると、シラクが呼び止めた。テランスは笑顔でノイを送り出す。木陰で佇むシラクに、ノイが近寄る。

「ノイくん」

「シラク……さん?」

「良かった、今度はおじさんじゃなかったね」

「さすがに、覚えました。本当にごめんなさい……」

「ははっ、まぁいいさ。ところで……君、名前は?」

「えぇ?」

「ヴァルトくんのことが、少し重くてね。あの場でもう1人聞くのもなんだかはばかられて。ノイという名前は、聞いたことがないんだ。書類でもテキトーに出せなさ過ぎるよさすがに」

「そんなに?」

「だって……」

シラクは指でノイがそう見えるよいに単語を書いた。

「Newって、イェレミアスの言葉で、新しい、だよ?新品ってこと?中古のノイくんもいたり?」

「えっと……その」

「本名は?」

「分からない、私もヴァルトと一緒……」

「そっか、ごめんね。そうだね……せっかくだ、君とヴァルトくんの出生をこちらで調べても?」

「……ダメ」

「どうして?」

「それが良いことなのか、分からないから。ヴァルトに聞いて?ヴァルトなら絶対に間違えないから」

「きみはヴァルトくんのことを信頼してるんだね。でもフアンくんは?」

「フアンは、私よりずっとすごいけど……分からない」

「分かったよ。でも、もしその許諾が得られた場合、即座に調査に当たりたい、何か手がかりになりそうなものはないかな?」

「えっと……えっと……ダメ、じゃないはず。少しは自立しないと……あのね?私をおじいちゃんの所に連れていったの、誰だっけ……」

「おじいちゃん……あっはっはっはっ、神父様だね?そうかい、きみはよほどその神父様と仲が良いのかな?」

ノイはあおざめた。

(そうだ、ハルトヴィンのおじいちゃん、いま神父様っていう設定だった!危なかった!!よかったぁ~!!)

「どうしたんだい?顔色が悪いよ?冬で寒くても水分は摂りなよ?」

「えぁぁあはっそっそーですねぇ~」

「ん?で、誰が連れてきたんだい?」

「えっと、バックハウス……っていう家の」

「……これはこれは、大物が登場だね。イェレミアスのゲゼルシャフトかい」

「ゲすシフト?」

「こっちでいう会社とか経営団体だね……バックハウスはその一番上の家柄だよ」

「お金持ち?」

「うん、その辺の貴族なんかよりよっぽど国に利益をもたらしている。へぇ~……で、バックハウスの?」

「の、の……あれ、誰だっけ?」

「へぇ~……なるほど、ありがとう」

シラクは早足で木陰から出ると、玄関に向かうことなく窓から本所に入っていった。

(……あれ、確かカルメおばさんがそれ)

シラクが室内で怒られる声が聞こえた。ノイはテランスのもとに戻るが、テランスは何も構えないでいた。

「あの、ノイさん……」

ノイは機嫌が悪そうにしている、

「……何?」

「昨日はその……すまない。あれは失礼だったなって思って……」

「……本当にサイッテーだったから」

「でも兄さんがまったくその……興味ないんだ。だから女の子からいってもらった方が」

「やめた方が良いよそれ、アンタのためにもならないと思う」

「……そうだね、そうするよ」

「本当にビックリしたんだから、いきなり、なぁノイくん!兄さんに興味はないか!?よかったら結婚してあげてくれ!!って」

「……兄さんの地位なら、とりあえずお金とかで困ることはないだろうから。でも……兄さんだけじゃない、なんでかな?僕らは、なんというか……女の子のからの人気が」

カルメが割って入った。

「へぇ、恋愛で君が頭をかかえるんだ」

「カルメおばさん」

「よっ、まぁ若いから分からないよね。でも、凄く分かりやすいよ?」

「なんだろう……はっ、分かった!僕ら汗臭いんだ!」

カルメがノイを見ていると、服の臭いを嗅いでいた。

(私臭わない……よね?)

「話を戻すけどさ、君ら兵士の人気がない理由はね。結局さ、前に出て戦う奴ってのは……往々にして早死するんだよ。好きになった奴が翌日無惨に食われて、子供だけお腹に残してそれっきり、埋葬すらできないのも当たり前。そんなのを相手に恋愛だの結婚だ、惚れた腫れたってのは……まぁ耐えられないらしいよ」

「……僕と兄さんは死なないぞ?マルセルもおばさんも、皆も」

「君や君らはその実力を、現地で見られるからそう判断できる。私やノイちゃんがいるから忘れがちだろうけど、戦場は男の世界だよ?女はそれが分からない、分からなくて怖い……後方勤務の事務官が狙い目だって、もう通説があるんだ。知らないだろう?」

「……そんな、じゃあ兄さんは」

「残される可能性ってのは、やっぱりキツイんだろうね……なぁに、金さえればイェレミアスの女なら捕まえられる。金か顔か、あの子らはそうさ」

「おばさんは結婚してないの?」

「戦場にいる女は男同然さ。あぁ、ノイちゃんと女性らしさを保っているし、大丈夫だと思うけど?」

ノイはうつむいていた。

「なんの話をしてるんだ?」

「分からないなら、テランスは才能はないよ」

マルセルがやってきた。少しススが目立つ。

「汚れてるねぇマルセルくん、実験は上手くいってるかい?」

「上手くいっていれば、ここまで思考回数は増えませんよ……ソヴァージュの残した遺品、やはり衝撃で爆発する矢じりというのはまだ技術としては不完全ですね。もっと精巧に部品が作れるようにならないといけないのですすが、ヴァルトさんが、技術で科学を補うのはどうなんだろうと……凄い発想ですまったく。そんなこといったら、機械で機械を作ることになる……はたしてそれは可能なのでしょうか……」

「まったく君達は、男の子だねぇ」

「子ではありません!貴女と同じ、大人であり兵士です!」

「マルセルくんって、何歳なの?」

「16です」

「いい女性は見つかったかい?」

「へぇ!?!?」

「その年ならもう考えるべきだろう。兵士なんだ、捕まえられるアホは、捕まえられるなら捕まえときなさい」

「えっと……その……」

「まぁいいさ。マルセルくん、何か飲み物でも取ってこよう。テランスくん、ノイちゃん、休憩しておきなさい」

マルセルはどこか跳ねるように、カルメと室内へ入っていった。

「なぁ、ノイくん……ぶっちゃけ彼らどう思う……!?」

「どうって……え、マジ?どっちが……!?おばさん!?」

「マルセルだ、すごいよなぁ16と、おばさんいくつなんだろ」

「30か40だよね」

「おばさん鈍感なのかなぁ」

マルセルはカルメと、調理場の隣にある水を入れた樽が置いてある場所にきていた。樽から水を汲んでいる。

「……あの子達、戦えると思う?」

「間違いなく、あぁ……ヴァルトさんは全体的に筋力は低いですが、剣を握る握力などは、物作りでか自然とあります」

「そっか、じゃああの子らは死なないね」

「……僕も、カルメさんもです」

「カルメおばさん、ね?」

「……えっと、その」

「なんだい?」

「先ほどの会話、少し聞いたんです。戦場は男のだとかって」

「盗み聞きかい?関心しないなまったく」

「……あの、えっと、貴女はその、大丈夫です。しっかりと女性ですので、どうか自分を、自分の……み、魅力を……捨てないで、下さい。貴女はその、あの、えっと……」

カルメは背筋が伸び、思わずマルセルを見た。赤く腫れ上がるような顔をしながら、しかし真っ直ぐと見つめられる。カルメは、吹き出した。

「ぷっ、あっはっはっはっ。いやぁマルセルくん、君上手いねぇ。若い子にそんなこと言われて、こりゃおばさんも頑張らなくちゃね」

「……あの、その……ぼ、僕は、あなたのことが、えっと」

カルメはマルセルの口を、人差し指を縦にして抑えた。カルメは顔を限界まで近付け、目をほんの少し開けた。ススの匂いと、カルメの元来のそれが混じるよう。

「マルセルくん……その続きは、誰か別の子にね?私はさっき、確かに捕まえられるうちにと言ったが、そんな節操悪くやるものじゃないよ?おばさんは確かに独り身だ、だが君には未来があり若さがある。もっと見渡しなさい」

鼻息と吐息が入り交じるのに、マルセルは耐える。目に入る全ては、もはや攻撃のようで、その受けがたく、流しがたく、そしてはそうしたくないものが彼を蝕むように洗った。

「焦ることはないよ?女のことで困ったらおばさんに相談なさい。先に教えておいてあげよう。しっかり丁寧に……さっきみたいなのはダメ。このことはおばさん黙っておくから。胸のうちにしまっときな、初恋が40超えたおばさんじゃ君も後悔するよ」

指を離して、顔を下げる。自分の口元付近にその人差し指を持ってきた。それは静寂の印に見える。

「全部忘れて、ね?」

喉から出そうなものを引っ込めるようにマルセルは、出そうな手も全て、その白い頭の中に理性を、呼吸と共に入れて深く、深謝の言葉と共に部屋を出た。カルメは目を閉じる、気付いた。持っていくはずだった水は全てない、マルセルが持っていった。取り残されるようなカルメは、マルセルの唇に当てた人差し指の一点を眺めていた。彼のそれが当たっていた部員である。

「私は……」

指を唇に近付けた。吐息を当てる、そして唇を触れさせとする。閉じられていた目が、少し開いた。扉が叩かれよりも前に開けられる、シラクがいた。

「……決まったよ、日付」

舌を引っ込めたカルメは、髪の毛を垂らして目はみえない。その罪の甘味を乾かす勢いで、部屋に1つ溜め息は籠った。

「……ありがとう」

「君はそれを味わってはダメだ……きっと僕みたいになるよ」

「私はダメな女だ……」

「我々は見てはいけない、知ってはいけない、そういう立場さ」

「えぇ、そうよね。今さら……資格がないもの」

シラクは、訓練所の方向を見ていた。


―3日目―

早朝、ヴァルトが工房に行こうとする前、ノイとフアンを集めた。前日の就寝前に予定を合わせ、本所の裏で3人揃い、木陰に腰を下ろしているフアンとノイは、少し疲れが見える。

「お前ら大丈夫かよ」

「私はぁ……なんとか」

「僕は、少し気合いの入ったことされたりしてます」

「自主的とか放任とか言ってなかったっけ?」

「それはそうと訓練はありますよ。筋肉を増やすではなく、動かし方ですね」

「私は装備の重さに慣れろって言われてる、ヴァルトは?」

「あぁ、まぁ色々と作ってるぞ」

「例えば?」

「とりあえず、外部から銀を振りかけて切断したら剣の効果が増大した。んで大量に銀粉を作って携帯してる。あとぁまぁマルセルの研究に付き合ってる感じだな」

「ヴァルト、少しいいですか?」

「……進展は、あんまりだな」

「こちらもです、天使に関する情報なんて、まず聞けませんしね。内部に関しても、上手く引き出すしかないので……当分は信頼構築に専念ですね」

「何か、諸々の情報が揃ってる場所ねぇかな?

「あるとしたら、俺らが最初入ったシラクの執務室か、フェリクスの執務室」

「あ、そうそうヴァルト。私の、親のこと聞かれたよ」

「誰にだ?つか話したのか?」

「えっと……なんか話してたらいなくなったんだよね急に」

ノイは、シラクとの会話を一言一句、覚えている限りできるだけ正確に伝えた。

「うわぁ、お前を見事に術中にハマったな」

「ヴァルトへの信頼を逆手に……いや、それにしても軽率です」

「いまシラクはお前を連れてきた奴を探してる」

「なんで?何も私いってなくない?」

「誰だっけっていったろ?つまり自分では覚えていないか、誰かからそう言伝で聞いた可能性を推測できる、そしてシラクはバックハウス家の誰かに連絡をする」

「あれ……私やっちゃった?」

「いや、イェレミアスに連絡を取って、かりにノイを連れてきたのが誰かが分かったとする。俺らがどの孤児院から来たかどうかまで追跡できないハズだ。ジジイが指示を出さずともそれはバックハウス家がなんとかしてくれる。ユリウスっていうのが今の頭首なんだが、あれはそのあたり完璧だ。手放しで任せられる、なんとかしてくれるってな」

「なんか、私のやらかし全部どうにかなってる気が……」

「ノイはこの中で一番話しやすいですもんねぇ、だからこそそれ用の対策もしているかと。僕らが忠告してもノイは忘れそうですし……だから僕らも、黙ってろとかはいいませんよ」

「下手に演技されても、困りますしね」

「あの、ごめん」

「書類上の不備ってやつか?」

「こんな名前いないよって……そんなに珍しいのかな?」

ヴァルト達は話を終えて解散した。ヴァルトはフアンに小さく言った。

「シラクの監視、必要かもな」

「怪しまれてるかもと?」

「人のなんて戦ってりゃいくらでも入れ変わるだろう?名前をなんてどうでも良いだろ」

「行動隊だからでは?」

「であれば、あんなカマかける真似はしなくていい。こうやって話されて信用を失うのは目に見えてるはずだ、信頼関係が必要な組織にとっちゃ危険だろ。利益を作る組織なら露しらず、国民という国の財を守る側の動きじゃねぇ。杞憂ならそれでよしだ、頼む」

「分かりました。では、シラクに関して色々な人に聞いてみましょう。聞いて回っているという情報は、大事にしたくなければ、敵敵への牽制になります。ヴァルトとノイはなにもせずで、そうすれば僕の個人的興味関心で、最後は逃げられます」

「おう、頼んだ」

ヴァルトとフアンは離れる。ヴァルトは移動していき、合鍵で工房を開けようとする。鍵を入れて回すが、何も反応しない。

(お、開いてる?)

ヴァルトが扉を開けると、机に座って図面を描いているマルセルがいた。目の下が黒くなっている。が、妙なほどに元気かもしれない。

「おぉ、なんだ徹夜か?」

「おはようございます……!」

「見せてくれ」

ヴァルトが見た図面は、図面が描かれていた。

「……これでシレーヌが倒せるってか?」

「えぇ、でもこれは一助に過ぎません。ですがこれがあれば、確実に足止めができる」

「あの馬車にあったクソデカ弩、取っ払うのか?」

「はい、この武装と換装します」

「ケンタウロスにぶちこんでた……破砕銀矢だっけか、あれはどうする」

「お蔵入りですね……必要な経費に似合わないですし」

「弩は取り払うとして、あるだけ持っていけば良いじゃねぇか。何かに使えるかも」

「……そのつもりです。シレーヌが根城にしているのは、古城ですから。整備すればまだ使える武装もあるでしょうし」

「ほぉ……なぁ、そろそろ全貌を教えてくれよ。イェレミアスじゃ教えてくれなかったんだ」

「あとで全員知ることになりますよ?」

「目的のための手段として武具だろ、目的は明確じゃねぇとな」

「では……我々の目標は怪鳥……いえ、あなたの言葉を借りるなら獣竜シレーヌの討伐、そして奈落の調査、および穴を塞ぐ方法を探します」

(どっかでカルメが話したんだな?)

「実行日は、次のデボンダーデ……冬季第二次デボンダーデの終結直後です」

「穴……ねぇ」

「我々の見立ても含め、デボンダーデが起きる現象をお話ししましょう」

「おう」

マルセルは工房にある黒板に、石の筆で白く図を書いていく。

「これがオルテンシア、ここが奈落の位置……中間より少し後ろの古城」

「エトワール城だったけか?」

「さすがに知っていますか」

「行ったことはねぇがな……ベストロが現れるまでは現役で誰かいたんだろ?」

「そうですね、ですが今はシレーヌがいます」

エトワール城の絵に竜らしき汚い絵を描く。

「図面はまだしも、お前……絵下手くそだなぁオイ」

「すみません……」

「で、そんな危険なことやる理由だが……」

ヴァルトは顎に手を当てる。

(まぁ俺含め、ナーセナルの方はカルメから話は聞いてるがな。ノイは覚えてるか分からねぇけど)

図らしきものを書きながら、マルセルはヴァルトに説明していく。

「デボンダーデの最大の要因は、まず第1にシレーヌによる西方の支配が原因とされています」

「ほぉ?」

「ベストロは、同種間での生殖行為や補食行為、縄張りや群れの形成も確認できます。故にこれらから、ベストロの行動原理は他の獣と同様であると仮定し、様々な要因を模索すると、シレーヌという脅威によってすみかをおわれたベストロ達が、東側に逃げてきていると推測できます。これは、シレーヌの行動が活発になる時期が、ちょうどデボンダーデに重なっている点で裏打ちされています」

「デボンダーデって、そもそもアドエンヌの言葉だもんな。確か……集団が突然同じ方向へ走り始めること。それ自体を表す言葉……雷が落ちたときに牛とか鹿がよくやる行動、みたいなだっけか」

「ミルワードの言葉では、スタンピードというものもあります。他でいえば、日輪の伝承に百鬼夜行とも……聖典には記載されていない現象ですので、我々はただ原因を推測するしかないんです」

「奈落から出てきて俺達を一掃したわ良いが、今度はアイツらもおわれる始末か。ザマァねぇな」

「見方を変えれば確かに愉悦でしょうが、そうも言ってはいられません。我々は何度も、西側にいるすべてのベストロをぶつけられているのですから。奈落にいるベストロも、底を付いて欲しいものです」

「案外、奈落ってのは広いのかもな」

「はい、そういうのもありましてその、とにかく奈落を塞げば良いのではというのが今の見解です。具体的にどうするかを考えるためにも、現場に拠点を設営する必要もあり……」

「やることをまとめると、デボンダーデをぶっ飛ばして、シレーヌぶっ倒して、穴にデカイ岩でもぶちこむっ話か。いや待て、奈落ってクソデカイ穴だよな?見たことねぇから分からねぇけどよ」

「はい、50年前のベストロ襲来時、当時の禁足地と呼ばれた場所に開きました。まぁ今も正式にはそう呼んでますが……もっぱら奈落とか大穴とか言われてます」

「どうやって開いたんだ?」

「それが、いつの間にか……としか報告があがっていないんです。禁足地には当時警備のための純銀軍……あぁ、当時のアドリエンヌにおける軍の正式名です。純銀軍の駐屯部隊はほとんど帰還しておらず、少数の人員のみが帰還しました。曰く、突然開いた……と」

「ふぅん……なぁ、ちなみにそいつらまだ生きてるか?」

「こんな世界で、50年も生きられる訳ないでしょう?貴重な方々でしたが、人材不足のためにやむおえず動員し、散っていきました。最初期は戦術も何もありませんでしたし、大砲も銃もなかったので」

「そいか、まぁいいさ」

ヴァルトは昔聞いた、ハルトヴィンの会話を思い出す。

(確かじじい、なんか禁足地の方角が光ったとかなんとか言ってたような……食い違いにしてはデカイな。突然開くと、現象あって開くとじゃ……違いが大きすぎる)

「禁足地は元々、ベストロが現れたとされていた場所です。太古の昔に初代ジョルジュであるサン・ゲオルギウスと教皇や聖典教信者の義勇軍によって、ベストロを追い返し、祈祷により隕石を落として埋め立てた」

「ド派手なこったよな」

「ですよね。大穴を埋め立てたは良いものの、けっこうその跡が大きくて……隕石せのせいでおおきな窪みになってるんですよ。これは教会内でも、あまり知られていない情報です」

「太古のベストロも、突然現れたのか?」

「記述はとくにないですよ、聖典はお読みになられていますよね?」

「確認しただけだ」

「ですよね、失礼しました」

「おわれるってのを考えると、デボンダーデを終わらせた直後なら西側のベストロは、国をあげて掃討したも同然……確かにシレーヌをぶっ飛ばす好機ではあるな」

「そうなんです」

「なぁんで今までやらなかったんだ?」

「回数は少ないですが、何度かやってきましたよ。時期としては、単純に国力の安定し、そして冬前で生き物やベストロの動きが低下した瞬間を狙います。食糧調達は難しいですが、ベストロも他の哺乳類同様、寒ければ動きは低下しますので速度良く目標まで向かえます」

「デボンダーデのとき、俺らはどうするんだ?」

「保安課の戦闘員で、できるだけ対象してもらう予定になっています。我々行動隊は消耗を抑え、デボンダーデの後から行動を開始します。勿論ですが、不足の事態であれば消耗なんて関係ありません、戦いますよ?」

「その場合はシレーヌを迂回しても良いんじゃねぇか?穴さえ塞げばどうとでも」

「カルメさんが調べてくれましたが、西側の街道はもう完全に破壊されて使える状態ではない。シレーヌを迂回して奈落まで行っても、帰るための物資が……」

「そのためにも、エトワール城あたりを補給の拠点にする必要があるって訳か」

「古城であれば、設営も簡単にできますので」

ヴァルトは開いていない窓を見る、開けた。籠った薬剤の鉄の臭いが飛んでいく。

「ヴァルトさん、その……」

「おう、どうした」

「……ヴァルトさんは、どうやってノイさんと仲良く?」

「はぁ?ガキの頃から一緒だからな、わかんねぇよ。フアンだってそうだ」

「あぁえっと……そうじゃなくてその」

「なんか、シレーヌ討伐と関係あるのか?」

「えぇっと……」

「1回寝ろ、俺も納期の前はそうなる。お前寝てないだろ」

「……分かりました」

ノイは訓練所で、テランスがフェリクスに起こられているのを眺めていた。

「私は、いつお前に婚約者を探すよう頼んだ?」

「だからごめんって」

テランスはタマを蹴られた。鎧を着ていないので、それは直接響く。

「お節介にもほどがあろう!?ヴァルトくんらの書類を提出したとき、本部の修道女から妙に気味悪がられていたの、お前のせいか!!」

「そうだったのか!?すまない兄さん!!」

「あちらの上司から言伝がなければどうなっていたことか!」

ノイの目の前にテランスが投げ飛ばされた。地面に突っ伏して脈動するように痙攣そている。

「すまないノイくん。しかし淑女に対する非礼は、彼のこの様を持ってぜひ許してやって欲しい。彼は生来、根性を食って正義という糞を排泄してきた者、ので他者へのお節介は欠かさないのだ。だがそれもあって西側での彼の人気もある」

「西側?」

「ここらに来て一瞬で、これが民に囲まれたのは覚えているだろう?これはお人好しの怪物なのだ。暇があれば人探し、掃除、洗濯すらやっている」

「へぇ~すごいじゃん」

「全部下手くそだ、苦情が来たこともある」

「ダメじゃん!」

「だが、親身な人材とはやはり必要なのだ。これはこれでも国家最強の兵士である。ので少々、愛着を稼ぎ過ぎているがな」

「兄さん……誉めてくれて……ありが……と」

「死ぬのは早いぞテランス、せめてもう何体かベストロを屠ってからにするんだ」

「でもなんだか、悲しいよね……頑張ってるし命も掛けてるのに、人気ないなんて……」

「ここ50年……オルテンシアの女性は多くを失い過ぎた。この国に、いったい何人の未亡人がいると思っている?これは我々、男が背負うべき問題だ。日々の努力によって我々は生存率を上げる必要がある、ただそれだけだ。それに少なくとも私の行動原理は、何も女人にもてはやされるのを目的にしてはいない。ので関係はない」

「そうなの?」

「……兄さん、あまり俺らのこと話したって」

「フアンくんには、もう言ってある。我々の中に必要なのは共通認識であろうが、それにはまずは自己開示からだろう?」

「簡単な単語を使ってくれないか兄さん、ノイくんも困っているだろう」

目を点にしたようなノイがいた。

「????」

「私は単純に、父上の敵討ちをしたいだけだ。幼少のころ行われたシレーヌ討伐戦においてそれは失敗し、追随した補給部隊共々、いまだ未帰還のままである。カルメくん曰く、その残骸らしきものがエトワール城に確認できたそうだ。私はただ、シレーヌを討伐した、ただそれだけだ」

「お父さん?」

「私だけではない、当時まだ嫁の腹も大きくなっていなかったそうだが、マルセルの父上も同様、補給部隊としてエトワール城へ向かっていったのだ」

「ぇっ、じゃあ……」

「未帰還である」

「……テランスも、敵討ち?」

テランスは立ち上がって、土を払う。

「……正直俺は、兄さんに付いていくだけだ。俺は親父を知らない」

「テランスはあのとき、まだ母上のお腹の中であった」

「あぁ、そんなところさ。だが親父の死の原因がるってなら、ぶっ飛ばすのが家族だろう」

「父上はかつて私に言った。自らに列し隣する者への思いこそ、世界を救う鍵となる。私はそれを実践していきたい」

「僕殴られたんだけど……」

「暴力と愛は直結せずとも隣接である。それは一重に相手をどうにかしたいという意識を、表す手段と志である」

「兄さんは好きな子を殴るってことか!?」

「……そういう曲解をするから、私はお前をぶちのめす必要がある。理智を持って挑める相手を除くは、拳をもって是非もなし。これから私は書類を整理する、腕を疲れさせる訳にもいかない、今日はこれでしまいにしよう」

フェリクスは離れていった。残されたフェリクスは、蹴られたタマをさする。

「……殴ってはいないよ、兄さん」

「お父さんの顔か~、私にはわかんないなぁ」

「あっ、すまない」

「いいよ別に」

ノイは空を眺めていた、雲っている訳ではない空。

「……体、動かそ」

「だな、よし!」

マルセルとヴァルトが、ごちゃごちゃした工房をさらにごちゃごちゃにしている。

「……汚くなってしまいました」

「俺のせいだな」

「少しは片付けしてください」

「なんかできねぇんだよなぁ」

「分かりますけど……」

「え、お前もか?でも来たときは綺麗だったぞ?」

「テランスさんです」

「お人好しってのも嘘じゃなさそうだな」

「最初の頃は物を壊すだけでしたが……いえ、まぁ科学なんてあってはいけないものですけどね」

「おいおい、それお前が言うのか?」

「先ほども言いましたが、僕は神がお作りになられた自然が心配なんです」

少し時間が経つ。

「……お前はなんで科学を進めるんだ?」

「必要に駆られて、です」

「いや、教えを守るとかの方が大切だろ」

「貴方だってそうじゃないですか。イェレミアスも聖典教を信仰する国ですよ?あなたまさか」

ヴァルトはただ、言葉を詰まらせる。

「貴方はなぜ?」

「……必要に駆られて」

「そうですよね」

ヴァルトは、マルセルに刀剣を見せたときの表情を思い出す。

「俺の剣、どうよ」

「改善の余地ありですね。設計図は持っていますか?」

「んなもんねぇよ、贅沢いってんじゃねぇ」

「えっ?」

「いや何、なかったら作れないってのもアホな話だろ?」

「日頃からそうしていると?」

「あぁ」

「……刀剣の曲がり方は、抜刀にむいてはいません。しかし向いてなさすぎる訳でもない。撃鉄の位置が体に近く危ないですが、であるからそこ逆手でも抜刀できる」

「ゆえに?」

「兵器として運用するだけでなく、汎用性を兼ね備えている。僕は特化させる武装した思い付かないので、扱う手の位置まで考慮した設計は苦手です。素晴らしいです」

マルセルはひたすら語るのを、ヴァルトは聞いていた。

「引き金の構造などは、できるだけ簡素に作っている印象です。刀剣を巻き取る機構は、優生の磁鉄鉱による回転機構で鉄糸を巻き取る。鞘はもはや、皆さんが持ち込んだあの筒のような武装……破城釘を小型にして内臓したような部品があり、それを装薬で射撃して鍔を叩いて抜刀している。火薬で刀剣をし射出なんてしたら刀剣がすぐダメになると思っていました。当初は刀剣自体が優生なのかとも思いましたが……優生自体そこまで多い物ではないですし、しかしこの構造なら耐久性を確保すべき部品は限定されるので……」

「もういい、分かった。剣一本でどんだけ喋る気でいやがる」

「いや、それを作ったのは貴方ですが……!?」

「うっせ、黙れ」

「科学はやはり、素晴らしい……でも僕はやはり、煙や、地面を掘っていくのがどうしても怖い」

「必要に駆られて、じゃなかったのか?」

「……なんなんでしょうね」

マルセルは、窓を開けた。

「僕は、ダメな人間です。だから色々と上手くいかないのでしょう……ヴァルトさん、僕は……僕は……おそらく、信じていながら科学が好きなんだと思います」

「……おぉ、言ったなおい。言いやがったなおい」

「……ヴァルトさんも、この感情をお持ちなのではないでしょうか?」

「……うぅん、深く考えたこちはないな」

「僕にとって、この感情は別離すべきものなんです。相反する2つの感情は、1度に持ってはいけないと思うんです。ヴァルトさんはどのようにこれを越えたのかなと……」

「デカイ話になったな急に、なんかあったか?」

「……お恥ずかしながら、ですが」

マルセルは溜め息を1つ吐いた。

「女性に、僕の本気をからかわれてしまいまして」

「お前、ちっさいもんな」

「ハッキリと言いますね……いえ、だからこそヴァルトさんに聞いてもらっているのですけど」

「行動隊の奴らには言ってねぇのか?」

「……」

「どした」

「……言えないんです」

「……カルメか!?」

「ちょ!!」

「マジかよお前!!ばああだろアイツ!!」

「何を、立派な女性ではないですか!!」

「そりゃ相談できねわ……年上にあしらわれた、どうにかしてってのは」

「……他の人にそれを言いなさいって、言われまして」

「妥当だな」

「……でも、僕は」

「……よしちょい待て、専門家を呼ぼう。なるほどこの前アイツ、通りかかったって訳じゃなかったんだな」

ヴァルトが工房の扉をあけると、フアンが立っていた。

「聞いてました」

「こういう話、お前好きだもんなぁ。目ぇ付けてたのか」

「はい、最初に彼を見たとき思いました。絶対に尊いものがあると!」

「んじゃあと頼む、俺は体動かさねぇと」

フアンは去ろうとするヴァルトを捕まえる。

「ちょっと、ヴァルトも聞くんですよ!」

「なんでだよ……」

フアンはヴァルの強引な逃避を力で連れ戻した。汚い部屋に、おそらく3人。フアンとマルセルは向かい合って座る。机などが間にある訳ではない。

「……あの、フアンさん。僕はその」

フアンはマルセルの手を、手袋越しに握った。マルセルはその分厚い手袋に、暖かさを感じる。

「とりあえず、お疲れ様です。告白なさったということですよね?心身共に、強張ったと思います。今は大丈夫ですか?」

「えっ、あぁ……えっと……全部話した方が良いですかね?その、何があったとか」

「言える範囲で教えて下されば、お答えできることも増えます。でも、言いたければです」

沈黙の後、マルセルは決死の覚悟の頬が腫れ上がるような羞恥を抱きながら、自分の言った言葉、相手の行動や発言の全てを暴露してしまった。フアンとヴァルトはただ、唖然としていた。

「えっと……マルセル、さん」

「……んんん!!何ですか、だって、だって、何とかするって言ったじゃないですか!全部話した方がいいかなって、思っただけじゃないですか!」

「……いえ、まさかその」

フアンは立ち上がる。

「……それ、別に断っていないでしょう」

フアンは人差し指を立てた。

「まず第一、この動きの後の行動ですが……全部、貴方を誘うような動きじゃないですか?」

「……それは、ただの期待でしかないでしょう」

「自称ではありますが、カルメさんはおばさんです。であればもう、そうと割り切って行動しましょう。その上で、まぁここからは全て想像でしかありませんが……彼女は、君の思いに応えられる自信がないのでは?」

「……へっ?」

「若いというのは、それだけで価値があるのです」

「だったら、あんなこと言わない……」

「そうだったら、そんな若いこのをいたぶるような動きはしないでしょう?僕は彼女の断るような姿勢それ自体に、貴方を大切に思うのを感じます。でも思いが行動にだけは、正直に現れている」

「そんな、相反するような」

「そんな思いが、君にもあるのでは?」

彼は自身が持つ宗教への思いとカルメを重ねた。

「……!?」

「聞いていましたよさっき。だから、貴方は彼女を理解できずとも納得できるのではないでしょうか?それはまさしく運命だと思います、言い換えれば神の思し召しかと……きっと彼女はこれからも、行動だけは君の研究開発と同様に止められないと思いますよ。それに若いというのは、それだけで魅力です。自称オバサンがそんなのに手を出すのは、我々が思っているよりもずっとはばかられるものかとも思いますし、第一に兵士は死にやすいから選ばれにくいというのもある。失恋ではあります、でもこれは、今日まで乗り越えるべき壁を見えないまま、それを越えずに生身で体当たり状態。そう考えた方が、きっと貴方は良いかもしれません」

マルセルは、涙を流した。

「……そうですね、きっと……でも、期待から出た訳ではないじゃないですか……僕は、僕はただ」

「大丈夫、大丈夫と、毎日唱えている突き進む。それが人間に出る最小限にして、最大限の行動だ。これは、ヴァルト達を育てた神父様が仰ったことですが……この言葉の真意は、現状を変えるために必要な行動……それを形作る精神を、日々の苦悩から守り、癒すことにあります。神父様は常に行動して、そうして私財を投げ、孤児院を建てられました。様々な苦労を、僕自身は対話を介して知りました。立ち上がれなんてことはいいませんが、彼らの祖父たる神父様は、そう生きて結果を出した。それを、一例として覚えておくだけで、どこかで貴方を奮い起たせると、そう思います」

マルセルは、浅く頭を下げ、座ったまま、自分の手を胸の前で浅く握る。目を瞑った。

「あの……?」

「僕は貴方を、尊敬します。ただ……それだけです。ありがとうございます」

「……あぁっ、えっと」

フアンが頭を掻くような仕草をした。ヴァルトはただ、それを見ていた。

ヴァルト達は、1度外に出た。

「まぁこもっててもな、ちょうど話も付いたしほっつき歩こう。どうせ開発も思ったようには、いってねぇんだし」

「何を作っているのですか?」

「時限式で矢じりが爆発して、そっからこう……なんだ、なんていえば良い?」

「完成してからのお楽しみです」

「そんなぁ……それを使って何をするんです?」

「シレーヌを、飛べなくする」

「結構翼も大きいと、聖典には」

訓練所に流れで来ると、ノイとテランスが、互いに完全武装で戦っている。火薬は使っていないようだが、しかし火花が出ていた。

「なんだぁおい」

「ノイ、なんだか姿勢よくなりましたか?」

「まぁさすがに、装備重量に慣れさせるだけが課題ではないですから……色々と動きは教えろと言ってはあります」

ノイは大きく振りかぶって突撃。ひとまずで振り払うがテランスは大剣を持ったまま側面に前回しながら回避し、移動の結果の下段構えから打ち上げるように振った。振り上げによって上段に構えて降ろされる。ノイはそれが地面に叩き付けられたのを見て急接近し武器を持っていない左手でテランスを掴もうとする。

「お、左手か」

瞬間でテランスは柄を話してかかる手の間接を片手で掴み、振り回し、遠心力で投げられる、その高さは周囲の建物を軽く越えた。着地の場所に駆け出したテランスは大剣を構えて向かい、そこを捉えた。

「……構えるのが早いですね、まだノイは高い位置にいます」

「少しは心配して下さい、下手したら死にますよ!?」

「アイツすげぇな」

姿勢を中腰に、攻撃の直前に大剣を地面に突き刺すようにし、抱え支えながらも前進、テランスが大剣の柄を持ち、剣の刀身を足場にするようにして柄を握りながら逆立ちするように飛び、飛び蹴りを行った。

「あれは……」

「テランスの負けじゃねぇかな」

ノイは地面から足が離れていたが、顔に向かってくるその蹴りがすねであることを別に見てはいなかったが、首の筋肉を彼女なりに酷使して精一杯の頭突きを、崩れる体の勢いと共に繰り出し、攻撃を受け止める。鎧に防がれていたが、衝撃だけは伝わりテランスは酷い表情になった。姿勢はお互い崩れ、泣き顔をお互いが去らしながらも、先に立ったのは……

「……うっっしゃあああああああ!!始めて勝ったぞぉあぁぁ!!」

テランスだった。

「ヴァルト……外すんですねこの流れで……!?」

「いや、だってノイはベストロ相手に拳でいくんだぞ?」

「そうなんですか……!?」

「あぁ、書いてなかったか?ほら、書類ってのに」

「実践経験豊富としか」

「……それでよく通ったな」

「それ、貴方達を送ってきた責任者に言いたいです。もっとも、何も言えませんが……ん?」

遠く、本所の方向からシラクが誰かと歩いてきた。小躍りするように拍手をしながら、大股で歩く眼鏡で、白髪の男である。杖を持ってはいるが、それはもはや飾りでしかなく、また大きな長方形の鞄が目立った。

「よぉ~ヴァルトっくん!ひっさしぶり~!元気してたかぁ~い!」

「あの成金が、しっかし元気なこって」

「あの……皆さんの上の方では?」

「ヴァルト達を育てた神父様のご友人、そのお孫さんですから。前々から色々と、持ちつ持たれつです」

マルセルの前に、やけに接近して姿勢を直角に曲げて顔を近付ける。

「いい顔してる!けどきみは保安課なんだよね?そんな大きさで?」

「16です」

「おぉ、年齢が分かるのか!ならきみは幸せものだよ。ヴァルト達は分からないからね、はっはっはっ!」

マルセルは黙ってしまった。近いことを訴えることもできずにいる。その男の肩を引っ張り、マルセルから離す女性がいた。

「うちの子になにか用かい?貴族様」

「失敬、距離感が分からないもので、視力が……」

腰を曲げた拍子にずれた眼鏡を整える。シラクがいまだカルメが肩を掴むのをやめさせる全員から少し離れ、腰を低くして挨拶をした。

「ごきげんよう紳士淑女の皆々様。ヴァルトら帝国義勇兵制度創設者、兼イェレミアス運輸ゲゼルシャフト統括……バックハウス家当主、ユリウス・フォン・バックハウスにございます。此度の戦力借用、ありがとうございます。彼らはお気に召されたでしょうか?」

疑心と惰性と落胆に心配など、その中でテランスが飛び付くようにして、鞄を見た。いや、嗅いでいる。

「なんか……いい匂いするぞ?」

「お、ジョルジュじゃん」

鞄を少し開けた。テランスの前には焼かれた肉が、皿の上に乗っていて、それが手の内で配膳されてきたよいに見えた。

「……ん!?に、肉だ!どうやって!?」

「餞別さ、召し上がれ」

「あんた良いヤツだな!ん!おぉ、旨いぞ!オルテンシアのより、正直断然旨いぞ!」

「そりゃどうも」

テランスは餌付けされた。シラクが慌ててテランスを下げる。

「うちのものがとんだご無礼を、お許し下さい」

頭を下げるのを見て、ユリウスは全身をかきむしるようにする。

「うわぁぁヤバい、なんか寒気するからそういうのやめてくれ!節度があればいいって、なくてもいいけど、ぶっちゃけない方が良いけど」

「しかし……」

「いいって、俺らイェレミアスが物資集めて、あんたらが使って戦う。俺はイェレミアス側としての精一杯の貢献をしてるだけだ。まともに動いてない他の貴族連中は、僕を見習うべきだね。ったく、あの世襲野郎共が」

「それは……その……」

「独り言、応えなくて良いよ?んじゃ、そろそろいこっか。ねえ、フェリクスだっけ?今の指揮官って。ごめんね、実は次のデボンダーデの打ち合わせ、突然僕が担当になっちゃって」

「いつもの使者の方ではないのですね」

「嫁に言われたんだよ。一回も顔を会わせないで、本当に貴方がオルテンシアに役立てっていうのか、分かるとは思えないってさ……んで、全員初対面で、あぁ、仕事内容の引き継ぎはできてるから心配しないで、とりあえず色々と幹部の人紹介してよ」

華やかな口調に似合う軽快な動きでヴァルトに手紙を渡す。

「こいつぁ?」

「うん、ちょっと孤児院からね」

「あぁ~……、神父な」

「そう、神父」

「あいよ」

シラクと一緒に離れていくユリウスを横目に、マルセルはカルメンに寄った。

「あの、先日は失礼いたしました」

「ん?あ、あぁ~……えっと、ごめんね。おばさんもちょっと、おかしかったわ。お酒呑んだわけでもないのに。あ、じゃあ私もこのへんで」

カルメは早足で、シラク達の方へ去っていった。フアンが慌ててマルセルに寄る。

「……予想、外れました。ごめんなさい」

「あぁ、いえ。カルメさんも打ち合わせに参加するんですよ。お偉い方が来たのであれば、歩調は合わせて当然。僕が引き留めてしまっただけです」

「え、カルメさんがですか?」

「シラク様曰いわく、打ち合わせの会議にあまりに華がないので……と。上層の方々にはきっと、カルメさんは人気なのでしょう」

「へぇ……え、それ」

「僕はもう、どっしりと構えるしかできません……それを教えたのはフアン様ですよ?」

「まぁ、そういうことになるのかも……しれないですね、はい……」

マルセルとヴァルトは工房へ入る。ヴァルトは何かを思い付いたのか、顎に手を当てた。

「あ」


―4日目―

ヴァルトとノイ、フアンはフェリクスと一緒に、オルテンシアの西部を歩いていた。フアンはフェリクスに話しかけられる。

「作法は覚えただろうか?」

「1通り叩き込みはしましたが……やはり数日ではどうにも、今日と明日でもどうにかなるとも思えません」

「うむ、その判断は賢明だ。人の頭はそれほど良くはない。故に必要なのは、知識を入れるのではなく、出すという行為……これから君にはある任務をこなしてもらう。戦闘も確実に起こるだろう」

ヴァルトとノイはただ後ろから付いていっている。ノイは景色を見ていた。子供が走り、老人もその一本を賢明にしている。いかなるところでも人が動き、働き、それは平穏さを醸し出すのに過不足はなかった。

「なんだろう……怖い」

「どうした」

「その……ほら、だって全然さ、亜人も獣人も……」

「分かってたことだろ。聖典教ってのはそういうもんだ。ここは亜……いや、この言い方はここじゃダメだ。西陸は奴隷階級にベストリアンを当てはめ使役させてきた、そんな国のなかオルテンシアはベストリアン禁制、全て人が賄ってきたんだ。昔は食肉すら禁止だったらしい。そのせいで農耕の設備もねぇのに、よくまぁ食料を確保できるわけだ」

「そうなんさけどさ……そういうことやって、その……」

「……なんで、笑っていられるかって?」

「……うん」

「知らねぇからじゃねぇかな」

「どういうこと?」

「俺達は、ちょっと経験できた……クロッカスでな。経験っつっても、まぁほぼ、その爪痕みたいなのをだが、すぐ近くで見ることができた。種として疲弊したアイツらを目の当たりにしながら、生活した。でもまともに周囲にそういう他の人種がいたのは、ここオルテンシアじゃ50年前、今のじじいばばあが当時のベストリアンを徹底的に殺して、もう母数が少なくなっちまった……もう誰も、当時の悲惨さを、被害者として語れる奴がいない。寿命ってのもあるし、そいつらごと悲劇を土のなかに葬ったってのもある。だが何より認識だろうな、可哀そうだと思わねぇんだろ。お前は木が切り倒されたり石が割れたら可哀そうだと思うか?そういう判断なんだろうよ」

「……いやだな、私、ここの人達の為に、戦うの?」

「違う、俺達は……」

「うん、ナーセナルの子達の為だよね……ごめん」

ヴァルトは顎に手を当てた。

(天使関連の情報も、いまだ無し……隠れるのか?何か見落としている点はないか……?)

ヴァルト達は、フェリクスの指示のもと並んで待っていると周囲には、白い色の、おそらく肩が違うだけで隊服であろう物を来た、推し測るに保安課の人員が数名現れる。それらは一列に並び、ヴァルト達のようにフェリクスに向いている。ヴァルトは目線をフアンに向ける。ノイはそれを見て、とりあえず合わせた。フェリクスが深く息を吸う。

「保安課諸君、よく集まった。今日も研鑽しよう。本日は我々行動隊の新たな人員、フアン・ランボー氏の実地研修を平行した巡回を行ってもらう。シラク様より結成された我々保安課の実績により、科学への抵抗感は低下し、国民の自衛意識は高まっている。一方でここ30年、深刻な治安の悪化が進行中だ。これを何と捉える」

1人が手を上げた。

「国民の、ベストロに対する恐怖心の再燃であります!」

「よい着眼点だ、ではその矛先はどこに向けられる?」

「毛深き者達人や、貧しい者達、子供達です!!」

「そうだ、行き場を間違えた不安は、簡単に向けられる者が変わる。ゆめ忘れるな、我々が向けるべき力の、その矛先は?」

並んだ兵士は声を揃えた。

「ベストロ!ベストリアン!!」

「そうだ、ここ最近はより如実にベスリアンの発見が相次いでいる。いまだ奴らは我らの内に潜み、我らを食らわんと、我らの愛するものを犯さんとしている。治安の悪い地域で、ベスリアンの報告がより多くあがっているのがその証拠だ。奴らを根絶やしにせよ!世界は今こそ、浄化が必要である!」

彼や彼女はただ恐怖した、それは気圧された訳ではない。気を抜いていた訳ではない。ただそれは、真に始めての差別という存在の実感であった。一切の表情を仮面ごしに出していないが、ノイは身体が重くなるようなのを覚える。

「フアン氏、君から見て右から1番目と、二番目の保安課兵士に付いていきなさい。ヴァルト氏、ノイ氏、同じように、二人組に各々が付いて、巡回を開始せよ。各員行動開始……諸君らに、重なる光のあらんことを」

ヴァルト達は一ヶ所に固まる。

「じゃ、頑張れ」

ヴァルトはノイとフアンの背中を叩いた。

「……うん」

「表情、意識しろ」

フアンが先に出立した。

「ヴァルト、ノイ、では」

「気をつけてね」

ヴァルト達は言われた通りにその兵士達に合流する。それに対してフアンは、仲良くするのを選択した。

「あの、宜しくお願いします」

「行動隊に抜擢されたんだって?それもイェレミアスからなんだろ?凄いな、後方から来たのに……実戦経験は?」

「はい、絵付きは同期と一緒に倒したことが。名付きもある程度までは単独で仕留めきれます」

「イェレミアスでか、すげぇな……いやでも、人相手で戦えるかは別問題だ。ベストロやベストリアンは交渉することもないが、人であればそれは、余地がある。酒に酔ったおっさん相手、子育てで頭がおかしくなった夫人、全員まだ犯罪をしたっていうわけじゃない、俺達でとめるんだ。しっかり見極めような」

「もっと敬った方がよくないか……?フェリクス様とかシラク様の推薦だろ?」

「いえいえ、これも神の意向でしょう。どうか遠慮なく」

「では行こうかフアンくん」

歩きだした彼らに付いていくフアンは、フェリクスの言葉が耳に入った。

「……なぜ、きみらはそうなのだ?」


フアンは保安課の二人と歩いた、西側をぐるりと。おそらく順路として決まっていることが伺えるように、気さくに挨拶を交わし、名前を呼びあい、そうして住民と会話しながら、しっかりと見張っている。

「……あの、皆さんはところでベストリアンと合ったことは?」

「それが、ここ最近増えてるんだよ。オルテンシア内のどこにいるんだか……この前もいやがって、しかも猫の型でよ?すばしっこくてすばしっこくて、危うく逃げられるとこだったぜ」

「……捕まえたんですか?」

「はぁ?まさか、ちょうど壁上で待機してた新兵がいたもんで、指示出して的にしたよ。まぁ末裔ってのも名ばかり、名無しよりも倒しやすい。新兵も血にも馴れるし、ちょうど良かったさ」

「……」

「どうした?」

「いえ、しかしオルテンシア内にいるのって……不思議ですね」

兵士はフアンの肩を両手で掴んだ。

「だよなぁ!?やっぱアイツら人食ってんだよ。末裔なだけあるぁな。旨そうに見えんだろうなクソが、根絶やしにしてやる」

「言葉使い、周囲には民がいますよ?子供だって……」

「おっといけねぇ……」

もう1人の兵士が話し始める。

「……なぁ、フアン・ランボーって完全にアドリエンヌの名前だよな?でも出身はイェレミアス?」

もう一方の兵士が、得意げに話し始めた。

「それは問題ねぇよ。言語自体が、こことあっちで変わる訳じゃない。大昔に、当時のオルテンシア教皇とイェレミアス皇帝が条約を交わして、言語と宗教をイェレミアスへ引き込んだらしい。皇帝は当時、自らの意志で出家すらしようとしたくらいの信者だったそうだ。まぁそんなこんなで、イェレミアスには言語が2つある。アドリエンヌ語とイェレミアス語、どっちも法的には大丈夫だ」

「へぇ。じゃあよ、日輪とかの名前って大丈夫なのか?」

「あの極東の島国か?知らん知らん。ていうかそんなド田舎に名前なんてあるのか?しかも目がこう、吊ってるって話だ」

フアンは対応に困った。

「そんなこと言っていいのか?」

「はっはっ、この場にいない奴の悪口いって俺がどうこうなるわけねぇだろうが。世界に俺の顔が割れるってか?んなわけねぇさ」

「それもそっか、はっはっはっ」

二人が笑っているのを、フアンは後ろからただ見ていた。

「あ、すまんフアン。ずっと二人で巡回してたもんで、なぁよかったらあんたのこともう少し……」

フアンは、目先で誰かが路地裏に引き込まれるのを見つけた。

「いまの……!」

フアンが走る。路地裏に入って、その先にある行き止まりについた。壁に囲われたそこに、少し同様した。それは、ちょうどあの男の子がやられたような地形をしている。

(また……いや、今度こそ!)

フアンが視線をやると、男が背を向けている。何かを、何かで殴り付けているのを見つける。

「くそ、くそ!お前らのせいだ!お前らのせいだ!」

男はフアンの足音に振り向く。

「あなた、何をやっているんですか!」

「保安課か!?ちょうど良い、コイツを頼む!」

フアンの前には、獣人が投げ出された。毛の深い、オオカミにみえるそれは、毛の感じが違う、大きさも違う……が、クロッカスにいたリカルドにフアンは見えてしまった。

「えっ……?」

「助……けて」

「ちょ……あ、あの」

男が獣人の、投げ出され力の抜けた、震える背中を蹴り飛ばし、血を吐かせた。

「なんだぁお前、新人か?まぁしゃあねぇ、まともに血を見るってのも中々酷だからな。お、なんだ先輩と同伴か」

フアンが後ろを振り向くと、剣を抜いた、先ほど一緒にいた兵士達がいた。目が、怖い。

「おぉ、フアン。さっそくアタリ引いたじゃねぇか!」

「えっ、っと」

「よし、フアン。ベストロ相手に戦ってきたなら……ほれ」

フアンの目の前に、剣が投げられた。

「それは別に、銀ってわけじゃねぇからな。しっかり握って、グサグサっとやってやれ。簡単に殺すなよ?俺らの知らないところで、どうせ俺らの兄弟を食ってる。ベストリアンってのは、そういう奴らさ」

フアンの肩を、同伴の男は掴んだ。

「お前の兄弟、家族、みんなコイツらの胃の中に入るかもしれねぇ。そういう日が来ないうちに、先手を打つんだよ。俺も親父が、デボンダーデで食われた。俺といつも一緒にいるアイツは、恋人とその家族が全員……」

「ここの中は、あっ、安全では……?」

「いや違う、ベストロの毎度増える物量、変化する生態、動き……保安課の西部が毎度建て直されるのは知ってるな?」

もう1人の男がやってくる。

「新人……俺は、稼ぎで、本当は親父をイェレミアスにでも住まわせてやりたいと思っていた……誓ったんだ。でも……ダメだった。お前は出身がイェレミアスだったな?なら尚更頼む。お前はまだ失っていない。いや、それは俺が知らないだけかもしれない。だが、もしまだ背中が重くないなら、オルテンシアの兄弟の仇を、ほんの少し背負ってくれないか?」

フアンは呆然と、獣人を見ていた。何もできない自分を、何もしてやれない自分を、あるいは……。

兵士はフアンの肩を離した。

「いや、押し付けるのもダメだな……お前は俺より若い、顔は見えないがそうだよな?」

兵士は投げた剣を掴み取り、ただソレを見つめていた。

「若いのにはきっと、もっとキレイな世界を……残してやらねぇとな」

剣がソレに向けられた。フアンは、やめろという言葉を……呑んだ。

「やめて、やめてくれぇ、俺は何も、何もしてないんだぁぁ!!」

「うるせぇベストリアン……これはみんなの分だ」

「本当なんだ、俺は、俺達はベストロなんかじゃないんだ!!人なんて食わねぇ、食ったことねぇ!!なぁ、頼む、頼む、俺は何もしてないんだ!!」

「あぁそうだ、そう叫んだ俺達の大切な人達を、お前らは食い殺したんだ!!」

兵士の思うがままに獣人は、剣で突き刺されていった。懇願と絶望を混じるその血ととも吐き出される、しかし徒労の断末魔を前に、フアンは震えることしかできずにいた。

「あっ、、っが、、」

彼を彼と認識するのは、その場でフアンだけであった。フアンは消え行く彼の命を、これまでの歴史がそうしてぃたように、諦めるしかなく、被害者である彼も、最後はみずから力を抜いているよう見えた。彼をおそらく最初で最後に息つかせたのは、きとこれであった。

フアンは、その場を全員で去った。遺体がどうなるのか、フアンは考えてなどいる余裕はなかった。

下を向いて、そして上を向いた。

「おい、フアン!ったく、本当に行動隊かよ!」

ヴァルトがいた。兵士達と一緒にいる。とくに会話している様子はない。近寄ってくるのを、フアンは見た。目の前に来たヴァルトに寄りかかろうとすると、なぜかヴァルトが怖くなった。

「おい、大丈夫か……?」

ヴァルトはフアンが同伴していた兵士達に事情を聞いた。

「……そっか、まぁなんだ、はやいうちに経験できて良かったじゃねぇか」

「血に慣れてねぇのかコイツは?実戦経験あるんだろ?」

様々な声が上がる。ヴァルトがその人物らに寄った。

「許してやってくれ」

「やっぱ、フアンは何も失ったことない感じか?」

「そう言うなって」

ヴァルトの言葉が、いまのフアンにとって嘘か本当か分からないでいた。フアンはただ、怖がった。震えるのを服が見せていないだけであった。

(……僕は、僕は)

フアンは、立ち尽くし、呆然としていた。兵士が駆け寄る。

「おい、何もそこまでなるもんじゃないだろ。どうしちまったんだオイ、1匹駆除しただけだろ」

遠くから、誰かが近寄ってきた。早足で急ぐのは、誰かも分かっていないうちに、その人物はフアンを担いで連れ去った。誰も止めなかった。フアンは、別に気絶していた訳わけではなかった。

【なぜあなたは自殺していないのですか?】

フアンは自分をせめた。

(僕は思ってるより、他人に興味がない……?)

出会った人物によって、彼を刺した言葉。彼らからの言葉であるがゆえに、まだ耐えてきた自身という存在、

(僕は、何なんだろう)

自身を考えるという行為が、今の彼にとっては蝕みであったが、しかし無意識にそれを行うのは、

(僕はいったい)

過去にせめて呼吸を求めた彼、何か苦味が炸裂し、その位置を戻した。気付けばそこは、どこか分からない部屋。本と埃とにまみれた中に、苦い煙が立ちのぼる。

「……たばこ?」

「おぉ、気付いたか少年」

フアンは、ハッキリと前からそれが聞こえた。老婆かもしれない。

「すまんな、しかしこの煙は、よく人を幸福にする。一時的にだがな、あまり吸うなよ、君にはまだ強すぎる」

「……あなた、は?」

窓が開いた。フアンの傍に立っていた誰かが窓を開けた。

「フアンくん、すまない。少しだけ面倒ごとに付き合ってもらうぞ」

「……フェリクスさん?」

たたずまいからそう判断し声を出すと、暗がりと外の明るさの対比で見えない陰はそっと目を閉じた。沈黙。




「少年、世界をどう見る?」

「……えっと」

「ここでの会話は、のちに誰も覚えていない。そう暗記しなさい」

「……世界は」

フアンは、吐き出した。

「……おか、しい」

老婆は鋭く、深く息を飲み干した。目の輝きは、太陽のように突如としてさんさんと照り輝くように見えるそれは、流れ落ちた。

「良かった……良かった……それを言葉にできるのはもう、いないとばかり」

老婆は思いを袖で拭き取り、煙管を加える。呼吸から吐き出るものが窓を通っていく前に、フアンに触った。

「あの……あなた、は……」

フアンは煙に触れた瞬間、頭がぼやけ始めた。

「吸いすぎるなといったハズだが?まぁいいさ。これで倒れられるくらいには、君はまだ苦境には立っていない、ということだ」

老婆はその椅子から、軽そうな身体を離す。両足で立っているのかどうかは、老婆の前にある、書斎らしさを醸し出す大きな机により見えないでいた。

「白套の少年、フアン・ランボー。君がもし……君がもし、確固たる信念を持つのならば……世界を変えたいというのならば、この言葉を覚えておきなさい」

老婆が、息を強く吸う。

「Creuse la poupée」 ―人形を掘りたまえー


2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。

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