二十五話 言葉という最高の道具をもってして
二十五話 言葉という最高の道具をもってして
貨車のなかで、シャノンは静かに後方を眺める。刻一刻と大きくなっていく大淫婦バビロンは、その翼を大きく広げる。胸元は蒼い外套のような皮膚組織で覆われるが、その要素を足していけば、女性であることが伺える。シャノンは、思い出をよぎらせていた。十字光の飾りを手に握り、しゃがみ、大聖堂で祈りを捧げている。
(シャノン、主は常に我々をお導き下さいます。あなたも祈りなさい)
(……母上、母上はどうして信仰を?)
(主はあらせられる。我々の存在は、主の存在によって補完されるのです。つまり、主は祈りを捧げる限り、我々のそばに常にあらせられ、そばにいて下さるのです)
(よく、分かりません)
(シャノン、あなたはどのようにありたいですか?)
(父上や母上のようになりたいです)
(……そう、ですか)
(母上?)
(あなたなら、誇りなど、自らの中でいくらでも保てましょう。あなたは賢い、私たちとが違って)
(……違うって、母上、何を仰るのですか)
(……いいえ何も、あなたに言うことなんて何もなかったわね)
シャノンの記憶の中に、家族としての母親は確かに存在した。だがどれも、会話の内容はおよそ家族ではないものばかりなことに気付いた。
どこか遠回しで、どこか冷たいことを思った。背中がほんの少し曲がった様子で、縁に手を掛け、貨車の外を覗くシャノンの傍に、ムタリカは何も言わずに寄った。
「……ムタリカ」
「はい、シャノン様」
「……僕は、王族の血統ではないらしい」
「はい、既に承知しております」
「……ムタリカ、それでも僕はミルワードの人間ではあると思う……すまない、君の復讐は、半分程しかかなえてやれないみたいだ」
「……はい?」
「君の部族に対して、僕たちミルワード人がやったことは、決して許されるものじゃない。今ここは無法地帯だ、今ここで君が僕を殺したところで、何か情報が残るわけじゃない」
「……シャノン様?」
「いいんだ、ハッキリしても。君は僕を殺したいのだろう?僕だけじゃない、ミルワード人全員を」
シャノンはムタリカを見ていない。
「……こうなる前でも構わなかった。君の入れる紅茶は美味しかった。だから冷めようとも絶対に僕が飲んでいた。君がいつ僕に毒を仕込むか……王室の人間も、ひょっとしたらそれを望んでの君の配置だったのかもしれない。君が僕を殺せば、王室の血統は保たれる。戦争の口実だってできた。君は僕を殺すために送り込まれているんだ。十分に殺意だってあるはずだろう……?」
「……シャノン様」
「いいんだ、さぁ銃を構えたっていい」
「シャノン様……?」
「止めようとする者を殺すのも君の権利だ」
「シャノン様!!」
ムタリカがシャノンの肩を揺らすように強引に振り向かせ、視線を合わせた。シャノン目に涙が溢れていた。
「……僕は、僕は……」
「……確かに、私にはその意図があって、あなたの身の回りのお世話を担当させられていたのかもしれません。正当な血統でないことを理由に排除を目論んだ王室関係者が、植民地に優しくあれという世論を利用しての私という工作……辻褄は合います」
「そうだよ、そうなんだよ……僕は……君に……」
ムタリカは強く、シャノンの肩を優しく掴んだ。シャノンがムタリカと目を合わせると、ムタリカは一度目を閉じて、肩から手を離し、話し始める。
「……私の部族、というより、私の国は、ひどく文明の劣った国でした。槍で獣を追い、見知らぬ緑色の草をすり潰したものが傷薬、天気は祭りで変える……私は、何かおかしいと常々感じていました。人は言葉という最高の道具をもってして、これ程度しかなし得ないのかと。それに、結婚制度もおかしかった……というより文化でしょうか……男が妻をめとっても、他の男と子供を作るなんて当たり前でした。あの国では、ほとんどの場合人は食事を取り、眠り、子供を増やすだけの存在だった。それが、ミルワードに占領という形でしたが、変わりました。服を知り、本を知り、食事のマナーを知りました……私は感動したんです。そしていつか自分もそうなって見せると思い、そちらの軍関係の人と仲良くして、言葉を覚えて、人脈を作った……あぁ、えっと、その……何が言いたいかというと、ミルワードの人に植民地に優しい人がいるように、植民地の人にもまた、ミルワードを良く思っている人だっているんです。私があなたに対して殺意を抱いていない理由は、憧れのミルワードの人間だからです。忠誠こそ誓います、しかし殺そうなどと考えたことは、一度もありません」
「……嘘だ」
「ミルワードの人が植民地に優しくしたいと考えている方がおかしいんですよ?」
「……いや、だかしかし」
「だがも、しかしもありません。私はあなたを殺しません。いったい誰をあなたは傷つけたのですか?」
「世界中の植民地の……」
「……世界中のあるとあらゆる、不当な交換条件でそちらが仕入れた紅茶や香辛料は全て、シャノン様が召し上がったのですか?」
「それは……」
「人間ひとりで犯せる罪は、よほどの外れ値でもない限り極少量です。勿論、それは世界中にある悲しみと比べたらの話ですが」
「ムタリカ……」
「いいですか?あなたは今のところ、私を除けば唯一生き残っている王室関係者なのですよ。しゃんとして下さい。そうでないと……明日の朝、起こしませんからね!?」
「……はは、分かったよ」
「まったく、あなたは朝に弱すぎます。いったい何時に寝ているんですか、夜更かししないで下さい!!」
「ムタリカ?」
「だいたいヨダレを垂らして寝ている王子がどこにいるのですか……」
「だから僕は王子じゃなくて」
「事実ではなく身分の話です!!あぅ~とか言いながら私のスーツでヨダレ拭いたの忘れませんからね!!」
「僕そんなことしてたのかい!?」
2025年6月3日時点で、997,634字、完結まで書きあげてあります。添削・推考含めてまだまだ完成には程遠いですが、出来上がり次第順次投稿していきます。何卒お付き合い下さい。




