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帝都浅草 妖狐カフェーの怪奇譚  作者: 深水えいな
第弐章 狐の嫁入り
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10.沖さんの謎

「さて、これからどうしようか」


 買い物を終えた帰りの車中で、不意に沖が千代に尋ねてくる。


「特に行きたいところはないですけど」


 千代が答えると、沖はまっ直ぐに前を向いたままうなずいた。


「そうか。じゃあ家に帰る?」


 沖の言葉に、千代の胸がキュッとなる。

 頭の中に浮かんだのは千代をのけ者にし、下げずんだ目で見てくる両親と妹のカヨ子の顔だった。

 嫌だ。家にはまだ帰りたくない。千代の胸にそんな思いがこみ上げてくる。

 でも、他に行きたいところなど千代にはなかった。沖には十分すぎるほどの品物を買い与えてもらったし、映画や舞台を見るのにもお金がかかる。いくら沖が金持ちとは言えまだ結婚もしていないのにそれほどの負担はかけたくなかった。


 と、ここで千代は妙案を思いついた。


「あの、強いて言うなら、沖さんの入れたコーヒーがまた飲みたいです」


 千代が勇気を出して言うと、沖は猫のように一瞬目を丸くした後で、嬉しそうに笑った。


「了解。うちのカフェーに行こう」


 沖と千代は二人でカフェー・ルノオルへと向かうこととなった。


 沖の店へと向かう道中、千代は思い切って気になっていたことを尋ねてみた。


「そういえば沖さんって、何でそんなにお金持ちなんですか?」


 あのカフェーだって、そんなに儲かっているようには見えない。なのに、あんなにたくさんかいものをして大丈夫なのかだろうか。

 千代が不安に思っていると、沖は苦笑しながら教えてくれるのだった。


「ああ。確かにカフェーの収入は大したことないけど、僕に怪異絡みの相談をしに来る人のなかには、政治家だとか実業家といった大物も多いんだよね。そういう人たちが僕にたくさんお金をくれるんだ」


「そうなんですか?」


「うん。ほら、地位やお金のある人たちって呪いの標的にされたりしやすいから」


 それでありえないほどの大金を持っているのだと千代は一応納得する。

 一体、お金持ちの顧客からいくらぼったくっているのかまでは恐ろしくて聞けなかったけれど。


「それに、美青年のお祓いの姿を見たいってだけで呼び出してくる変わった趣味の人も結構いるんだよ。この車も、とある大企業の経営者にお祓いを頼まれて、そのお礼にもらったものなんだよ」


 沖があっけらかんとした顔で教えてくれる。


「へぇ、そうだったんですね」


 美青年のお祓い姿を眺めるのが趣味だなんて、一体どんな人なのだろうと千代は考えを巡らせる。

 お金持ちのマダムだろうか。それとも男好きなおじさまだろうか。いずれにせよ、お礼に自家用車を買ってくれるだなんて、ただ者じゃないということだけは分かった。


 千代が色々と妄想を膨らませていると、沖さんが目を細めて笑う。


「もしかして、昔話みたいに、木の葉をお金に変えていると思ってた?」


 千代の心臓がギクリとなる。

 図星を突かれた千代は、慌てて首を横に振った。


「いっ、いえ、まさか!」


 その様子を見て沖がプッと噴き出す。


「ふふ、千代さんは本当に素直で純粋な人だね。気持ちがすぐに顔に出て面白い」


 沖の言葉に、千代の顔が真っ赤に染まる。


「ば、馬鹿にしないでください」


「してないよ、ただ、面白いなあって思っただけ」


 沖心底可笑しそうに笑ったかと思うと、不意にはぼんやりと遠くを見つめた。


「ほら、僕って人間じゃないから、人間の気持ちって、あんまりよく分からないんだよね。だから千代さんみたいにすぐ表情に出る方が楽」


 それは褒められてるのだろうか。

 千代はポリポリと頭をかいた。


「あ、そうそう、奢ってもらったからって、別に気負う必要はないよ。僕が好きでやってる事だからね。好きな人に物を買い与えるのは楽しいんだ」


 「好きな人」か。簡単に言うなあ。まだ会ったばかりなのに。

 一体この人は、自分のどこを見て好きになったのだろうと千代は不思議に思う。


 もしかしてだが、沖は女学生が好きなのだろうか。

 美青年のお祓い姿が好きな人がいるように、ひょっとしたら沖も女学生の袴やブーツが好きな人なのかもしれない。だからろくに知りもしない女学生に求婚できるのかもしれない。

 きっとそうだ。でなければ、千代はなぜ沖が自分にこんなにも良くしてくれるのか分からなかった。


 千代がそんなことを考えているうちに、新品のフォードはカフェー・ルノオルの前に止まった。


「さ、ついたよ。今コーヒーを入れるから、好きな席で待ってて」


 沖に言われ、千代はこの前座ったのと同じカウンター席に座った。

 丸善で買った『少女の友』を取り出し、中身を確認しながら珈琲が出来上がるのを待つ。

 それは千世が家にいる時には体験したことのないような至福の安らぎの時間であった。


「にゃぁお」


 千代が『少女の友』を三分の一ほど読んだところで、足元に黒猫がすり寄ってくる。


「福助、おいで」


 千代は福助を抱き上げてしばらく毛皮の感触を楽しむことにした。

 窓辺で日向ぼっこをしていたからか、福助の毛は暖かく、お日様みたいないい匂いがした。


「うーん、フワフワのモコモコで可愛い!」


 千代は福助の背中に頬ずりした。


 ゴポゴポという心地よい音と、コーヒーの香り。微かに流れるジャズ。落ち着いたトーンでまとめられた西洋風のインテリア。

 現実を忘れさせるような、だけれどどこか懐かしい気もする、落ち着く空間がそこにはあった。


「はい、できたよ。今日の珈琲はブラジル。ナッツやチョコレートみたいな甘い香りて、酸味と苦味のバランスの良い一杯だよ」


 そこへ沖が珈琲を出してくれる。


「わあ、美味しい」


 優しくて、暖かくて、心に染み入る珈琲の味に、千代は思わず声を上げた。


 沖は少し微笑むと、隣の席に腰かけ千代の顔を見つめてきた。


「どう? そろそろ僕と結婚する実感はわいた?」


 沖の問いに、千代は言葉を濁して下を向いた。


「えっと……」


 千代はこのお店の雰囲気も珈琲の味もすべてが好きだと心の底から思った。

 だがそれと沖との結婚とは話が別である。

 千代には、沖と結婚する実感はまだ全然実感が湧いてこなかった。

 なにせ相手はお稲荷様。何があるか分からない。

 戸籍はあるのかとか、沖は歳はとらないだろうから、自分だけお婆さんになるのではないかとか、子供は作れるんだろうかだとか、疑問は尽きなかった。


「あの、沖さん」


 千代は何の気なしに口に出した。


「何?」


「そういえば沖さんって、子供とか作れるんですか?」


 千代の言葉に、沖は飲んでいた珈琲をブッと吹き出した。


「な、何だい、まだ婚約したばかりなのにもう子作りの話かい? まあ、千代さんがその気なら、僕は別に婚前交渉でも……」


「ち、違いますっ!」


 千代は慌てて立ち上がり、真っ赤な顔で沖の言葉を否定した。

 どうやら千代はこの狐に盛大な勘違いをさせてしまったらしい。


 でも、わざわざそう言うってことはやはり子供は作れるということなのだろうか。普通に考えたら人間と狐の子供だなんてありえないけれど、ひょっとしたら神様だからその辺は関係ないのかもしれない。

 と、千代はそんなことを心の隅で考え、慌てて首を横に振る。


 (もう、私ったら、何を考えているのよ!)


 その様子を横で観察していた沖はというと、顔を真っ赤にしながらころころと表情を変える千代を見て、やはりこの子は面白い、などと改めて思うのであった。


 

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