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帝都浅草 妖狐カフェーの怪奇譚  作者: 深水えいな
第弐章 狐の嫁入り
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7.沖さんの来訪

 結局、両親の気迫に押された千代は、逆らえずにそのまま沖との婚約を了承してしまったのであった。


「はあ……」


 千代は継母に頼まれていた縁側の雑巾がけをしながらため息をついた。

 どうしよう。狐に嫁入りだなんて、まるで昔話の世界じゃないの。


「千代姉さんっ」


 千代が悩んでいると、手を振りながら上機嫌にカヨ子がやってくる。


「カヨ子」


 千代が顔を上げると、カヨ子は大きな瞳をくりくりと見開いて尋ねてくる。


「千代姉さんったら、ため息なんてついちゃって一体どうしたの」


 どうしたのと言われても、色々と話せない事があったのだ。

 千代が言葉に詰まっていると、カヨ子は目を輝かせて話を切り出した。


「あ、そうそう、聞いたわよ。姉さん、結婚を申し込まれたんですって? おめでとう!」


「あ、ありがとう」


 どうやら婚約の話はカヨ子にまで届いていたらしい。

 千代がとりあえず笑顔を作りお礼を言うと、カヨ子は不思議そうに千代の顔をのぞきこんだ。


「あら、どうしたの? なんだか浮かない顔ね。あ、もしかしてお相手の方が凄く年上だとか? それとも物凄く豊満な方だとか頭が薄いだとか?」


 家庭の都合で、二十も三十も年上の人に嫁がねばならなくなったという人の話はたまに聞く。

 カヨ子もきっと千代の相手はそう言う人だと想像しているのだろう。だけれどそうではなかった。そうではないのだけど――どうにもカヨ子には説明しづらかった。


「えっと――」


「だめよ、選り好みしてちゃあ。お姉様はもう悪い評判が立ってしまっているし、選り好みできる立場じゃないんだから」


 ぴしゃりと言ってのけるカヨ子に、千代は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。だって信じてもらえるわけない。求婚してきた相手が、人間じゃないだなんて。


「あら?」


 千代が下を向いていると、カヨ子が急に窓の外をのぞきこんだ。


「ねえちょっと、家の前に車が停まっているけど、誰かしら? お役人? お父様のお客様かしら?」


「えっ?」


 千代も慌てて窓の外を見る。そこには見慣れない新品のフォードが停まっていた。


「しかも持ち主は素敵な紳士じゃない! 誰かしら?」


 紳士?


 千代は目を凝らして運転席を見た。ドアが開いてスーツと山高帽を身にまとった背の高い青年が出てきた。


「……沖さん?」


 サーッと千代の顔から血の気が引いた。どうして沖がここにいるのだろうか。


「ねぇ、お姉さまも見てよ。凄い美丈夫! お父様のお客様かしら?」


 バシバシと千代の背中を叩くカヨ子。


「えっと……」


 千代が唖然として黙り込んでいると、継母がやってきた。


「千代、来なさい。沖さんが見えてるわよ」

 

「は、はい」


 千代が慌てて立ち上がると、カヨ子の顔色が変わった。


「えっ、もしかして、お姉様の婚約者ってあの方なの!?」


「え、ええ」


 千代が恐る恐る返事をすると、カヨ子はあからさまにむくれた表情になった。


「……ふーん」


 継母が千代の背中を叩く。


「千代の悪い噂を聞いても嫁にしたいと言ってくれた奇特な方よ。くれぐれも粗相をしないでちょうだいね」


「は、はい」


 千代は力なく返事をすると、沖の元へと向かった。


 千代が客間に着くと、沖はお茶を飲みながら父親と楽しそうに談笑している。


「千代を連れて来したよ」


「こんにちは」


 千代が頭を下げると、父親は上機嫌で話し始めた。


「おお、千代。今ちょうど結納の日取りを相談していたところだよ。もうすぐお前も女学校を卒業だし、早いほうが良いだろう。どうだね?」


 結納だなんて、もうそんな所まで話が進んでいたのかと千代は驚いてしまう。

 千代は色々とついていけない気持ちでいっぱいだったけれど、厳しい父親に逆らえるはずもなく、仕方なく答えた。


「私は沖さんの都合の良い日で構いません」


「ならこの日に」


 そんな訳で、あれよあれよという間に千代と沖の結納の日取りが決まってしまった。


 沖はにこやかな笑みを浮かべ立ち上がる。


「今日はありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそ、千代をよろしく頼む」


 頭を下げ合う父親と沖に、千代は信じられない気持ちでいっぱいだった。


「よ、よろしくお願いします」


 と、やっとのことで返事をしたものの、まだ実感が持てないままだ。

 千代がぼんやりとしながら父親と沖のやり取りを眺めていると、沖が不意に千代のほうを見た。

 

「そうそう、僕、これから買い物に行こうと思っているんです。千代さんも行きませんか?」


「お買い物ですか?」


 千代が驚いて目を見開くと、父親が千代の背中をたたいた。


「おお、それはいい。せっかく夫婦になるのだから、二人きりでゆっくり話をするといい」


「はい。それは良いのですが……」


 千代は自分の着物を見つめた。カヨ子のおさがりの、継ぎ接ぎだらけ服である。

 千代は継母がこの家に来て以来、裕福にもかかわらずまともな服を与えられていなかった。


 こんな服で出かけたら沖に失礼かもしれない。


「それじゃあ私、着替えてきます」


 千代は慌てて自分の部屋へと向かった。


「お姉様!」


 そこへカヨ子がやってくる。


「ああ、カヨ子。ちょうど良かった。今から沖さんとお出かけをすることになってしまったのだけど、洋服を貸して貰えないかしら?」


 千代が恐る恐る頼むと、カヨ子は鼻をフンと鳴らした。


「姉さんは私と違って地味な顔だから、洋服より着物のほうがいいんじゃないかしら。あの藍の着物で良ければ貸すけど?」


「わあ、ありがとう!」


 千代はカヨ子から藍色の着物を受け取ると、自室へと向かった。

 着てみると、確かに異人さんみたいに目が大きくて華やかなカヨ子と違い、面長で古風な顔立ちの千代には着物の方が似合う気がした。


「カヨ子、ありがとう」


 千代は着替え終わると、カヨ子にお礼を言おうとした。だが部屋の前にカヨ子はいない。

 どこに行ったのだろうかと探し回ると、玄関の前でカヨ子と沖が話しているのが見えた。


「ねえ、どうしてお姉様を選んだの?」


 カヨ子の言葉に、千代は思わず柱の影に身を隠す。

 千代がドギマギしながら聞き耳を立てていると、沖が答えた。


「そうですね、たまたま浅草に居るのをお見かけして感じがいいかただと思いまして」


「あら、そうでしたの。……ねえ、私じゃ駄目かしら? 地味で堅物のお姉様より楽しめるわよ?」


 カヨ子が上目遣いをし、色っぽいしぐさで沖にしながれかかる。


 (えっ、カヨ子ったら、何を言っているの?)


 千代が物陰からその様子を見ていると、沖は笑顔を崩さずこう言った。


「……悪いけど、君じゃ話にならないよ。千代さんの変わりはいないのでね」


 その言葉に、カヨ子はあからさまに渋い顔をして唇を噛んだ。

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