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帝都浅草 妖狐カフェーの怪奇譚  作者: 深水えいな
第漆章 千里眼と秘密教団

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45.膨れ上がった闇

 足を止めた常春に、狼が牙をむいた。


「ガウッ!」


「うわっ」


 常春はひらりと狼の攻撃を躱した。

 この狼が千代を眠らせている怪異の正体ならば退治しないと。


 常春はお札を取り出した。だがその時、常春は心のうちに何か引っ掛かるものを感じた。


 (何だ? この違和感は。何だか重要なことを見落としているような――)


「ガルッ!」


 常春が戸惑っている隙に、黒い狼が腕に噛み付いてきた。


「痛てっ……」


 常春の腕から血がだらだらと逃れる。

 常春は慌てて狼をは腕から引きはがそうとした。だが狼はがっしりと腕に食らいついて離れない。


「クソッ」


 その時、ふと常春と狼の目が合った。

 狼の瞳はなぜだか常春にはとても悲しげに見えた。


 (まさか、この瞳、この狼の正体は――)


 常春が気づいた瞬間、胸に溜まっていたもやもやが消え、全ての謎が解けた。


 そうか。そうだったんだ。


「良いんだよ」


 常春は血まみれの腕で狼を抱きしめた。


「もう良いんだよ、千代さん」


 口に出した瞬間、狼の目に光が宿った。


 (ああ、やっぱりそうだ。この狼は――この怪異は、千代さんだ)


 常春はすべてを理解した。この怪異は、千代自身だ。

 おそらく、狼だけではない。この塔も、黒い茨も、千代が目覚めないのも。

 そして、かつて婚約者たちを襲っていた黒い影も――全ては千代が無意識に引き起こしていた怪異だったのだ。


 初めて千代がカフェーにやってきた時から、常春は千代に強い呪いがかかっていて、解くのは容易ではないと感じていた。


 初めは千代を思う何者かの呪いかと思っていた。千代は結婚したがってた。暖かい家庭を持つことや、親元から離れて暮らすことを望んでいたから。それを邪魔したがっている誰かがいるのかと思っていた。

 しかし今思うと、婚約者たちはちょっとした事故や病気にあっただけで、命を落とした者はいなかった。

 なぜだろうと常春はずっと不思議であったが、この呪いの主が千代なら、全て説明がつく。


 千代の結婚を邪魔していたのは千代の心であったのだ。

 千代は、心の奥底では結婚を――幸せになるのを怖がっていたんだ。

 母親に対する罪の意識からか、辛い生い立ちのせいかは知らないけれど、無意識のうちに力を使って、幸せを遠ざけていたんだ。


 他ならぬ、自分自身の力で。


 これが「呪われた令嬢」の真実。


 全ては千代自身が引き起こしていた事件だったんだ。


 茨姫に呪いをかけていたのは、他ならぬ、姫自身の心――。


「どうして」


 黒い狼から千代の声がした。


「帰って……帰ってください。私の正体を見たでしょう。私はこんなに黒くておぞましい……多くの人を傷つけた。幸せになる資格なんてないんです。だから」


 ああ、なんてことだ。

 

 常春は狼をきつく抱きしめると、強い口調で言った。


「いいや。僕は君を連れて帰る。だって、君は僕の大事なお嫁さんだからね」


 常春ははるか昔、千年前の出来事を思い出した。


「千代さん、僕が昔、結婚していたことは話したね?」


 千代が小さくうなずく。


 常春は、かつての妻のことについて話し始めた。


「僕のかつての妻は、伊予いよという名前でね、とても力の強い巫女だったんだ。けど、身寄りがないために、生贄として僕に捧げられたんだ」


 もちろん常春は生贄なんて望んでいなかったが、せっかくの人間からの好意だし、彼女がとても美しかったので、結婚することにした。

 だが常春には天狐としての誇り(プライド)があったし、寿命の差もあるから、彼女には深入りすまいと思っていた。


 その内に、妖怪あやかし達による戦争が起きた。

 人間である彼女を巻き込むまいと、常春は彼女を遠ざけ、家に帰らなくなった。

 だけど戦乱が収まり家に帰ると、彼女は病で亡くなっていた。

 彼女は常春に心配をかけまいと、病のことをずっと黙っていたのだ。


 その頃の常春にはろくな稼ぎも無k、彼女は古いぼろを身にまとって、一人ぼっちの家の中、薬も買えずに亡くなったのだという。

 そして失って初めて、常春は彼女の聡明さや純粋さがたまらなく好きだったことに気づいたのだった。


 なんでもっとそばに居てやれなかったんだろう。


 なんでもっと好きと言わなかったんだろう。


 もっと良い暮らしをさせてあげれば良かった。


 失ってから、ずっと常春は後悔していた。


「だから僕は、次に好きな人ができたら、全力でその人を愛そうって思ったんだ。何があっても守ろうって。失ってから後悔しないようにね」


 常春の言葉に、狼がはっと顔を上げ、そしてまたうつむいた。


「でも、こんなに腕が血まみれで――沖さんだけじゃない。前の婚約者や、色んな人を私は傷つけて、こんな私が」


 常春は狼の頭をそっと撫でた。


「いいさ。僕が憎くてこうしている訳じゃないのは分かっている。君はただ怖がってる。戸惑っているだけだ」


 黒い狼の目から、涙がポロポロと流れ落ちる。


「千代さん、あの黒い茨や狼は、確かに君が生み出したものだ。君の幸せを恐れる心がね」


「だったらどうして――」


「千代さん、だからこそ、君は自分の幸せを恐れる心を受け入れて、克服しなくちゃいけないんだよ」


「自分の幸せを恐れる心を?」


 狼は涙に濡れた大きな瞳を見開く。


「そう。二度と怪異を産まないようにね」


 常春は子供を諭すように、そっと狼に語りかけた。


「幸せになるのに、資格なんていらない。誰にでも幸せになる権利はあるんだ。それでももし、千代さんが自分がを許せないと言うのなら、僕のために幸せになってくれないか?」


「沖さんのため?」


 常春はうなずいた。


「僕はね、君が傷つくのは辛いんだ。僕ならどれだけ傷ついてもいい。だけど君には僕の隣で笑っていてほしい。だから――」


 常春は黒い狼を抱きしめると、そっと口付けた。


「だから僕のために、僕と結婚して。幸せになっておくれ」


 姫の呪いを解くのは、王子様の接吻キスと相場が決まってる。

 見る見るうちに、狼が美しい人間の女性の姿に戻っていく。


「――本当に、我儘わがままな人ですね」


 千代は泣きはらした目で、少し笑ってうなずいた。


「でも私、沖さんのそういう所が――」


 言葉の最後は、残念ながら常春には聞き取れなかった。


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