41.破魔の矢
「なるほどね、分かったよ」
常春に抱きかかえられ、千代は音もなく屋根の上から着地した。
「それでは、お願いします」
「は、はい」
千代は野本から破魔の矢を受け取った。白木でできた、思っていたよりも華奢な弓だ。
こんな小さな弓で、本当にあの化け物を倒せるのだろうか。千代は少し不安になった。
「打ち方はこうです。頼みますよ」
千代は野本に言われた通り、弓を構えた。
緊張で弓が震える。だけど、やるしかない。
千代はすぅと息を吸い込んだ。
「それでは、いきます」
千代は気合いを入れると、ぎりりと後ろに矢を引いた。
とくんとくんと心臓の音がうるさい。集中しないといけないと思いつつ、緊張のほうが勝ってしまう。
と、次の瞬間、目玉の化け物がこちらを向いた。
「今だ」
耳元で常春の声。
千代は反射的に手を放した。
「破魔の矢!」
かけ声とともに、想像よりも上方へ矢は飛んでいく。
まずい、失敗した――そう思った瞬間、矢はくるりと方向を変えた。
向かった先は、化け物の目玉のど真ん中。
千代は声の限り叫んだ。
「行けええええええええっ!」
矢は目玉に突き刺さると、真っ赤な炎が吹き出てくる。
「止まった!」
「お目目様の動きが止まったぞ!」
常春が微笑む。
「千代さん、さすがだ」
「――いえ。でも、まだあいつは生きています」
千代がもがき苦しむ化け物を指さすと、常春はニヤリと笑った。
「それは大丈夫。ここからは、僕が片をつけよう」
チリン。
「にゃあお」
鈴の音とともにやって来たのは福助だった。
「福助!」
常春の足元にすり寄ってきた福助の背中には何やら紫の包みが背負われている。
「ありがとう。頼んでいたものを持ってきたみたいだね」
常春は福助から包みを受け取る。パラリと布が落ち、赤銅色の刀が現れた。
(あっ。この刀、レコーディングスタジオの時の――)
常春は刀に手をかざす。
「――緋刀・焔狐」
言葉と共に、刀は灼熱の炎を纏う。
赤く赤く、燃え盛る焔。
それと同時に、常春の姿が変わった。
真白く長い髪に、銀色の耳とふさふさの尻尾。金色の目が、獣のように怪しく光る。
妖狐の姿になった常春は、月夜に舞うかのように刀を振り下ろした。
「せやっ」
目玉の化け物が真っ二つになり、炎に包まれる。
「ぎゃあああああああ!!」
世にもおぞましい声を上げる化け物。
最後の足掻きをするかのように、触手が二度三度蠢く。
腐肉の焼けるような臭いが鼻をつんざいた。
それと同時に、バァンと門を破る音がして、十人ほどの警官たちが屋敷の中になだれこんで来た。
「警察だ!」
「動くな!」
入ってきた警察たちは、お目目様を見て驚愕の表情を浮かべる。
「な、何だこいつは」
「化け物だ!」
「撃て、撃てーっ!」
警官たちも、次々と銃を目玉の怪物に撃ちこむ。
やがて、怪物は黒い煤となり、きらきらと天へと登っていった。
「ああ……!」
「お目目様が!」
信者たちが次々に叫ぶ。
「……終わった」
野本は天を仰ぎ、ぺたりとその場に座りこんだのだった。
***
その後、教団の土地からは多数の人骨が見つかった。
どうやら、教団が過去の夏至の祭りの時に生贄として捧げていた人たちのものらしい。
姿を消していたカヨ子も、後日教団の所有する山奥の修行小屋で発見された。
教団は解体され、カヨ子も無事に父母のところに戻ってきた……と思いきや。
「どうやらカヨ子さん、今度は別の宗教にのめりこんでいるらしいですよ。せっかく戻って来たのにね」
ライスカレーを食べながら、國仲が教えてくれる。
「やれやれ、人間というのは愚かだねぇ」
常春が首を横に振る。
千代は何だかちょっぴり悲しい気持ちになって。
人間の心は弱くもろい。
だから、そう簡単には変われないのかもしれない。
きっと、自分も――。
「そうですか」
千代は手元の珈琲に視線を落とした。
黒い珈琲に、白いミルクがグルグルと渦を巻いて溶けていった。
「……って、あれ?」
千代は目をごしごしととこすった。
今、一瞬、窓の外に黒い何か、犬か狼みたいなものが見えたような気がしたのだ。
でも何度窓の外を見てもそこには何もいない。
……気のせいかな。
千代は心がザワザワするのを感じた。
一瞬だけ見えた黒いものは、かつて「呪われた令嬢」と呼ばれていた千代に憑りついていたものに少し似ているような気がした。
だが、気のせいに違いない。自分に取り憑いていた悪いものは、もう常春が退治したのだから、もう何も起こらないはずだ。
千代は窓の外、北風に揺れる木々をじっと見つめた。
気のせいだよね。
大丈夫……だよね?




