40.お目目様
しばらくして、千代たちの幽閉されている座敷牢に複数の足音が響いてきた。
「誰か来るぞ」
加藤の言葉に、千代と常春はうなずいた。
千代たちはいつでも縄を解けるよう緩く縛ると、目をつぶり寝たふりをした。
「いたいた。こいつらが今回の贄だな」
「さっさと運ぼうぜ」
そんな声がして、千代たち三人は座敷牢から連れ出された。
千代が薄目を開けてみると、外はいつの間にか真っ暗になっていて、目の前にはかがり火が赤々と燃えている。いよいよ年またぎの儀とやらが始まるらしい。
「それでは、姫巫女様の登場です!」
野本の声と共に、姫巫女が現れる。
姫巫女は、しゃんしゃんと鈴たくさんついた棒を振り、祝詞を唱えた。
「――贄をここに! お目目様!」
姫巫女の声に呼応するように、信者たちも声を揃えて叫んだ。
「お目目様ーっ!!」
ぎぃ鈍い音がして蔵の戸が開く。
途端、 むせ返るような、あの嫌な気配が勢いよく流れ込んできた。
千代恐る恐る目を開けるとそこに居たのは――。
闇に蠢く巨大なひとつの眼。
そしてそこから無数の触手が生えた、今までに見た事も無いような化け物だった。
「なっ……」
千代は息を飲んだ。
(これがお目目様!? 何て醜悪な化け物なの……)
千代が絶句していると、加藤が腕の縄を解き、金切り声で叫んだ。
「な、何だこの化け物は!」
その声に、周りにいた信者たちが狼狽える。
「な、なんだお前、起きていたのか!」
千代と常春も慌てて寝たふりをやめて縄を解く。
「あーあ、バレちゃったか」
「き、貴様らまで!」
完全に目を覚ましている三人を見て、野本が顔色を変える。
「そいつらを逃がすな! 贄が居なくなったら大変だ!」
「は、はいっ!」
千代たち三人を捕まえようとする信徒たち。
千代たちは逃げようとしたものの、目の前でドアを閉められ、入り口を完全にふさがれてしまう。
千代がどうしようかと慌てていると、常春はつんつんと千代の袖を引っ張った。
「――ちょっと我慢しててね」
そう言うと、常春はひょいと千代の体を抱きかかえ、こう囁いた。
「飛ぶよ」
(飛ぶ? 飛ぶって――)
混乱している千代の体を、常春は軽々と抱えてジャンプしたかと思うと、屋根の上に音もなく着地した。
「つ、常春さん、空、飛んで……!」
「大丈夫だよ」
満月を背に、常春の目が妖しい金色に光る。
さすが狐の神様と言ったところか。
ほっとした千代は辺りを見回した。
加藤の姿はない。どうやら混乱に乗じて上手く逃げおおせたらしい。
「な、何者だ貴様ら! まさか妖怪変化か!?」
一瞬にして屋根に飛び移った千代と常春に慌てる信者たち。
常春は蛇のように目を細めた。
「いやいやまさかあ」
常春の声がぞっとするほど低くなる。
「妖怪変化は《《それ》》のほうでしょ」
常春が指さした蔵の方からは、紫色の触手が、蜘蛛の足のように蠢いている。
「貴様、お目目様に向かって何を!」
「だってさあ、そいつがどんな力を授けるかは分からないけど、今どき生贄を要求するだなんて、ろくなもんじゃないでしょ」
「うるさい、貴様に何が分かる!」
野本が叫ぶ。
そこへ、信者たちが駆け寄ってきた。
「野本さん、まずいですよ」
「贄が居なくなったので、お目目様がお怒りです」
「……何っ!?」
見ると、お目目様は紫の触手をうねうねと動かし、蔵の中から這い出てくる。
しかも触手が触れた土蔵はまるで泥のように崩れ落ちていくではないか。
「うーん、どうやらあの触手に触れたらまずいみたいだね」
常春がのんきに腕組みする。
千代は慌てて常春の顔を見た。
「あんな化け物どうするんです?」
「どうするって、とりあえず倒すかどこかに封印するしかないねぇ」
ぺろりと舌なめずりする常春。
だけど、あんな化け物を倒すだなんて可能なのだろうか。
不安になる千代をよそに、常春はいつものようにお札を取り出した。
「狐火!」
常春が投げつけたお札は、触手のうちの一本に命中した。紫色の触手が燃え上がる。
千代の顔に笑みが浮かぶ。
「やりましたね!」
「――いや、あれを見て」
常春が指さす方向を見ると、黒焦げになったはずの触手がまた再生しているところだった。
「再生してますね」
「うーん、やっぱりあんなんじゃ駄目か」
常春が笑いながら頭をかく。
笑ってる場合なのかと千代は少し不安になった。
「姫巫女様はどこだ?」
「姫巫女さま!」
「そうだ! 姫巫女様の弓さえあれば!」
「誰か、破魔の弓を持ってこい!」
信者たちが騒ぎだす。
「破魔の矢?」
千代が首を傾げると野本が教えてくれる。
「いざとなった時に、お目目様の動きを止めることができるという矢ですよ。巫女にしか扱えないとされていますが……」
野本は横に立っている姫巫女をチラリと見た。
だが姫巫女は、いつもの神聖な雰囲気はどこへやら、青くなって下を向いている。
(あれ? まさか、この人……)
千代が姫巫女を見つめていると、信者のうちの一人が長い弓を持って走ってきた。
「姫巫女様、弓を持ってきました!」
「早く何とかしてください! このままでは……」
だけど姫巫女は、下を向いたまま弓矢を受け取ろうとしない。
「姫巫女様!」
「どうなさったんですか、早く!」
すると見かねた野本が口を開いた。
「無駄だよ、この人には巫女の力なんて無いんだから」
野本の言葉に、辺りは一瞬静まり返る。
「えっ」
「どういうことだ」
「じゃあ、あの千里眼は?」
常春が、その様子を見て細く息を吐く。
「本当に千里眼を持っているのは、野本さん、あなたですよね?」
常春の声に、野本はうなずく。
「そうです。皆さんの相談内容は、事前に私が千里眼で読んで伝えていました。この女は、亡くなった御法川が美しいという理由だけで養子に迎えたただの女。中年男の私よりも若くて美しい女性の方が信徒を集められると思ったのでね」
信者たちから悲鳴にも似た声が上がる。
「そんな、嘘だ!」
「じゃあ、あんたが矢を打てば良いじゃないか」
「そうだそうだ!」
野本が首を横に振る。
「駄目なんだ。それは巫女でなくては扱えない。一度好奇心から矢をつがえてみようとしたけれど、駄目だった。女でないと駄目なんだ」
「そんな……」
その間にも、お目目様は周囲の壁を壊し、信徒たちのほうへと迫ってくる。
このままではその被害は甚大なものになるだろう。
(それなら……)
千代は意を決し、手を挙げた。
「あの、それ、私が打ってみます!」
千代の母親は、教団の元姫巫女だった。
その血を受け継ぐ自分なら、もしかして矢を放てるかもしれない。




