34.呪われた母と娘
「ひいっ!」
千代は思わず声にならない声を上げた。
ギリギリ。
千代の足を締め付ける人形の小さな手。あんな小さな人形のどこにそんな力があるというのだろうか。
「は、離して」
千代は人形を無理矢理引き剥がそうとした。
その瞬間、頭の中にどす黒い感情が流れ込んできた。
「カラダがほシイ」
「かラダ」
「にンげんのカラだ……」
え、な、何これ。
流れ込んできた黒い呪いのような言葉にめまいがするとした。
分かったのは中に入っているのは女の子ではないということだ。一人の魂ですらない。これは――。
千代は慌てて佐久間に呼びかけた。
「――違う、これは敏子さんじゃない! 敏子さんの魂は入ってません。佐久間さん、騙されてますっ!」
「え?」
佐久間は一瞬戸惑ったような顔をした後、きゅっと唇を噛み締めた。
「そ、そんなはずないわ。だって、姫巫女様が――」
姫巫女様? それって、以前にも――。
戸惑った様子の佐久間を嘲笑うかのように、青い目の人形はカタカタと首を振る。
「カラダ……ヲ……カラダヲ……チョウダイ」
千代は再度叫んだ。
「違う。敏子さんはこんなこと望んでません! 目を覚まして!」
「そんな……はずは……」
佐久間の顔に戸惑いが浮かぶ。
その隙に、常春はお札を人形に張りつけた。
「……狐火!」
赤く燃え上がる炎。
もくもくと黒煙が上がる。
どす黒い煙に浮かび上がってきたのは、黒い顔がいくつもくっついた歪な魂だった。
「な……何よ、これ」
大きく目を見開き、驚愕の表情を浮かべる佐久間。
人形から出てきた魂の醜悪な姿に、佐久間さんも敏子さんではないとさすがに悟ったのだろう。
「これが、この人形に取り憑いていた悪霊の正体だよ。どうやらあなたは、その姫巫女様とやらに騙されていたようだね」
「そ、そんな」
佐久間は放心状態になり、ぺたりとその場に座り込む。
常春はさらにお札を投げつけた。
「狐火!」
魂をやきつくすかのようなあ、真っ赤な炎が燃え上がる。
「グアアアアア……」
炎が揺らめき、黒い魂が不気味な声を上げる。
業火にひとしきり焼かれた黒い魂は、やがて黒い煤となり、空の彼方へと飛んで行ったのでした。
***
「私、このお人形さんが欲しい」
娘がねだったのは、可愛らしい青い目の人形。
貿易商だった父の影響もあり、敏子は今風のモダンでハイカラなものが大好きだった。
「ありがとう、お母さん、大好き!」
青い目の人形を抱きしめた敏子はそれはそれは可愛くて、私の宝物だった。
やがて敏子は、美しくモダンな女性に成長した。
流行りの服を身につけ、夜遊びもするようになったけど、それもきっと今のうちだけ。
今にきっと、良い人と結婚して、私を楽にしてくれるはず。だけど――。
「お嬢さんの遺体が、多摩川で見つかりました。心中のようです」
それは、ザアザアと通り雨が降りしきる夕暮れのことだった。
憲兵によると、敏子の心中の相手は、妻子ある売れない小説家なのだという。
「ああ……敏子、敏子、どうして……」
ふさぎこんでいる私に、ある日、一人の男の人が声をかけてきた。
「姫巫女様には、すごい力があるんです。娘さんの霊も呼び寄せることができますよ」
半信半疑だったけど、私は、藁にもすがる思いで交霊会へやってきた。そして――。
カタカタ、カタカタ。
娘が大事にしていた、青い目の人形が動きだす。
「オカア……サン……オカアサン」
「敏子!」
私は、青い目の人形を抱きしめた。
間違いない。この中に、敏子がいるんだわ。
「オカアサン……ココハドコ? セマイヨ」
「大丈夫よ、敏子。今にきっと、あなたにピッタリの体を用意してあげるわ」
それからのことは、あまりよく覚えていない。
ああ、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
***
「あの後、あの屋敷からは多数の女性の遺体が見つかったようです」
数日後、國仲がライスカレーを食べながら教えてくれる。
「そうでしたか……」
どうやら佐久間は居なくなったデパートガールたちの他にも何人もの娘を誘拐して殺していたらしい。
「しかし、母親というのは、娘のためにそこまでするものなんですかね」
常春の問いに、國仲が腕を組んでうんうんうなずく。
「歪んではいますが、やはり親っていうのは、子供に無償の愛を注いでしまうものなのだと思いますよ」
愛情? あれが?
「……そうでしょうか」
千代はポツリとつぶやいた。
千代には、あれは母親の一方的で身勝手な行為にしか思えなかった。
國仲に悪気が無いのは分かってる。だけど――そんな風に思えるなんて、國仲はよっぽど両親に恵まれているに違いない。
千代は何だか胸にチクリと棘が刺さったような気がした。
自分にはとても、そうとは思えなかったから。
千代にとって、親とはただひたすらに身勝手な存在だったから。
そう簡単に、親は無償の愛を子供に注ぐだなんて言って欲しくなかった。
國仲が悪くないのは分かっているけど――。
「それよりも――だ」
千代がうつむいていると、常春がコーヒーを持ってやって来た。
固く閉ざした心がほどけるような優しい香りに、千代のこわばった頬が一瞬だけ緩む。
「それより僕が気になるのは、その『姫巫女様』とかいうやつのことさ」
だけど常春の『姫巫女様』の言葉に千代の表情は再び凍り付いた。
「ああ、それについても調べはついています」
國仲がポケットから何やら紙を取り出して読み上げる。
「『姫巫女様』の名前は御法川。浅草で、何やら怪しげな宗教団体を開いているようです」
「御法川……」
その名前を聞いた途端、千代全身の血は沸騰したように熱くなった。
忘れたくても忘れられない、御法川は――。
「……千代さん?」
常春が千代の顔をのぞき込む。
千代は小さな声で吐き出した。
「……私、その人のこと知っています」
その人は――千代の母親を死に追いやった人物だ。




