33.青い目のビスクドール
常春は狐の姿に戻り、窓から外に出ると、外から閂を開けた。
千代も周囲を確認すると、恐る恐る常春とともに閉じ込められていた蔵の外へ出る。
「意外とすんなり開きましたね」
「誰かが助けに来るとは思ってなかったんだろうね」
千代は辺りを見回した。
「そういえば、ここはどこでなんしょう」
千代が監禁されていた蔵の外は立派な日本庭園になっていて、一見すると立派なお屋敷のように見える。だがこんな立派な屋敷に千代は全く覚えがなかった。
「誰かの邸宅のようだけど、僕もよく分からないね」
常春が答える。
「千代さんが中々戻ってこないなと思っていたら、福助が僕のところにやって来てね。それでここまで案内してくれたんだ」
「そうだったんですか。福助が」
千代は頭の中に、まん丸お目目の黒猫の姿を思い浮かべた。お店に戻ったら、ご飯を一杯あげないと。
そんなことを考えながらふと千代が横を見ると、壁に怪しげな目のマークのようなポスターが貼ってある。
千代はそのポスターを見た瞬間、全身の血が凍るように寒くなった。
(この模様、どこかで――)
だがどこで見たのか、千代には全く思い出せなかった。
しかし、なぜだかすごく嫌な予感がした。
胸の中を、どす黒い泥が蠢くような――。
千代が青い顔をしていると、常春が肩を叩く。
「大丈夫? 出口はこっちだよ」
「あ、はい」
千代は常春さんにうながされ、とりあえず屋敷から出ることにした。
ちりん。
その時、小さく鈴の音が鳴ったような気がした。
背筋がゾッと冷える。この感覚は――。
ぼんやりとしていた千代の腕を、常春が強く引き寄せる。
「千代ちゃん」
千代はハッとして顔を上げた。
「沖さ――」
「僕から離れないで」
常春の真剣な声。いったい何があったというのだろう。
とりあえず千代はゴクリとつばを飲み込んでうなずいた。
「……はい」
――ギィ。
やがて廊下の踏み板が鳴る音がして、やってきたのは青い目の人形を抱いた着物姿の中年女性だった。
きっちりと結い上げた髪。昔は美人だったのだろうと思わせる整った顔――。
千代にはこの婦人に見覚えがあった。
西洋雑貨店で会った志麻子の客の女性――佐久間だ。
「あらあら、逃げちゃダメじゃない」
佐久間は戸惑っている千代に穏やかな口調で話しかけた。
「どうして佐久間さんがここに?」
千代は恐る恐る口を開いた。
だが佐久間は答えない。
まさか千代を誘拐したのは佐久間だとでもいうのだろうか。
だが千代と佐久間はあの日一度会ったきりだ。恨まれる覚えも何一つない。一体なぜなのだろう。
不安になる千代の手を、常春はきつく握りしめる。
「悪いけれど、この人は僕の妻なので連れ帰らせてもらいますねね」
佐久間はそれを聞くと、蛇のような瞳で常春を睨んだ。
「何が妻よ。そんなの、私は認めません。今度こそ……今度こそ敏子を返してもらうわ!」
叫ぶ佐久間。
(敏子? 一体誰のこと?)
千代はすっかり混乱してしまった。
「あ、あの、私は敏子っていう名前じゃ」
千代がおずおずと手を挙げると、佐久間はふうと息を吐いた。
「そうね、今はね。でも、これからここにいる敏子の体になってもらうの」
佐久間は愛おしそうに青い目の人形の頭を撫でる。
「あの子は昔からハイカラなものが好きで、この人形を可愛がっていたわ。だからこの人形を敏子にしたの」
佐久間の瞳は、闇のように真っ暗で、吸い込まれそうで、千代はじりりと後ずさりをした。
「どういうことですか」
困惑している千代に、常春が低い口調で答える。
「あのさ、あの後、少し気になって調べたんだけど、この人の娘さんは、一年前に亡くなってるんだよ」
「えっ」
佐久間の娘さんが亡くなっている。それは千世に取って信じられない事実であった。
なぜなら、佐久間は依然あった時に娘のために化粧品を買いに来てると言っていたからだ。
「ちょっと待ってください、じゃあ、その人形って――」
千代が恐る恐る人形に視線をやると、佐久間は赤い唇でそっと微笑んだ。
「ええ、今、姫巫女様が降ろしてくださった敏子の魂を入れているの。でも、いつまでもこんな小さな体じゃ可哀想でしょ?」
そう言うと、佐久間はニタリと歯を見せて笑った。
「――だから、もっと大きな体が必要だわ」
大きな体――。
千代は体の芯からゾッと寒気が走のを感じた。
「そ、それで私のことを誘拐したんですか?」
「そうよ。今までの子は、敏子の器になってくれなかったけど、きっと貴方なら大丈夫。今までの子と違って、上辺じゃなく、中身が敏子と似ているもの」
クスクス笑う佐久間。
千代はようやく納得した。それでこの人はモダンな女性を狙っていたのだ。
女性たちを誘拐して、そして亡くなった敏子の魂の器にしようとしていたのだ。
佐久間の腕の中で、青い目の人形がカタカタと揺れる。
「オカアサン、ハヤク、カラダにハイリタイ……」
「きゃあっ、に、人形が――」
千代が常春しがみつくと、常春は少し嬉しそうな顔をした。
「うんうん、千代さん。もっと僕を頼りにしていいからね!」
その言葉を聞き、千代はほんの少しだけ冷静になって常春から離れた。
全く、嬉しがってる場合なの?
千代が常春から離れると、佐久間はくすくす笑って青い目の人形の頭を撫でた。
「ええ敏子、心配いらないわ。すぐにあなたにピッタリの体を用意してあげる」
ゆらりと何かに操られているかのように、千代の横を通り抜けどこかへと歩いていく佐久間。
一体どこへと思っていると、佐久間さんは蔵の脇に立てかけてあったナタをゆっくりと手に取った。
佐久間はナタを手に振り返ると、ぞっとするほど低い声で言った。
「だから大人しくその体をよこしなさい」
このままだと殺される。千代は必死で逃げようと思ったが足がすくんで動かない。
千代がその場から動けず、氷のように固まっていると、常春は佐久間に体当たりを食らわせた。
「きゃあああっ!」
佐久間の手からナタがすっぽ抜け、クルクルと弧を描き飛んでいく。
鈍い音を立て、ナタは屋敷の柱に突き刺さった。
「今だ! 千代さん、この隙に逃げて」
「う、うん」
千代は言われた通り、その場から逃げようとした。
だが足が誰かにがっしりと掴まれていて動けない。
「痛っ……」
「ニガサナイ」
足元を見ると、青い目の人形が、小さな手で千代の足を掴んでいた。




