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帝都浅草 妖狐カフェーの怪奇譚  作者: 深水えいな
第壱章 ふしぎなカフェー
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3.カフェー・ルノオル

 千代はさっそく次の休みに、おぼろげな記憶を頼りに、昔迷いこんだ神社を探してみることにした。


 休日の浅草は小さな頃と変わらぬ賑わいを見せていた。色とりどりの看板や幟旗のぼりばたに、帝都に生まれた千代でさえも圧倒されるような人混み。建物の数も昔より増えているような気がする。


 だけど今日、千代がここにやってきたのは買い物をするためでも、興行を見るためでもない。


「よしっ、探すわよ」


 千代はかけ声とともに、地図を勢いよく広げた。

 地図にはこの付近にある全ての神社が記されている。この地図を頼りに歩けば、昔行ったあの神社にもたどり着けるだろう。


「よしっ、まず初めはこの神社ね」


 とりあえず、近くにある神社に入ってみる。


「わあ、綺麗で静かな神社。でも――」


 記憶の神社とは全然違う。鳥居は赤くないし、狐の像もない。


「はずれだわ。次はどうかしら」


 だけれど、もうひとつの神社も記憶にあるあの神社とは全然違う。


「だめ、見つからない」


 その後も、千代はいくつかの神社に行ってみたものの何も収穫はなく、力尽きた千代はその場に座りこんだ。

 あるのはあの神社よりも大きかったり、小さかったり、鳥居の形や建物の形の違う神社ばかり。

 あの神社は相当古かったし、ひょっとして取り壊されてしまったのかもしれない。


「はあ、もう帰ろうかな」


 千代が諦めて帰ろうとしたその時、目の端に何か黒いものが映った。


「ん?」


 ――にゃあお。


 よく見てみると、それは黒い猫だった。

 足の先からお腹、ヒゲまで真っ黒な毛に、金色の瞳がまん丸で可愛らしい。


「野良猫かな? おいでおいで」


 舌を鳴らしてみたけれど、猫は、チラリと千代の顔を見ると、ついて来いとばかりにどこかへ歩いていった。


 (あれっ、この猫、私をどこかに連れて行こうとしているのかしら)


 千代は直感的にそう思った。

 もしかして、あの神社へと案内してくれるのかもしれないと、千代は胸を踊らせながら猫の後を追った。猫が導く運命の人――なんて、いかにも今流行りの少女小説にありそうである。


「にゃあご」


 千代が猫の後を追って少しの間歩くと、ふと猫が足を止め座りこんだ。


「ここ?」


 千代は猫の喉を撫でると顔を上げた。

 そこにあったのは、あの時の神社――ではなく「カフェー・ルノオル」と書かれた、赤いレンガ造りのハイカラなカフェーだった。


「カフェーかぁ」


 そうよね、猫が神社に案内してくれるだなんて、そんなに都合のいいことがあるわけない。


 少しガッカリしながらも、千代はしげしげと目の前のカフェーを見つめた。

 窓には、コーヒー、紅茶、ソーダ水といった飲み物の他に、ライスカレー、オムレツ、ビフテキなんていういかにも美味しそうな料理名が貼られている。


 今、帝都では、コーヒーの飲めるカフェーが大流行り。紳士の社交場として、有名な文学者や芸術家、雑誌の記者なんかもこぞってカフェーに繰り出している。

 千代としては、コーヒーを飲んだりカフェーに行ったりするのは大人の遊びといった感じで、少し敷居が高いと思っていた。だけれど――。


 ゴクリと喉が鳴る。


 街中を歩き回ったせいで、千代の喉はカラカラだった。

 そんなに高くもなさそうだし、勇気を出して入ってみようかしらと、千代は恐る恐るカフェー・ルノオルへと入ってみることにした。。


 「営業中」のお洒落なプレートがかかったドアを押し開けると、カランコロンとベルの音が鳴る。


「いらっしゃいませ」


 出迎えてくれたのは、白いシャツに黒のエプロンを身につけた背が高い若い男性だった。

 他に従業員らしき人はいないから、彼がこの店のマスターだろうか。切れ長の目で色白で、凄く綺麗な顔をしている。


「おや、福助ふくすけ


 マスターは、千代の足元にいた黒い猫に目を止める。

 どうやら黒い猫は「福助」と言うらしい。


「なるほど、珍しくお客さんが来たと思ったら、福助に案内して貰ったんだね」


 マスターはクスクスと笑う。


「猫が案内?」


 千代が首を傾げていると、マスターはしれっとした顔で答えた。


「ああ、この店、少し分かりにくい場所にあって、普通ではたどり着けないんだよね。だからこうして時折、福助が案内してくれるんだ。カフェーを必要としている人をね」


「カフェーを必要と?」


 千代の問いには答えず、マスターは黙って彼女をカウンター席に案内してくれた。


「ええっと、ブレンドコーヒーを一つお願いします」


「はい、少々お待ちください」


 とりあえず千代はメニューの一番上に書かれていたブレンドコーヒーを頼むと、ソワソワしながら店内を見回した。

 薄暗い店内には、低くジャズのレコードがかかっていて、窓のステンドグラスからはきらきらとお日様の光が差し込んでいる。

 こういう所で読書をしたら素敵な気分になれそうだと千代はなんだか浮かれた気分になった。


 しばらくして、注文したブレンド珈琲が運ばれてきた。


「美味しい」


 千代は思わず声を漏らす。

 あっさりとしていて、珈琲初心者の千代にも飲みやすい味である。

 でも香りやコクはしっかりとあって、疲れた体に染み渡るような美味しさだ。


「これはグアテマラをベースにしたブレンド珈琲だよ。穏やかな甘みがあって、苦味と酸味のバランスがちょうど良いでしょう?」


 マスターが教えてくれる。


「そうなんですね。美味しいです」


 千代はこんなに美味しい珈琲を飲んだのは初めてだった。


 それにしても――。


 千代はマスターの顔をチラリと見た。

 千代にはこのマスターの顔がどこかで見覚えがある気がしてならなかった。どこで会ったかは全く思い出せないけれど。


 おかしいなあ。こんな美男子、一度見たら忘れるはずはないのだけれど。

 千代がじっとマスターの顔を見て考え込んでいると、マスターはにっこり笑って千代を見つめ返してきた。


「僕の顔に何か?」


 千代を見つめ返すマスターの切れ長の目は、よくよく見ると琥珀みたいな薄い綺麗な色をしていた。

 それが何とも蠱惑的で、全てを見透かされているようで、千代は落ち着かない気持ちになる。

 

「あ、いえ、なんでもありません」


 マスターの美しく神秘的な瞳に千代は慌てて視線をそらした。

 普段、女学校に通っていて男の人に対する免疫がないせいかもしれない。千代の心臓ははちきれんばかりに激しく鼓動し、全身の体温が上がるのを感じた。


 千代が下を向いていると、マスターはゆっくりと口を開いた。


「それで、お嬢さんはどうしてここに来たの?」


「へっ?」


「福助が案内してくれたってことは、君は何か困り事があるはずなんだ」


「困り事って――」


 千代は視線を泳がせた。困り事ならある。だけれど、初対面の人に「呪いの令嬢」のことを話しても信じてもらえるだろうか。


 千代が戸惑っていると、マスターはふっと頬を緩めて笑った。


「ああ、申し遅れたね。僕の名前はおき常春つねはる。ここでカフェーの店主をしながら、怪異かいいにまつわる相談も受けているんだ」


「か……怪異?」


 千代が首を傾げると、沖と名乗る男性が教えてくれる。


「まあ、平たく言うと、妖怪変化あやかしだとか呪いだとか、そういう類のものだね」


 妖怪変化や呪い……。


 千代は小さくつばを飲みこみ、沖の顔を見つめた。


「そう、ここは何でも困り事を解決するカフェーなんだ。選ばれた人しか来られないけどね」


 あっ。

 

 沖のその言葉を聞いた瞬間、千代頭の中に、あの日会った神主の顔がフラッシュバックしてきた。


 この人――。


 髪も黒くなってるし、洋装だから最初は分からなかったけど、間違いない。あの時出会った神社の神主だ。


 千代はそう確信した。


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