30.浅草十二階の怪
「とりあえず、その青い目の人形というのがとどういうものが教えてくれるかい?」
という常春の提案で千代たちがやってきたのは、浅草にある輸入雑貨や人形を扱うお店だった。
壁にはドレスを着た西洋人形がびっしりと並んでいる。
「そうねえ、こんな感じだったかしら」
志麻子が人形のうちの一つを手に取った。
手にしたのは、長い金髪に青いドレス、青い目をしたビスクドールだった。
「でもこんなに可愛くない。もっと不気味だったわよ」
「ほほう、なるほど」
この人形でも十分不気味だけどね、と千代は心の中で思う。
「でも大丈夫です、志摩子さんは僕が守――」
拳を振り上げて熱く語ろうとした國仲だったけど、志摩子はその横をするりとすり抜けて店の奥へと走っていった。
「あらあ、久しぶり、佐久間さん!」
志摩子が話しかけたのは、上等の着物を着た五十台くらいのご婦人であった。
婦人は顔にいくらか皺はあるけれど、若い頃美人だったであろうと思わせる上品な顔つきをしている。
「こんにちは、志摩子さん。こちらはご友人かしら?」
婦人が志摩子に尋ねる。
「ええ、そうなの。紹介するわ、こちら佐久間さん。うちのデパートによく来てくれるお得意様なの。昨日も娘さんのために化粧品を選ぶって来てくれて」
志麻子さんが紹介してくれる。千代たちは慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「佐久間です。こちら、全員志摩子さんのお友達なの?」
佐久間さんは丁寧にお辞儀をすると、千代の顔を変わる代わる見つめた。
志麻子は笑顔で千代の肩を抱く。
「ええ。今日はこちらにいるいとこの千代さんが西洋人形を見たいというので。こちら、千代さんの夫の常春さんとそのご友人の國仲さん」
「そ、そうなんです。おほほ……」
千代は慌てて話を合わせた。
四人で順番に頭を下げて挨拶を済ませる。
「あら、結婚祝いにするのかしら? 素敵ね。それじゃ、また」
佐久間さんは頬をほころばせると、頭を下げて去っていった。
何だか上品で素敵な方だなと千代は思う。でも――。
千代は佐久間さんの背中にべったりと張り付いている黒い《《もや》》ようなものをじっと見つめた。
(あの人、大丈夫かしら。何かに取り憑かれてない?)
***
西洋雑貨店を出た千代たちは、その足で、志麻子が青い目の人形を見たという浅草十二階へと向かった。
「へえ、ここかあ、例の青い目の人形を見たというのは!」
常春が建物を見上げ目を輝かせる。
浅草十二階は、正式名称を凌雲閣という、浅草公園に建てられた十二階建ての展望塔である。
塔の十階まではレンガ造りで、上二階は木造という変わった造りの建物で、日本初のエレベーターが設置されたことでも有名な場所だ。
中には様々な商店が入っていて、十二階の足元の街にはお酒の飲めるお店や、活動写真、見世物小屋などがあり少し怪しい雰囲気もあるが賑わっている。
「さっそく入ってみよう」
「はい」
千代たちは入場料を払い、建物の中に入った。
中は休日ということもあって大勢の人で混雑している。
(わあっ、凄い人)
千代が人ごみに圧倒されていると、不意に常春がそっと手を握ってきた。
「千代さん、はぐれないでね」
「は……はいっ……」
千代は平静を装いながらも、体温が一気に上がるのを感じた。
常春とはすでに結婚しているし、はぐれないためだし、手を繋いでも問題は無いはずなのだが、千代はなんだか無性に照れくささを感じてしまうのであった。
國仲はそんな二人を見てゴホンと咳払いをした。
「志摩子さん、それではエレベータに乗ってみましょうか。エレベーターの中でも、僕が貴女をお守りして――」
「あらっ、故障中みたい」
だけど志摩子はエレベーターの横の張り紙を指さすと、國仲の横をすり抜けて階段をずんずんと登って行ってしまった。
「僕らも行こうか」
常春が千代の顔を見る。
「はい」
千代はうなずくと、常春と手を繋いだまま、階段を上がり志摩子を追いかけることにした。
(なんだか不思議だな)
千代はふわふわとした気持ちのまま考える。
(十年前もこうして二人、手を繋いで歩いて、あの時は子供と大人だったけど、今は夫婦で――)
まるで夢の中にいるみたいだと千代は思った。
「このあたりよ、青い目の人形人形を見たのは」
志摩子の声に、千代ははたと我に返る。
志摩子が指さしたのは、塔の九階部分であった。
浅草十二階は、一階から八階まではお店が入っていて、十階より上が展望台。そしてここ九階は休憩スペースになっている。
「はあ、疲れた」
志摩子がへなへなと床にへたり込む。
「九階まで階段ですもんね」
千代も息が切れそうになりながら答えた。なんだか足も無性に痛い。
「それじゃあ、僕たちはこの辺を見て回りますから、志摩子さんと千代さんはここで少し休んでいてください」
國仲が提案し、常春と二人で歩いていく。
その間に、志摩子と千代は椅子に座りしばしの休憩することにした。
「足がパンパンですね」
「ええ、本当に。汗もかいちゃったし」
「何か飲みたいですね」
と、そこで二人の会話が途切れた。
千代が何か話題を振ろうかと考えていると、急に志摩子がずいと千代に近寄ってきた。
「それにしても、千代ちゃん、一体どうやって沖さんの婚約者になったの?」
「えっ、どうやってって……いつの間にか、成り行きで」
千代が常春との出会いを話すと、志摩子の表情から見る見るうちに笑顔が消えていった。
「そう。あなたとはそんな簡単に」
すっかりしょげてしまう志摩子に、千代は恐る恐る答えた。
「あの……志摩子さんはもしかして」
「ええ、好きよ、常春さんのこと。ずっと」
志摩子は遠い目をして話し始めた。
「私ね、家出少女だったの。家が貧しくて、遊郭に売られそうになって――そんな時に助けてくれたのが常春さんだった」
元々、少し霊感があったという彼女は、そこで常春の仕事を手伝うようになり、恋心を抱くようになったのだという。
「だけど、常春さんは答えてくれなかった。昔の奥さんが忘れられないからって。大人になってから出直してこいって」
「えっ」
「だから私、十八になったらお店を出て独り立ちして、大人の女性になろうって思ったんだけど――」
志摩子は遠い目をして口元に薄く笑みを作った。
「でもあなたとはすぐに恋仲になったってことは、私は初めから好みじゃなかったのね」
「……そうでしょうか」
千代がうつむいていると、志摩子は赤い唇をにぃと引き上げて笑った。
「そうよ。だって沖さんあなたにゾッコンだもの。階段でも、あなたとずっと手を繋いでたじゃない。いくら夫婦とは言えさー」
「そ、それはその、人混みではぐれないように……」
「そう? 凄く相思相愛って感じに見えたけど。モダンな夫婦で素敵だわあ」
「ち、違いますっ、そんなんじゃありません!」
「別に照れなくてもいいのよ」
志摩子はケラケラと笑った後で急に真顔になる。
「誰かを愛するってことは恥ずかしいことじゃない。素晴らしいことよ。日本人はもっと大胆にならなきゃダメだわ!」
「いや……だから、違いますってば」
どうやら志摩子は見た目だけではなく考え方もモダンなようだ。
千代が人混みをぼんやりと見つめていると、不意に背中に冷たいものが走った。
――ゾクリ。
(えっ?)
千代は目をごしごしと擦った。
目の端に何か黒いものが見えたような気がしたのだ。
「ねえ、志摩子さん、今――」
振り返り、志摩子に話しかけようとして、千代は声を失った。
先ほどまで隣にいたはずの志摩子の姿がない。
ちょっと横を向いていただけだったのに、一体どこへ行ったのだろう。
「志摩子さん――志摩子さんっ!」
千代は必死で叫んだのであった。




