29.浅草のモダン美人
「ふう、今日は一段と冷えるわね」
千代は店の前に転がってきた落ち葉を掃きながら白い息を吐いた。
空は白く、どんよりと曇っていて風が強い。今年は暖冬かと思っていたのに、一気に冬が来たらしい
千代がかじかむ手をさすりながら店のドアを開けると、後ろから聞き慣れた声がした。
「こんにちは、千代さん」
やってきたのは國仲さんだ。その後ろには、依頼人と思しき若い女の人がいる。
断髪した髪にパーマネントを当て、クロシェ帽にトレンチコート。今流行りのモダンガールというやつなのだろう。
細い眉に大きな瞳、赤い口紅を差したその女性は、まるで天竺牡丹のように華やかな人だと千代は思った。
「こんにちは、國仲さ……」
と、千代が挨拶しようとしたところで、連れの女性が國仲さんの後ろからひょいと顔を出した。
「わあ、懐かしいわぁ。常春さんは元気かしら?」
「常春さん」という呼び方を聞き、千代の胸が針で刺されたみたいにちくりと痛んだ。
どうやらこの女性は常春の知り合いらしい。
千代は女性の美しい横顔を盗み見た。
一体彼女は常春とどんな関係なのだろうか。まさか昔の女であったりするのだろうか。
千代は悶々と考えつつも笑顔を作った。
「いらっしゃいませ、こちらのお席にどうぞ」
千代が案内をしようとすると、モダン美人は千代のことを頭の上から足の先までじっと見つめた。
「……あなた、新しい女給さん?」
「は、はい」
千代が小声で判事をすると、國仲が紹介してくれる。
「彼女は千代さん。沖さんの奥さんだよ」
「ええっ!」
國仲の言葉に、モダン美人の顔が青くなる。
「嘘。そんなはずないわ。だって――」
「おや、お客さんかい?」
そこへ呑気な顔をした常春がやって来る。
「常春さん!」
女の人は常春を見るなり頬を綻ばせて彼に抱きついた。
「常春さん、久しぶり!」
「し……志摩子さん!?」
常春が驚き目を見開く。
どうやらモダン美人の名前は志摩子と言うらしい。
それはいいとして、目の前の女が妻だと聞いたばかりなのに、その目の前で沖さんに抱きつくのはどういう了見であろうか。
千代が口をパクパクさせていると、志摩子はうっとりとした瞳で常春を見つめる。
「久しぶり、元気してたァ?」
「ええ、おかげさまでね。あ、紹介するよ、こちら志摩子さん。昔、ここで女給をしてたんだ」
常春が千代に紹介してくれる。
千代はそれで常春と親しげな様子なのかと納得をした。妻の目の前で夫に抱き着いたことは解せないけれど。
「志摩子でぇす。わあ、この制服、懐かしい!」
千代の制服のスカートを引っ張る志摩子。
千代がぎょっとしていると、常春が志摩子に紹介をする。
「それでこちら、僕の妻の千代さん」
「ち、千代です。よろしくお願いします」
千代が頭を下げると、志摩子の動きがピタリと止まり、顔が固まる。
「ああ、それはもう聞いたわ。それより聞いてよ、常春さぁん……」
千代が妻であると聞いたにも関わらず、志摩子は相変わらず常春に馴れ馴れしくしなだれかかる。
(な、何なのこの人。志摩子さんもそうだけど、常春さんもなんだかデレデレしちゃって)
千代の胸にもやもやしたものがこみ上げてくる。
やじ張り自分のような子供より、志摩子のようなモダンで大人っぽい人のほうがいいのだろうか。
千代が下を向いていると、國仲が切り出してくる。
「それで、志摩子さんは沖さんに依頼があって来たんですよね?」
「あ、そうそう!」
志摩子は、帽子を脱いで膝の上に置くとコーヒーを一口飲んで話し始めた。
「私、実は今、百貨店の化粧品売り場で接客の仕事をしているのだけど――」
「へえ、すごいですね」
千代は思わず身を乗り出した。
百貨店の化粧品売り場の店員といえば、美人しか採用されないとされている、デパートガールの中でも花形職業なのだ。
「それで、最近は接客だけでなく、こういうこともやっていて」
志摩子が差し出したのは、化粧品メーカーのポスターだった。
真っ赤な口紅を持って微笑む女の人たちの中には、志摩子の姿もあった。
「へぇ、化粧品メーカーのキャンペーンガールに選ばれるだなんて、凄いですね」
國仲も身を乗り出す。
常春もしきりにうなずいて同意する。
「綺麗だねぇ。ね、千代さん」
「え、ええ」
千代は笑顔を作りつつも、どんどん惨めな気持ちになっていくのを感じた。
やっぱり常春は自分のような地味な女より、志摩子のようなモダン美人のほうがいいのだろうか。
志摩子は皆に褒められ頬を綻ばせる。
「ふふ、ありがと。最近はこういうポスターにデパートガールやエレベーターガールを使うのが流行ってて、うちのデパートからも何人かキャンペーンガールに採用されているのよ」
と、そこまで言って、志摩子は少し視線を落とした。
「でも、今年に入ってから、キャンペーンガールに採用された女の子たちが相次いで失踪して――」
「失踪?」
常春の眉がピクリと動く。
「それ、警察は? 動いているの?」
「もちろん捜査してますよ」
國仲が横から口を挟む。
「でも、大した手がかりが見つからないのです。それに、少し気になる証言もありまして、それでこちらに志摩子さんをお連れしたのです」
「気になる証言とは?」
常春がピクリと眉を動かすと、志摩子が青い顔で下を向く。
「ええ。失踪した女性たちは皆、失踪する前に青い目の人形を見ていたそうなの」
「青い目の……人形?」
千代と常春は同時に声を上げた。
「なるほど、人形といえば魂が宿るものの筆頭だけど、最近ではそれが西洋人形になってきているんだねぇ」
常春は感慨深そうにうなずく。
「沖さん、感心している場合じゃありませんよ」
「そうですよ、人が居なくなっているんですよ!?」
國仲と千代に問い詰められ、常春は頭をかいて笑った。
「ああ、すまないすまない」
志麻子は不安そうに視線を揺らした。
「それで、実は私も先日、青い目の人形を見てしまって……」
志摩子が言うには、一昨日、彼女が浅草十二階に行ったところ、展望台のところで青い目の人形に出くわしたのだという。
「次に連れていかれるのは私かも知れないわ。お願いです、私を守ってください!」




