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帝都浅草 妖狐カフェーの怪奇譚  作者: 深水えいな
第伍章 秘密の恋まじなひ

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28.幸せになりたい

 千代が黒百合の見せる記憶に浸っていると、急に常春に腕を引っ張られた。


「千代さんっ、危ない!」


「えっ」


 千代の体がぐらりと揺れる。

 気がつくと、千代の体はすっぽりと常春の腕の中に収まっていた。


 見ると、黒い百合はさっきまで千代がいた辺りに鋭い牙で噛みつき、空を咀嚼していた。

 千代の背中にゾッと悪寒が走る。

 常春に助けてもらわなければ、今頃千代があの百合に食べられていただろう。


「す、すみません」


「いいよ。それより、ここまで育ったからには、本格的に焼き払わないとね」


 常春は大きく花開く黒百合を目を細めて睨みつけた。


「狐火!」


 常春がお札を投げつける。

 黒百合の花弁は大きく炎を上げて燃えていく。

 続いて茎、葉、根っこ――そしてあの黒い球根も、真っ赤な炎に飲まれていく。

 やがて静江の体に巣食っていた黒百合は黒い煤になって粉々に砕け散ると、開け放したドアから空へと登って行った。


 黒百合が完全に消え去った後、静江は泣きじゃくりながらペタリと床に手をついた。


「文子さんが悪いのよ。あんなに愛し合っていたのに」


 文子はそんな静江を、戸惑ったような、少し軽蔑したような、複雑な表情で見守っていた。


「静江さん」


 千代は静江の肩に手をやった。


「静江さん、静江さんは、本当に文子さんを好きだったのね」


「ええそうよ、文子さんが入学してからずっと見守ってきたのよ。私だって、普通の幸せが欲しかった。それを横から――」


 泣きじゃくる静江を、常春は冷たい目で見やる。


「そうかな? 本当に好きならば、愛する人の苦しむ所は見たくないんじゃないかな?」


 静江は泣きぬれた顔を上げた。


「相手の幸せを願うのが本当の愛だと、僕は思うけどね」


 文子は、失望したような瞳で静江を見下ろした。


「静江姉さま。私は、静江姉さまが好きだったわ。凛としていて、汚れなくて、真っ直ぐに生きる白百合のような静江姉さまが。まさか、こんなことになるなんてね」


 文子の言葉に、静江は声を出して泣き崩れたのだった。


 ***



「結局、あの二人はあのまま仲違いしてしまったようですね」


 数日後、千代がカヨ子から聞いた二人の様子を伝えると、常春は不思議そうな顔をした。


「千代さんは、二人が仲直りできなかった事が残念なの?」


「はい。だって、一度は愛し合った人たちどうしですから。女性同士だからというだけで結ばれないのは可哀想だなって」


 千代が視線を落とすと、常春は呆れたように息を吐いた。


「愛し合った、ねぇ。どうも一人は本気で、一人は友情の延長だと思っていたようだけど。相手がその気でもないのに勝手に思いを寄せて呪ったというだけの話じゃないかい?」


 常春の言葉に、千代は視線を落とした。


「そ、それはそうですけど――私、静江さんの気持ちが少し分かる気がして」


 千代の言葉に、常春は目を丸くする。


「えっ、君も女の人が好きなのかい?」


「ど、どうしてそうなるのですか!」


 千代は慌てて否定した。


「違います! そうじゃなくて――」


 千代は静江の言葉を思い出す。

 『私だって、普通の幸せが欲しかった』という静江の言葉。

 千代はその言葉が耳に残って離れなかった。

 それはきっと、自分も同じ気持ちだから。


「そうじゃなくて――普通の幸せが欲しいって、私もそう思っていたから」


「普通の?」


「はい」


 店内には、ゆったりとしたジャズが流れる。コーヒーの香り。


 千代は、普通の人との結婚を望んでいた。だけど――。


 千代は、常春に素直な気持ちを打ち明けた。


「私、ずっと誰かと結婚したくて。結婚して、暖かい普通の家庭が欲しかったんです」


「うん、知ってる」


「……だけれど、常春さんに求婚されて、すごく戸惑ったんです。どうしてだろうって考えたんですけど――」


 うつむき、ギュッとエプロンの裾を握る。


「結局、私はそこまで結婚したいわけじゃなかったのかもしれません。私がなりたかったのは普通の人。普通に結婚して、普通に主婦をすることで、私は普通の人になりたかったのかもしれません」


 普通になんてなれるわけもないのに。


 千代の話を聞いて、常春はうなずいた。


「なるほど」


「だから常春さん、私――」


「千代さん、よく聞いて」


 常春は、千代の言葉を遮るように言うと、彼女の両手を握った。

 ハッと顔を上げる千代に、常春は優しい口調で続けた。


「確かに僕は普通の人間でもないし、千代さんも特別な力を持っていて、普通の人間じゃないのかもしれない」


「はい」


「だけど、普通の人間にはなれなくても、幸せになることはできる。そうだろう?」


 常春の狐の目が、ふっと秋の日差しのように和らぐ。

 千代は握られた両の手から優しいぬくもりを感じた。

 まるで心に巣食う冷たい氷を溶かすかのように。


 普通じゃなくて、幸せに――。


 千代はその言葉を何度も噛み締めた。

 そうしているうちに、いつの間にか千代の目からは涙がポロポロと溢れていた。


「……こんな私でも、幸せになっていいんですか?」


 だって、私は――。


「ああ、いいさ」


 常春は、千代の背中に手を回すと、優しく抱きしめた。


「僕と結婚して、幸せになろう」


 幸せに――。


 幸せに、なりたい。


「……はい」


 千代は小さくうなずくと、常春の体を抱きしめた。

 その日初めて、千代は常春と結婚することを心から納得できた気がした。


 確かに常春は狐だけれど、この人とならやっていけるんじゃないか。千代は心からそう思えた。


 私は、幸せになりたい。


 普通じゃなくて、幸せに。


 私でも、なれるかな。


 幸せな――狐のお嫁さんに。


 千代は心の底から幸せを願ったのであった。

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