27.穢れた百合
「こんなのウソよ!」
静江が硬貨から手を離す。
それを見て文子が慌てたように叫んだ。
「し、静江姉さん、硬貨から手を離しちゃ駄目よ」
そういえば、文子が呪われたのは、コックリさんの最中に手を離したからなのだと千代は思い出す。
静江はキッと常春と千代を睨みつけた。
「心配要らないわ、文子さん。こんなのウソっぱちだもの。あなたたちがグルになって、わざと硬貨を動かしているんでしょう?」
「落ち着いてください、静江さん」
常春は低い口調でいうと、じっと静江を見つめた。
「あなたがそう思うのは、前回のコックリさんの時に、実際にあなたが硬貨をわざと動かしていたからでしょう?」
常春の問いに、静江は顔面蒼白になってテーブルの銅貨を見つめた。
千代がどういうことなのかと常春と静江の顔を交互に見ると、常春はゆっくりと語りだした。
「静江さん、文子さんに呪いをかけたのはあなただ。それをコックリさんのせいにして誤魔化そうとしていただけなんじゃないかい?」
文子は顔を引き攣らせて静江の方を見た。
「それ、本当なの、静江姉さん」
静江は静かに目を逸らした。
「……でたらめよ。だいたい、呪いをかけたのが私なら、なんで沖さんに呪いの解除を依頼するの?」
静江の問いに、常春は肩をすくめる。
「それは、あなたが想像していたより呪いの効力が強くて怖くなったからじゃないかい?」
常春は獲物を追い詰める肉食獣のように、すっと目を細めた。
「思い出してみてよ、コックリさんの最中、文子さんはなんで手を離したの? その時にした質問は何?」
文子は、上を向いて考え始める。
「ええっと、その時の質問は確か、私と婚約者の正一さんとの結婚が上手くいくかどうか……」
「それにコックリさんはどう答えたの?」
「確か『別れなければ死ぬ』と。それで私、動転してしまって」
「なるほど、それで手を離したんだね」
「でもそれで、どうして静江さんが文子さんを呪った犯人なの?」
「そ、そうよ。あなた、さっきから何の証拠があってそんなことを言うんですの!?」
詰め寄る静江を、常春は冷たい瞳のまま見つめた。
「僕が初めに眠ったままの文子さんを助けた時、文子さんには呪いがかかっていた。黒い百合の呪いがね。そこで僕が呪いを解除したんだけど――」
常春の声がグッと低くなる。
「呪いというのは、失敗した時にかけた本人に返るものなんだよ」
千代はぎょっとして静江の方を見た。
静江の体には、真っ黒な茎と葉に、真っ黒な根と球根。そして今にも咲きそうな真っ黒な百合の花の蕾が静江を縛る鎖のように巻き付いている。
「まさか、静江姉さんの最近の体調不良は――」
文子の声が震える。
「そいつは、心の負の部分を養分にして育つ花だよ。静江さん、君さ、ここ最近体調はどう? 悪夢ばかり見るんじゃない?」
「し、静江姉さま」
文子は真っ青な顔で静江を見つめた。
「嘘よね? 静江姉さま。だって静江姉さまは、私の結婚を祝福してくださって――」
すると、うつむいていた静江が、意を決したように顔を上げた。
「……祝福なんてしてない」
その瞬間、むせ返るような濃密な百合の香りが辺りを満たした。
千代慌てて鼻を押さえらる。
目眩のするような、脳髄をえぐるような強烈な闇の気配。これは――。
静江はクク、と低い声で笑いだした。
「お姉さま?」
「そうよ、全て私のせいよ。でも私がかけたのは、呪いなんかじゃない。恋のおまじないのはずだった。これで文子さんが手に入るって聞いて――」
静江がゆっくりと顔を上げる。
その瞬間、彼女の後ろで巨大な闇色の花が開いた。
「私は悪くないわ! 悪いのはあなた……文子さんよ!」
「私が悪いって……それにこれ、何? お花の香り?」
黒百合の姿が見えないはずの文子も不思議そうな顔をする。
「これはまずいね。黒百合の力が強くなった」
常春が喉を鳴らして唾を飲み込んだ。その時――。
百合の花弁がガバリと開き、中から牙のびっしり生えた口が現れた。
千代の体が反射的に動く。
「危ない!」
千代が静江を庇ったその時、静江と黒い百合の記憶が流れ込んできた。
「今日からあなたは私の妹よ」
「はい、お姉さま」
姉妹の誓いを交わす二人。
やがて二人は、二人きりで会ったり、手紙のやり取りをしてりして、姉妹以上の関係になった。
湖畔で二人、指を絡ませながら歩く、幸せな時間。
だけど、二人の幸せは長くは続かない。
「私、婚約することにしたの」
文子の屈託のない笑顔。
「こういうのって、やっぱり健全じゃない。普通じゃないわ。だから、もうこういうことはやめて、普通の姉妹に戻りましょう」
そして絶望した静江は、白い着物を着た巫女のような女性の元へと向かうのだった。
「姫巫女さま、どうしましょう。私の好きな人が結婚してしまうの」
泣きじゃくる静江に、巫女は笑って包みを渡してくる。その中には、黒い球根のようなものが入っていた。
「大丈夫よ、これは恋のおまじない。これで意中の方の心を手に入れられるわ」
だけれど文子はその日から悪夢を見るようになり、どんどんやつれていく。
自分が渡したあれは悪いものだったんじゃないかと怖くなった静江は、文子の不調を女学生の間で流行っているコックリさんのせいにすることを思いつく。
――そうだわ。子さんは、コックリさんのせいで呪われたことにしましょう。
――あの黒い百合のせいじゃ……私のせいではないわ。
(ああ、そうだったんだ)
千代は静江の思いに胸がしめつけられるのを感じた。
静江は、文子のことを自分のものにしたくて――しかし思っていたより事態が深刻になって怖くなって、それで常春に助けを求めて来たのだ。




