2.呪われた令嬢
「えーっ、また婚約が駄目になったの!?」
妹のカヨ子が、大きな目を見開いて叫ぶ。
「え、ええ……」
千代が裁縫をする手を止めて顔を上げると、カヨ子は手を組み、同情の瞳で千代を見つめてきた。
「お姉様、かわいそう! これでもう三回目でしょう!?」
「えっと……」
千代はしどろもどろになった。実際には、千代の婚約が破談になったのはこれで四回目だった。
とは言っても、千代の器量が悪いわけではない。愁いを帯びた大きな黒い瞳に小さくまとまった鼻と口。性格も控えめで、取り立てて言うほどの難があるわけではない。
現に最初の相手も、次の相手も感じのいい人で、途中まではお見合いも順調に進んでいた。だけれど――。
「でもしょうがないわよね。婚約者が立て続けに謎の事故にあってちゃあ」
カヨ子が嘲るような瞳で千代を見つめる。
千代はうっと息を飲んだ。
実は、過去に千代と婚約した男性は、みんな謎の事故で怪我をしたり、病気で寝こんだりしていた。
しかもいずれもも原因不明で、そのうちの一人は「謎の黒い影を見た」なんて言っていて――。
みんな何かの呪いや祟りなんじゃないかって噂してて、そうしてついたあだ名は「呪われた令嬢」。
先日の相手とも途中までは順調だったのに、そんな「呪われた令嬢」の噂を聞いて「君とは結婚できない」と突然言ってきたのだ。
「でも困るわよねぇ。お姉様ももうすぐ女学校卒業なのに、行くあてがないと。この家は、私が婿養子をとって継ぐことに決まっちゃったし、いつまでも居られないでしょ?」
カヨ子が腕組みをしながら言う。
千代の家は江戸時代から代々続く裕福な呉服屋を営んでいるのだが、跡取りは妹のカヨ子と決まっているた。
カヨ子は千代の母親が亡くなってから再婚した継母の娘。
対して千代は、亡くなった前妻の娘。千代はこの家では不要な存在だった。
「ねぇ、いっそのこと、職業婦人を目ざしたら?」
カヨ子が「良い提案」とばかりにふふっと笑う。
時は大正。巷では女性解放運動や職業婦人なるものが流行っている。
女学校を卒業した後に、華道や茶道の芸を極める人や、英語や国語の教師として職に就く人もいると聞く。
「カヨ子、そんなに簡単に言うんじゃないよ。そういうのになれるのは、一部の才能のある子だけよ」
すると私たちの会話を聞きつけたお継母様が渋い顔をする。
「学業の成績もそんなに良くないし、要領だって良くない千代がどこで働けるって言うんだい。私の着物ひとつ繕うのにこんなに時間のかかるグズが」
継母が千代の縫っている着物を指さす。
「す、すみません」
千代が慌てて止めていた手を動かすと、カヨ子が提案してくる。
「ねぇねぇ、カフェーやレストランの女給さんは? デパートガールとか」
「えっ?」
カヨ子の提案に少し胸がドキリとする。
実は千代は、カフェーやレストランの女給さんに憧れをいだいていた。
西洋風のワンピースに、フリルの着いたエプロンをつけた女給さんの姿は、女学生向けの雑誌でも度々紹介されていたからだ。
しかし継母は苦い顔で首を横に振った。
「駄目駄目。そういうのはもっとカヨ子みたいにパッと目を引く美人じゃなきゃ」
継母はカヨ子の頭を撫で、千代のほうを嘲るような顔で見た。
「この子の良さは若さくらいしかないんだから、この際うんと年上でも後妻でもいいから、どこかお金持ちの人と結婚して我が家に貢献すべきだわ」
カヨ子も継母の言葉にうなずく。
「でも「呪われた令嬢」を嫁に迎えたいだなんて、そんな奇特な方がいるのかしら」
「いっその事、どこかの神社かお寺に行ってお祓いでもしてもらったら?」
カヨ子と継母が顔を合わせて笑い合う。千代は無理矢理笑顔を作り、うなずいた。
「ええ、そうしてみるわ」
どこかの神社かお寺かあ。
その時、千代の頭の中に浮かんだのは、幼い頃、浅草に行った時に迷いこんだあの小さな神社だった。
“ ここは何でも願いを叶える神社なんだ”
頭の中に、あの日出会った不思議な神社と神主の姿が蘇ってくる。切れ長の、琥珀みたいな不思議な瞳。整った顔立ちに、聞き心地の良い声。 そして白くて長い不思議な髪。背後には赤い鳥居と狐の像。
あの神社を訪れたのはもう十年以上前だし、神主さんと二人で過ごした時間はほんの少しだったけど、忘れられないほど素敵だった。結局あの後、何度探してもあの神社は見つからなかったけど、子供だったから探せなかっただけかもしれない。でも今なら――。
もしもあの人に、もう一度会えたのなら。
「久しぶりに、探してみようかな。あの神社」
千代は一人ぽつりと呟いたのだった。