19.レコードの声
「ふむ……」
常春はレコードを取り出すと上下左右からしげしげとそれを見つめた。
「特に何も感じないけど……千代ちゃんはどう?」
「私ですか?」
千代は突然、話を振られて身を震わせながらもレコードを受け取った。
「そうですねぇ……私も何も感じませんけど」
千代はじっとレコードを見つめた。レコードからは何の気配もない。
しかしふと千代が古賀の顔を見た瞬間、彼女の顔色が変わった。
ほんの少しだが、古賀の体からはどこかか嫌な気配が漂っていた。
この嫌な感じが何なのかは分からないけど、とにかく霊やあやかし関連の何かに違いない。
「ま、とにかくこのレコードを聞いてみようか」
常春が蓄音機にレコードをかける。
やがて哀愁のある曲とともに澄んだ歌声が聞こえてきた。
「止めろ。今のところだ」
古賀が指示を出したので、常春はレコードを止めた。
「ああ、今のね」
「聞こえた聞こえた」
常春と國仲がうんうんとうなずく。
だけど千代には特に普通の歌にしか聞こえなくて困惑してしまう。
「……あの、すみません、もう一度いいですか?」
恐る恐る千代手を挙げると、古賀が渋々うなずく。
「仕方ない、もう一度だよ」
常春がレコードに針を落とす。
すると再び古賀の歌声がカフェーの中に響いた。
『あゝ美しや “こっちへ来て” 波の光』
そこまで古賀が歌ったところで、千代は常春の顔を見た。
「あれっ、この「こっちへ来て」って女の人の声……もしかして」
「そう、それだよ、録音した覚えのない女の声!」
答えたのは古賀だった。
千代の背筋がゾワゾワと寒くなる。
これは間違いない。この世の者ではない声だ。
「今度は聞こえただろ?」
古賀の問いに千代はうなずいた。
「……はい」
確かに、「こっちに来て」っていう不気味な声が入っていた。
あれは絶対に人ならざるものの声だ。間違いない。
千代は両腕をギュッと抱え込んで身震いをした。
まさかあんなにはっきりと聞こえるだなんて。
常春もうーんと腕組みをする。
「これねぇ、一部の怪奇マニアの間ではもう話題になっているから知ってたけど、実際に聞くのは初めてだよ」
「で、どうだい? これって、やっぱり霊の仕業なのかい?」
古賀が恐る恐る尋ねると、常春は神妙な顔でうなずく。
「恐らくね」
「ああ、やっぱり!」
頭を抱えて落ちこむ古賀を、常春は慰めた。
「でも良いんじゃないの、別に。逆に声が入ってた方が話題になって売れたりして」
「良くないっ!」
古賀は力任せにテーブルを叩いた。
「プロデューサーも『かえって話題になる』なんて言うけどよ、俺は呪われた歌手なんてことで有名になんてなりたくないんだ。純粋に、曲や歌の良さだけで勝負したいんだよ」
どうやら古賀はちゃらんぽらんそうに見えるものの意外と歌に関してはは真面目らしい。
古賀はガサゴソと荷物を漁ると、分厚い封筒をテーブルに置いた。
「だからよ、この金で何とか解決してくれ」
封筒の中に入っていた札束に、常春は目を輝かせた。
「分かりました。やってみましょう。やっぱり、霊の声が入っているだなんて良くないよね!」
ええ~っ。き、切り替えが早い……。
千代が呆れていると、常春は急に真面目な顔になる。
「早速ですが、何か女性に恨まれるような覚えは?」
常春の問いに、古賀は「うーん」と上を向いて考え始める。
「覚えも何も、覚えがありすぎて逆に分からねぇな。ほら、女遊びは芸の肥やしって言うだろ?」
青眼鏡を取り、ウインクをする古賀。
どうやら古賀は、ポスターやレコードのジャケット写真で見た爽やかな印象とは裏腹に、相当女遊びが激しいようだ。これは恨まれてそうだなあ、と千代は思う。
「故郷に置いてきた恋人とかいないんですか?」
國仲が質問すると、古賀はピタリと動きを止めて急に真面目な顔になった。
「さあな。過去はみんな海の向こうに置いてきちまったから。とりあえず、金は払ったんだからお祓い頼むぜ」
「うーん、分かったよ」
古賀に請われ、常春は手を合わせて祓詞ようなものを唱え始めた。
常春と古賀の体が金色の光に包まれる。
しばらくして、古賀の周りから、黒い霧のようなものが出てきた。
これが、悪霊なのだろうか。
確かに、何となく悪いものを感じるけど……。
千代に腕にぞわりと鳥肌が立つ。
「うーん、やっぱり、古賀さんには何か憑いているね」
常春はいつものようにお札を取り出す。
「狐火!」
古賀の肩の辺りに貼り付けると、お札からボッと赤い炎が湧き出る。
「うわわっ!」
「大丈夫です、人間は燃えませんから」
常春はにっこり笑うと再度唱えた。
「狐火!」
瞬間、炎は大きく燃え上がり、それに伴い黒いモヤは完全に霧散した。
「これでよしっと」
常春はカウンターの奥からお札と塩取り出すと、古賀に渡した。
「じゃ、とりあえずお祓いはしたけど、また何かあったらこのお札と盛り塩を使ってね」
「おお、ありがとよ」
また何かあるのが確定のような物言いだと千代は思ったけれど、古賀の嬉しそうな顔を見て、それを言うのはやめておいた。
「ありがとさん」
「それじゃ、何かあったらまた来てください」
「おお、あばよ」
古賀がサッと右手を上げて店を出る。
カランコロンと鐘が鳴ってドアが閉まった。
千代はやれやれと首を振ると、クルリと千代たちの方へ向き直った。
「さてと。とりあえず、あの男の過去から調べてみようか。千代さん、國仲くん、手伝ってもらえる?」