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帝都浅草 妖狐カフェーの怪奇譚  作者: 深水えいな
第肆章 呪いのレコード
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18.呪いのレコード

 昼下がりの光が、狐を象ったステンドグラス越しに店内へ差しこんでくる。

 窓際のテーブルに映る緑や青の影がゆらゆら揺れて、まるで水面のようだと千代は思った。


 数人いたランチのお客さんが帰り、お客様は毎日来る常連の國仲だけとなった。

 カウンターの向こうでは、常春が新聞をめくる音だけが時折響き、レコードから流れるゆったりとした歌謡曲が、午後のけだるげな空気を醸し出している。


 千代が國仲のグラスにお水を注ぐと、常春がぽつりとつぶやいた。


「……今日は静かだねぇ」


 確かに、あれから怪異絡みの依頼はあれ以来一件も来ないし、こうして見ると、ここはあやかしなんて何の関係もない普通のカフェーみたいに見える。実に平和な午後の昼下がりであった。


「あ、そうだ、千代さん」


 千代がカレーを食べている國仲をぼうっと見ていると、常春が手招きする。


「何でしょうか?」


 千代が駆け寄ると、常春は蓄音機からレコードを取り出した。


「今日は暇だし、國仲さん以外のお客さんも来なそうだから、今日はお店に合う音楽を探して貰える?」


「音楽ですか?」


「そう。最近、近所にレコード屋さんが開店したんだよ。それでつい、買いすぎちゃってね」


 常春が蓄音機の横の黒い木箱を指さす。

 そこには今まで見た事がないほど大量のレコードが入っていた。


「わあ、こんなにたくさん買ったんですか?」


 千代がびっくりして尋ねると、常春は少し照れたように答えた。


「実はレコードを聞くの、結構好きなんだよね」


「へぇ」


 どうやら常春は長い間生きてきた神格持ちの妖魔にも拘わらず、最先端の新しいもの好きらしい。

 千代は蓄音機に近づき、しげしげとレコードを眺めた。

 明治時代に欧米から日本に入ってきたレコードは、今ではすっかり映画とならぶ人々の娯楽として定着している。

 特に、流行歌を歌う歌手は女学生の間でも大人気で、休み時間になるとみんなどの歌手が良いかという噂で持ち切りになるほどだ。


「あ、これ、最近人気の曲だわ」


 千代は見覚えのある題名のレコードを見つけると、さっそく蓄音機にかけてみた。

 男性の甘い歌声が店内にゆったりと響き渡る。

 千代の家にも蓄音機はあったものの、父親はクラシック音楽ばかりで、ジャズや流行歌は低俗だと言ってあまり聞かなかったのでなんだか新鮮だ。

 千代が鼻歌を歌いながら音楽を聞き入っていると、急にドアベルが鳴り、外の新鮮な空気が入って来た。


 カランコロン。


「い、いらっしゃいませ!」


 千代は慌ててドアの方へと向かった。

 入ってきたのは、黒いカンカン帽を被り、丸い青眼鏡をかけた洋装の若い男だった。


「お一人様ですか?」


「……はい」


 少し周りを気にするように辺りを見回し、小さな声で返事をする男性。


「お好きなお席へどうぞ」


 千代が言うと、男性はコソコソと周りを気にしながら奥の方の席へ腰掛けた。何だか怪しい。変な感じだと千代はじっと男性を見つめた。

 男性の顔には少し見おぼえがある気もしたが、親戚にも知り合いにも心当たりはいなかった。


「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


 千代が水を置いて戻ってくると、常春が小さく手招きした。


「千代さん、千代さん、あのお客さん、ひよっとして古賀こが余月よげつじゃない!?」


「えっ?」


 千代はカンカン帽の男をじっと見つめた。

 古賀余月と言えば、『撫子の唄』という流行り歌を歌った大人気歌手だ。

 雑誌やポスターで見る爽やかな印象とはちょっと違うから気づかなかったが、そう言われてみれば確かに彼の顔には見覚えがあった。ひょっとしたらファンの目を気にして変装しているのかもしれない。


「えーっ、凄いですね」


「ねっ。まさか、こんな小さなカフェーにそんな有名人が来るだなんて」


 ビックリしている千代をよそに、常春はゆっくりと古賀のテーブルへと近づいた。


「あの、失礼でけど、古賀こが余月よげつさんですよね……?」


 常春が尋ねると、古賀はゆっくりと青眼鏡を取り、ニヤリと笑った。


「ああ、よく分かったね」


「あー、やっぱり! うちの店にもレコードありますよ!」


 常春が笑顔で蓄音機の横からレコードを持ってくる。


「『撫子の唄』、擦り切れるほど聞きましたよ~! あの、できればでいいんですけど、ここにサインと握手を……」


 その様子を見て、千代は呆れかえってしまう。

 全く、あんなにはしゃいじゃって。女学生じゃないんだから!


「有名な歌手の方なんですか? じゃあ僕も、握手を……」


 どさくさに紛れて、國仲まで握手を求めてくる始末。

 く、國仲さんまで。真面目そうな人だと思っていたのに!

 千代があきれていると、古賀は嫌がるでもなく、常春と國仲と握手を交わした。


「千代さんはいいの?」


「いえ、私は結構です」


 断ろうとした千代であったが、常春と國仲に背中を押される。


「いいからいいから」

「せっかくだし、こんな機会滅多にないですよ」


 二人に言われ、仕方なく千代は古賀と握手をした。

 古賀さんはにこやかに千代の手を握ってくる。


「みんな、応援ありがとよ。ところで――」


 と、そこで古賀は急に視線を落とした。


「実は、そのレコードの事でマスターに相談があるんだ。呼んでくれねぇか」


「ん? 店長なら僕だけど、相談って?」


 常春が言うと、古賀さんは大きく目を見開いた。


「なんだって! あんたがマスターなのか」


「あのっ、沖さんは若いですけど、力はちゃんとしているので」


 千代が慌てて付け足すと、古賀は少し安心したような顔をして話し始めた。


「そうか。なら話すけど――」


 古賀が鞄の中から一枚のレコードを取り出す。


「実はこれ、俺の新作レコードなんだが、これが呪いのレコードだっていう評判が立っていて困ってるんだ」


「呪いのレコード!?」


 千代と國仲は同時に声を上げた。

 顔を見合わせる千代と國仲の横で、常春は冷静にうなずく。


「ああ、話は聞いているよ。『撫子の唄』の次に出した『哀愁の海』に女の人の声が混じっているらしいとね」


「さすがマスター、話が早い」


 どうやら「呪いのレコード」の話は、一部のオカルトマニアの間ではすでに大きな話題となっているらしかった。


「失礼ですけど、呪われてるというのは本当なんですか? 録音中に周りの音が入っただけでは?」


 國仲が言うと、古賀は少しムッとした顔をする。


「違うよ、録音したのは俺が仲間と建てたばかりの最新式のスタジヲなんだ。山奥にあるし、防音設備もしっかりしているから周りの音なんて入るはずないさ。俺もそのためにかなり投資したしな」


 そう言うと、古賀は鞄から一枚のレコードを取り出した。


「これがそのレコードだ」


 千代はゴクリと唾を飲み込み、古賀のレコードを見つめた。

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