17.私にもできること
前澤さんの答えに、常春は腕を組んで頷いた。
「なるほど、君たちの話を聞くに、この懐中時計が付喪神化したのは前澤さんの強い思いが原因だったみたいだね」
千代は先ほど見た付喪神の記憶を思い出した。
異国の男性と恋に落ち、だけれども事情があって別れなくてはいけなくなった、お婆さんの記憶を。
“ これを私だと思って大切にしてください”
“たとえ離れ離れになっても、私と貴方はこの鎖のように強い絆で結ばれているのです”
その強い思いと長い月日が、懐中時計に魂をもたらし、付喪神化させてしまったのだろうか。
「すでに嫁いでいるというのに、持ち物を付喪神化させるほど相手を思えるなんて、人間の心というのは不思議ですね」
常春がしみじみとうなずく。
千代はじっと懐中時計を見た。
持ち物を付喪神化させるほどの強い思い。前澤さんは、それをずっと心の中に押し込めてきたのだ。だったら……。
「あの……」
千代はおずおずと手を挙げた。
「その懐中時計、やっぱりお孫さんにあげるんじゃなくて前澤さんご自身がお持ちになっていたらいかがでしょう」
「えっ? でも――」
前澤さんが戸惑ったような顔をすると、國仲も真剣な顔でうなずいた。
「そうですよ。もう旦那さんも亡くなられて、お子さんたちも独立されたんでしょう? 思い出くらい大切に取っておいても良いんじゃないでしょうか」
そっか、旦那さんはもう居ないんだ。だったら――。
千代はお前澤さんに思い切って提案した。
「それと、出過ぎた提案かもしれませんが、あの記憶の中の異人さんに、もう一度連絡を取って見るっていうのはどうでしょう。だって勿体ないです。それほど好きになった相手なのに!」
「でも――」
前澤さんはギュッと拳を握って唇を噛み締める。
「それほどまでに相手を思うのなら、忘れられないのなら、記憶に蓋をしちゃいけないと思うんです」
千代の言葉に、前澤さんは少し視線を落とした。
「確かに、ずっと前に夫も亡くなり今は私も独り身です。でも、もうこんなお婆さんになってしまったし、こんな年になって色恋だなんて。今更連絡しても、あの方も迷惑でしょう」
「そんな事ありませんよ」
そう言って、常春は前澤さんに微笑みかける。
「今はもう旦那さんも居ないんでしょう? だったらぜひ連絡してみましょうよ。愛に年齢は関係ありませんよ。失って後悔する前に、行動すべきです」
常春の言葉に、前澤さんはハッと顔を上げると、少し恥ずかしそうにうなずいた。
「……そうですね。返事が来るかは分かりませんが、その方がスッキリするかもしれません。ありがとうございます」
前澤さんが深々と頭を下げて去っていく。
その顔は、なんだかとても晴れ晴れとしていた。
*
「ふう、千代さんのおかげで助かったよ」
帰っていく國仲と前澤さんの後ろ姿を見つめ、常春は呟く。
「私ですか? 私は何もしてませんけど」
千代が驚いて常春を見つめると、常春は琥珀色の綺麗な目を細めて笑った。
「いやいや、千代さんが前澤さんに、時計の送り主の男の人に連絡を取るように言ったでしょ、ああいうのって、僕には中々思いつかないから、助かったよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。僕は人間のふりは上手だけど、やっぱり人間じゃないし、人の心にはちょっぴり疎いからさ」
ちょっぴりどころじゃない気が……。
千代はそう思ったが、それは心にとどめ言わないでおいた。
「それに、これでハッキリしたけど、あの付喪神の記憶まで見えたってことは、千代さんにはやっぱり人とは違う特別な力があるんだね」
悪気のなさそうな常春の言葉に千代はドキリとする。
「特別な力、ですか?」
千代は足元のブーツを見つめた。
確かに、千代は小さいころ、よく幽霊や人ならざるものが見えた時もあった。
しかし大人になってからは全然見なくなっていた。
「てっきりそういう力は無くなってしまったのかと思っていたんですが」
「いやいや、君は力を失ってなんかいない。それは君が無意識のうちに力を封印していただけさ」
常春は千代の両の手をがっしりと握った。
「千代さん――僕はやっぱり、君が欲しい」
熱っぽい瞳と口調に、千代の頬が熟れた林檎のように赤くなる。
「何を言ってるんですか。私はもう、あなたの妻ではありませんか」
千代がそっぽを向くと、常春は少し切なそうな瞳で彼女をじっと見た。
「そうだけど、僕が欲しいのは――君の全てだよ」
一体どういうことだろうと千代が戸惑っていると、沖さんは「ふふふ」と声に出して笑った。
「照れてる、照れてる。やっぱり照れてる千代さんは可愛いなあ」
「――なっ!」
どうやら常春は、千代を困らせようとしてわざとそんなことを言っているらしい。
もうっ、この意地悪狐が。
千代はぷうっと膨れて見せる。
「からかわないでくださいっ」
「ふふ、拗ねないの」
常春は可笑しそうに笑い、千代の頭を撫でる。
「……全くもう」
千代は常春の顔をじっと見つめた。
この狐は自分のどこを気に入って求婚してきたのかさっぱり分からない。だけど――。
本当にこの力がこのカフェーに必要だとしたなら、自分が常春の足りないものを補えるのだとしたら。
秋の風が吹いて、外の草木がザワザワと揺れる。
千代はギュッと白いエプロンを握りしめた。
前澤さんだけでなく、自分もそろそろ蓋をしてしまい込んでいた過去と向き合わなくちゃいけないのかもしれない。
――私、自分の力と向き合わなくちゃ。
千代は常春の顔を見て、小さくうなずいた。
「……分かりました。私、沖さんの仕事を手伝います。お店だけじゃなく、怪異絡みのことも」
千代はそう、決意した。