14.依頼人と國仲さん
「えーっと、確かこの辺に……あった! 昔、ここにいた女給さんが置いていったんだ」
常春は引き出しの奥から臙脂色で縞模様のついた着物を出してきた。千代がそれを見て目を輝かせる。
「わあっ、これってもしかして、カフェーの制服ですか?」
「うん。これに白のエプロンをつけるんだよ。可愛いでしょ。きっと千代さんに似合うよ」
「はい、ありがとうございます」
千代は早速、ルノオルの制服を持ってお店の奥へと向かった。
臙脂色の着物に袖を通し、白いフリルのついた女給さんのエプロン。足元はブーツのままで、頭には沖に買って貰った大きなリボン。
鏡に映した自分の姿が新聞や雑誌で見た女給さんの制服そのもので、千代は感激してしまう。
最近、雑誌や新聞でもしょっちゅう女給さんの特集記事が組まれているし、女給さんをテーマにした小説なんかもあって、年頃の少女にとって女給は憧れの的であった。
「どうでしょうか?」
千代は着替えを済ませると、さっそく沖に制服を見せた。
沖はぱあっと顔を輝かせた。
「わあ、可愛い! やっぱり僕の想像した通りだあ」
癖になっているのか、再び西洋人のように抱擁とした常春を、千代はぐいとと押しのけた。
「もうっ。やめてください、恥ずかしいですよ。それより女給さんの仕事について教えてください」
千代が気を取り直して質問をすると、常春は急に真面目な顔つきになった。
「そうだね、今みたいにお客さんが居ない時は、メニューやテーブルを拭いたり、あとは掃除とか、ナプキンの補充をしたり、スプーンやフォークを磨いたりかな。あっ、福助の餌も」
常春が窓辺に座っている黒猫を指さす。
「なるほど」
ガラガラでいかにも暇そうに見えるカフェーだが、お客さんがいない時もちゃんとやることがあるらしい。
これからは夫婦ふたりでカフェーのお仕事を頑張らなくては。
千代が常春に言われた通り、張り切ってスプーンとフォークを磨いていると、常春が新聞や雑誌を手に奥から現れた。
「そうそう。言い忘れていたけれど、新聞や雑誌の確認も大事な仕事だから頼んでも良いかな?」
「そうなんですか?」
千代が首を傾げていると、常春は奥からボロボロのノートを持ってきた。
「そ。怪奇事件が乗ってたらそれを切り取ってこのノートに貼り付けてほしいんだ」
「はい、分かりました」
千代が返事をしてノートを受け取ると、常春は声のトーンを落とし含むような声で言った。
「ま、これはカフェーの仕事というより、僕のもう一つの仕事がらみだけどね。千代さんには、僕の《《そちら》》の方の仕事も手伝って貰えたらありがたいし」
「はい」
千代はゴクリと唾を飲みこんだ。
《《そちら》》というのは、やはり怪異絡みのことなのだろう。
普通の生活を望んでいた千代にとって、常春の怪異がらみの仕事を手伝うというのは気がひけることであったし、髪でも妖怪でもないただの人間自分に何ができるのだろうという疑問もあったが、とりあえず記事を切り取る程度なら簡単だし千代にもできるかもしれない。
千代はとりあえず一番上にあった『怪奇倶楽部』という雑誌をペラペラとめくった。
聞けば、このところの怪奇・オカルト流行の影響でこうしたオカルト関連の雑誌が増えていているらしい。それどころか最近は真面目な新聞や雑誌にもこうした記事が多いのだとか。
千代が必死で妖怪やオカルトがらみの話を切り抜いていると、常春が入り口のブラインドを上げた。
「さて、そろそろ開店時間だね」
「はい」
常春に言われ、千代はドアの前に『OPEN』の札を出した。
こんな朝から客は来ないだろうと千代は思っていたが、ほどなくして入口のドアが開いた。
カランコロン。
外の新鮮な空気が腕ににひやりと冷たい。千代はハッと顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは、沖さんはいますか?」
入ってきたのは、若い警官さんと着物を着た上品そうな老婦人だった。
「お久しぶりです、沖さん。こちらの方が、沖さんに依頼があると言っているのですが、今、忙しかったですか?」
警官が丁寧に帽子を取って頭を下げる。
常春はピクリと眉を上げた。
「やあ國仲くん。僕は別に忙しくないよ」
どうやらこの警官は國仲という名前らしい。よく日に焼けた肌。背が高くて、眉のきりりとした真面目そうな好青年だ。
「それでは、奥の席へどうぞ」
常春はにっこり笑うと、國仲と依頼人の女性を一番奥の席へと案内した。
「どうぞ」
千代がお冷を出すと、國仲はチラリと千代の顔を見た。
「新しい女給さんを雇われたんですか?」
國仲が尋ねると、常春は満面の笑みで答えた。
「ううん、こちら僕の奥さん」
常春は嬉しそうに答えて、千代の肩を抱く。
いくら夫婦とはいえ、人前なのに何やってるのだと千代があきれていると、國仲は真っ青な顔になった。
「そうですか。奥さん……って、えええっ!?」
國仲は慌てて常春の耳元で囁いた。
「この方、人間……ですよね? 彼女、貴方の正体は知ってるんですか? っていうか、いつの間に結婚してたんですか?」
「ああ、人間だよ。でも大丈夫。彼女は全て知っているから」
ケラケラと笑う常春に、國仲はとりあえず安堵の息を吐きだした。
「そうですか、それなら良いのですが。てっきり貴方に騙されているのかと」
どうやら國仲も常春の正体を知っているらしい。一体どういう関係なのだろうと千代はいぶかしむ。
千代がじっと二人の様子を伺っていると、國仲は千代にくるりと向き直り、帽子を取ってピシリと頭を下げた。
「ああ、申し遅れました。僕はすぐそこの派出所に勤務している國仲と申します」
「秋月……じゃなくて、沖千代と申します」
國仲が深々と頭を下げるので、千代もつられて頭を下げる。
すると國仲の後ろにいた老婦人が恐る恐る手を挙げた。
「あのう、そろそろ依頼のほう、大丈夫でしょうか?」
それを見て國仲が慌てて老婦人を紹介する。
「すみません。こちら、依頼人の前澤さんです」
國仲の紹介に、老婦人は小さく頭を下げた。