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帝都浅草 妖狐カフェーの怪奇譚  作者: 深水えいな
第弐章 狐の嫁入り
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12.狐の嫁入り

 宵闇がそっと帳を下ろし、柔らかな月影が辺りを照らす。

 その晩、千代が緊張しながら窓を開けると、見たことのないほど大きな満月が空に浮かんでいた。


「わあっ、綺麗な満月」


 秋虫の鳴き声だけがかすかに聞こえる静かな夜。澄み切った夜の空気を吸い込もうと、千代はそっと深呼吸した。心地よい満月の空気が胸いっぱいに広がるようだ。

 千代が一人夜の空気を満喫していると、不意に上の方から声が聞こえてきた。


「綺麗だね、絶好の婚礼日和だ」


「えっ?」


 千代が驚いて空を見上げると、白い髪に白い耳、大きなしっぽを持つ、あやかしの姿の沖が黒い瓦屋根の上に座っていた。


「お、沖さん!?」


「やあ」


 驚きの声を上げる千代をよそに、沖は呑気な声を出すと手をひらひらと振った。

 ふわりと窓際に舞い降りた沖を千代が絶句しながら見つめていると、大きな満月を背に、沖は千代へと手を伸ばした。


「さあ、行こうか」

 

 沖の琥珀色をした獣の目が三日月のように細くなる。


「行くって……どこへですか?」


「狐の婚礼さ」


「狐の婚礼?」


「そ。昼間は人間界の結納をやったでしょ。だから今度は、あやかしの世界の婚礼の儀をするってわけ」


 沖はきょとんとしている千代の腕を強引に引くと膝の下へ腕を回し、グッと抱きかかえた。


「飛ぶよ」


「えっ……ええっ、飛ぶって」


 驚いている千代をよそに、沖はしなやかに地面を蹴った。

 二人の体が、夜空にふわりと浮き上がる。


「わあ……!」


 千代を抱えたまま家々の屋根を軽く飛び越えていく沖。

 街の灯りも喧騒も、びっくりするほど遠く小さく見えた。


「すごい」


 興奮している千代を見て、沖はクスリと笑った。


「さあ行こう、二人の婚礼会場へ」


「婚礼会場って、どこへいくのですか?」


「それは着いてからのお楽しみさ」


 千代はとりあえ沖に身を任せることにした。

 風を切って星の降る夜空を飛び、たどり着いたのはカフェー・ルノォルだった。


「えっ、ここですか?」


 カフェーの目の前に下ろされた千代は、不安げに辺りを見回した。

 こんなところで何をするのだろうか?


「いや、ここじゃない。こっちだ」


 沖が手招きをするのは、裏庭へと続く小さなドアだった。

 沖に導かれ、ドアの向こうに続く小道をたどると、カフェーの裏手にある小さな庭にたどり着いた。

 そこには、かつてあった神社の名残りの、赤い小さな鳥居と狐の像がぽつんとあった。


「見てごらん」


 沖さんが指さす方向を見ると、鳥居の中が何やら虹色に光っている。


「婚礼会場へは、ここから行くんだ」


「ここから……」


 千代はゴクリと唾を飲みこみ、虹色に輝く鳥居を見つめた。

 どう考えてもただならぬ雰囲気である。ここから先は、きっとあやかしの世界に違いない。


「さ、行こう。狐の国へ」


 沖が千代に手を差し伸べる。

 千代はゴクリと唾を一つ飲むと、恐る恐る沖の手を取った。


「はい」


 沖に促され、千代は不思議な鳥居をくぐった。


 鳥居の向こうにあったのは、向こうの世界と同じようにまん丸で大きなお月さま。それに狐の像が飾られた赤い鳥居の神社だった。

 千代にはこの神社に覚えがあった。ひょっとするとここは千代が小さい頃に訪れたあの神社ではないか。

 その時千代は、なぜあの時の神社がいくら探しても見当たらなかったのかやっと築いた。表にカフェーが建ち見えなくなったからではない。あの場所は、この世ならざる場所だったのだ。


「おお、やっと来なすったか!」


 千代が神社をじっと見つめていると、狐の耳の生えた身なりのいい老夫婦がやってきた。

 千代にはこの二人にみおぼえがあった。沖さんの偽の両親役を務めてくれた大塚さん夫婦だ。


「さ、こっちに来て、準備するわよ」


 大塚夫人が千代の腕を引っ張る。


「準備って、何をするんですか!?」


 千代が驚いていると、大塚夫人はふふふ、と笑った。


「何って、着物とお化粧よ。花嫁さんがおめかししなくてどうするの」


 大塚夫人に強引に連れられ、千代は神社の中へと向かう。

 そこには、着物を着た数人の狐が白い着物を用意して待っていた。


「わあ、これは婚礼衣装ですか!?」


「見とれている場合じゃないわよ、急いで用意しなきゃ」


 大塚夫人に腕を引かれ、千代は狐たちにあれよあれよという間に白無垢を着せられる。


「さ、次はお化粧よ、こっちに来て」


 言われた通り千代が座ると、パタパタと白粉を塗られる。

 眉を描いて、唇と目の際に紅。これだけなら、ただのお化粧なのだが、狐の婚礼化粧はこれで終わらなかった。


「わあっ、ヒゲが描かれてる!」


 千代が鏡を見ると、両頬に赤いヒゲが三本づつ描かれている。


 大塚夫人はふふふと笑う。


「その方が、狐っぽいでしょ?」


「た、確かに……」


 そして最後に、二本の耳のついた角隠しを頭に被り、花嫁衣裳が完成した。

 頬の髭に狐耳のついた角隠し。まさに狐の婚礼って感じである。


「さ、こっちだよ」


 千代の仕上がりに大満足の大塚夫人に手を引かれ、ドキドキしながら建物の外へ出ると、黒の紋付羽織袴を着た沖さんが待っていた。


「……綺麗だ」


 目を細める沖に、千代は白いお化粧をしたにもかかわらず首元まで真っ赤になった。


「そ、そうでしょうか……」


「おいで」


 沖が優しく笑って千代に手を差し出す。


「……はい」


 千代はゆっくりと沖さんの手を取り、それから二人は狐たちの祝福を浴びながら月夜の小道を歩いた。

 しばらく歩いてやってきたのは、月の綺麗に見えるなだらかな丘だった。

 そこにはたくさんの狐たちが千代たちを待ちうけていた。


「花嫁だ!」

「綺麗!」

「めでたい、めでたい!」


 そして、ちょっとした挨拶が終わると狐たちによる宴会が始まった。

 焚き火を囲んでお酒を飲んだり歌を歌う狐に、水芸や腹踊りなど一発芸をする狐たち。

 千代と沖は、そんな狐の婚礼を心ゆくまで楽しんだのだった。


 その後、千代たちは人間界で普通の式も挙げたのだが、正直なところ、狐の世界の婚礼のほうが千代の記憶に深く刻まれたのは言うまでもない。

 

 ――こうして千代は晴れてあやかしたちたちの世界の仲間入りをしたのであった。

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