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1.まほろばの神社

「わあ、綺麗!」


 凌雲閣りょううんかくに浅草オペラ、花やしき。

 ここ浅草は、帝都の中でも随一の華やかさを見せる街。

 そんな街の賑わいに、六歳の千代は目を輝かせながら辺りを見回した。


 街には西洋風のモダンな建物が立ち並び、空を彩るのは商店や興行の色鮮やかな幡旗のぼりばた。劇場や商店に人を呼びこむ人の声が辺りに響き、道は身動きが取れないほどの人混み。見るもの全てが綺麗で輝いていて、まるで色の洪水みたいだと千代は思った。


 そうして千代が口をポカンと開けながら歩いていると、ふと気づく。一緒に歩いていたはずの父親がいない。


「お父様、お父様、どこ?」


 慌ててあちこちを走り回った千代だったが、どこにも父親の姿はない。


「お父様、お父様っ……」


 千代は人混みをかきわけ、見知らぬ街を彷徨い歩く。角を曲がって路地をぬけ、それらしき後ろ姿を追いかける。だけれどもそれは赤の他人で――。

 そうこうしているうちに、千代はいつの間にやら、暗い裏路地へと迷いこんでしまった。


 (ここどこだろう。お父様はどこかしら)


 千代はつい先日、母親を亡くしたばかりだった。まさか母親だけでなく父親まで居なくなってしまったのだろうかと千代は心細さに泣きそうになった。


「お父様、どこなの?」


 千代が叫びながら歩いていると、やがて目の前に見たこともない小さな神社が見えてきた。

 街中とは思えないほど鮮やかな木々の緑。赤い鳥居が幾重にも並び、小さな狐の像。その奥には木でできた古めかしい建物があった。

 ここがどこなのか千代にはさっぱり分からなかったが、千代の目にはそこは今まで見たことがないほど神聖で清浄で美しい場所に思えた。


 千代が不安になりながらも目の前の神社に心を奪われていると、急に後ろから若い男の人の声がした。


「おや、お嬢さん。こんなところでどうしたんだい」


 振り向くと、そこに居たのは真っ白で長い髪をした若い男の人だった。

 透き通るように白い肌。切れ長の目に、通った鼻筋、整った輪郭。まだ子供の千代でも理解できるほど美しく整った顔の男の人だった。

 

 (こんなに綺麗な男の人初めて見たわ)


 若いのに髪の毛が真っ白なのは不思議だったが、それがかえって彼の神聖さを引き立てているようにも思える。


 千代が絶句していると、白い髪の男の人は、彼女の側にしゃがんで尋ねた。


「お父さんかお母さんは? 迷子かな?」


 千代はこくんとうなずいた。


「お父様と一緒に浅草に来たんだけど、はぐれちゃったの」


「そうかそうか。珍しくお客さんが来たと思ったら、やっぱり迷子だったか」


 男の人は優しく千代の頭を撫でた。


「着いてきて。お父さんの所へ連れて行ってあげよう」


「本当ですか? ありがとうございます」


 千代はぺこりと頭を下げると、白い髪の男の人と手をつないで歩き出した。


「お兄さんはあの神社の神主さんなんですか?」


 千代が尋ねると、男の人は曖昧な表情でうなずいた。


「うん、まあ、そうだね」


「神社を留守にして大丈夫なの?」


「大丈夫。あそこは人が滅多に来ないから」


 表通りから少し外れているとはいえ、浅草にあるのに人が来ないなんてことあるんだろうか。

 千代が疑問に思っていると、神主は目を三日月のように細めて笑った。


「ここは何でも願いを叶える神社なんだよ。けど、ここに来られるのは選ばれた人だけ」


「そうなんですか」


 変な神社だなあと千代が小首をかしげていると、急に隣に立つている神主から、ぐぅとお腹が鳴る音が聞こえてきた。


「お兄さん、お腹が空いてるの?」


「ああ、ごめんごめん。実は今朝から何も食べていなくて」


 恥ずかしそうに笑う神主の顔を見て、千代はお昼ご飯にと持ってきた稲荷寿司を取り出した。


「あ、そうだ。これ分けてあげる」


「えっ、いいの?」


 神主は嬉しそうに稲荷寿司を頬張ると、目を輝かせた。


「うん、凄く美味しいよ。君のお母さんが作ってくれたの?」


「ううん、私が作ったの」


 千代が答えると、神主は、ビックリしたように目を見開いた。


「へえ、小さいのに凄いね」


「亡くなったお母さんに、習ったので」


 千代は少しうつむいた。稲荷寿司は千世の母親の得意料理。千代が母親から受け継いだ思い出の味なのだ。

 千代が母のことを思い出してしんみりとしていると、神主は千代の頭をさらりと撫でて笑った。


「そう。君はきっと良いお嫁さんになれるよ。君のお母さんみたいにね」


「そ、そうかな」


 千代の頬がかあっと熱くなる。そんなふうに言ってもらえるなんてなんだかとても嬉しかった。


 そんな風にしてしばらく二人で道を歩くと、通りの向こうに人混みが見えてきた。


「ほら、ここから元の場所に戻れるよ」


「本当だ。ありがとうございました!」


 千代はペコリと頭を下げ、人混みの方へと駆けて行く。

 しばらくして、千代はようやく父親の姿を見つけた。


「お父様!」


「千代、いったいどこに行ってたんだ!」


「あのね、神社に行ってたの。神主さんが助けてくれたんだよ」


「神社って……ああ、三社様かい?」


 千代は首を横に振った。


「違うよ、もっと小さくて人のいない神社だよ。鳥居がたくさんあって――」


 千代が必死で説明すると、父親は不思議そうな顔をする。


「そんな神社あったかな」


「あるよ、ほら、この通りを抜けて――」


 千代は父親をさっき行ったばかりの神社に案内しようとした。

 だけど、いくら探してもさっき見た神社は見つからない。


「おかしいなぁ」


 首をひねる千代を見て、父親が笑う。


「夢でも見たんじゃないか?」


「ち、違うもん。本当にあったんだもん!」


 (ううん、夢じゃない。私は確かにこの目で神社を見たのよ)


 釈然としない千代に、父親は笑って声をかける。


「それより、舟和の芋ようかんでも買って帰ろう。美味しくて、最近流行ってるらしいんだ」


「……うん」


 千代は父親に手を引かれ、その場を後にした。



 それから千代は何回かあの神社に行こうと浅草を訪ねてみた。だけれどついに一度もあの時の神社にたどり着くことはなかった。


 やはりあの神社は幻だったのだろうか。それとも――。





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