「第1章 遠い記憶からの始まり」 (2ー7)
(2-7)
「よーし。早速始めよう! 沢渡さん、今日はまだ時間大丈夫?」
桜が了承した途端にやる気になった真緒は、通学カバンから自身の勉強道具を取り出して尋ねてくる。
真緒に言われて、桜は腕時計で時間を確認する。時刻は十三時半。これくらいの時間ならまだ大丈夫だった。
「うん。まだ大丈夫」
「やった」
真緒がテーブルに勉強道具を取り出したので、桜も同じように通学カバンから勉強道具を取り出す。そこで桜が真緒に質問する。
「でも、勉強教えるってどうしたらいい? 分からないところがあるの? もしかして全部分からないとはないと思うけど……」
「あははっ、流石に全部分からないって事はないよ。授業は頑張って聞いてるし、ノートも取ってる。だけど私の頭がスポンジみたいになっていて、忘れちゃってるところが結構あるから」
「なるほど。なら、その部分を私が教えられたらいいんだ」
「うん。お願いします」
「分かった」
勉強方法の方針が決まったところで二人は早速を始めようとする。するとそこで真緒が「あっ、」と小さく声をこぼしてから、桜に向かって「ストップ!」と言って手を前に出した。
「ごめん、先にお昼を食べてからにしよう。もうすぐ香夏子さんが持ってきてくれるはずだから」
「そっか。うん、了解」
昼食を注文していたのをすっかり忘れていた桜は言われて思い出す。目の前の真緒が取り出した勉強道具を再び、通学カバンにしまったので、こちらもそれに倣った。
真緒の言った通り、少しすると香夏子がトレーにそれぞれの料理を持ってやって来た。目の前に置かれると料理の香りで思い出したように胃が空腹を訴えてくる。
「お待たせしました〜」
香夏子がテキパキと二人の前に料理を並べる。香ばしいクラブハウスサンドの香りと向かい側にあるハヤシライスの香り。セットメニューなので小さなサラダが付いているのも嬉しかった。
「わーい。丁度そろそろ来るねって沢渡さんと話してたんです」
並べられた料理に喜んで真緒がそう話す。
「あ、そうなの? 良かった〜」
「はい。食べたら今日はこの後勉強しようかなって」
「おぉ〜。学生らしくていいじゃない。頑張れ頑張れ」
真緒と香夏子が言葉を交わす。二人の距離の近さは傍で聞いている桜にも伝わってきて、それ故に余計な邪魔をしてはいけないと気を遣ってしまう。そう考えて出来るだけ存在感を消していた。
すると香夏子が沈黙を守っていた桜の方を向いた。
「桜ちゃんもウチのクラブハウスサンド美味しいよ! 勉強頑張ってね〜」
「あ、はい。ありがとうございます」
最後に桜にそう言って、香夏子はテーブルから離れて行った。残った二人は、置かれた昼食を食べ始める。
良い感じで焦げ目が付いたクラブハウスサンドを桜は、両手で持って口いっぱいに頬張った。ジャクっとレタスと食パンが口の中で新鮮で美味しい音を立てた。
それからベーコンの味と胡椒の辛味がやって来た。
確かにこれは家で作るよりも全然美味しい。口を離した桜は「美味しい」と感想を口にする。
「でしょ〜。グリーンドアのクラブハウスサンドは美味しいよね。私もよく食べてる。でも今日は、僅差でハヤシライスの気分だったけど」
真緒は笑顔でそう言って、ハヤシライスを食べる。あのハヤシライスも普段自分が作る物とは違うんだろうなと思った。
食事を終えた二人は、香夏子にお皿を下げてもらう際に持って来てもらうようにお願いした食後のコーヒーを横に置いて、勉強を開始する。
明日の教科で一番気を付けたいのは英語だ。他の科目は暗記系なので、どうにでもなる。
一瞬ココで“遠見の力”を使ってしまおうかと考える。ほんの僅かな未来だが、自分がどういう風に勉強を教えているか分かるからだ。だが、集中力や万が一を考えると、その案はすぐに却下と判断して頭から消えた。最終的にテスト範囲を中心として、基礎を固める勉強となった。
桜は問題集を解いていく。“遠見の力”は夜に使うとしても今、勉強しておく事で問題を解く力を付けられる。
こちらが勉強を始めたら真緒も進んで勉強を始めた。最初の言い方からてっきり、質問責めにされるのではないかと思っていたが、懸命にシャープペンを動かしている。
それから約一時間半、二人はグリーンドアで勉強をした。
途中、真緒から教えてほしいと言われて、聞かれた問題を教える。果たして自分の理解力で人に教えるなんて出来るのかと不安だったが、いざやってみたら、何とかなりそうだった。彼女本人の学力も自分で話していた通り、何もかも分からないのではなく、抜けている箇所がある程度だった。
お互いに向かいあって勉強をする環境は図書室や教室で普段は、結衣とやっている。
しかし結衣と真緒では、流れている空気感みたいなものが違っていた。
具体的にどこがどう違うとは説明出来ないが、とにかく感覚的に違った。その新鮮さが良い刺激になって、桜も集中して勉強が出来た。
「う〜ん。出来たぁ」
真緒が背筋を伸ばして、達成感たっぷりにそう言った。後半は殆ど質問もなく、二人でひたすら問題を解いていた。これで良かったのだろうか。と桜に不安がよぎる。
「私、役に立ててた?」
「勿論! 沢渡さんがいてくれるから分からないところは、すぐに質問出来たし、向かい側で勉強してくれるから、私も集中して勉強出来た」
「それは良かった。私も結構、集中出来たから」
桜がそう話すと、真緒は安堵して肩を落とす。
「良かったぁ〜。付き合わせちゃったかなって申し訳なく思ってたんだよね。でもそう言ってくれて、本当に嬉しい」
真緒がそう話していると、カウンターから香夏子がやって来た。
「二人とも、勉強お疲れ様。これでも食べて、一息ついて」
そう言って二人の前にガラスのお皿に盛られたアイスクリームを置いた。突然置かれたアイスクリーム。勉強の途中、お手洗いに行っている間に真緒が注文したのだろうか。そう思って彼女の顔を見ると、本人も驚いていた。
「えっ!? 頼んでないですよ?」
「うん、これは私からのサービス」
香夏子は笑顔でそう答えた。彼女の答えに真緒が「えぇー!」と声を上げる。
「いいんですか!? 香夏子さん、優しいー。大好き!」
「はいはい。ありがとう、私も素直な真緒ちゃんが大好きよ。最近、あんまり来てくれなくて寂しかったけど、久しぶりに来てくれたし勉強頑張ってるから」
「勿論。勉強を頑張ったのは、桜ちゃんにも私からのサービス」
「ありがとうございます」
「うんうん。素直にお礼が言える子は良い子だ」
礼を言う桜に香夏子は満足そうに頷く。大人の女性に対して、こういう言われ方をしたのは、人生で初めてだった。照れくさいのと半面、どこか誇らしげだった。
香夏子はその後も少し真緒と話していたが、途中でカウベルの音が鳴り、それに体が反応してドアへと向かい、接客対応をしていた。
「じゃあ早速頂きますか。せっかくのサービスなので、全身で味わいます」
「うん、そうだね。食べよっか」
真緒は添えられた小さなスプーンでバニラアイスをすくって、口に運んだ。
「んん〜、美味しい。勉強で疲れた脳に沁み渡るぅ」
アイスの美味しさを顔をほころばせて味わう真緒を見ていると、何だかこちらまで楽しくなる。思わず笑ってしまいそうになりながらも桜は、アイスクリームを口に運んだ。
冷たくて甘いバニラアイスが勉強で疲労した体に程良く染み渡る。