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桜マーブル  作者: 綾沢 深乃
「第1章 遠い記憶からの始まり」
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「第1章 遠い記憶からの始まり」 (2ー6)

(2-6)

 

 カランコロン。


 緑色のドア上部に取り付けられたカウベルが優しい音を鳴らして、二人を迎え入れた。


 まだまだ暑いこの時期に合わせて、店内は若干の冷房が効いていた。普段なら、寒いと感じるかも知れないが、先程までの緊張で体が火照っていた為、桜にはとても心地良い。


「ふぅ〜、涼しい〜」


 真緒も同じく店内の快適さを満喫していると、カウンターの奥から一人の女性店員がこちらにやって来た。


 栗色のパーマが掛かった髪の毛をポニーテールにして、茶色いフレームの眼鏡を掛けている。白いブラウスと黒のパンツ。その上から黒いエプロンを着ていた。如何にも喫茶店の店員さんといった感じでこの店とも見事に合っていた。


「真緒ちゃん〜。すっごい久しぶり〜。誰かと来るなんて珍しいね」


「久しぶり〜香夏子さん。今日は友達と一緒に来ちゃった」


 慣れ親しんだ様子で真緒と香夏子が話す。友達だと紹介されて、少しだけ違和感が走った。彼女の説明に自然と香夏子が自分へと向けられる。桜は緊張しながらも会釈をした。


「初めまして、沢渡 桜です」


「初めまして〜。山科 香夏子と言います。このお店の店員をしています」


 学校以外で大人の女性と話す機会が滅多にない桜にとって、香夏子と話すのは挨拶でも緊張する。相手は歳の離れた自分にも気さくに話をしてくれる。真緒との距離が近いのは、信頼度の高さ故だ。


「さて、お互いに自己紹介も終わったところで座ろっか」


 真緒が手を小さくパンと叩いて、桜を席へと案内する。それは本来、香夏子の仕事なのではと思ったが向こうは何も言ってこない。つくづく彼女のコミュニケーション能力の高さが羨ましかった。


「香夏子さん、いつもの席、座るねー」


「はいはい。どうぞ」


 真緒に言われた香夏子は、当たり前のように了承した。会話ぶりからどうやら彼女のお気に入りの席があるようだった。桜はココでも前を歩く真緒の後ろを歩く。


 真緒達が座ったのは店内奥にあるソファー席。


 丁度、外の赤い窓枠から見える席だった。真緒は奥に座り、肩から通学カバンを下ろして隣に置いた。桜も同じようにして、向かい側に座る。


「さて、何にしようかな」


 真緒は窓枠に立て掛けられていたメニュー表からメニューを取って、テーブルに広げる。桜が見やすいように縦にして広げてくれている。


 グリーンドアのメニュー表は、コーヒーの種類が丁寧に書かれていて、料理のページは写真付きだった。「お腹空いたよね? 何か食べる?」と真緒に聞かれて、本来は家で昼食を食べる予定だったが軽く何か食べる事にした。メニューを見て、桜はクラブハウスサンドを選択する。


「私はどうしよっかな〜。久しぶりだから、迷うなぁ〜」


 メニューをパラパラと捲り、どれにするかを考える真緒。やがて彼女は「ココはハヤシライスにしておこう」とハヤシライスを選択した。


「セットにすると食後の飲み物も選べるよ。沢渡さんはどうする?」


「なら、セットにしようかな」


「うん。はいメニュー」


 真緒がこちらにメニューを向けてくれた。桜は礼を言ってからページを見て何を飲むか考える。家でもコーヒーを飲むが、それは市販の粉をペーパードリップに敷いたコーヒーメーカー製で、主に朝や休日の昼に飲んでいる。


 どうせならこういう所でしか飲めない物がいい。


 桜はメニューを見つつ、どれにするかを決めた。彼女が顔を上げたタイミングで真緒が「決まった?」と聞いてきた。


それにコクリと頷く。


「じゃ、香夏子さんを呼ぼう」


 真緒はカウンターを拭いていた香夏子に向かって、手を伸ばす。すると、すぐに目が合って、「はーい」と答えてくれた。


 香夏子が銀色のトレーにお冷やと二つとお手拭きを持ってきた。それを二人の前に手際よく並べると、伝票を手にして注文を聞いてきた。


「お決まりでしょうか?」


「うん。私はハヤシライスのセット、食後の飲み物はドリップコーヒーで。沢渡さんは?」


「クラブハウスサンドのセットをお願いします。食後の飲み物はカフェラテを」


 二人の注文をサラサラとペンを走らせて伝票に書いた香夏子は「はい、かしこまりました」と二人に向かって頭を下げてから、離れて行った。


 香夏子が去った後、二人の間に軽い沈黙が流れる。


 考えてみたら、それは至極当然だった。桜はこれまで真緒と会話らしい会話をした事がない。結衣と話しているような会話をしても真緒とはチューニングが合わないのだろうという事は察しているので、彼女との会話の起点が見つからない。


 あぁ、そうか。本当に助ける事しか考えていなかったんだな。と桜はぼんやりと振り返った。


 そんな事を考えているとiPhoneを弄っていた真緒が口を開く。


「ねぇ、沢渡さんって今日のテストどうだった?」


 聞かれて初めて、二人の間にこんなにも分かりやすい共通の話題があった事を思い出した。


「普通かな? まぁ、可もなく不可もなくって感じで」


 無難な返しをすると、真緒が驚いた様子で「えぇ〜!」と口を開く。


「嘘だぁ〜。だって、私なんかよりもずっと、沢渡さん頭良いじゃん。きっと沢渡さんの普通ってきっと九十点とかでしょう?」


「いや、そんな事はないよ。多分、八十点台後半になって返ってくるんだと思う」


「えっ、すご。もう大体の点数まで分かるんだ」


「いや……、うん。あくまで多分だけど」


 予め知っている答えを書いているだけなので、点数も全て分かっている。今日受けた三科目は、八十点台後半から九十点台前半になるように調整済である。


「いいなぁー。私そんなにいかないよ。普通に難しかったもん。由紀子ちゃん、わざと難しい問題出してるなって、帰りの地下鉄で、皆で愚痴ってたんだから」


 真緒が呼んだ由紀子ちゃんというのは、数学教師の高橋 由紀子の名前だ。


 淡々とした授業を行う女性教師で、年齢は推定四十代。束ねた黒髪に黒ぶちメガネを掛けている。


 授業も無駄話もなく、淡々と教科書通りに進むタイプで午後はよく眠気を誘い、そのまま眠ってしまう生徒が多数いる。彼女は眠っている生徒を起こす事はせず、無視して授業を進めていた。それを知っているので、最初から眠る気で受ける生徒も存在する。


 そんな授業の定期テストは必ず捻った問題が何問か用意されており、それが彼女なりの生徒に対する指導なのだろうと、桜は解釈していた。


 もっともそういった指導も“遠見の力”の前には全て無力な訳で、桜はいつも高得点をキープしている。


「いいなぁ〜。やっぱり普段からずっと勉強とかしてるの?」


「まぁ、そこそこに……」


 真緒の質問にまた曖昧に返してしまった。せっかくの共通の話題でもテストの話はこれ以上続けるのは、難しいかも知れない。毎日同じ教室にいるのにいくら話しても交わる気がしない。


 桜がそう考えていると、真緒が手をパンと勢い良く叩くと、拝むようにしてこちらに向ける。


 軽快に響いた真緒の柏手は、店内に響いて他の客の迷惑にならなかったかと心配したが、幸い誰も気にしている様子はなかった。


「お願い! 私に勉強教えて!」


「えっ? 勉強?」


「うん。私、今回のテストかなりやばいんだ。せめて残りテストだけでも沢渡さんに教えてもらえるとすっごい助かる!」


「いや……、」


 そんな事を言われても桜は困ってしまう。そもそも彼女は誰かに勉強を教えた経験なんてない。それに自分のやっている事が、勉強とは呼べない事も承知している。


 まさか事前にノートに書き写したお手製のテスト用紙を渡す訳にもいかない。


「教えるのは難しいかも……」


「そこを何とか……っ! ちょっとだけで良いんで……っ!」


「私じゃなくて、他の人に教えて貰えばいいと思う。ほら、いつも一緒にいる人達と」


 断っても縋ってくる真緒に対して別の案を提案する。だが「それは無理」と即座に断られた。


「皆、沢渡さんより頭良くないもん。大体、似たような成績だし」


「そう、なんだ」


 どうやら真緒達は既に自分達の学力について共有済みのようだ。確かに同じようなレベルの人に教えてもらう事に不満が出るのは理解出来る。


 理解は出来るが、それでも自分が助けるのは……。


 尚も了承をしない桜に真緒が小さく息を吐いた。


「やっぱり、いきなりこんな事を言われても迷惑だよね」


その言い方に途端にこちらの罪悪感が刺激される。気まずいままの沈黙が流れた後、真緒が口を開く。


「ごめん。今、私かなり自分勝手な事してた」


「頼られるのは嬉しいんだけど」


 桜としてもどうして答えていいか難しい。


「ううん。いいの、今の全部忘れて」


 笑顔で首を振って、そう話す真緒。彼女の表情は、紙袋を持って赤信号を渡るのを阻止した時と良く似ていた。


 このまま真緒と別れてまた明日以降、彼女が今日と同じ事をしたら――。


 最悪な想像は瞬時に映像化されて真緒の脳裏を駆ける。


 今度は、桜が口から息を吐く番だった。


「人に勉強を教えた事なんてないから、自信がないけど、それでも構わないなら……」


「本当!? うんっ! それで全然、大丈夫!」


 桜の弱々しい言葉に顔をパァと明るくして真緒は何度も頷いた。


 勿論、一人になった真緒がまた同じ行動をするなら、桜に止める術はない。


 ただ自分にも出来る事として、ほんの少し頑張るくらいなら。


 その気持ちが桜を了承させたのだった。


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