「第1章 遠い記憶からの始まり」 (2ー5)
(2-5)
通り過ぎてしまった最寄り駅にやっと戻って来た桜は、ドアが開いてすぐにホームに降りて、改札に向かって走り出す。
当然、一本過ぎてしまった現在では、真緒の姿は見当たらない。彼女の連絡先は知らないし、結衣に聞いたって彼女も知らないだろう。
となると唯一の手掛かりは“遠見の力”で映った景色しかない。
信号がある横断歩道。確か、トラックがスピードを上げて走っていた。という事は大通り? 幹線道路がある場所? 様々なヒントが頭に浮かぶ。
本当は、この場でもう一度再び“遠見の力”で真緒の居場所を調べるのが一番良い。だけど、あれはかなりの集中力が必要だ。今朝のような無意識下ならまだしも意識的に使おうとして、気軽に外で使えるものではない。
「くそっ、」
人ごみに隠れて聞こえない小さな声で桜は、自分の無力さを嘆いて言葉を漏らす。
現状では真緒を探す手段は、足を使って動き回るしかない。映った時は外だったから、アーケード街や地下街を探す必要はないのが救いだ。
あくまで外だけを重点的に探せばいい。大丈夫、まだ間に合う。
弱気になりかける自分を励まして、桜は一番近くの地上出口へと続く階段を駆け上がる。季節の変化を考慮しない無駄に暑い太陽が頭上から降り注いだ。
出来るだけ日陰を選んで、桜は大通りを走った。そこから横道に逸れる横断歩道を片っ端から目に入れる。総当たりでしか、探す方法は思い付かない。
間に合わなかったらどうしようという、焦燥感が桜の足を止めずにひたすら加速させる。
駅から南下してく形で幹線道路沿いに歩いていると、アーケード街を抜けて、ビジネス街に入る。この辺りは基本的に訪れない。ガヤガヤとした喧騒もココまでは届かない。同じ街なのにまるで別世界のような地域で桜は、周囲を見回しながら、必死に探した。
すると、幹線道路から一本右折した片側一車線の道。そこを歩く真緒の姿を発見した。
「いたっ……!」
見つけられた衝撃で桜の心臓がドクンっと一気に早鐘を打った。真緒は一人で道を歩いており、後方にいるこちらには気付いていない。
良かった、まだ死んでない……っ! 常に頭の片隅に最悪の結末を想像していた桜は、一先ず真緒が生きている事に心から安堵する。
それから学校から出た時と同じようにして、真緒の背後を歩く。あの時と違って、他に生徒がいないので見つからないように最大限の注意を払った。
こちらを一切振り向く事なく、真緒はその歩幅を止めなかった。朝に映った通り小さな紙袋も持っている。学校からの帰り道では持っていなかった。どこかで買い物をしたのかも知れない。
真緒は何処に行くのだろうか? そんな疑問を抱きながらも彼女の後ろを歩いていると、とある横断歩道に行き着いた。
この横断歩道だっ! 朝に見た景色と瓜二つの横断歩道を前に桜は確信を持った。完全に見た映像と一致した彼女は安堵が引っ込むと、今度は緊張が増大する。
この後、真緒はここを――。
その瞬間を見過ごしてはいけない。桜は慎重に真緒の後ろを付いていって、彼女が横断歩道で止まるのを確認する。信号は当然赤だった。
遠くから轟音を響かせて、鉄の塊のトラックが走ってくる。この道は湾岸高速道路沿いの横道だから、トラックがスピードを出して走っていたのだ。今更ながらに答えを確認する。
そして真緒が下を向いて一歩を踏み出した。歩道から車道への一歩。まだ、側道のギリギリ。次の一歩を踏み出そうとする、まさにその時。
桜は真緒の右腕を掴んだ。
「……っ!?」
腕を掴まれた真緒は全身に電気が走ったかのようにビクッと驚いてから、ゆっくりと振り向いた。その衝撃から手に持っていた紙袋がアスファルトに落ちる。
その表情は、数時間前に教室で見かけた時とは違って、怯えているようだった。
「沢渡、さん……?」
「うん。市原さん、」
名前を呼ばれて、こちらも呼び返す。掴んだ真緒の腕は冷たくて小さく震えていた。こんな細腕でも感じる震えを皆と帰っている時からずっと隠していたのだろうか。
そう考えていた桜だったが、真緒は次の瞬間、ふっと小さく笑った。
彼女の中の何かをスイッチが切り替わったようだった。
「うわっ、偶然だね〜。どうしたの? こんな所で」
桜にそう聞いてくる真緒の表情はいつもの教室での彼女だった。あまりの変わり身に驚きながらも懸命に口を動かす。
「えっと、駅で降りて少し歩いた時に市原さんを見かけて、凄い暗い感じで歩いてて、それで、赤信号なのに気付かず横断歩道を渡ろうとしていたから」
「あっ、本当だ。信号赤じゃん」
指摘されて今知ったかのように顔を正面に向ける。流石にそれが嘘だという事は桜でも分かった。二人の前を轟音を響かせたトラックがそのまま走り去っていく。間違いなくこのトラックは今朝のトラックだった。
良かった、脅威は去った。桜がそう思っていると、真緒がポツリと口にする。
「そっか。助けてくれたんだね」
「うん。まぁ、」
「ありがとう、沢渡さん」
笑顔でこちらに礼を言う真緒。まるで、ほんの少し力を加えたら崩れてしまいそうな砂糖菓子の笑顔を向けられてしまうと、桜は掴んだ腕をすぐには離せない。
こちらの心情を見透かしたように真緒は、掴んだ桜の手に視線を落とす。
「もう大丈夫だから。ね?」
「でも……」
「もぅ〜。本当だって。落とした紙袋も拾いたいし。あっ、それだったら今からお茶しない? 沢渡さん、時間ある?」
「あるよ」
「よし決まり。お気に入りの喫茶店が近くにあるんだ。そこに行こ?」
「うん。分かった」
桜が頷いて手を離すと、真緒はすぐに落ちた紙袋を拾った。紙袋は口が閉じられており、何が入っているか見えない。
真緒が先導して、縦二列になってビジネス街を歩く。並んで歩いている訳ではないので、会話は発生しないがそれでも桜は、彼女の行動を見逃さないように力を入れていた。
なにせ、“遠見の力”で映ったのはココまでだからだ。今、この瞬間にも真緒が走り出して、道路に飛び込む可能性だってゼロではない。後は反射神経の勝負だ。運動には自信がない桜だが、距離を詰めれば何とかなるはず。
そう考えて、真緒とは離れずに常に至近距離を保っていた。
二人でビジネス街を少し歩いているとビル群の間にポツンと赤レンガ造りの喫茶店が姿を現した。赤い窓枠に緑色の木製のドアが特徴的のお店だった。
駅前にある、スターバックスのようなチェーン店とは違う雰囲気を醸し出している。
「このお店。グリーンドアって言うんだ。そのまんまでしょ」
店の前で真緒が振り向いて、桜にそう話す。どこか自慢気なその言い方に彼女は「うん、そうだね」と返した。
真緒はそんな桜にお構いなくといった感じで、店のドアに手を掛ける。