「第5章 前に進む勇気の出し方と作り方」(4ー2)
(4-2)
「――以上が、東京に来てから心変わりした経緯全部」
桜が説明を終えると、三人の間に沈黙が生まれる。喋り疲れた桜は、カフェラテを飲んで喉を癒した。カップから口を離すと、母が息を吐く。
「桜の事情は分かりました。話を最後まで聞いてやっぱり真緒ちゃんにはあらためて感謝をしないといけない」
「ああ、そうだな。先に帰ってしまったのは本当に残念だ。今度、ぜひ遊びに来てもらってくれ。お父さんからもお礼がしたい」
二人が真緒を生きている人間のように扱う。事情を知らないので、当然なのだが、たったそれだけの事が桜はとても嬉しかった。
いつか真実を話さなければいけないのは、承知している。
だがせめて、この喫茶店にいる間だけは、真緒は三人の中で生きてほしい。
「桜の考えは聞かせてもらった。今度は、私達の考えを聞いてちょうだい」
「……うん」
今朝と同種の緊張が桜を襲う。何を言われたってもう怖くない。そう思っていたが、条件反射で体に染み付いた緊張は、すぐには取り除けないようだ。
警戒している桜の様子に父が微笑んだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫。お父さん達、桜がマンションを飛び出してから、凄く話し合ったんだ」
「話し合い」
父の言った言葉を復唱する。同時に自分がいなくなった自宅マンションのリビングで何が行われていたのか、想像した。
「桜が飛び出してから、部屋に行ったら、桜の財布とiPhoneがない事は分かった。それでお父さん達は、無一文じゃないと分かって、安心した。流石に東京に行ったのは驚いたけど」
「ごめん……」
桜が謝ると隣で母が首を振る。
「ううん。桜が謝る事は何もないから」
「そうだ、桜は何も悪くない。驚きはしたけど、怒ってはいる訳じゃないんだ。結論から話そう、桜がもし、東京の大学に進学したいなら構わない。勿論、費用は最大限援助する」
「えっ?」
今朝とは正反対の意見が出て、今度はこちらが驚く番だった。驚く桜の反応に母が小さく笑う。
「って言うか、まさか桜が地元の大学でいいなんて言うとは思わなかった。東京に行くくらいの覚悟があると思ってたから。驚かせるつもりだったけど、逆にこっちが驚いちゃった」
お互いに意見が正反対となった。しかし桜は両親の真意が分からない。
「どうして東京の大学に進学してもいいの? だってずっと反対していたのに」
「それはね……」
母がそう言って説明しようといたが、そこで口が止まる。いつも淀みなく話していた彼女が口ごもるのを初めて見た。言い淀む彼女に代わって父が口を開く。
「それはね、綾香の“遠見の力”が弱くなっているからなんだ」
父の口からなんて事ないように言われた“遠見の力“という言葉。もはや今日何度目か分からない衝撃だった。桜は辛うじて、「知ってたの?」と父に尋ねる。
すると、父はゆっくりと頷いた。
そうだったんだ、ずっと知らないと思っていた。
母方の親戚に伝わる力だからと、最初から父は知らないのだと仲間外れにしていた。そうか知っていたのか。
知っていた事が判明すると、だったらこれまでどうして? という疑問が湧いた。
桜がそう考えている間に父が話を続ける。
「綾香と大学で出会い付き合ってから、結婚する話になった時に彼女から教えてもらったんだ。正直、最初は信じられなかった。だけど、実際に目の前で色々と未来を予言されてしまうと、信じるしかない」
「私は裕介君が“遠見の力”を知らないなんて一度も言っていない。桜の勘違い」
確かに母の言う通り、これまで父が“遠見の力”を知らないとは一度も言っていない。全て自分の勘違いだったと言われたら、納得するしかない。
「……でも、じゃあ! お母さんが出て行ったのは、どうしてなの?」
父が知っているなら、そもそも出て行く必要がないのではないか。桜の疑問に母が「それはね」と答える。
「結婚して桜を産んでから、私の力が弱くなっていったからなの。私は、桜と違ってあの力に相当依存していたからね。完全に無くなってしまう前に万が一に備えて、生きていける為の力を付けたかった。幸い、働いていた時の経験を活かせる仕事も見つけたし」
「だから出て行ったの? 家で暮らしながらじゃダメだったの?」
「それはお父さんもずっと言っていた。だから何度も話し合った。それで最後には家の近くに住むっていう条件で決着が付いたんだ。勿論、双方の両親にも話しているし、納得もしてもらっている。説明と説得にかなりの時間はかかったけど」
「そうだったんだ」
中学二年生で母が家を出て行った際、我が家はそんな事態になっていたなんて、桜は全く知らなかった。大人は本当に子供に隠れて事を進めるのが上手だ。
だから、今朝話し合いで母が将来的にまた住むって言い出した時に父は、期待した顔を見せたのか。
納得と同時また新しい疑問が桜の頭に浮かんだ。
「だったら、どうしてお母さんは東京で働くって事になってるの? 近くに住むっていう条件を無視してるじゃない」
桜の指摘に母が気まずい顔を見せる。隣では父も頷いていた。
「うん、お父さんも同じ気持ちだ。元々の約束と違う」
「それは、仕事が思ったより順調で楽しくて仕方がなくて、今だったら東京にだって行けるって思ったから……」
悪戯をして怒られている子どものように小さな声で弁明する母。その態度に彼女が自分より歳下にすら見えた。




