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桜マーブル  作者: 綾沢 深乃
「第3章 再会」

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34/50

「第3章 再会」(3ー2)

(3-2)


 桜は助けを求めるように父に顔を向ける。


「お父さんは知ってたの?」


 桜の問いに父はテレビを消して「ああ」と頷く。


「この間綾香に頼まれてな。お父さんもこうして皆で朝食を食べながら、話すのは良い機会だと思ったんだよ」


 何かしら考えがある母とは違って、父は純粋にこの朝を楽しんでいるのが、桜にも伝わってきた。


 確かに母の言う通り、予め来ると知っていたら、逃げるかも知れない。いや、逃げないにしても何らかのアクションは確実に起こしていた。


 例えば、この家じゃなくて近くのファミレスとか喫茶店に場所を変えようとか、そんな考えがすぐに思い付く。


 予め知っていたら――。


「……っ!!」


 そこで桜は真実に気付く。


 この間の車で一緒に帰った時、東京の大学に進学するのを諦めさせる話をしたいのかと思っていた。しかし、真実はそれ以外にまだ隠れていた。


 母は、自分が“遠見の力”をどれくらい使っているかを把握したかったのだ。


 自身と同じ頻度で使用しているのなら、読み合いになるので向こうもそれなりに警戒していただろう。本人曰く、歳を取ると力が徐々に薄れているとも言っていた。


 だからこそ、向こうは計画的に動いて、ゆっくりとこちらの動きを探っていたのだ。そして絶対に大丈夫だと確信した上で、ココに来た。


 完全にやられた。


 別れた時、母が何かを隠している事までは察していたのにそこから先を考える事が出来なかった。


「どうしたの? ずっと考えて込んで」


 嫌になるくらいわざとらしく、母は首を傾げてそう尋ねてくる。二人きりの時なら、感情に任せて何もかも叫びたいが、父は何も知らない。


 ギリギリのところで桜は抑え込んだ。


「なんでも、ない」


「そう? じゃあ朝ご飯、出来たから皆で食べよう?」


「お、そうだな。綾香の朝ごはんなんて久しぶりだ」


 母がそう提案して父が喜ぶ声がリビングに響く。頭の中でヒビが入る感覚があった。


「お腹空いてない」


 それが今の桜に出来る精一杯の抵抗だった。


「えー、そうなの? まぁ、起き抜けだもんね。じゃあ、コーヒーとヨーグルトだけでも食べなさい。そしたら後でお腹空くかもだから」


 それもいらないと突っぱねたかったけど、そこまでの力は無かった。しかもその後、父にまで説得されてしまい結局、コーヒーとヨーグルトに加えて、焼いた食パンと目玉焼き。ベーコンとサラダも食べる事になってしまった。


 せっかく抵抗したのに全部、無駄になってしまったと桜は朝からどっと疲れた。だけど、運ばれた朝食を食べている内にもし、本当に食べなかったら、この後の話し合いでまともに脳が回らなかったと思うので、結果的には正しかった。


 三人で朝食を食べ終えて、食器は片付けられて、おかわり分のコーヒーが入ったマグカップが各々の前に置かれていた。父が観ていたテレビを消す。


 桜が一人、正面に父と母がいた。両親と二体一で並ぶ構図は、久しぶりで以前は何にも感じなかったのに今は苦痛でしかない。


その苦痛から逃れたいのもあって、桜から口火を切った。


「で、話って何?」


「実は、あらためてお父さんとも話したんだけど、やっぱり東京の大学に進学するの。諦めてくれないかな?」


 やはり母が話したかったのは、進学の話だった。


 父とも話したと母は言っていたが、そんな話こちらは聞いていない。


 向こうは母と会った時は、隠さず全部話してほしいと言っていたくせに、逆はしないのかと桜は目で父を訴える。


 だが、当の本人には桜の訴えは届かず、大人がよくしてくる顔を向けてくる。それに嫌気が差してため息が出た。


「その話は、もう何回もして結論が出たでしょ」


「分かってる。お父さんが一度納得したのに意見を覆すような事を言うのは、本当に申し訳ないと思っている」


「じゃあ、今更言わないでよ!」


 父の言葉がトリガーとなり、怒りが一気に全身から爆発して大声が響いた。


 何も知らない。知らないくせにただ、母に利用されているだけのくせに。


 母は、自分が東京の大学に行くのがそもそも目障りなのだ。だからこそ父という人質を作って、地元に抑えこもうとしている。


 そんな事情を何一つ知らず、父は母の事を賢くて要領が良い人だと信じ切っている。


 そんな事ないのに、全部ズルしているのに。


 桜が怒鳴ったところで、二人共ビクともしない。逆にこちらが感情的になってしまった事で冷静になったのか、大人が得意とする顔を作ってきた。


 先程に加えて、ますます腹が立つ。


 こちらも冷静になろうと、コーヒーに口を付けた。


 全然美味しくない。グリーンドアの方がずっと美味しい。


 そんな事を考えていると、母が静かに口を開いた。


「地元の大学に進路を変えてくれるのなら、こちらも最大限の援助をする」


「援助?」


 桜が聞くと、母はコクンと頷いた。


「一人暮らしがしたいのなら、出て行っても構わない。生活費や家賃も相当額を出します。それなら別に東京じゃなくてもいいでしょ?」


 てっきり母は、父と一緒に暮らしてほしいはずだと思っていたので、その提案は予想外だった。警戒していた方向とは違う攻撃に桜が黙ってしまう。


 そこを母は見逃さない。


「どう? 悪い話じゃないでしょ?」


「そんな事、急に言われても分からないよ。それにお金が理由じゃないし」


「この間、桜には東京の大学で勉強したいって理由は、教えてもらったから。突然の話に戸惑うのは分かるよ」


 横から父がそう言った。その言い方から少し前に話した夕食時の事を言っているのだと分かる。だが、そんなものは母からしたら、とうに見透かされている。


 それを証明するかのように「逆に、」と母が加える。


「どうしても東京の大学に進学するのなら、そこまでの援助は期待しないで」


「おいおい。それは流石に可哀想じゃないか」


 横にいる父にそう言われた母は「うーん」と唸ってから「そうだね。今のは嫌な言い方だった。ごめんね」と頭を下げた。


 本当はそんな事、カケラ程も思っていない。いくら頭を下げられてもそんなものは、ただのポーズ。それなのに父はすっかり騙されて満足そうだった。


 桜のフラストレーションはますます溜まっていく。結局、何を言って全て封殺されてしまう。この話し合いを始めた時点でこちらの負けは決まっている。


 そう考え始めた時、母が次の一言を浴びせる。


「私はね、将来的にまた三人で住めたらいいなって考えてる」


「……はあ?」


 それは、その言葉は、絶対に言ってはいけない一言だった。自分から出て行ったくせに三人で住もうと考えている? 短く最低限の母の言葉は、これまで話していた内容を何もかも吹き飛ばす威力を持っていた。


 現に母の隣にいた父は驚いて、すぐにこちらを向いてきた。自分に向けられた彼の表情からは、希望の色しか見えない。将来、三人で住もう考えているから、何だと言うのだ。それと東京の大学に進学する話は、何も繋がっていない。


 桜が瞬時にそれを口にしようとして、開きかけても母の言葉が場を支配する力は凄まじくて、分厚い透明のビニールで家族ごと蓋をされたような息苦しさに襲われる。


「……」


 桜は言葉が出ずに完全に沈黙した。誰も言葉を発しない無言のリビング。テレビも消しているので、閉めた窓の向こうから鳥の声が聞こえる程度である。


 それでも何かを言わないと、必死に次の言葉を探していた桜だったが、母が彼女に「どうするの?」と促してきた。


 その一言が桜の脳を激しく揺らした。


 ダンッ!!


 両手でリビングのテーブルを叩き付けて、その勢いで桜は立ち上がる。急に立ち上がったので、立ちくらみがした。頭も熱い、のぼせているような感覚がある。


「ど、どうした?」


 困惑した表情で父がこちらを見てくる。一方の母は、動じる事なく、真っ直ぐに視線を向けてくる。二人に何を言えば正解なのか分からない。


 叩き付けた両手がジンジンと熱と痛みを持っている。桜は立ったまま口を開けて、大きく息を吸いそして吐いた。


「すぅ――、はぁ〜」


 少しは冷静になった頭で桜は再び座ろうとする。その時、彼女の脳に稲妻のような一筋の線が走った。


 このまま座ってしまったら、この先の展開も全て母の思い通りになってしまう。


 いや、今だけじゃない。きっと死ぬまで一生。


 そんなのは絶対に嫌だ!


 立ち上がったままの桜は、弾かれたようにテーブルから離れて、リビングから出て行った。後方で「桜っ!」と強く呼ぶ父の声が聞こえた。


 自分を呼ぶその声が、遥か遠くに聞こえる。彼女は止まる事なく自室に入り、財布とiPhoneを掴んで、裸足にスニーカーを履いて外に飛び出した。


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