「第3章 再会」(2ー3)
(2-3)
母はずっと、これを伝えたかったのだろう。
本当はこの間の駅のホームで話したかったけど、一刻も早くこちらが離れたくて、素っ気ない対応をしたのをすぐに見抜いた。
だから、父にわざと嘘をついたのだ。そうすると、自分が怒るから。そして怒りに任せてこちらに向かってくる。今度は、警戒はされども素っ気なくはされない。そうなればもう母の計算通り。
逃げられないように時間をかけて話せる車の中に連れ込めばいい。
この限られた空間で自分を説得をする自信があるのだ。全てを知った時にはもう遅い。それでも桜は最後の抵抗をする。
「お父さんは、お母さんが仕事で東京に引っ越す事を知っているの?」
「まだ知らない。近い内に話すつもり」
「そう」
自分が話す前にこちらの東京行きを諦めさせるつもりなのが透けて見えた。
「お母さんはさ、お父さんの事をどう思っているの? 嫌いだからあの家を出て行った訳じゃないんでしょ」
「そうね、裕介君は私の大切な人」
桜の質問に母は何の迷いもなく答える。それだけ強く揺らがないものを感じた。それ故に理解が出来ない。
「……だったら、どうして家を出て行ったの?」
こんな事を聞いてもきっと母は、教えてくれない。それは充分承知しているのに口が勝手に動いてしまった。聞いてからすぐに後悔した。
それまでテンポ良く会話をしていた母が数秒、口を閉ざす。
そして、口から息を吐いた後に答えた。
「大切な人というだけでは、一緒に暮らし続けるのは難しいの。もう少し大人になったら、桜にも分かる日が来る」
そんないつかが、果たして本当に訪れるのだろうか。不確定な未来について希望を抱くのは“遠見の力”を使うようになってからは、好きじゃない。
母の言う事に自然と眉をひそめた。すると、その様子を見ていた母がバックミラー越しに見て、小さく笑った。
「まぁ、未来が見える桜には、こういう話をしても嫌がられるか」
「はあっ?」
これまでとは全く別の種類の声が出た。“遠見の力”の事は今まで誰にも話した事がない。自分だけの秘密だった。何故、知っている?
疑問が浮かぶ桜に母が話を続ける。
「桜が“遠見の力”のやり方を聞いた日の事って覚えてる?」
「おじいちゃんのお葬式の日」
遠い昔の日々を記憶から引っ張り出す。もう昔過ぎて夢と間違えるくらいボヤている記憶だ。
「あの時、桜に教えた健悟君。あの子からあの日の夜に聞いたのよ。娘さんに先に教えておきましたよって。ったく、今思い出しても腹が立つ。余計な事をしてくれちゃって」
ココまで終始冷静だった母が初めて自身の感情をむき出しにして怒っていた。彼女に名前を言われて、桜はそんな名前の人だった事を思い出す。
あの人とは、あの日以来一度も会った事がない。
「本当はね、桜に教える予定はなかったの。それは皆で話し合って決めた事だった。それをあの子は、勝手に教えちゃったのよ。幸いにもまだ桜は小さかったし、すぐに忘れてしまうかと楽観視していた。でも、ちゃんと覚えていたのね」
「うん。忘れなかった」
桜の返答に母はため息を吐いた。
「 “遠見の力”は、代々ウチの家系に伝わる独自の力。主に女系が使えた力だったの。たまに例外もいたみたいだけどね。あ、聞いてたかどうかは知らないけど、健悟君は使えない」
「何かそんな事を言ってた気がする。頑張ったけど、使えなかったって」
「そうそう。元々、あの力は私の代で終わらせるつもりだったの」
母の代で終わらせるつもりだった。先程からの会話で薄々と気付いていた事だが、ハッキリさせておきたくて、桜は疑問を投げかける。
「お母さんは“遠見の力”を使えるんだよね?」
「ええ。使えます」
昔から要領の良い人だとは思っていたけど、その謎がようやく解明された。
母は常に未来を見続けて選択肢を間違えなかった人なのだ。おそらくテストの時だけ使っている自分とは違って、かなりの頻度で使用しているに違いない。
またしばらく沈黙が続いた。今日は黙ってばっかりだった。
車の走行音だけが漂う車内。お互いに次の言葉を探している。やがて天気の方が沈黙に堪えられなくなったのか、ポツポツと雨が降り出した。車の屋根に雨が当たる音が車内の背景音となる。
「お母さんって、“遠見の力”を使っているんだよね? それって辛くないの?」
純粋な疑問をぶつけた。あくまでテスト対策としてしか使わないと割り切った桜。それでも一時は辛くて、その反動として日頃から必死に勉強をしている。
だけどもし、予め日々の全てを“遠見の力”で見ていたとしたら――。
想像するだけで身を切られるような痛みがした。
「ん〜? そこまで? 辛いとかそういう類いの感情は、もうかなり前に消えちゃったから」
「消えた?」
「なんて言えばいいかな〜。ずっとやっている間にそれが当たり前になっている感じ? 桜が言いたい事は分かるんだけどね。それだけ私が依存してきたからって事だろうね」
「……依存」
“遠見の力”に依存してきた人間がどうなってしまうのか。桜は母を通じてそれを知る。彼女がそう考えていると、「ただね、」と母が付け加える。
「辛くはないんだけど、楽しくもない」
それはそうだろうなと言われて桜はすぐに納得する。
「人生の攻略本を渡されて、それに従っていればいいだけ。限りなく楽ではあるけど、楽しくはないよね。だから、桜にはこうならない為にも多用しない方がいい」
「それに歳を重ねると、徐々に力が弱くなっていくから。そのあたりも注意しないと」
「えっ? そうなんだ、それは知らなかった」
初めて聞く“遠見の力”の情報に桜は素直に驚く。
「健悟君ではそこまでは知らないか」
「うん、ありがとう。私、“遠見の力”はテスト勉強にしか使っていないから」
久しぶりに聞く母らしい言葉。二人にしか分からない問題。それに対して、桜はちゃんと頷いた。彼女の反応に母は、満足そうに「うん、それでいい」と答えた。
「さて、話は逸れちゃったけど、どうかな? 東京の大学に進学するのは諦めてくれる?」
一瞬でも分かり合えたと思った途端に母は、現実問題を突きつけてくる。ただ、それを聞いても先程までのような感情は無かった。そこにはちゃんとした理由があるからだ。でもやっぱり桜は、そこまで合理的な人生を送る気にはなれない。
「……お母さんの言っている言葉の意味は理解出来ても納得は出来ない」
桜は力強くハッキリとそう口にした。
「へぇ〜、そう」
すぐに何か言い返されるかと思っていたが、意外にも母は、そう感想を返すだけだった。
「納得出来ないなら、しょうがないか」
「……お母さんは、私がどう答えるか最初から知っているんじゃないの?」
自分よりも遥かに使う頻度が多いのだから、この展開も最初から全部把握していたのではないか。桜の質問に、母はまた小さく笑うと、「さぁ、どうだろうね」と曖昧に答えた。
はぐらかされて答えが出ないのであれば、諦めるしかない。
窓に当たる雨を見ながらため息を吐いた。
それから桜を乗せた車は、自宅の最寄り駅まで走行して、そこで停車した。母は家まで送ると言ってきたが、夕食の買い物をする必要があるからと断った。
それに万が一、家まで送ってもらって、父と遭遇したら大変な事になる。
「じゃあ、またね」
「うん、送ってくれてありがとう。今日お母さんに車で送ってもらった事、私からお父さんに話すから」
「そう? じゃあお願い」
最寄り駅で車から降りて、母と別れる。乗ってきた車がまた発進して、交差点で右折して見えなくなると、ようやく桜は落ち着けた気がした。
「ふぅ〜」
解放感を全力で口から出しながらも母に言われた言葉を思い出す。
東京の大学を諦めて、地元の大学に進学してほしい。
それは確かに母が伝えたかった事なのだろう。だが、それとは別にまだ何かを隠している。これまで、“遠見の力”の話を一度もしなかったのにココにきて急に話し始めたのが、良い証拠だ。
何を隠しているのかは知らないが、警戒を怠ってはいけない。桜は自分に強くそう言い聞かせて、スーパーへと向かったのだった。




