「第2章 真緒を探して、追いかけて」 (3ー2)
(3-2)
「――以上です」
桜が説明を終える。香夏子に多くの情報量を伝えようと意識してしまい、時間が掛かってしまった。一気に話したせいで、渇いた喉に残りのお冷やを流し込む。
冷たさが残っているお冷やで喉を潤すと向かい側の香夏子がそっと口を開く。
「事情は分かった、ありがとう。そんな事になってるのね」
「そうなんです。急に連絡が付かなくなって学校を辞めるなんて、どうしたんだろうって、皆心配してます」
先週までまで同じ教室で授業を受けて、テスト勉強だってココで頑張った。もし前々から退学を考えているなら、あんなに頑張る必要はないはずだ。何か事情があるに違いない。桜がそう考えていると、香夏子が口から小さく息を吐いた。
「桜ちゃんは純粋に真緒ちゃんを心配しているんだ」
「はい」
香夏子の質問に何の迷いなく、すぐに桜は頷いた。
「良い子だねー。ったく、真緒ちゃんも何も言わずに退学するなんてね。せめて一言何か言いなさいよ」
「そうですね……。確かに一言ぐらい話して欲しかったです」
桜は下を向いて感情を吐露する。自分では頼りなかったのだろうか。いや、自分だけではなく高校の人間関係では全員一緒の扱いだ。けど同じ高校に通っているのだから、少しくらい頼ってくれても。彼女の中で様々な感情が渦巻いた。
その過程で浮かんだ疑問を桜は香夏子にぶつける。
「もしかして、香夏子さんは真緒が学校を辞めるって事。知っていたんですか?」
少しの間が空いてから、桜の質問に香夏子は頷いて返した。
「金曜日だったかな。夕方ぐらいにあの子が一人で来て教えてくれたよ。学校を退学する事になったって」
「そう、ですか」
金曜日の夕方、一緒に学校から帰った日だ。あの時、駅で別れたけど、真緒は改札を通らずにその足でグリーンドアに向かったのだ。知らない彼女の行動が見えてくる。
それに香夏子だけには話していた。考えれば当然の流れかも知れないけど、悔しさもある。
自分ではダメで香夏子だったら話せたのだ。
どうして、自分ではダメだったのだろうか。
「私はね、最初に桜ちゃんには話したの? って聞いたんだよ? 話してないなら、私なんかよりも先に友達に話しなさい。って言おうとした」
「そうしたらあの子。もう話したって答えたの。だから大丈夫なんだって思って、安心してた。それが嘘って判明してちょっと怒ってる」
香夏子が戸惑う桜の心情を汲み取って、フォローしてくれる。その気持ちだけで、とても嬉しい。
同時に香夏子が怒っているという明確な言葉を使った事に緊張が走った。
「あの、真緒は香夏子さんにどこまで話したんですか? どうして学校を退学するとかも話したんですか?」
「一応ね。私は退学には反対だから。今の時期から学校を辞めても良い事なんて何もないし。この先、苦労するのは目に見えてるから。かなり説得した。でも、もう親とも決めた事だからって、聞き入れてもらえなかった」
「あの、真緒はどうして学校を退学するんですか?」
「――ああ、それは」
桜の質問に香夏子は答えようとして、口を開くがそこで止まる。話すべきかを考えているのだろう。数秒ほどの間が生まれてから、彼女はあらためて声を出す。
「ごめん。申し訳ないけど、私の口からは話せない。賢い桜ちゃんなら分かると思うけど、本人が誰にも話さなかった。それはつまり、そういう事だから」
本人が誰にも話さなかった事情を自分が勝手に話す訳にはいかない。そこには香夏子の最後の情みたいなものが透けて見えた。確かに桜が彼女の立場でも同じ事をするだろう。
決して意地悪ではなく、純粋に真緒を守る為に。
「ごめんね……」
「いえ、いいんです。最初、学校を退学するって聞いてから、誰も連絡が取れないし。大丈夫かなって、ずっと心配してたんです。金曜日も一緒に帰ったし。別れてからココに来たって分かっただけでも収穫です」
桜がそう言うと、香夏子が小さく笑った。
「そのあたりは本当に大丈夫だよ。あの子、ケロッとした感じでココに来たんだから」
「ケロッとしてました?」
こっちがこんなに心配してるのに? 桜はそんな気持ちが生まれた。彼女の質問に香夏子が何でもないような顔で頷く。
「うん。正直、少しは悲しがりなさいよって思った」
「ですよね」
桜と香夏子は意見が合って、お互いに笑い合う。今日、グリーンドアに来て、まさか笑う事になるとは思わなかった。
カフェラテに口を付けてそう考えていると、香夏子が「だけど、」と言って口を開く。
「真緒ちゃんが誰にも話したくないってのは、分かる。それはあの子の意志だから尊重してあげたい。でもだからって、桜ちゃんに嘘をついた事。そして、この店を自宅の番号に登録した事は、ちょっと違うかもな〜」
「えっ?」
まさかそんな事を言うとは思わなかったので、桜が困惑しながら香夏子を見る。すると彼女は「言ったでしょ?」と言って、首を傾げた。
「ちょっと怒ってるって」
「ああ……」
明確に怒っていると話した香夏子の心境がココでより鮮明になったような気がした。
「なので、私から話す事は出来ないけど、代わりにあの子に直接聞きに行けばいいよ」
「香夏子さん、真緒の家の場所を知ってるんですか?」
「知ってるよ。中学の頃から何回か車で送った事あるからね」
以前からよく通っていたという話は聞いていたけど、そこまでの関係とは知らなかた。自宅の電話番号までなら、桜でも交換したけど、家の住所まで知っているのは、自分が知る中では、香夏子だけだ。
香夏子がエプロンから、メモ帳とボールペン、それにiPhoneを取り出した。
iPhoneで何かを調べて、それをメモ帳に書き込んでいく。何を書いているのか気になって、覗き込みたくなったけどソファからでは、距離があって見えなかった。書き込みを終えると、香夏子はメモ帳を一ページ千切ってこちらへ渡す。
「はい。これが真緒ちゃんが住んでるマンションの住所」
学校の誰も知らなかった情報が桜の下へやって来た。待ち望んだ宝物を手に入れるように彼女は両手でそれを受け取る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。ただし、一つだけ条件があります」
「条件?」
香夏子が立てた人差し指を見て、桜が尋ねる。一体何を言われるのだろうか。咄嗟に身構えてしまう。すると彼女は「大丈夫」と小さく笑った。
「そんなに難しい事じゃないよ。真緒ちゃんのマンションには桜ちゃんが一人で行ってほしい。あの子の学校の友達には悪いけど、誰も連れて行かないで」
学校の友達。香夏子にそう言われた時、桜の脳裏にはカフェテリアで話したグループの面々が浮かんだ。自分達は何も知らないから、こちらに何かを知らないかと尋ねてきた。
彼らなりに真緒を心配している気持ちに嘘はない。
彼らを裏切る事になってしまうのが桜は悲しくて、理由を尋ねた。
「それは、どうしてですか?」
もし香夏子が何か誤解をしているのなら、それを解きたかった。桜がそう考えていると、彼女は珍しく視線をズラして答えた。
「桜ちゃんだけが、このグリーンドアにやって来たから」
「えっ?」
香夏子に言われた意味がすぐに分からなくて、戸惑っていると彼女は続ける。
「真緒ちゃんがグリーンドアに桜ちゃんを連れてきた。だから、あの子のマンションの住所だってこうして教えた。もし、明日あの子の学校の友達がこの店まで辿り着いても、私は教えない」
「それって……」
「真緒ちゃんが桜ちゃんをこの店に連れてきた理由はそれ程までに深いって事」
グリーンドアに連れて来られたのが、自分だったから。
真緒がいつものグループの子達をこの店に連れ来ていない事は知っている。だけど、そんなものは所詮タイミングの問題だろうと思っていた。




